岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

8 新宿フォルテッシモ

2019年07月19日 12時17分00秒 | 新宿フォルテッシモ

 

 

7 新宿フォルテッシモ - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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 時計を見る。もう夜中の三時を回っていた。
 今日は、この子の愚痴を聞くぐらいにしておいたほうがいいかな……。
 彼女の口から出るのは、彼氏への悪口だけだった。最初の内はいいが、一応俺も客である。延々と続く愚痴を聞くのは辛い。世の中、そんなおいしい話などなかなかないのだ。
「俺そろそろ帰るよ。明日、仕事だしさ」
 適当にあしらって帰ろうとした時だった。
「え~、こんな私を置いて帰っちゃうの?」
「だって、じゃあ俺はどうしたらいいんだよ?」
「もうちょっとつき合ってよ」
 そのままホテルに行って抱けるなら、何時間だって付き合うさ。しかし愚痴り話を聞く為だけに、つき合わされるのはまっぴらゴメンである。
「だってこれ以上付き合って酒飲んでどうするの? 少し飲み過ぎだよ」
「もうちょっと飲みたいの、あなたと……」
 そう言って女は厨房にいる長谷部さんに見えないように、俺の太腿へ手を乗せてきた。ひょっとしてこれはうまく行くかも……。
 思えば最初からこの女は、俺を誘っていたのかもしれない。
 こうなったらガンガン飲ませて、そのままホテルに連れ込んじゃおうか。俺の頭は助平心でいっぱいになる。
「しょうがないなあ。あと少しだけだよ」
 こうして俺は彼女に酒を積極的に勧め、潰す事に決めた。
 厨房から長谷部さんが、いやらしそうな笑みを浮かべながらこちらを眺めていた。



 会計を済まし、小料理をあとにすると、千鳥足で女も後ろからついてくる。なかなか酒の強い女である。あのままだとこっちが潰れちまう。
「あなた、格好いいよね。私、結構タイプなんだ」
「俺も君みたいな子、タイプだよ」
「またうまいな~」
「本当だって。実際俺、彼女いないしさ」
「嘘~、モテそうなのに」
 俺は女の手を引くと、グイッと抱き寄せ唇を貪りだした。女もまんざらではないようで、自分の舌を絡めてくる。路上なのに構わず服の上から胸をまさぐりだす。もう我慢できない。ホテルへこのまま直行だ。
 しかし、どうやって行くか?
 タクシーを呼んで待つ間、女の気持ちが醒めても困る。ここは自分で車を運転してホテルに行くしかないか。もし警察に見つかったら、罰金百万……。
 リスクと性欲を計りにかけてみた。
 大丈夫。きっと今日は運がいいはず。一秒で答えを出すと、俺は自分の駐車場まで女を連れて行った。

