じいちゃんのつぶやき

生涯学習のつもりでブログを始めました

平成11年度予算 参院で否決 衆院優位で成立

2011-03-30 17:13:19 | 日記


固い政治の話で恐れ入る。先に政治家に提案していたこともあるので
少々話させていただきたい。

3月29日、参議院で与党が提出した11年度予算は否決された。だが、予算案に限り
たとえ参院が否決しても、衆院が認めた一般会計総額92兆4116億円は国会を
通過することになり、形式的に衆院が開かれ予算額は変更されなかった。

これを受けて、同日、11年度予算関連法案「子ども手当つなぎ法案」
「地方交付税法等改正案」などが衆院に提出され、公明党、共産党、社民党の
賛成を得て承認された。
また、参院でみんなの党の賛意をもらって、31日に参院で関連法案は
多数決で決まる予定。

ところで衆院予算委員会で審議中に東日本巨大地震の余震が発生、審議中に国会が
ゆれるシーンがテレビ中継された。
津波災害騒ぎのあと、自民党党首谷垣氏は、ばらまきをやめて、不足する歳入問題と
財源のネックを解消するために予算案の修正を迫った。だが、菅総理はマニュアルの
改変を拒んで、参院の通過を目論み、社民党と手をむすんだ。
結果的には、ばらまきが得意な仲間がふえただけではないか。
野党公明党は別なことを考えているようだ。「子ども手当」の
次には、以前の児童手当制度の拡張版らしい。
「もうやめてくれ」、今は財源がないではないか。災害復帰に金をまわそう。

「子ども手当て」はつなぎ6か月延長である。何と硬直した姿勢であろう。
国が財政破綻しつつあるのに、予算運用の適正化もできない無能政府ぶりである。

一方、野党国会議員は首相の災害現場視察を非難した。こんな足の引っ張り合いを
している場合か。怒りを覚える。30日の毎日新聞社説も怒りの論説である。

それにしても、今日30日の「モーニングショー」のレポートは出色であった。
レポーター玉川総研さんの「危機から脱したオーストラリア」のはなし。
二人の元首相の国政における指導ぶり、官僚に財政再建の責任を持たせる方策
首相の国民を説得する熱意が見事に成功を収めたというインタビューレポートが
私の耳をそばだてた。

同番組で評論家鳥越氏は、菅さんの「出来るものしかしないという言葉には
がっかりした」とのべている。菅さんは「これをやるんだ」という熱意がなく
総理大臣になりたいからなったという人に見えてしょうがないと、家内がいう。
「菅さん、あなたには失望した」。

財界の指導者は法人税減税を遠慮して、国家財政再建に協力しますと
申し出ている。11年度の補正予算の編成であなたの指導力を見ておきますぞ。
あなたの能力を検定します。

今の私はほんに憂鬱である。面白くない。



<追記>
「子ども手当つなぎ法」案は、31日参院を通過した。賛否120票同数、西岡議長の
「可」宣言で、ようやく法となった。野党の谷垣自民党総裁は、災害支援に
回すべき財源なのにと、政府を非難した。
なお、みんなの党は1名だけ賛成、他の議員は反対にまわった。

木村栄文さん さようなら、お彼岸の日に旅立つなんて寂しいです

2011-03-28 18:29:00 | 日記


栄文さん!!
私の家の庭の「卜伴」の花が満開です。そして、沈丁花の香りが庭中にただよって
います。
お中日の翌日22日に、あなたが旅立たれたのを知りました。

私はいろんな場面での貴方の顔を、いつでも思い浮かべることができます。
私が退職したあとも、ご自分の闘病記と愛娘優さんの思いでを作品にしようとする姿を
テレビ番組で見て、とても立派だなあと感心していました。貴方は何ごとにも立向かう
勇気がある方でした。

地方の民放局で、テレビドキュメンタリー番組を企画制作していたあなたの足跡は
偉大なものです。文化庁芸術祭大賞をはじめ、数々の賞を受賞して、とうとう2002年
紫綬褒章まで受けられたことは、同輩としてうれしいものでした。

