じいちゃんのつぶやき

生涯学習のつもりでブログを始めました

野辺送り 義母様は重かった

2011-05-28 21:13:43 | 日記


5月第4週は梅雨に入ったらしい。梅雨もようのある日、私の息子の義母様が
八十歳で永い旅に出られた。比較的に療養の期間は短かった。

ご主人様の後を追うようにして静かに旅立たれた。永く肝臓が痛んでいたが
物言わぬ肝臓そのもののような物言いわぬ闘病態度の人だったらしい。
義母様は同居の孫たち近親者だけを呼んで、タイミングよく
別れを告げたということであった。

続けざまに祖父と祖母を失くした孫が、上着の袖で涙を拭う様をみて、こちらも
涙しそうになった。斎場で義母様の経歴紹介と愛唱曲の生演奏が用意されていたが
不覚にも涙をこぼしてしまった。式進行の女性コンダクタがまことに上手だった。
小さなシンセサイザの女性演奏者の演奏も大したものだった。
年取ったら涙もろい老人は「かなわないや」とハンケチを取り出していた。

野辺送りに棺を近親者6人で担いだのだが、皆老人ばかり。行きがかり上、私が
その一人になった。年齢からして重いものを持てない年頃である。
私は担がれる祖母様とちょぼちょぼの老人だ。
もたつく足元と重そうにかがむ私を見て家内ははらはらしていたらしい。
私はその時「これこそ老々会葬だ」と頑張っていた。

葬儀で私は心身共に疲れた。あとで半日以上床に入っていたが疲れはとれなかった。
息子がねぎらいの電話をくれた。
私は「義母さんによく尽くした」と息子に言葉を掛けた。駅まで見送りに
来てくれたかわいらしい仕草の孫二人の姿を急におもいだした。


同窓会症候群の人に薦めたい歌

2011-05-21 09:08:02 | 日記
久しぶりに会った古い学友は懐かしいもの。齢を積み重ね、経年の中で
遭遇した数々の出来事を脳裏に刻んで学友たちは同窓会に集まります。

青春を共有する人が話すことはやはりその時のそれぞれの思いです。
若い時の思い出が鮮やかに浮かび出すと私たちの胸の内に喜びが湧き出るのです。
この喜びを忘れることが出来ずに毎回同窓会に参加する人たちは
「同窓会症候群」だと冷やかされます。
でも、何と言われようと「喜びは歓び」なのですから、いっこうに構いません。

同窓会の幹事を永年続けてきた友人は同窓会を解散する準備をしています。
そのとき唄う恰好な歌曲を見つけたといいました。

『今日の日はさようなら』と題するこの歌は学友と別れるときにぴったりの唄です。
コーラスで唄うと感情が沸き起こってきます。自分から歌いだすときこの歌は
歓びを感じさせます。

   いつまでも絶えることなく
   友達でいよう
   明日の日を夢見て
   希望の道を

   空を飛ぶ鳥のように
   自由に生きる
   今日の日は さようなら
   また 逢う日まで

   信じ合う喜びを
   大切にしよう
   今日の日は さようなら
   また 逢う日まで
    また 逢う日まで

森山良子、チェリッシュのソロも聴かせますがコーラスに似合いの曲です。
特に同窓会症候群の皆様にお勧めしたいと思います。




   

孫から誕生祝いの電話 これにはびっくり

2011-05-13 18:12:19 | 日記




5月は私の誕生月。しかも今年は喜寿の歳にあたる。いつの間にやらほんとうの
爺様になった。

喜ばしい長寿として、二人の息子から祝いの言葉らしき挨拶を受けて、
静かにうれしさをかみしめていた。そして、誕生日には遠くの孫娘から
初めて祝いの電話をもらった。とてもびっくりした。
孫が成長しているのが分かったし、孫の親たちの配慮が感じられて有難かった。