「……」
 本当に俺は運がいいのか?
 これで三軒目である。行ったホテルはすべて満室だった。女はいい感じで寝てしまいそうだ。このままでいいのか?
 自問自答するまでもなく、このままでいい訳がない。何の為に危険を犯しながら俺は飲酒運転をしているのだ。捕まったら、罰金百万だぞ。それさえ覚悟の上で、この女を抱くつもりだったんじゃないのか。
 ダラダラと運転しているのが一番危ないのだ。ひと気のいない場所へ車を移動させる。
 周囲に人がいないのを確認すると、俺は一気に女へ襲い掛かった。
「あん、ダメ…。アッ…、そこっ……」
 女は最初拒んでいたものの、徐々にされるがままになっていく。ブラウスのボタンを外し、ブラジャーをずらす。大きな乳房があらわになる。俺は、むしゃぶりついた。
 感じる女の吐息。車内では狭いが、この際贅沢も言っていられない。何度も唇を重ね合わせ、スカートの中へ手を這わせる。女はビチョビチョになっていた。
「すごい綺麗だよ」
 一度間を取って、相手の顔を見ながら優しく微笑み掛けた時だった。
「や、やめてっ!」
 それまで従順だった女がいきなり抵抗しだし、俺を突き飛ばしてくる。
「何だよ? ここまできといてよ」
 女は、俺から遠ざかるようにドアへ体をピッタリ押し付け、ガタガタと震えだした。
「おいおい、何で急に震えだすんだよ?」
「お願いだから、それ以上近づかないで……」
 さっきまで激しく求め合おうとしていたのに、急にどうしたというんだ? 俺は女の態度が不可解でしょうがない。
「落ち着いて。何もしないからさ」
 優しく髪の毛を撫でようとすると、それさえも女は払い除ける。
「やめてったら!」
「おい、どうしたんだよ?」
「こっち来ないで!」
 ここまでいきなり拒絶されるのは何故だ? あの甘い時間はどこに行ったんだ。
 怯えたような目をしながら、こちらを見る女。いくら何でもこの展開はないだろう。俺自身、納まりがつかない。
「いい加減にしろよ。じゃあ、どういうつもりで俺についてきたんだよ?」
「……」
 女は何も言わず、ガタガタと体を震わせながら黙って一点を見つめている。
「おい、どうしちゃったんだよ?」
 俺が手を伸ばし女の体に触れようとすると、汚いものでも払うかのように拒む。さすがに俺も、神経が苛立ってきた。
「…ったくよ」
 タバコに火をつけ、ちゃんとシートへ座り直す。それでも女はこちらを見ながら、まだ震えていた。
「何さっきから震えてんだよ?」
「……」
「黙ってないで何か言いなよ?」
 イライラしながらタバコを灰皿に押し付ける。煙を乱暴に吐き出して、逆方向を向いた。
 訳の分からない女のせいで、無駄な時間過ごしちゃったなあ……。
 女は、車から逃げる訳でもなく、ただガタガタ震えているだけである。どのくらい時間が経っただろう。俺は、もう一本タバコを吸い終わると、ゆっくりした口調で話した。
「あのさ、俺は明日…、いや、もう今日か。今日仕事なのね。この状況でずっといられても困るんだけど……」
「……」
 その時妙な点に気がつく。さっきから女がジッと見ている視線は、俺の顔を見ている訳じゃないのだ。少し視線がズレていた。ひょっとして窓越しに誰か覗きでもしているのか?
 窓を開け周囲を見渡しても、誰一人いない。
 女の視線を辿ってみた。あきらかに俺の肩口辺りを見ている。
「何をそんな怯えているんだよ?」
「まだ分からないの?」
 ようやく女が口を開く。
「何が?」
「あなたと同じ目をした女の人が、さっきからあなたの背後に立って、ずっと私を睨んでいるの」
 その瞬間、俺は一気に酔いがスーッと醒めていった。

 変な女のせいでせっかくの休日が台無しだ。俺は女を指示された家の近くで下ろすと、このまま帰るのも嫌だったので飲みに行く事にした。
 さっきまでやれると思った女から、妙な事で断られる。悶々としていた。ポケットにはシャブがある。これをくれた大橋の台詞が頭の中で繰り返し聞こえた。
「セックスの時使うと、すごい気持ちいいですよ? 女のあそこにこれをちょっとだけ刷り込むんです。すると女は気が狂ったように悶えますよ?」
 これを使い、乱れる女を見てみたい。そんな性欲が頭の中を渦巻く。どうせやるなら適当な女がよかった。非常に自分勝手だが、知り合いの子をそんな目に遭わせたくない。
 車を駐車場へ入れ、スナックへ向かう。どうせなら顔も知られていない店がいい。初めての店へ入る。女の人数は全部で五人。まあここでいいか。
 ウイスキーのボトルを注文し、場を和ませるよう明るい話題中心に話す。いい感じで酔ってきた俺は、調子に乗ってシャブをポケットから取り出し、「これで今日、俺とホテル行く奴いねえか?」と言ってみた。
 シャブと分かった店の女たちは一斉に引いてしまい、居づらくなった俺は会計をして大人しく家に帰り、オナニーをして寝た。