後年、ドキュメンタリー作家の偉大な先輩として、後進の指導にも当たっていただき
有難うございました。

貴方の作品を皆さんに紹介して、ドキュメンタリー作家としての偉業を偲びたいと
思います。
  苦海浄土
  飛べやオガチ
  まっくら
  記者ありき
  鳳仙花~近く遥かなる歌声~
  祭ばやしが聞こえる
  草の上の舞踏
  鉛の霧
  絵描きと戦争
  あいラブ優ちゃん
  昔男ありけり
  振り向けばアリラン峠
  記者それぞれの夏~紙面に映す日米戦争~
  ハリウッドの光のかげに~日系俳優マコの50年~
  月白の道
  オールドデック
すべての作品は栄文さんが知っている人の実像とその影を描いたものです。
作品に出演した人は演ずる人物の苦悩を真に迫った形で演じていました。
高くもない出演料で、栄文さんと一緒に寝泊まりしながら撮影を続けていたいた
俳優さんや演出者が大勢です。それは栄文さんの作品に取り組む姿勢に共感していた
からです。

石牟礼道子さんは「苦海浄土」を共同で作りあげるときの、栄文さんの取り組む
同志的な気持ちと近代を問う姿勢に共感を覚えるといっておられます。
                        (毎日新聞28日夕刊)
今、人文地理とその歴史に学ばなかった私たちに鉄槌が下されました。
「地震と津波災害」、貴方ならきっと、これをテーマにして制作に取り掛かるで
しょうね。
原子力発電所の破損で、日本国土は危機的困難に直面しています。
近代を問う姿勢のドキュメンタリー作品のテーマがきっと出たと思います。

栄文さん !!
あなたが作った作品それぞれが、椿「卜伴」の花しべひとつのように思え、貴方が
鮮やかな大輪になっているようにみえます。これからは椿の花を見るたびに
貴方のことを思い出すことでしょう。
頂いた「記者ありき」の署名本を大切にいたします。


厳冬 病人・高齢者を苦しめる

2011-03-25 13:45:55 | 日記


写真はインターネット記事から。

東日本大震災後、被災地の病院や避難所で病人や高齢者の死亡が相次いでいる。
厳冬で暖を取れず、介護・看護を十分に受けることができない高齢者らが
次々とたおれている。

23日の新聞記事によると、避難先での死亡は35人となった。ほとんどが体力がない
お年寄りと病人で、医薬品や燃料の不足が命とりとなった。
集団退避先の数字でこの有様だから、医薬品が届かない地域の施設と自宅静養の
犠牲者を入れると、もっと大きな数字になるだろう。

圏外退去指定圏の大熊町の双葉病院から、病院ごと圏外に脱出したケースは
悲惨だった。厳冬のなか、避難先をたらいまわしにされているうち、
病人21人が死んでしまった。死者の多くは認知症のお年寄りだそうである。
この認知症患者は身の回りの環境変化に対応できないので、このような事態に
なってしまう。病院長や看護スタッフが逃げてしまい、医療の引き継ぎもなかった。
これでは認知症患者は死んでしまう。この場合、医療のモラルが欠けている。
「人災」としかいいようがない。死んだ者は歩が悪い。

屋内退避圏内にあり、原発から25キロメートル地点であるにもかかわらず、
「大町病院」は医療ラインとライフラインからはずされ、公的手配の範囲から除かれて
とうとう、病院の機能を果たすことが出来なくなった。
さらに、200人ほどいた病院スタッフが17人にまで減ってしまったので
病人を預かることができなくなった。病院長は離れる職員を「引き留める」ことが
できない悔しさをテレビにむかって発言していた。圏外に逃げ出す市民と病院スタッフ
とを止めることができない悔しい現実に、院長は唇をかんだ。

