岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

9 新宿フォルテッシモ

2019年07月19日 12時18分00秒 | 新宿フォルテッシモ

 

 

8 新宿フォルテッシモ - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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 店に戻り、浅田さんとの話し合いの内容を島根に伝える。島根は興奮気味に「そんな事できるんですか? 面白そうじゃないですか」と笑顔で言った。
『ワールド』が本当は忙しい店だという実感の沸かない湯上谷と安沢はポカーンとした表情で俺たちをみている。
「いいか? うち、給料安いだろ? 今月このままだと歩合なんて出ないぐらい酷い売り上げだったんだよ。でもな、あと一週間でリニューアルをかける。それで一気に挽回して、オーナーから歩合の金をもぎ取ってやろうぜ」
「あの~、歩合って?」
「ああ、おまえらは入って間もないから知らなかったか。うちの店、純粋な売り上げが二百万円いけば、二十万円歩合でもらえるんだ。俺にオーナーは渡して好きなようにしろって言うからさ、ちゃんとおまえらにも分け前はやるよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
 新人の湯上谷、安沢も大喜びだった。久しぶりに仕事へ対し、やり甲斐を感じている。毎日愚痴をこぼしながらあの頃はよかったじゃ、人間成長などしない。これで熱を持ってまた仕事へ打ち込める。
 リニューアルする為、最低三日間は『ワールド』を閉め準備するようだった。もちろん準備期間の時も、オーナーから『デズラ』を出させるよう交渉する。
 最近捕まる事が多くなったのであまりしなくなったが、ゲーム屋の宣伝方法は大きく分けて二つある。安全な方法は新規サービス券を封筒へ入れて、歌舞伎町の各ゲーム屋や飲み屋、ビデオ屋などに営業しに行くというもの。もう一つは『電バリ』と言って、電信柱に店のイベント内容が書かれたチラシを街中にペタペタ貼りつける事である。
 営業は特に捕まる心配はない。しかし『電バリ』は公共物にチラシを貼る訳なので、警察に見つかるとそのまま補導される。最低でも二人一組で行動しないとならない。一人が見張り役、もう一人は電信柱へ貼る役である。
 この系列に入った当時は毎日のように『電バリ』や営業へ行かされたものだ。

 経費はなるべく掛けないよう心掛ける。よって『電バリ』のデザインは俺が手書きで描く事にした。まず背景を書く。『ワールド』の店名らしく世界地図を簡単に書き、ゲームをしている客の姿を色々と小さく書いてみる。ゲーム機や人の部分は影のように黒く塗り潰す。うん、いい感じだ。あとは肝心のキャッチフレーズ。ここまで暇になった原因はハッキリしている。常連客の期待を裏切ったのだ。だから誰も来なくなった。だったら発想の転換で、逆にこれを利用したい。
《いい意味でみなさんの期待を裏切ります! ワールド、リニューアルオープン決定 二日間新規七千円サービスでスタート》
 こんなキャッチフレーズを入れ、デザインしてみた。
「あれ、新規七千円って、五千円じゃなかったでしたっけ?」
 横で眺めていた島根が不思議そうに聞いてくる。
「うん、そうだよ」
「どういう意味ですか?」
「客からは二千円もらって、うちは五千円のサービスを入れる。だから七千スタートでしょ? 嘘は言ってないよ」
「なるほど、うまい事考えつきますね~」
「仮に七千円全部の新規サービスじゃないからって、怒って帰る客、いると思う?」
「いえ、いないですね。だって五千円サービスの店なんて、業界初じゃないですか?」
「そうだね。まあもちろんその分、殺し台は作っておくけどね」
「いい客が来たらその卓には座らせないと?」
「その通り」
「さすが神威さん」
「島根君、また『ワールド』を流行らせよう」
「そうっすね!」
 俺と島根は力強くガッチリと握手をした。

