
小学校・中学校の2学期が始まった。1か月我が家に留学した小学3年生は
宿題を抱えて、元気に登校しただろう。此方も孫の世話から離れて
ようやく疲労回復の途上だ。ばあちゃんは、孫の滞在中の映像ビデオを
パソコンで編集中。「じいとばぁ」がいかに苦闘したかが検証できておもしろい。
なかなか宿題に取り掛からない孫を、私たちはなだめ、すかし、おだて
おどして時間をたっぷりかけて宿題をこなしていった。「勉強しない子どもに
勉強させようとするのは、自分が勉強するよりも難しい」と
NHKドラマで母親役のセリフがあった。まさにその通りである。
親に厳しくしつけられた小学生なのに、このありさま。
「じい・ばあ」はなめられているのである。
もう1つの家からきた孫は端(はな)から、こちらをだまして、
「宿題はない」といった。ここでは、遊ぶことだけしか念頭になく
家事を手伝うしつけが出来ていないので、本当に困った。
親に聞けば、昨年の夏休み宿題を全然やらなかった子たちであるという。
親がいても宿題をしない問題児を、私たちが取り扱うことは無理だ。
孫たちに同居していただいていた祖父、祖母様に申し訳ない気持ちで
いっぱいだ。この孫は引き取ってもらった。親には「孫のしつけが
たりない」と指摘した。
年寄と同居していながら年寄を大切にする気持ちがない孫。
私は孫の親に「年寄りや老人を大事にする」ことを身をもって
教えてほしいといった。
「じいとばあ」を甘く見る孫にしたくない。ただでさえ「ばぁちゃん子は
3文安い」といわれている。実感として「そうだ」と思う。
祖父母は往々にして孫を甘やかして育てるそうで、それが「三文安」と言われる所以だと思うのですが、実際私の祖父もそうでした。父がおらず母も多忙でしたので、私にとって祖父は本当に親替わりな存在でしたが、やはり甘やかされて育てられました。昔気質な人だったので、ダメなことはダメと頑固に言われはしました。しかし、責め立てられることは一度もなく、いつも私を守ってくれました。
それでも生前を思い返してみると、私は祖父を甘く見た、または都合の良いように粗末に扱ったことなど天に誓って有りませんし、嫌いになったことも喧嘩したことも一度もありません。これは私自身、これ以上無い良い祖父を持ったことを含め、唯一一番の胸を張って人様に言える自慢です。亡くなってもずっと近くから祖父が見守ってくれていると思うと、これから益々頑張れます。
ですから、たとえ三文安だと世間様に言われようと、実際そうだとしても、私は堂々と生きて行けますし、祖父に育てられたことを誇りに思っています。
貴方のお孫様もきっと、本心では貴方を大事にしていることと思います。三文安にしたくないと気を張らずとも大丈夫なように思います。
乱文駄文の上、失礼な言葉の数々どうかご容赦ください。
それでは、お身体ご自愛下さい。
コメントを有難うございました。