放射能残留が野菜、牛乳、上水で許容基準を上回る場合が多くなったので
政府は25日、屋内退避圏の住人に自主退避を勧めると言い出した。結果的には
大町病院のスタッフが風評に動かされて避難したと非難することもできなくなった。

病院、福祉施設入居者の面倒をみるのがいかに大変かを、今度の災害は如実に
示している。関係者は日頃でも入院・入所している病弱者への付添と医療介護の
体制維持に苦労していることを皆さんに知っていただきたい。

認知老人を抱えている家族の苦労は並大抵ではない。認知症老人の介護について
みなさんの理解を得たい。

老人の介護について「老人ホーム物語」を書いているので、一度ご覧ください。
「老人ホーム物語」へ    ↑



老人介護に携わる皆様 ご苦労様です

2011-03-23 12:09:46 | 日記
東日本巨大地震の被災者の皆様ならびにご遺族の皆様に、心からお見舞い申します。
津波災害と原発・電力線および交通・ライフラインなどの2次災害によって
東日本の社会が危機に面していることを知り心痛めています。

離れた地域にある者でもできることをしようと老妻と話しをしています。
省電力、ガス節約、節水、車での外出の手控え、旅行の延期、催事への参加自粛
不急のものの買い控えなど、さりげなく協力をすることにしています。
関東に住む孫たちに送る援助物資もしばらくは控えることにしました。

被災の関係者には、仕事の責任者がたくさんいらしゃいますが、
どうか責任を全うしてください。
国、自治体の行政官、立法府の議員さん‥‥「今こそ、市民を救済するときです」。
財源がないので復興が難しなどと言ってはおれません。国民等しく災難を忍受しましょう。

国会議員さんに提案します。財源捻出のために今ばらまいている補助費の
削減・打ち切りをしてください。 国民の6割以上が賛成していない
子供手当を廃止しましょう。ほんとうに援助が必要な人に手当をしましょう。

老人・幼児の弱者の命を守るために、関係者が立ち上がり協力していきましょう。
福島の病院長と職員が退避している入院者から離れて、多数の死者が出た新聞記事を
知っている人が多いでしょう。病院・老人福祉施設そして自宅で介護を受けている人は
助けてあげなければなりません。みんなの協力が必要なのです。
助けが必要なところに援助の手をさしのべましょう。 議員の皆さん「如何でしょう」。

著名な企業家、スポーツ選手、文芸作家、がたくさんの寄付を寄せてくださって
います。歌手の橋幸夫さんは政治家の皆さんを「もっと働け」と叱咤しています。

議員さん、「今働いてください」。

弱い高齢者の介護の世界をのぞき見るつもりで、ホームページ「老人ホーム物語」
一覧ください。私のホームページへリンクしています。




 

彼岸お中日(春分の日) 父を偲ぶ

2011-03-21 21:31:29 | 日記


今日3月21日は春分の日。彼岸のご先祖様を供養する日です。

日頃はご先祖様を敬う儀式に熱心ともいえぬ罰当たりの私ですが、
きょうは神妙に行動し、ご先祖様を偲びました。

昼夜の長さが同じ春分の日、生物に感謝をささげて私たちの無事を願う日でも
あります。赤色は災難を逃れる色、小豆の赤い「牡丹餅」を仏前にお供えして
家族の息災をねがうのが、江戸時代からの行事でもあります。
今日、甘党の私は仏様にお供えした「牡丹餅」の下げものを
おいしく頂戴しました。

老齢に達したわたしは、夢の中で父母との思い出で目覚めることが多くなりました。
昔のことを鮮明におもい出すことが出来るのは、高齢者の特徴であります。
ことしは、父と別れて70年。だんだんと父が身近に思えてならぬのです。
幼い私と弟と別れるときの父の心境は如何ばかりであったでしょう。
「子を持って知る親の心」、父の気持ちがようやく身近に感じられるよう
になったということでしょう。

父の願いのように成長した人物になれなかった心苦しさを感じるこの頃です。
父の命日に大仰な法事は致しませんが、今年一年を<父の年>として
私だけの供養を続けようと決めました。さしあたって「父との思い出」を
文章化してみようとおもいます。