 早番にもリニューアル内容を伝え、『イシ』が届くと、従業員全員で早速テストとして、台打ちをしてみた。
 面白い……。
 自分の考えたアイデアだが、実際にやってみて改めて感心してしまう。プレイして熱かったのが、『一気』のあとの再ダブルアップ。この時、赤札が出ようものなら七倍になるのだ。普通の『一気』なら一万点とまりだが、これなら七万点になる。スリルと興奮。様々な効果がこの新しい台には詰まっていた。
 こんな時なのに吉田の豚はまだ入院中らしく、電話一本ない。
「俺、ここの従業員で後悔してますよ。客としてこの店に来たかったです」と大山。
「これ、本当にすごいっすよ。レートは一円ですけど、もはや一円じゃないっすね」と倉下。
「神威さん、この台プラス、新規五千円の各ビンゴまで復活するんですよね?」
 島根が嬉しそうに聞いてくる。
「もちろん、じゃないと『ワールド』完全復活にならないだろ?」
「そうっすね!」
 台打ちをひと通り終えると、各自営業や『電バリ』の準備をする。毎日三百通の封筒を歌舞伎町内にある店へ配り、百五十枚の『電バリ』をした。
『電バリ』に行くメンバーはみんなで順番を割り振り、ベテランと新人がタッグを組む形で行う。『電バリ』で見張り役は、警官の姿を絶対に見落とさない事。遠くでも警官を見つけたら、「パン」と大きく手で叩いて貼り役へ伝える。『電バリ』で捕まる時は現行犯逮捕なので、貼っているところさえ見つかなければ問題ないのだ。貼り役はいかに手早く電信柱へチラシを貼りつける事ができるかが重要である。準備の際、チラシの裏側に両面テープを貼りつけ、剥がしやくするよう端のほうだけ折り曲げておくのがコツだ。
 これがこの店のラストチャンス。やれるだけ頑張ってみよう。
「もし歩合が出たらの話だけど、今、ちょうど従業員は八人だ。二十万円出たら一人二万五千円ずつ平等に分けよう。それでいいな?」
「神威さんが一番給料減らされているじゃないですか。神威さんがもっと多く取れるよう分配して下さい」
 島根は本当にいい奴だ。でもここで従業員の気持ちを一つにする為なら、数万の金など欲しがってもしょうがない。
「ありがとう。でもその気持ちだけで充分だ。とにかくもう一度あの忙しかった『ワールド』を復活させようじゃねえか。そしたら堂々とオーナーに言って、『デズラ』を上げてもらおう」
「はいっ!」
 俺以外の七名の返事が一斉に聞こえる。
 熱意はみんなに届いたようだ。あとはリニューアルの時間が来るのを待つだけ。準備を終えると俺の奢りで、みんなに食事を振る舞った。

 リニューアルの日がとうとうやってきた。
 客はどのくらい来るのだろうか……。
 正直不安でいっぱいだった。
 夕方五時にリニューアルオープン時間を設定し、今日は早く俺も店へ出てきている。妙にソワソワしていた。
「大丈夫ですよ、神威さん」
 倉下が声を掛けてくる。
「うん、やるだけの事はやったしな。でも実際に客が来なかったらって思うとさ……」
「新規七千円サービスの告知だけでも充分なのに、台も過激にグレートアップ。これで流行らなきゃ、歌舞伎町中のゲーム屋は潰れますって」
「そうだな」
 こっちが元気づけなきゃいけない立場なのに、逆に俺が元気づけられてどうするんだ。もっとしっかりしなきゃ。
 時計の針を見る。あと五分で夕方の五時だ。
「よし、大山。ちょっと早いけど、店開けるぞ」
「はい、ドアを開けてきます」
 大山がドアを開けた瞬間だった。一気に八名の客が雪崩れ込むように入ってくる。
「店長、新規七千円ってほんとっすか?」
「台を替えたの?」
「あ、ビンゴも元に戻ってる!」
 一度に色々言われても聖徳太子じゃないんだから…。でも本当に良かった。俺たちは張り切って新しい台の説明や、INに取り掛かる。
 少しして常連客の小倉さんがやってきた。
「いらっしゃいませ、小倉さん!」
「何だかいい雰囲気になったもんだね」
「小倉さん、七卓結構いいと思うんですけど……」
「そう、じゃあそこで遊ばせてもらうよ」
「お飲み物はどういたしますか?」
 この分だと、夜になればもっと忙しくなるだろう。さっきまで悩んでいたのが嘘のようだった。