家内からは近くのショッピングモールで帽子を二つも買ってもらった。
ひとつは外出用のハンチング帽、もう一つは散歩用のヤングマン作業帽。
これで齢にふさわしくない、おしゃれな被り物がそろった。
御奥様は「こっぱずかしいので帽子姿の旦那とは一緒には歩きたくない」
口ぶりであった。

さらに、誕生祝いに天ぷら料理店へ案内してもらった。揚げ立ちの天ぷらは
旨かった。牛負けたというほど美味だった。相前後して入店した兄ちゃんは
ごはんを4回もお替りした。美味なのでもう食欲が止められない風だった。
私も年甲斐もなく、お替りを所望したが、少な目のご飯だった。
兄ちゃんのときは山盛りだったのに、店員さんは私には齢を見、限リをつけて
いるのが判って、とてもおもしろかった。

兄ちゃんのパトローネらしき姉ちゃんは、あわててキャッシュデスペンサに
現金引き出しにでていったのはおかしかった。側から見てはらはらさせる
若者たちであった。
そういえば、姉ちゃんは私みたいに場違いの雰囲気のカンカン帽を
被って、ペチコートにふんわりとした服を身につけていましたね。

おかげさまで楽しい誕生日でした。皆さんどうもありがとう。

東洲斎写楽はだれか いまだに謎

2011-05-10 12:23:17 | 日記


このほどギリシアの美術館で発見された写楽の肉筆画が写楽の謎を解く鍵に
なるのではないかと、NHK BSプレミアムが番組「知られざる在外秘宝」で紹介
している。
二人の役者絵(肉筆画)は間違いなく東洲斎写楽の肉筆であることが判った。
筆致が版画に描かれた歌舞伎役者の大首絵の特徴と同じであることを番組が
伝えている。美術研究家もこれを保証している。

番組は、東洲斎写楽がだれであるかの謎に迫ろうと、10か月の短い期間に
集中して売り出された浮世絵を整理して、四つの時期に分類した。
 第一期 寛政6年5月~ すべて黒雲母摺り大首絵(大判)
 第二期 寛政6年7月~8月 細絵30枚、全身絵が特徴
 第三期 寛政6年11月~閏11月 顔見世狂言絵、間板大首絵、追善絵
 第四期 寛政7年1月~2月 春狂言と相撲絵

地本問屋蔦屋重三郎の店先で、東洲斎写楽はだれも描いたことのない個性的な
大判の大首絵を売り出した。だが思うほど売れなかった。歌舞伎役者の半身を
真に迫る演技として描いても、江戸の市民は喜ばなかった。大首絵は売れ残った。

写楽の大首絵を、いま私たちはインターネットのサイトで容易に鑑賞できる。
ほんとうに素晴らしい構図の首絵である。絵画としていかに優れた作品であっても
ひいきの役者が美しく描かれていないのでは、役者絵としてはファンから
見放されてしまう。

あのモジリアーニの人物画が彼の生前さっぱり人気がなかったのを思い出した。
青い目のご婦人をキツネ目に描き、まなこに×印を入れた肖像画をだれが喜んで
求めよう。画商はこのような作品を扱うことことを喜ばなかった。
モジリアーニが町の中でひっそりと死んだのを知り、急ぎ彼の家に赴いて
優れた絵を買いあさる画商の姿を映した映画のラストシーンが忘れられない。

およそ100年後に外国美術商に評価され絶賛された写楽の浮世絵は、蔦屋の事情を
知る者にとって困惑する事態であったろう。身代の半分を幕府から召し上げられた
台所事情もあり、蔦屋は写楽に大首絵を続けさせるわけにもいかなかったらしい。
そこで、写楽に大判の半分サイズ細判に役者全身像を描かせたが、他の有名な
浮世絵師の売り上げにかなわなかったらしい。

寛政5年10月の江戸大火で市村座、中村座を失った歌舞伎座の面々は
寛政6年5月に都座と桐座を立ち上げているので、歌舞伎役者絵は人気を
得なければならなかた。でも写楽の浮世絵は売れなかった。