みずほ銀行のATM停止続く システム障害修復できるか

2011-03-19 20:29:16 | 日記
3月15日~17日、「みずほ銀行」の自動現金預け払け機(ATM)と
ネット振込ができなくなり、窓口業務にきりかえていたが、
18日に至るもシステムが回復せず。

19日は440の支店で、顧客1万2千人が窓口で9.7億円の引き出しを済ませた。
システムが復調しないので、19~21日の3連休も臨時に窓口業務をおこなう。

15日から振込処理システムが給与振込などの大量データ処理のために動かなくなり
全システムのダウンになったらしい。これから年度末の処理データが増えるので
「みずほ」はたいへんだ。メガバンクの中で、東北県で支店数が多いとされるので
市民もこまっている。

東日本大震災の義捐金振込などネット振込処理がふえたために、システムが不具合に
なったということもいわれている。だが、原因はいまのところの不明である。

平成14年に同行は大きなシステム障害を引き起こし、1か月余りシステムが
稼働せず、金融庁が改善命令を出している。この時も、大量データの処理が出来ずに
システムがパンクした。根本的解決をしていなかったので、経営者は
責任を問われるだろうと新聞は書いている。

私見を述べさせていただくならば、富士・第一・興銀の合併の中で発言力が強い
興銀の銀行システム中心に切り替えたのが誤りだった。支店数も顧客数も極端に少ない
興業銀行のシステムが市中銀行のシステムに替わるのは無理があるというもの。
経営の責を問うならこの時の取締役にすべきである。

システムを「元に戻すよすもがな」。こうなれば、銀行の中で最も優れたシステムに
するしかない。元・現取締役は無給となって預金者と株主にお返しするしかない。



<追記>
同行のシステムの完全回復は3月25日、システムのパンクから10日目だった。


余震続き 福島原発放射能の放出強まる

2011-03-19 06:55:47 | 日記
16日~18日の私のメモです。不安をあおるような風評を取り上げることがないよう
注意します。

両三日とも、余震が続いた。宮城沖と茨城沖と、広範囲に海底地震がおきた。
17日、鹿島灘地下30キロの地震が午後12時20分、それと前16日と時間も同じ深夜に
三度目の激震が発生したが、津波は起きなかった。
18日は巨大地震発生から1週間。 18日正午現在、マグニチュード5以上の
余震は262回だという。
1週間目の死者数は 6911人「阪神」を超したと発表された。


福島第一原発の3号機の使用済み燃料プールを冷却するために、17日午前には
強風下、放射能飛散のなか陸上自衛隊大型ヘリコプター2機による海水の
空中散布がおこなわれた。
午後は警察機動隊の高圧排水車が放水したが、高濃度の放射能にさえぎられて
目的を達せなかった。
午後7時30分後ごろ、ようやく自衛隊高圧消防車5台による車載水の放出が始まった。
当初は、放水ホース連結による海水の連続放水が計画されていたが、ホース連結の
社外連結作業を放射能のために断念したという。

18日からの放水は放射能の障碍で東京消防庁ハイパーレスキュー隊の放水が
手間取り、日があらたまった19日午前0時半に60トンを注水した。

災害に関する情報の速報性、信憑性が求められているが、政府、原子力行政、
地方行政、電力側の的確な指導が必要です。指導者としての資質を問われる
場合もあるようで、国民の不安を招かない人に指導をねがいたい。

原子力発電の監督機関の情報管理不足と指導不足がしばらく露呈していた。
専門家の話によると、福島原子力発電所第1~第5炉は40年前の古いタイプで
フラスコ型の「マーク1」とよばれているそうだ。
炉の構造が新しい「マーク2」の円錐もしくは釣鐘型とは異なる。