『ワールド』リニューアル計画は大成功に終わった。特に新しく設定した新『ダイナミック』は客にとても好評で、ノーマルの台のほうが不人気だったぐらいだ。
 離れていた常連客も再び戻り始め、遅番だけでINも三百万を超えるようになる。この数ヶ月間の暇さは一体何だったのだろう。そう思うぐらい忙しかった。通常より一人少ない状態で店を回していたので、浅田さんと話し合い、新しく従業員を入れる事にした。

 あと一日で今月も終わる。吉田の野郎は膝に水が溜まったとかで一度も出勤してきていない状態だ。いないほうがうまく従業員たちはまとまる。歩合が出る純利益二百万にも達し、みんな喜んでいた。問題は一人従業員が増えたので、二十万円の歩合をどうやって分配するかだ。入ったばかりとはいえ、これから一緒にやっていく仲間なのだ。邪険にもできない。
 その時だった。吉田がノコノコと出勤してきたのである。朝十時に早番の面子が来て、仕事の引継ぎをしている時、電話一本もなく吉田は突然現れた。
 リストにいる倉下を睨みつけると「おまえはほんと冷たい男だな。見舞いに全然来ないでよ」といきなり罵り始める。まずは「長い間休んですみません」が先じゃないのか? 神経を疑ってしまう。
 俺が不機嫌そうに吉田を見ていると、ようやく「いや~神威さん。長い間休んじゃってすみませんね~」と言ってきた。
「一人少ない状態だったから、本当に大変でしたよ。早番の倉下や大山は、今月一度も休み取れていませんからね」
 あえて嫌味を言っておく。
「自分が復帰したから、明日からでも休みを取らせますよ」
「そうですね。お願いします」
 気に食わない奴の顔など一秒でも見たくない。俺は湯上谷を連れ、とっとと『ワールド』を出る事にした。
「あ、神威さん」
「何ですか?」
「うちの弟と妹、結婚するんですよ」
「二人同時期に?」
「いえ、同時期って言うか、うちって複雑なんですよね。弟は自分の本当の弟なんですけど、妹は親父の再婚相手、まあ今の母ちゃんですけど、その連れ子なんです。何だか二人でくっついちゃいましたね。両親は反対してるんですけど、俺ぐらいしか味方になってやれないので」
 何をトチ狂った事を抜かしているのだ、この馬鹿は……。
「でも、両親は結婚して籍も入れているんでしょ?」
「ええ、でも弟と妹は血の繋がりないんで」
「普通なら籍、入れられないんじゃないんですか?」
「その辺分かりませんが、まあ兄である俺が味方してやらないと」
「まあ、今日は俺疲れているんで帰りますよ」
 これ以上、くだらない会話で時間を過ごすつもりはなかった。
「誰なんですか、あの人は?」
 店を出ると、湯上谷が聞いてくる。
「ああ、あいつが一応早番の責任者の吉田って豚野郎だ」
「いつも倉下さんや大山さんが文句を言っている人ですね」
「信じられない奴だよ。店が暇になって『デズラ』下げられて、そしたら急に膝に水が溜まったとか言って、この一ヶ月入院してたからね」
「申し訳ないって感じには見えませんでしたね」
「そういう奴なんだよ」
 あの豚もしかして、歩合の分け前をもらえるとでも思っているのだろうか? いや、さすがにそれはないか……。
「それにしても『ワールド』って本当に忙しい店だったんですね」
「だからちゃんと始めに言っていただろ?」
「ええ、でもこんな忙しいなんて、想像もつきませんでしたよ」
「歌舞伎町のゲーム屋の中でも、うちはトップレベルなんだからな」
「これからもよろしくお願いします」
 湯上谷と別れると、俺は水と油の関係である吉田の事を考えた。いいタイミングで出てきやがって、あの豚野郎が……。
 一番苦しい時には店に来ないで、調子を盛り返すと責任者面して戻ってきやがる。へんな嗅覚だけは鋭い。とんでもない奴だ。先ほど倉下にいきなり言った台詞を考えると、これから先ひと悶着ありそうな気がした。

