それから、ほどなく公園での週1レッスンがはじまった。
講師は、なんとあの男だった。彼は会社に属しているはずだが、他に人材がいないのだろうか。どうやら、わたし全般の担当が彼ということらしい。
1回のレッスンは30分ほどで終わる。わたしが学校帰りに公園を通るついでに受けるという感じだ。
実技を重ねるにつれ、スキップで移動できる時間の長さは、5分伸び、次の日に10分伸びたかと思えば、また次の日は5分短くなったりといった具合。
レッスンがはじまってひと月ほどたつが、45分前後の世界を行きつ戻りつしていた。当初30分ほどだった移動時間からの伸びは、わずか15分ほどだ。あいかわらず男がわたしを持ち上げてくれるが、彼が言う才能というものが、ほんとうにわたしにあるのかどうか逆に不安でもある。何十年と先にあるという立派なレッスンルームへの道のりははるか遠い。
30分のレッスン時間は、その時の体調とか調子にもよって、短いと感じる時もあれば、長いと感じることもある。はじめた頃に感じていためまいや気持ちの悪さも今ではずいぶん落ち着いてきた。誰も見ていないという安心からか、はずかしさもだいぶ和らいできた。
実技の他に講義もある。講義は、公園のブランコに男と並んで座り行われた。
スキップの歴史から、スキップの物理、スキップの倫理、スキップの保健体育にいたるまで、およそこれがスキップと関係するのかと思われるものも含め、それは多岐にわたる。
わたしは、わたしひとりであって、たとえ過去に行ったとしても、もうひとりのわたしと会うようなことはないこと。その時代、年度ごとに、持ち帰れる物あるいは持ち込める物は厳しく制限されていること。そんな講義を聞いていくなかに、ひとつ気になる話があった。
それは「212O年問題」だ。未来の世界では、協定が結ばれた各年代、年度間を人々が自由に往来できる。
しかし、なぜだか理由は不明だが、212O年以降には行くことができないというのだ。逆に212O年以降からひとが来ることもない。
多くの人々が212O年以降に向けて旅立っていったが、戻ってきた者はひとりとしていないのだという。それは、212O年以降の世界に行った人がいないということをも意味する。よって協定も結ばれない。
直前の2119年までとの行き来はできるのだが、2119年の人々に聞いてみても212O年がどうなっているのか、どうして往来が出来ないのかはわからないのだという。
212O年より先の世界はいったいどうしてしまったんだろうか? 人々は、それを「212O年の壁」と呼んだ。それは言葉どおり、時代間を自由に往来できるようになった人々に高い壁となって立ちふさがっていたのだ。
そんな先まで、わたしが生きてるわけじゃないけれど、わたしたちの子孫の問題ではある。それがたとえ、わたしからつながる人々ではないのだとしても。
わたしは子供の頃、いつか死ぬのだということが怖くて、よく布団をかぶって泣いていたものだった。それが、たとえ何十年も後のことだとわかっていたとしても。そのわりには、幽体離脱したみたいに、あっちにこっちに気を取られ、ふらふらと居場所の定まらないわたしは、かりそめの時間をずいぶんと無駄にやり過ごしてきてしまったわけだけど。
未来からやってきた男は、わたしもより身近にその問題を感じているはずだ。彼自身そのことについて不安は感じてはいないのだろうか。
「それを知って、人々は騒いだりしてませんか? マンジさん自身不安にじゃない?」ブランコを軽く前後に揺らしながらわたしは彼に尋ねた。
「わたくしにしたって、それは不安ですよ。それに、人々の間にも多少なりとも混乱は生じています。その不安や恐怖を煽りたてる勢力もいて、それが拡大しないかと懸念されてもいます。人々は時間往来を可能にしたことによって、以前にくらべ格段に多くの情報を共有し、それまで不可能であった未来のことさえも知る得ることとなった。でも、それは知らないでいるべき事まで、自ら知ってしまったということだったのかも知れません。212O年の壁と言われるものも、そのひとつです。だが、しかしです。その壁で行き止まりなのか、その先に何がひろがっているのか、本当のところは誰にもわかりません。時代間移動のなかった時代には、未来が予測できないことは、むしろあたりまえだったのです。だから、ふりだしに戻っただけともいえます。そして、わたくしはこう考えます。先人たちが、ながらくそうしてやってきてこれたことが、わたくしたち後に残されたものにだって出来ないわけはないと。とはいえ、過去の時代に人々が関心を寄せはじめたのには、この問題が無関係であるともいえません。突如として頑然と立ちふさがった壁を前にしての言い知れぬ不安から人々は目をそらしたのです。一度未来を知ることを覚えてしまった後ですから、それは尚更のことでもありました」
人々を乗せたまま212O年の世界は、ブラックホールみたいに暗くて大きなドーナツの穴の中に吸い込まれて消えてしまったんだろうか。未来が不透明になったことに怯えた大勢の人々がどっと押し寄せてきたとしたら、わたしたちはいったいどうすればいいんだろう。
ふと気がつくと、また鼻と上唇の間で鉛筆をぎゅっと強く締めつけていた。どうもにもこれ、最近癖になっている。跡になってなきゃいいけどと、あわてて伸ばした鼻の下を手鏡で確認した。
スキップの練習は、思いのほか自然に打ち込めている。それは、家と学校との行き来だけだった毎日にわずかながら変化をあたえてくれた。それとのバランスをとりつつ、この前のテストでは悲惨だった勉強のほうもどうにかこうにか取り組んでいる。わからないことをわからないまま先に進めてしまっていた反省から、かなり基本的なところも復習してるし。
わたしは、親指と人差し指の間に持ちなおしていた鉛筆にぎゅっと力を込めた。
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