ところが、肝心の経済産業省の原子力安全保安院の後ろには何日間も「マーク2」の
原子炉装備の模型図が掲げられ、これによる説明がなされていた。
炉格納下部の一部、炉内圧力を減じるための炉圧抑制装置<サプレッションチェンバー>が
破損したとき、ドーナツ型の「マーク2」<サプレッションプール>の構造図を
後ろに掲げて説明をしていたのだった。

これにより、テレビ局とマスコミもつじつまの合わぬ説明をつづけていた。
構造図の誤りは3日ほども気が付かれなかったという。ほかにも、報道記者、解説者が
いくつもの誤りを発表していたそうである。専門家の指摘である。

私が見るところ、東京電力側の説明のもたつきぶりもよろしくなかった。なかには
確実な情報しか発表しない方針に徹した関係者もいた。

情報管理と危機管理の基本を守らないと、市民に混乱が起きる。
不注意な情報発信で、危機感が増大しないようにしなければなりません。





東日本巨大地震の余震 15日夜静岡東部に発生

2011-03-16 21:27:55 | 日記


東日本巨大地震の余震が、3月14日~16日と続きました。
3日間は余震が続く中、福島第一原子力発電所の爆発・火災事故と
放射能放出騒ぎで、私どもはテレビから離れることが出来ませんでした。

14日午前11時、<3号機>の建屋がとつぜん爆発、上部の外壁が吹っ飛びました。
屋内に出来た水素ガスが爆発したのです。使用済み燃料棒プールか
炉格納容器から漏れていた水蒸気の水素ガスが溜まっていたのですね。

16日午前10時、<3号機>から出た白煙とも見える水蒸気を、20キロメートルほど
離れたへリコプターカメラが中継していました。自衛隊による空中からの
注水ができずに16日が終わりました。

15日は<2号機>の爆発と炉格納容器の<圧力抑制プール>の破壊損傷で
私は絶望感に襲われました。放射能漏れが現実のものとなったからです。
こちらも、どうも燃料棒プールが減水して露出していたみたいです。

また、安全とみられていた<4号機>も使用済み燃料棒のプールへの注水が
出来ずに、水素ガスが建物内にたまり、15日午前6時と10時40分ごろ
2度にわたる爆発と火災が発生、建屋に2つの大穴が出来ました。
ここから、放射能を含む水蒸気が漏れ出したようです。今に至るま
注水ができずに、東京電力はこまっています。
以上、私が見たテレビ中継のメモです。


これを受けて、15日、政府は福島原子力発電所から半径20キロ~30キロの
住民に屋内退避の勧告をしました。
津波で避難している福島12町村の住民はこれからどうすればいいのでしょう。

一方、余震のほうは震源地を次第に南下させ、鹿島灘域までひろがってきました。
15日、午後11時31分、鹿島灘沖と静岡県東部に、ほぼ同時に激震が起きました。

静岡東部は富士山のまわり、マグニチュード6・4 震度5強の直下型でした。
政府地震調査委員会は「東日本巨大地震の影響は否定できない」と
いっています。
震源地は地下14キロメートルと浅いところで発生しています。
関東大震災のとき明らかになった活断層とほぼ同じところであるのが
気になります。東京地方の地震とならねばいいがとおもっています。



恐ろしい地震津波

2011-03-15 01:15:24 | 日記



東北関東大震災の被害は甚大です。宮城沖を震源とする津波は
千年に一度の被害を東北の海岸線一帯にもたらしました。
明治初めの有名な三陸沖地震と津波とをはるかに凌ぐ規模です。

震源地海底で二つのプレートがぶつかり、三陸沖に近い陸地側プレートが
太平洋プレート上にはねあがり、太平洋側にずれ込んだらしいです。
陸上部も海側に引っ張られ、ちょうど餅を引っ張ったときのように
地面が数十センチ沈下しているそうです。津波の海水が引かないので
これからは、沼のようなところができそうです。