 夜出勤すると、倉下が「神威さん、あの人何とかして下さいよ」といきなり言ってきた。
「あの人って?」
「吉田さんですよ」
「何かあったのか?」
「いえ…、別に……」
「おいおい、自分から話を振ってきといて、それはないだろう?」
 倉下は下をうつむき、目に涙を溜めていた。
「あ、浅田さんがさっき店に来て、歩合のお金を持ってきました……」
「そう、受け取るよ。金額を確認したら分配するからな」
 俺の計算では二十万円あるはずだ。倉下から封筒を受け取り、中身を確認する。
「おい、何で十万しか入ってねえんだよ?」
「早番で吉田さんが分配したからです……」
「じゃあ、倉下たちは分配金をもうもらったという事か?」
「は、はい……」
「いくらもらったんだ?」
「言いたくありません……」
「何だと、おい?」
「言いたくありません……」
 吉田の野郎が絶対にこの件に噛んでいやがるな。俺は倉下の胸倉をつかみ、睨みつけた。
「俺が言えって言ってんだよ。早く言えや! それに吉田はどこ行った?」
「も、もう帰りました……」
「帰っただ? 歩合を自分の分、ちゃっかりもらってか?」
 あの野郎…。今まで入院して何一つしてなかったくせに、よくもぬけぬけと分配金を持って帰れるものだ。
「……」
「おい、何を黙ってんだよ? とっとと答えろや」
「早番の問題です。放っておいて下さい……」
 口を割るとそんなまずい事でもあるのか? ここまで頑なな倉下は初めて見た。
「ふざけんじゃねえぞ。昨日まで一緒に頑張ってやってきた仲だろうが? 言え、早く言えや!」
 俺が倉下を問い詰めていると、着替えを済ませた大山がリストまでやってきた。
「神威さん、自分が代わりに答えます。それ以上、倉下さんに強く言わないで下さい」
「じゃあ大山。早く言えや!」
「は、はい…。実は浅田さんが来て、分配金二十万だから早番に十万。遅番に十万って別々に渡してきたんです」
「それで?」
「吉田さんがそれを受け取ると、こう言いました。『オーナーからはこの分配金。責任者の好きなようにしていいと言われているんだ。だから本当ならおまえたちに、取り分なんて渡さなくてもいいんだぞ。でもそれじゃ可哀相だから、二番手の倉下には二万やるよ。大山には一万。新人は本来もらう権利なんてないけど、可哀相だし俺の金で五千円ずつやる』って……」
「そんな事を抜かしやがったのか?」
「はい……」
 分配金は俺がみんなに納得いくよう話し合い、平等にするつもりだったのに…。あんな豚野郎が何いい気になって仕切っていやがるんだ。心の底から怒りが込み上げてくる。
「随分と舐めた真似してくれるじゃねえか、あの豚が」
「まだあるんです……」
「何? 分配の事以外にか?」
「ええ……」
「何だ?」
「自分と倉下さん、今日限りで『ワールド』を辞めさせていただきます……」
「はあ? 何でだよ?」
「もう限界なんです。あの人と一緒に仕事はできません」
「ちょっと待て。じっくり話を聞くから」
「この決意は変わりません」
 一体、この変わりようは何なのだ? 大山と倉下。この店で働いて二年以上の月日が流れる。その二人が同時に店を辞めると言う。ここは腰を据えてじっくり話をしないといけない。そう感じた俺は、島根に連絡をして早めに出てきてもらう事にした。
「島根君を今呼んだ。彼が来たら、ちょっと俺と外で話そう」
「いえ、話したところで、もう辞めるつもりなので……」
「おい、このままの状態で俺ともサヨナラって訳か?」
「え…、いえ、そんなつもりは……」
「だったら少しぐらい俺と話をする時間ぐらい作れよ」
「分かりました……」
「倉下は?」
「は、はい……」
「よし、じゃあ悪いけど、島根君が到着するまでちょっと待っててくれ」
「分かりました……」
 せっかく店が忙しくなってきたというのに、吉田の野郎。事と次第によっては全面対決をするしかないようだ。