 結局大橋からもらったシャブをまったく使わないまま一週間が過ぎた。
 これを使ってのセックスには興味があったが、久保山のケースだってあるし、これでよかったのかもしれない。
 そんな時、ちょうど大橋から電話があった。
「神威さ~ん、どうでしたか?」
「いや、全然使ってないよ」
「うっそだぁ~」
「本当だって。部屋の引き出しの中にずっと眠ったままだよ」
「絶対に嘘だ」
「本当だって! 何なら特に必要ないし、返そうか?」
「え、ほんとっすか?」
「ああ、構わないよ」
「本当にいいんすね?」
「だからいいって」
「明日神威さんのお店に行きます。受け取るのその時でいいですか?」
「ああ、いいよ」
 こんな物騒な物は、元の持ち主に返したほうがいいだろう。
 翌日再びシャブを持って歌舞伎町へ向かう。西武新宿駅へ着き、コマ劇場へ歩いていくと、道端で警官二人が気弱そうなメガネ掛けた男を囲み、バックの中をチェックしていた。職質というやつである。本来任意でしかできないはずなのに、何でこんな権力を傘にしたような態度で偉そうにしているのだろう。メガネの男は泣きそうな顔で職質を受けている。
 俺は警官を睨みつけるようにして歩く。待てよ…。今、俺、シャブ持ってんじゃねえか……。
 今まで生きてきて俺自身一度も職質を受けた事がない。警官を見掛けてもいつだって堂々としてうた。もちろんそれはいつ受けたって何もやましい事はないという自信からである。しかし今は違う。ポケットの中を調べられたら一発で終わりなのだ。
 一度も使った事のないシャブ。こんな事で見つかる訳にもいかない。俺は視線を反らし、一番街通りへと曲がろうとした。
「ちょっと君……」
「……」
 何でまたこういうタイミングで警官も声を掛けてくるかね……。
「おい、ちょっと君」
「何でしょう?」
 仕方ない。ここは職質をさせない方向で、堂々と接するしか道はない。任意である事を主張し、うまくかわせ。
「職務質問だが、財布を見せてもらえるかな?」
「あのですね~、お巡りさん」
「ん、何だ?」
「あんたらいつもそうやって偉そうに話していますけど、何でなんでしょう? まだ犯罪者相手になら分かりますよ。こちらがこのように敬語を使っているのに、それでもあなた方は偉そうに話す。そう話せって教育でも受けているんですか? それに職質って本来任意でやるべきものでしょうが。違います?」
「いいから早く財布を出して」
「出すのは構いません。でも任意でもないのにこうして俺を道端で捕まえ、まだ偉そうに財布を出せと強要してくる。先日だってとある政治家相手に同じ事をして、ニュースにもなったの知らないんですか?」
「いや、だからね……」
 警官の様子が少し変わる。俺はそこを見逃さなかった。こういう時大事なのは毅然としながら喋る事である。いくら頭の回転が早くても精神力や実際の行動力が追いつかなければ、何の意味もない。
「お巡りさん、名前教えてもらえます?」
「な、何でだ?」
「だって人様の財布をいきなり国家権力で脅しながら見せろって言うぐらいだから」
「もういい。行け!」
「行け? 何でそんな偉そうなんですか? 人を捕まえといて、今度は行けですか」
 待てよ。うまく切り抜けられたんだ。この辺ぐらいにしておかないと……。
「まあいいですよ。分かりました。ただ、今後は気をつけて下さいね」
 そう言うと俺は、背を向けて歩き出した。ドッと汗が吹き出す。本当に危機一髪だった。百グラムほどのシャブ。こんなのが見つかったら洒落にならない。
 運がいい。四十四人の大火事から機動隊、丸暴など多くの出来事に遭遇しながらも俺は未だ無傷である。何かに守られているんじゃないだろうか? そんな気さえしてくる。
 でもここで俺は何をしても平気と胡坐をかかない事だ。図に乗り過ぎて一気に転落していった人間をこの街で何人も見てきている。
『ワールド』へ到着して初めて本当の意味でホッとした。夜の十二時頃になって大橋がシャブを受け取りにやってくる。本当に俺がシャブを使っていない事を分かると、彼はビックリしていた。
「一度あげたものなのにすみません、神威さん」
「いや、俺には必要ないものだからさ」
「また連絡しますね、神威さん」
「ああ、またな」
 大橋からの連絡はこれ以降、一度もない……。

