社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

「父の日」を私が自覚した日。息子夫婦のプレゼント「夏用の洒落た帽子とコーヒー」

2011-06-19 20:11:22 | 日記

今日は、6月の第3日曜日だ。つまり「父の日」だった。私は、早くから家庭から独立していたせいかこの家族的なイベントに関しては割と無頓着で来た。高校から両親の元を離れて下宿した。それ以降26歳で結婚するまで一人だった。10年余り一人だった事が結婚を早めた要因かもしれない。最も結婚は一人でする物ではないので、もちろん奥様の合意があっての事だ。

ズット「父の日」が意味するものは、私に子供が生まれても、子供が大きくなっても私にとって、それは親父の事だった。最も父の日と言う中途半端な時ではなくゴールディンウィークに新茶と共に両親への贈り物をするのが、「父の日」兼「母の日」だった。親父の奥様つまりお義母さんはなんとなく「母の日」に合わないので、この親父に贈るプレゼントを兼用していた。

つまりどうでも良いが、「父の日」とは、親父の日だったと言う事だ。

さて、コーヒーの粉が無くなっていたので、今日生協で調達する事にした。休みの日には必ずコーヒーを飲んでおり、ないとインスタントではなんとなく物足りない。そして生協で買った時に、頭にふとよぎる物があったが、気にしなかった。実は2週間前にコーヒーの粉が無くなっていたのだが、なぜか奥様は購入しなかったようだ。その理由がお中元シーズンだったからだ。奥様の事務所に来るだろうお中元の可能性を奥様は考えていたのだが、ないのに私が耐えられなくなったので、生協で買ったと言う事らしい。

夕方5時頃、長男から電話があった。「大阪からだけど、これから行く」と。「飯はいらない」と。奥様はすぐピーンと来たらしい。母の日(息子のお嫁さんが奥様に贈った母の日プレゼントPHOENIX PLUME)と同じ様に、「父の日」だからと。

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ケース用の袋がなかなか洒落ているし、これなら包む時間がかからない。 夏用の帽子。昔の麦わら帽子だ。なかなかこれも洒落ている。

そして予想通り、お嫁さんと「父の日」のプレゼントを持って来た。うーん、プレゼントがなんであってもうれしい。「父の日」が私にとって初めて意味を持つ日に変った事を実感した。やはりうれしい。そして私たち夫婦に気遣ってくれる息子の嫁さんにまた感謝した。息子には悪いがハッキリ言って良くできた嫁さんだ。ありがたい事だ。

息子たちの「父の日」のプレゼント。

  1. 夏用の帽子:洒落た袋で、触ったらすぐ分かった。これは流石と言うか、うーん。私でも考え付かない。ありがたい。流石だ。しかも洒落ている。娘曰く、可愛いと言ってくれた。これはなかなかナイスだ。
    しかし、この「父の日」用の製品なのだろう。プレゼント用の包装材がなかなか良く考えられている。これなら包む手間も殆どかからないし、おしゃれだ。もちろん価格には入っているのだろうが。
    この様なビジネスも流石としか言いようがない。
  2. コーヒー:スターバックスの名前が見えたので、すぐ分かった。
    そう、奥様とこれを見たときに思わず笑った。今日買ったが、マアーこう言うものだろうと。

私へのプレゼントが麦わら帽子。この発想はなかなか凄い。私にとってはグッドだ。それが分かるのは、息子が、私が休みに何をしていたかを知っていた事になる。マアー何処まで考えてくれたかは別にしてありがたい。

そして何れにしても、わたしが「父の日」を自覚した日だ。


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2 コメント

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初めまして (ドラにゃんこ)
2011-06-23 07:51:38
「ドラにゃんこ」と申します。

あなたのブログの部屋の名前が、余りに衝撃的なので、ざーっと読ませて頂きました。

63歳の私は、約38年のサラリーマン生活を終えて、2009年秋より自適生活を送っています。

あなたの苦悩の記述に触れ、私も似通った症状に苦しみながら、ここまで辿り着けた身ですので、胸が詰まる思いでした。

父の日プレゼントは、洒落ていて宜しかったですね。

家は、独身の長男は、相変わらず何もくれませんが、あなたと同業のような仕事をしているので、PCが不具合を起こすと頼れる息子です。

長女夫婦は、プレミアムモルトの箱を持って来ましたが、お礼もそこそこに可愛い孫の相手でした。

次女は、貧乏な派遣なので何も要らない愛だけでいいと言ったら、カピバラの携帯ストラップをくれました。

自己紹介が長くなってしまいました。

それでは、これから時々、対話をさせて頂ければ幸いです。
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ドラにゃんこさん。コメント有難うございます (shiisan_2007)
2011-06-24 21:16:03
SADと言う病気かどうかは別にして、同じ様に精神的な病で、苦しんでいる人が私の周辺にもたくさんいます。病気を克服できずに若くして亡くなった知人もいます。最後は肝臓から出血と言う事でした。余りにも残念でなりません。

私の場合は幸いにも1年間の休職で治りました。家族の理解と言うか、奥様が私に好きなようにさせてくれたのが、結果はOKだったようです。

今は、孫が早く欲しいのですが、こればかりは流石に私達から息子夫婦には言えません。気長に待つとします。

タイトルにあるように、既に定年後の人生を描いています。いつ退職しても良いように。その一つがボランティアです。

また、お立ち寄り下さい。
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