 世の中、こんな奴だけには地位を与えちゃいけないって人間がいる。運良くたまたまその座が来ただけなのに、すべて自分の力だと大いに勘違いする馬鹿。確かにある程度の上下関係は必要だが、立場に甘えふんぞり返っていては何の意味もない。
 部下の面倒見も悪く、反対に下の人間からうまい汁を啜ろうとしている吉田。あまりの暴君ぶりに倉下と大山は『ワールド』を辞めると言い出す始末。
 給料を下げられ、最悪な状況中で俺たちは共に頑張ってきた。それが何だ? 吉田が復帰し、たった一日経っただけで、でこうまで変わってしまうものなのか? 現にそうだから二人は辞めると言っているのだ。
 上の人間には媚びへつらい調子の良さだけで生き延びてきた男。今までは、オーナーのフォローがあったから何とか誤魔化せてきたかもしれない。しかし今回ばかりは許せない。
 島根が到着すると、俺は倉下と大山が辞めたいと言い出した事を伝えた。
「あの豚野郎。ほんとにどうしょうもない奴ですね」
「ちょっと二人と外で話してくるけど、店いいかな?」
「大丈夫ですよ」
「結構客もいて忙しいけど大丈夫?」
「任せて下さい!」
「ありがとう。それとさ、最悪俺は自分のクビを懸けて吉田をクビにしようと思う」
「え、神威さんがいなくなったら……」
「だからオーナーに決めさせるのさ。ゴマすりだけで調子よく生き抜いてきた豚をとるか。もしくは可愛げないけど数字を出してきた俺を取るかね」
「だったら俺も、神威さんが辞めるなら一緒に辞めます」
「そんな、島根君まで巻き込むつもりはない」
「何を水臭い事言ってんですか? どれだけこの店で一緒に色々な事をしてきたんです」
「島根君……」
「別にうちらがクビになるって決まった訳じゃありません。豚を一緒に追い出しましょうよ、神威さん」
「ありがとう…。島根君、本当にありがとう……」
 裏稼業という業種でも、絆ってちゃんと存在する。心の底から彼に感謝をした。
「じゃあ、大山さんと倉下さんの話を聞いてきてやって下さい」
「うん、じゃあ店、お願いね。何かあったら携帯に連絡して」
「分かりました!」
 休憩室へ向かい、一服していた倉下と大山へ声を掛けた。
「おい、待たせたな。腹減ってるだろ? 飯でも食いながら話をしよう」
「すみません、神威さん」
「すみません……」
「何、辛気臭い顔をしてんだよ。俺たちは頑張ったじゃねえか。何もかも言いたい事は俺に言え、な?」
 俺が留守の間、店に何かあると困るので、すぐ近くの焼肉屋へ入る事にした。