 歌舞伎町という街の全体的な不況。この数ヶ月間で色々あり過ぎた。暇なのはうちの店だけじゃないのに、オーナーは落ちていく売り上げに対し文句を言う。
 店長の立場である俺は心苦しかったが、番頭役の浅田さんが一番板ばさみで大変だろう。
 しばらくしてオーナーがとんでもない事を強行しだした。
 朝、吉田が「神威さん、とうとう酷い事になりましたよ。転職考えたほうがいいみたいですね」とブツブツ言っている。話を詳しく聞いてみた。
『ワールド』の今までの店のシステムを一新するというものだった。
 台の設定について、どうやらオーナーに入れ知恵を吹き込んだ人間がいるらしく、そいつがすべて設定する。従来の『一気ビンゴ』『フォーカードビンゴ』『個人ビンゴ』などのプレミアは廃止し、まったく刺激のない簡単に揃う『一万ビンゴ』というくだらないものを始めた。
 ギャンブルの醍醐味は刺激である。設定がいい、簡単に揃う『一万ビンゴ』と謳ったところで何の魅力もない。
 そして店長の俺と吉田の給料を一万一千円。他の従業員は一律一万円に『デズラ』を下げると言われた。その代わり純粋な売り上げで二百万円以上いったら、歩合で二十万円を渡す。これは店長へ渡すので自分で総取りしても、みんなに配分しても構わない。その後売り上げが百万いく毎に十万ずつ歩合は増えると訳の分からない事を言い出した。文句があるなら辞めてもらって構わない。最後にオーナーはそうつけ加えた。
 一日一万八千円もらっていたのに、いきなり一万一千円……。
 歩合を出すと言われても、正直眉唾ものである。今までこの店に貢献してきたつもりだが、やるせない思いでいっぱいだった。警察に捕まる可能性もある裏稼業。それが時間給千円にさせられるという現実。抜きもせず献身的につくした。それがこの結果か……。
 オーナーもいくら土地開発や株で失敗したからといって、これはやり過ぎなんじゃないだろうか?
 案の定、大量の従業員が辞めていった。残った人間。夜は俺と島根。早番は吉田と倉下と大山。全部で五名になる。また募集を掛けて補充をしなければならない。
 歩合制となった初日、多くの客が期待感にあふれながらやってきたが、店内のビンゴを見てみんなガッカリしていた。
「店長、何でこんな風にしちゃったの?」
「台の設定がその分良くなったなんて言うけど、そんなの分からないじゃん」
 こんな台詞を様々な客に言われた。俺だってそうだ。こんな形にして客が納得する訳がない。たった一万円のビンゴ。台の設定は本当にいい。多くハマる人間もいなければ、大勝する人間もいない。言い換えれば何の刺激も特色もないつまらない店になったという事だ。オーナーにすり寄り『イシ』の調整をしたという人間をぶっ飛ばしてやりたかった。
 翌日の朝、吉田から電話があり「すみません、神威さん。何だか膝に水が溜まってしまい、急遽入院する事になってしまいました」と訳の分からない事を言ってきた。給料が下がった翌日にいきなりこの電話。辞めたいなら普通に言えばいいものを。早番の倉下と大山は、「吉田さんなんていないほうが楽でいいですよ」と笑顔だった。しかしこれで休みが取れなくなったのだ。
 本当に辛い一ヶ月間。来店する常連客に文句を言われ、黙々とINをする日々が続く。
 どんどん衰退いく『ワールド』。俺自身逃げ出したかった。それでも新人を含めた遅番四人、早番四人の状態で何とか店を回していく。
 みんな暗い表情をしていた。明るい未来など何も見えないのだ。
 俺は時間を見計らって、島根、倉下、大山と話す機会を作った。オーナーに裏切られ、小馬鹿にされているのだ。それならこちらもそれなりの代償を払ってもらうつもりだ。
 まず遅番の二番手である島根に話を持ち掛けた。内容は抜きをしようという事だった。急激に下げられた給料。島根は一発返事で抜きの話を了承する。
 どうやって金を作るか? 簡単だ。俺と島根で協力して新規伝票を偽造すれば済む話である。『デズラ』一万三千円だった島根は口止め料込みで二枚、俺は三枚の伝票を偽造した。これで島根の給料は六千円アップの一日一万六千円。俺は九千円アップの一日二万円になる。
 大山と倉下には一枚ずつ伝票を偽造してやり、毎日三千円の金を作ってやった。
 今まで抜きという不正行為だけは絶対にしたくなかった。しかしこの現状を打破するのはこれしかなかったのだ。
 抜きをやる度、自分自身が嫌いなっていく……。

