岩国観光と歴史旅の報告。10月中旬、歴史一人旅。宮島から山陽本線で
安芸灘を車窓から東に見ながら南下し岩国駅へ。カメラひとつで、
観光券つき周遊バス切符を求めて、錦帯橋と岩国城を観光。
上の写真は錦川に架かる錦帯橋と北側対岸の山。徒橋には若干のお金を支払う。
両岸は桜花の名所。さくら好きで有名な宇野千代生家がある。
山頂に復元岩国城がある。城へはロープウエーで登る、これも有料。
料金はリーゾナブルである。
吉川(きっかわ)広家が何で山頂に岩国城をこしらえたのか。山頂に立ってやっと
広家の考えが分かった。錦川を眼下にして、城から対岸の国境小竹町の連山と
遥か遠くの広島とを望遠できる高地に城をこしらえた。
城山が国境に突き出る場所、北北東に備中広島が望める望眺の絶好点である。
広家の気持ちがわかる。でも、「後悔先に立たず」である。
毛利家中の怨嗟の声が聞こえる中、後悔にさいなまれる吉川広家は関ヶ原合戦の
毛利軍指揮者毛利秀元に強烈なしっぺ返しを食らう。徳川から一国一城令が
出されたとき、壊さなくてもいい岩国藩の城を破却することにされた。
徳川は広家を大名として遇したが、毛利家中は岩国を支藩としてみていた。
今の天守閣は観光用に復元されたものである。
城の下に藩家臣の屋敷が当時の面影をきれいに残して、しっとりと建っている。
山際の屋敷の中を水が豊富に流れ、車が遠くを走っているのでとても静かだ。
ここらにシロ蛇が保護されている。蛇の生存にかなった環境である。
家臣屋敷のなかに吉川経家の子孫家屋敷と経家顕彰碑があった。
経家については当ブログ前号を参照していただきたい。
断っておくが、錦帯橋は広家の孫が架けたものである。江戸繁栄の時代であった。
岩国には米海軍基地と自衛隊航空基地が岩国駅南側にある。ここも戦後の残影で
あるが、山陽本線で徳山に向かうときうっかりして見逃した。沖縄米海軍基地の
地元負担の軽減に協力しようと、岩国市は政府と話し合っている。
岩国へはもう一度遊びに行きたい。土産も買わず、名物寿司も食べなかったから。出来うれば錦川の桜が綺麗なときにしたい。
吉川広家の関ヶ原戦場における行動について、私のホームページ「島六の書棚」を
ご覧ください。リンク先
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