 仕事中だったが俺はウイスキー、倉下たちはビールで乾杯した。
「好きなもん頼めよ」
「はい」
「腹いっぱいになったら、話を聞くから」
「じゃあ、カルビを……」
「大山は?」
「自分、ビビンバだけでいいです」
「馬鹿野郎! 遠慮なんかすんじゃねえって。勝手に頼むからな」
 俺は店員を呼ぶと、特上骨付きカルビ、タンのユッケ、ユッケビビンバ、ひれステーキ、特上ロースを頼む。
「神威さん、そんな高価なものを……」
「うるせえ、いいから黙って食え。食わねえと俺が全部食っちまうぞ」
「いただきます!」
 目の前に並べられるご馳走。幼い頃じゃ考えられなかった。いつも暴力を振るい、食事すら満足にくれなかったお袋。酷い時なんてカレーライスをスプーン一口だけしか食べさせてもらえない事もあった。いつもデパートにあるレストランのガラス張りのメニューを眺めているだけだった。働けるようになったら、腹いっぱいミートソースを食べよう。ハンバーグを食べよう。ステーキを食べよう。ずっとそう思いながら大きくなった。
 今じゃ何だ。こんな高いもんだって自由に頼めるぐらい稼いでいる。ミートソースなんて何度食った事だろう。それなのにまだ食べ足りていない自分がいた。
 初めてミートソースを食べさせてくれたのは、うちに住み込みでいたお手伝いのせっちゃんだったっけ? それとも親父の妹であるおばさんだったっけ? あの時は本当に感動したっけなあ……。
「神威さん、神威さん? どうかしました?」
 大山の声で現実に引き戻される。ここのところ歌舞伎町での事で頭がいっぱいだったから、過去を思い出すのは久しぶりだった。
「いや、何でもない。ほら、肉焼けてるぞ。早く食え」
 本当なら俺ら三兄弟を育ててくれたおばさん、おじいちゃんにもっと恩返しをしないといけない。なのに俺はいつだって、こうやって歌舞伎町という街でいい格好をしている。俺もタダの馬鹿野郎だ……。
 親父は相変わらず女遊び癖があり、修羅場を時たま家に持ち込んでくる。世間体を気にするおじいちゃんは、どれほど困った事だろう。たまには親父を除いた家族全員で、食事でも誘ってみるか。店でも家でも問題のある俺は、常に何かしら考えていた。
 幼少期の頃、理不尽な親父の暴力を受け、常に口の中はズタズタだった。やり場のない怒り。それは鍛え、体を大きくする事で、強さに変わった。
 おっといけないいけない。今は二人の話を聞いてやらなきゃ……。
「で、吉田が何をしたんだ?」
「確かに分配の金の件も気に食わないですけど、それ以上にもっと酷い事をされまして」
「何を? どんな風に?」
「今朝、吉田さんが退院して店に来た時、神威さんにも弟と妹が結婚するとか訳の分からない事を言っていたじゃないですか?」
「ああ、それがどうしたんだ?」
「いつも世話になっている責任者の兄弟が結婚するって言っているのに、おまえらは祝おうという気持ちすらないのかって責められだして……」
「何をふざけた事抜かしていやがんだ、あの豚が……」
「それでこういう時、普通はご祝儀を払うもんだって四六時中言ってくるんです」
「まさか払ったのか?」
「だって延々と言われ続けているんですよ? 仕方なくいくら払えばいいんですかと聞くと、『三万円が相場だろ』って自分と大山さん、あと新人の二人も、各三万円ずつ取られたんです……」
 本当にとんでもない野郎である。店がピンチの時に来ないで連絡一つ寄こさず、盛り返してきたら出勤してきて、いきなりこのザマか。
「ふざけやがって……」
「そういう訳なので、もう二人で辞めようって決めたんです」
「待てって! 早まるなよ。頼むからさ。何の為に俺がこうやって話を聞いているのか分からないじゃん」
「でも、限界なんですよ、もう……」
 自分のクビを懸け、吉田を辞めさせる時が来たんだなと感じる。島根も俺の行動についてきてくれる。だったらある意味、これは吉田をクビにさせる最大のチャンスかもしれない。ゴマすりだけで渡ってきた豚。今日でとどめを差してやる。
 話に夢中で一人前三千八百円の特上骨付きカルビが、真っ黒に焼け焦げていた。
 俺は浅田さんに電話をして、こちらへ来てもらう事にした。伝えた件は倉下と大山が今日で辞めたいと申し出た事のみ。三十分後、浅田さんは来ると約束してくれた。
「いいか? おまえら、辞めるってぐらいまで追い込まれ、そこまで決意したんだ。今まで溜まっていたものを全部吐き出せ。ケツは俺が持ってやる」
「はい……」
 二人共、二年間もあの豚の独裁体制の下で耐え忍んできたのだ。その屈辱を晴らす機会を与えたかった。もちろん俺も今日で終わりにさせる。
 何をするにもずっと邪魔だった。何もしていないくせに手柄だけは独り占め。それにまったく気づかないオーナーにもムカついていた。
 早番の人間が面接をするのは、時間的に当たり前だが、それをあの男はいつも恩着せがましく「島根さんは、俺がこの店に入れたんですよ」と言っていた。倉下や大山にしてもそうだ。「おまえたちは俺が拾ってやったんだ」と常々偉そうに抜かす吉田。
 今までの悪行すべてを晒してやる。
 そして『ワールド』からその存在を消してやる……。

