思い付きブログ

「ちはやふる2」18首「わすれじの」感想。

◎「ちはやふる2」
 第18首「わすれじの」



忘れじの
行く末までは
かたければ
今日を限りの
命ともがな

 (儀同三司母。百人一首の54番目の歌。)


〔意味〕
 (結婚したばかりの今、)いつまでも忘れないとおっしゃるお言葉は、遠い未来まではあてにしがたいので、(嬉しい言葉をもらえて幸せなまま、)今日を限りに死んでしまいたいものです。


 タイトルの「わすれじの」は、歌そのものとはあまり関係が無く、詩暢が子供の頃の辛い思い出を時々思い出すことでしょう。


◎ 理音は、場慣れしていないのと体力不足であること、千早に怪我をさせたことで少し動揺していることから、少し動きがにぶい状態。
 少しずつ追い上げる千早。

 でも、突き指の痛みは徐々に大きくなってきている様子なので、最後までもつのかどうか。



 さて、駒野が負け、筑波も負け
 太一と西田も劣勢であり、通常時の実力からしても普通に考えれば逆転が出来る要素はないところです。

 前の試合で突き指をしても頑張って勝った奏と、決勝戦で突き指をした千早の頑張りを見て2人が頑張るなんていう精神論は、基本的には御都合主義でしかないので。


 後は千早。
 詩暢が見ていることに気付いてやる気が一層出たこともあって集中力は普段よりは続きやすいでしょうから、指の痛みがひどくならなければ逆転するという理屈は成り立ちます



 次回で決着が付きそうです。
 理屈通りに進まないのがこのアニメですけれど、どうなることやら。


◎ さて後半、決勝戦や3位決定戦で互いに励ましあったり、応援席の応援を受けてモチベーションを維持し高めあうシーン、での皆の頑張りを見て、詩暢が昔を思い出すシーン。

 詩暢は小さい頃から強く、子供の頃は弱い相手には手抜きをして勝たせてあげる「優しさ」があったようで(子供なので、「優しさ」ではなく「甘さ」とするのは言い過ぎでしょう。)。
 手加減を覚えるから同世代の仲間はいないほうがよい、「1人になるほど、強くなる子や。」と大人から言われたことを思い出した詩暢。


 「気持ち悪い。。。。。気持ち悪い。帰れば良かった。」
 「何で今思い出すんや。昔のこと。帰れば良かった。でも、、、」



 詩暢は、皆でワイワイやりながら団体戦をしたかったともとれるし、単に友達がほしかっただけともとれるし(クラスとかに友達がいるのかは知りませんが、団体戦を毛嫌いしていることから友達はいないと推測。詩暢は人付き合いが苦手そうなので、部活のような枠組みがないと友達が作りにくいのかも。)。

 一方、17話で「私を、戦う相手と思っとる人間は、ここにはおらん。」と思った詩暢ですから、それは詩暢のレベルに近い人がいて良い練習になるならという前提付きでしょうし、少なくとも詩暢に追いついて対等かそれ以上に戦うために相応の努力をしている人がいるという前提付きでしょうし。


 でも、新の言葉などを挟んでの次の言葉と、その後にニヤリとするところからすると、それはあったとしても二の次であって。


 「関係ない、うちには関係ない。誰もうちには本気にならん。誰も。」


 その後、必死の皆を順に写し、特に最後に千早を見て、キラキラの光と効果音とともに詩暢がニヤリとして、心臓がバクバクする感じの絵を見せられると、自分に挑んでくる者、くじけない者、特に昨年の千早を思い出して気合の入った詩暢ということが分かります。


 それは、何よりも かるた が好きだから、誰よりも高いレベルで試合をしたいし自分を脅かす相手と試合をしたい、その方が楽しいし自分を高められる、そして当然に勝つ、と思っているに相違ない詩暢を表しています。


 自分より上の人や並ぶ人どころか、脅かす人すらいないという絶対的王者の孤独ってやつを長いこと感じてきた詩暢ですが、その孤独から解放される予感を感じている詩暢のワクワク感を表しています。



【shin】
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