 新しく入ってきた新人の一人に湯上谷という男がいる。この男かなり変わった経歴の持ち主で、『ワールド』へ来る前の話は笑いが止まらなかった。
「やっぱおまえ、ホモ野郎じゃねえか」
「いや、別に自分、ホモって訳じゃないんですからね」
 そう必死に話す湯上谷。何故そんな会話になったかと言うと、東京スポーツ新聞の求人広告欄に載っている『モデル日当二万円』の求人へ面接に行ったのが始まりである。
 新宿二丁目にある会社へ面接に行くと、まず履歴書を渡し簡単な会話をしたらしい。仕事内容はホモビデオ出演。ホモを相手にしなきゃいけないのだ。
 俺自身ノーマルなので、そういった事は大嫌いである。まあ他人の性癖まで干渉しようとは思わないので、こちらへ火の粉さえ掛からなければ問題はない。
 帰り際湯上谷は社長に「あ、個室にビデオあるから、そこでオナニーしてちゃんといったら五千円の日当払うけど、君どうする?」と言われ、何も考えずにOKした。普通なら面接に行って、何故いきなりそんな事をしなきゃいけないのか、そして何故そんな事で五千円をもらえるのだと思うはずだが……。
 湯上谷はエロビデオを見ながら射精する。帰りにクシャクシャの五千円札を一枚渡され、「もし採用なら連絡するから」と言われ、その日は終わったようだ。
 しかし何日経っても連絡は来ない。それで『ワールド』へ面接に来たようだ。
「湯上谷おまえさ、もし採用の電話あったらビデオに出演するつもりだったの?」
「う~ん、ギャラ次第でしょうかね……」
 金次第でこの男はケツの穴まで開くのか…。恐ろしい……。
「だからホモ野郎って言ったんだよ」
「違いますって。自分自身はノーマルですよ」
「ホモビデオに金次第で出演してもいいって言う奴の、どこがノーマルなんだ」
 以前『ワールド』に来ていたホモビデオの社長。彼は俺に「ギャラ百万出すから出演してよ」と言っていたっけな…。何度も真剣に断ったせいか、最近は店に顔を出さなくなっている。
 湯上谷の行ったところのシステムは、だいたい想像がつく。まず五千円がもらえる個室でのオナニー。この部屋のどこかに隠しカメラでも仕掛けてあり、湯上谷のオナニーを隠し撮りする。次にそういった連中のオナニーシーンだけを集め、番号か何かで割り振ったプロモーションビデオを作り、会員の客たちへそのビデオを送る。人気のある人間の絡みが見たいと客から要望が多数あった場合が採用。ホモ連中たちの指示を得なければ、五千円もらっただけでおしまい。そんな仕組みだろう。
 要はこの湯上谷、現時点でホモ連中に自分のチンチンを晒したビデオを配られている訳である。
 苗字の通り、どこか歪んでいる男。それが湯上谷だった。
 こんな会話を仕事中、普通にできるぐらい『ワールド』は暇になっていた。太い常連客で変わらずに来てくれるのは小倉さんぐらいである。本当この人には感謝で胸がいっぱいだ。熱気のあった数ヶ月前が懐かしく思えた。
 店の様子をたまに見に来る浅田さんもこの暇な現状に頭を抱えていたが、オーナーが強行して始めた事なのでどうする事もできない。
 トータルで考えれば、台自体は全体的によく出ている。しかしそれだけで刺激も何もないのだ。客から飽きられて当然だ。みんな、何故シンプルなポーカーゲームに熱中するのか? それは負ける事もあるが、勝つ時はドカンと大きく勝てる面白さがあるからこそハマるのである。要は勝ち負けの内容が大事なのだ。現場の状況も知らず、入れ知恵されたぐらいで簡単に鞍替えするオーナー。目先の欲に目が眩んだ大馬鹿だ。もうこなっては手の施しようがない。
「今日も暇かい?」
 浅田さんは二時間おきに心配で電話をしてくるが、まったく状況は変わらない。これじゃこの店が潰れるのも時間の問題だな……。
 吉田の豚野郎は連絡一つなく、未だ入院している。