 浅田さんが焼肉屋まへ到着すると、俺は一旦店へ戻る事にして倉下と大山の二人に託す。あれだけ怨念のこもった二人である。これまでの吉田の悪行三昧な所業をすべてぶちまければいい。浅田さんがそれで何も感じる事がなければ、俺はこの系列に対し見切りをつければいいだけ……。
 島根が心配そうな表情で近づいてくる。俺は倉下たちが辞めると決意するまでの流れをすべて浅田さんへぶちまければいいと言った。浅田さんなら分かってくれるはず。俺と吉田の因縁は他の者まで巻き込み、ついに最終的決断が下されようとしているのだ。
 上司に対し、おべっかを使えない。うまく立ち回る事もできない。それでも自分なりに精一杯努力し、客に誠心誠意接してきた。だからこそ店は流行り、数字を上げ、オーナーへ金をたくさん稼がせる事ができた。ずっとそれが一番正しいと自分なりに思っていた。
 しかし何だ? 現実は違う。懸命に努力しても数字を出しても、吉田のゴマすりの前にはいつだって苦汁を飲まされ続けてきた。上司の機嫌を取る。それがそこまでそんな重要な事なのか? 違う。もしそうであっても、そんなんじゃいけない。他の動物と違い、人間が何故考える力を持っているのか? 答えは分からない。だけどゴマをする為じゃない。
「神威さん、倉下さんと大山さんは?」
「今、浅田さんと話しているよ」
「神威さんも一緒にいてやれば良かったじゃないですか」
「そう思ったけどさ、これまで二人の受けてきたやるせなさ。それを浅田さんへ伝えるのに、俺がそばにいたんじゃ何か言わせているように思われるかなと感じてね。おまえらの心の叫びをそのままをぶつけてみろ。そうアドバイスしておいたよ。それで駄目なら、俺たちも心中だって」
「豚一人と、俺たち従業員全員ですね……。果たしてオーナーはどちらを選ぶのか……」
 普通に考えればどう見ても、豚一人を残す事はありえないはず。従業員がいなければ店は回らない。数字だって弾き出せない。ゴマすりだけじゃ、商売はできないのだ。
 今回のケースは、俺が倉下と大山の絶望感をうまく利用させただけ。吉田をこの店から追い出すには絶妙のタイミングだと思ったのだ。卑怯なやり方かもしれない。それでもいい。どんな方法を使っても吉田をこの店から追い出したい。常にそう思っていた。
 リニューアルした『ワールド』は今日も忙しい。みんな必死になってホールの中を動き回り、INをしていた。
 留まる事なく各台は稼動し、大きな金額の『一気』に客は狂喜乱舞する。ギャンブル性を高めたのが、こうまで見事に客の心をつかむとは……。
 まだまだこの『ワールド』で働きたかった。忙しくて食事休憩を回す時間さえ難しいが、働いているんだなという実感があった。
 二時間半ほど過ぎて、大山が店に入ってくる。俺は浅田さんとの話し合いがついたのかと分かった。
「お疲れ、大山。ちゃんと浅田さんへ今までの吉田に対する鬱憤を伝えられたのか?」
「いえ…、それが伝えたい事の三分の一も言えませんでした……」
「何? 何でだよ? おまえ、うちの店を辞める決意までしたんだろうが!」
 予想外の展開に、思わず俺は怒鳴りつけていた。
「す、すみません……」
 いや、ここで大山に怒鳴るのは筋が違う。こいつも自分の事でいっぱいいっぱいなのだ。俺が勝手に託しただけの話。浅はかだったのは自分のほうだ。
「でも代わりに倉下さんが、自分の言いたかった事をすべて言ってくれました」
「え?」
「倉下さんの第一声は『人間的に許せません……』、それから今までの吉田さんがやってきた事を一つ一つゆっくり話し出しました」
「倉下はどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」
「倉下さんは話し終えると、エネルギーを使い果たしたようになって今日はこのまま帰ると言っていました」
「そうか……」
「自分も酷く疲れています。明日も仕事なのでそろそろ帰ります。神威さん、今日はありがとうございました」
「そうか、ゆっくり帰って休めよ。ん? おい、ちょっと待てよ! おまえ、辞めるって言ったのに何で明日も仕事なんて言い方をしているんだ?」
「浅田さんから神威さんへ連絡あると思いますよ。自分、本当に疲れたので帰りますね。お疲れさまです」
「分かった。とりあえず今日は帰ってゆっくり休んでくれ。お疲れさまね」
 大山が店から出ると、俺はこれまでの流れを想像してみた。辞めると言っていた人間が働くつもりでいる。これは少し気が早いかもしれないが、いい方向に行っていると思っていいだろう。