そういえば、今度浸水を受けたところに、「沼」の地名がつくところが
多いのですが、地理学的に意味があったのですね。

動いた海底の面積が、東西200キロメートル、南北500キロメートルと
三陸沖地震のときよりも数倍広いという説明でした。
面積が広い分だけ、地震エネルギーが大きいのだそうです。
今回の津波の高さと範囲が広いのがそれで判りました。

今恐ろしいことに、福島第一原子力発電所の3つの原子炉が炉心融解を
ひきおこしています。恐ろしい事態です。
これも想定を上回った激震の被害です。

炉外に漏れだした高熱の水蒸気が水素ガスを発生させて、爆発がおこり
炉の覆いの役目をしている密閉建屋をふき飛ばしています。
当然、炉から逃がしている水蒸気は放射能を含んでいます。
発電所から半径20キロメートルの住民は避難していますが、ただ、炉自体が
壊れないように制御してほしいと願うばかりです。

もう、2晩も深夜のテレビで原子炉のニュースを見続けています。
被災者の皆様、どうぞ気を確かにお持ちください。

参考のために三陸海岸の地図を下に掲載しておきます。資料は
インターネットから転載しました。





<原子炉事故 15日 追記>
14日は<3号炉>の11時ごろの爆発さわぎで、たいへんでしたが、
点検中で発電をしていなかった<第4号炉>は最も安全だと思われていました。
だが、4号炉は使用済み燃料棒を入れるプールの温度が次第に上昇して
いたらしく、15日午前6時、建物5階が突然爆発、9時38分今度は4階が火災。

プールを覆う建屋に8メートルの大穴が2つ出来たと報告されました。
米軍の消火協力を得て、午後0時ごろどうやら消火できたようです。
安全でなく危険な状態であったのです。


<2号炉>も最初は安全だと思われていたのですが、注水用の発電機の燃料キレ
に気が付かずに、注水がストップ、炉内の燃料棒が露出したため、炉内圧力が
高まり、それからは注水を受け付けず、おまけに減圧弁がなぜか閉じてしまい
関係者はぞーっとしたものでした。わたしもテレビに釘つけになり
なかなか寝るわけにいきませんでした。

あくる15日、午前6時15分、<2号炉>の炉格納容器内の
減圧装置<圧力抑制プール>が爆発で損壊してしまいました。このプールは
炉格納容器の下部に取り付けてあるドーナツのかたちの円環状です。
皆さんも模型図でご覧になった記憶がおありでしょう。
とにかく、炉格納容器の一部が壊れたので、放射能漏れが起きたのです。
とうとう空中に放射能が放出されたのです。

政府は午前11時、緊急避難の範囲半径20~30 キロメートルを室内避難に
指定しました。福島県民は右のほっぺたをなぐられ、さらに左のほっぺたを
殴られたようなものです。

そして1号、3号に続いて、2号・4号の事故で、東電の発電所は満身創痍と
なりました。





九州新幹線静かに開通

2011-03-13 22:31:29 | 日記


昨日3月12日、九州新幹線 博多~鹿児島中央 が全通しました。
上の写真は800系新幹線列車「みずほ」の先頭部です。

開業初日は、出控えムードがあり、乗車率は予想されたほどには
高くないようです。詳報がはいっていませんので、後日報告したいと
おもいます。

東日本大地震の被災を受けて、各駅での歓迎セレモニィが取りやめになった
ようです。
JR長崎線の新駅<新鳥栖駅>は九州新幹線駅と共通駅となりました。
二つの鉄道が直角のクロスしたかたちになっています.
新幹線から長崎線に乗り換えて観光地「ハウステンボス」などへ
出かけることが出来るようになりました。

私は今日、この駅を所用があって通過したのですけれど、新駅前には
テントだけむなしくあるだけで、歓迎のムードの様子は見受けられ
ませんでした。

昨日は霧島の新燃岳がまたもや大噴火しました。噴煙が4千米まで上昇したそうです。
日本列島大荒れの中での九州新幹線の営業スタートだけに、しずかに
見守っていきたいとおもいます。

下の写真は八代海を走るN700「さくら」号。広報誌の写真を転載しました。