田沼意次が罷免されたあと、老中松平定信が奢侈禁止政策をうち出したので
芸伎の世界は緊張を強いられていた。寛政2年10月から地本問屋が輪番制で
自己検閲をしていた。浮世絵の版元の烙印の上部に付いている丸印がそれである。
写楽は寛永7年2月まで浮世絵作成に取り組んだが、突然筆を折った。
そのあたりの事情を蔦屋重三郎、栄松斎長喜(浮世絵師)、曲亭馬琴
十返舎一九は語ってくれない。

NHKの番組は謎だらけの東洲斎写楽を、阿波候のお抱え能役者シテ役の
斉藤十郎兵衛になぞらえているが、浮世絵研究者は当時藩士が浮世絵師との
二足のわらじを履くことはことは許されないと反論している。
しからば、浮世絵師を廃業したあと能役者になったと考えられないだろうか。
少なくとも、同時代に活躍した浮世絵師に比定することはやめたい。

東洲斎写楽は写楽として、謎を解明してほしいと思う。

ブラックベリーの花が咲きました ジャムを作りたい

2011-05-06 22:22:54 | 日記



 
わが庭にブラックベリーの花が咲き出した。ピンクがかった白い花である。
果実は写真のように赤色から艶のある黒い熟したやわらかい実に変化していく。
写真の実は一昨年の撮影によるもので、昨年は何故か実りがなかった。

つる性なので気候が合えば面白いように枝が伸び、果実も沢山採れる。
これをジャムにするとおいしくいただける。
ジャムにするのは黒く熟した実を冷凍して貯めておき、一定量になったとき
加工する。裏ごししたジャムのほうが舌触りが滑らかでおいしい。

と、えらそうに解説したら、家内から「作るのはたいへんですよ」と注意された。
そうです、食べる方は楽ですからね。

ビン詰めジャムを朝食に少量づつ食べたがおいしさが記憶に残った。遠方の孫に
送る予定であったが、とうとう全部私の胃袋のほうに送りこんでしまった。
今年採れた実をジャムにしたら、すぐさま孫に送ろうと思う。

ブラックベリージャムの作り方を教えてくれたのは、私の弟だった。なにごとも
器用な弟はジャムビン詰に、ラベルまで手作りして持ってきてくれた。(下の写真)

もう一つジャムつくりの計画がある。梅ジャムだ。思いっきり甘くしたジャムを
固形ヨーグルトに乗せて食べると、こたえられない。
うちの梅の実はどのくらい生ったかな。きっとそれでは不足だろうから、
実の太い青梅を買いに行くことにしよう。




新青森~鹿児島中央 JR新幹線の開通,4月29日

2011-05-03 01:09:26 | 日記


4月29日、東京~新青森
東北新幹線がようやく運転再開にこぎつけた。

3月11日の東北大震災でずたずたに分断されていた東北新幹線が49日ぶりに
改修を終えて、正常運転に戻った。これで東日本の震災復興のインフラが
一つ整備されたことになる。

ご承知のことと思うが、東北新幹線は昨年の12月4日に
八戸~新青森が開通したことで、営業キロ数714kmの
(東京~新青森)鉄道が完成していた。営業始めて間もなくというのに
不幸なスタートをしたわけだが、3月12日に九州新幹線(博多~鹿児島中央)が
オープンしているので、これで日本列島本州・九州に背骨が一本通った
形になった。

鉄道のライバルは飛行機だ。九州新幹線の利用者は 九州~関西圏の
旅行者だが、東北新幹線の場合は、どのような旅行者がお得意様になるのか
教えていただきたい。ビジネスマンなのか、観光客なのか。

写真で見る東北新幹線の車両は虹色のスカートを履いた上品な女性の容姿を
連想させる。スピードあるほうから
 <はやぶさ><はやて><やまびこ><なすの>
と名付けられている。

復興の仕事を支える鉄道の役割に期待することが大きい。
「頑張れ鉄道」「がんばれ日本」