 夜中の三時になって、ようやく浅田さんから連絡があった。今までオーナーと色々話をしていたと言う。
「神威君、オーナーが少し話す時間を取れないかと言うんやけど」
 店内は変わらず忙しかった。オーナーとの話し合いは願ったりだが、この状態の店を放り出す訳にもいかない。
「話すのは問題ないですが、店が本当に忙しいんです。だからその間、他の系列からヘルプで従業員を回してもらえないでしょうか?」
「そうだね。『チャンピョン』や『バースデー』に電話してヘルプに来させる事ができるか聞いてみるね」
「お願いします」
「オーナー、これから歌舞伎町へ向かうと言っていたから、あと三十分ぐらいで到着すると思うんや。今から聞いてみるから一旦切るね」
「はい、了解しました」
 吉田追い出し計画最後の大詰め。この俺が引導を渡してやる。心が躍った。島根に状況を話すと、彼は汗を手で拭いながら嬉しそうに微笑んだ。そしてすぐ走りながらINをする。
 十五分ほどして系列店の『チャンピョン』と『バースデー』から従業員が一人ずつ送られてきた。
「中村にえ~と『バースデー』の新人の子か。中村、久しぶりだな。二人とも今日はありがとう。うちの為に悪いね」
 従業員が足りないぐらい忙しい場合、こうして各店同士でヘルプをする事があった。これは系列店の強みでもある。
「いえいえ、とんでもないですよ。何でも浅田さんとオーナーと話があるとか?」
「ああ、とうとう吉田の野郎をクビにする事ができそうだ」
「それは良かったですね。店のほうは任せて下さい」
 たまに仕事帰り、交流を深める為他の系列店の従業員とは食事へ行っていた。その為、ある程度の情報交換はするようにしている。
「神威さん、自分、黒石と言います。始めまして。いつもうちの店長から神威さんのお話は聞いていました。一度会いたいと思ってましたので光栄です」
 黒石という新人は玉のように太り、黒縁のメガネを掛けている。髪の毛も天然パーマなのかクルクルに縮れあっている。
「黒石ね。これからもよろしく。今度飯でも食いに行こう」
「ありがとうございます」
「じゃあ、二人ともうちの店お願いね」
 店を出ようとすると、「あ、神威さん。吉田さん、何でもうちの早番の時、『チャンピョン』まで来て、神威さんの悪口を言っていたみたいですよ」と中村が話し掛けてきた。
「ん、吉田の野郎がどうかしたの?」
「何でも自分の弟と妹が結婚するとか訳の分からない事を言ってて、早番の従業員は三万ずつくれたのに、神威さんは何もくれなかったって」
「当たり前じゃねえかよ。何で見た事もない吉田の弟と妹の結婚に、祝い金など出さなきゃいけねえんだよ。それにあの豚、一昨日までずっと膝に水が溜まったって入院していやがって、昨日からノコノコ出てきたんだぜ。そのくせうちが給料下げられたの聞いてるだろ? 歩合金とか調子のいい事を言われてよ。その歩合金もあいつが六万ぐらい掻っ攫っていったんだぞ」
「ええ、うちの早番も呆れながら『悪いけど、それは吉田さんが悪い』と言ったそうですよ。あと『常識がないのはあんたのほうだ」って」
「だろ? 常識って言うなら、以前豚のおばあさんが亡くなったって聞いた時さ、俺はちゃんと香典で一万包んだんだ。それをあの豚野郎、香典返しも何もしてこないで、ただありがとうございますってだけだもん。どっちが常識知らずだよな」
「ほんとそうですね。うちの店も吉田さんの事、ウザがってますからね」
 吉田の評判は他の系列店の間でも悪かった。奴はこれからその報いを受けねばならない。
 オーナーと浅田さんが待っているのであまり待たせる訳にもいかず、俺は島根に行ってくると伝えると、『ワールド』をあとにした。

 

 

10 新宿フォルテッシモ - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

店を出て浅田さんへ電話を入れる。オーナーと一番街通りにある喫茶店『上高地』にいると言うので、俺は急いで向かう。吉田との数々の因縁。ようやくこれで終わるのだ&hellip...

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