 島根はいつも回りに気遣う性格の持ち主だ。入ってきたばかりの新人の事で、俺に話し掛けてきた。
「神威さん、湯上谷ともう一人の安沢ですけど」
「うん、どうしたの?」
「いや~、彼ら『デズラ』が一万円のままじゃないですか。ちょっと可哀相だなと思いまして……」
「新人にも伝票書いて金をやれって事?」
「ええ、だって捕まる商売じゃないですか」
「それはそうだけどさ、でも考えてみてよ。まだあいつらは入って一週間も経ってないでしょ? 変な事を喋られバレたら、俺ら一貫の終わりだぜ?」
「……。そうですね……」
 もちろん何もなければ何とかしてやりたい気持ちはある。しかしそれで自分たちのリスクが上がる事を考えると、島根の意見には賛成できない。
「早番だって倉下と大山の二人だけにしてるでしょ? この四人だけって事にしといたほうが無難じゃないかな」
「そうですね、可哀相ですけど……」
 裏稼業で深夜働いているのに時間給千円。まだ牛丼屋で深夜のアルバイトをしていたほうが金もいいだろう。
 湯上谷はゲーム屋をするのが初めてらしく、一から十まですべてを教えるようだった。物覚えの悪い彼は、何度も同じ事を聞いてくる。
「いい加減このぐらい覚えろよ」
「ええ、すみません…。でもいまいち把握できなくて……」
 彼に『オリ』の説明をするのは非常に大変だった。
「例えばさ、客が一万二千円の『一気』を飛ばして『オリ二本』って言ったとするでしょ?」
「はい」
「そしたら客にいくら返せばいい?」
「一万二千円ですか?」
「この馬鹿野郎! それじゃ、うちが二千円分計算合わなくなるだろうが」
 暇だから色々教えられる時間もあるが、数ヶ月前の常に満席状態の時だったら使えず、とっくにクビにしていただろう。
「なるほど、『オリ』の分の金額を『一気』の代金から引いて客に渡す訳ですね」
「何度もさっきからそう言ってんじゃねえかよ。もう忘れんなよな」
「は、はい……」
 根は真面目な性格なのか、俺が怒りながら指導しても湯上谷は必死についてきた。時間掛かるがうまく育てれば戦力になるだろう。
 いつも頑張っているので俺は仕事の帰り、飯へ誘ってみた。
「おい、湯上谷。腹減ってないか? 飯でも食いに行こう」
「あ、ありがとうございます」
 昼前から営業している店は歌舞伎町でも限られる。俺は行きつけの『キッチン峰』へ連れて行く事にした。ここはコマ劇場ができた時から営業している老舗の店だ。王道的な洋食屋さんでフライ物からハンバーグ、カレーにカツ丼など種類も豊富である。ご飯と味噌汁はお代わり自由なのでサービスも満点だ。
「好きなもん頼め」
「ありがとうございます。えっと、じゃあカニクリームコロッケとメンチカツ定食で」
「あとここの上お新香も食っとけ。すげーうまいんだぜ」
「本当ですか?」
「ああ、俺はいつも頼んでいるよ」
 ほとんどの定食の付け合わせには、キャベツの千切りとナポリタンがついてくる。俺はこの辺が溜まらなく好きだった。
 そういえばいつもカウンターの奥で仁王立ちしているおばあさんの姿が見えないな。いつも客がお椀を空にするのをジッと睨むように見つめ、ご飯がなくなるとニュッと手を伸ばしてくる。「お代わりするんだろ?」と客の返事も聞かぬ内にご飯をよそい出し、客が「あ、おばあさん、その辺で……」と言っているのに「若いんだからもっと食べなさいよ」と漫画に出てきそうなてんこ盛りをするのが生き甲斐のようなおばあさんだった。
「ねえ、最近おばあさん見ないけど、どうかしたの?」
 俺は新しく入ったフィリピン人のお姉さんに聞いてみる。
「んー、おばあさん、駅で階段から落ちた。今入院中」
「え、そうなんですか?」
「自動販売機の人がジュース出し入れしている時、おばあさんにぶつかる。おばあさん、階段落ちた」
「あっちゃ~…。大丈夫なんですか?」
「足の骨、折った。でも治ったらまた来る言ってたよ」
「そうなんだ。おばあさんによろしく言っといてね」
「分かった。ありがと」
 フィリピン人のお姉さんは、俺と湯上谷にアイスコーヒーをサービスしてくれた。
 定食を二人分、そして上お新香も二人分頼んで会計は千九百円いかない。とてもリーズナブルで良心的な店である。俺は二千円を渡し、「お釣りはいいよ」と店を出た。この店で会計する時だけは感謝の意味も込め、お釣りは受け取らないようにしていた。

『キッチン峰』を出ると、無性に風俗へ行きたくなった。まだ朝の十時半。この時間帯なら空いているだろう。
「おい、おまえも風俗行くか?」
「いえ、そこまで余裕ないので……」
「馬鹿野郎。俺が誘うんだから奢るに決まってんだろ」
「え、本当ですか?」
「嘘ついてもしょうがねえだろうが」
「ありがとうございます。やった~!」
 湯上谷は大袈裟に飛び跳ねて喜んでいた。コマ劇場の近くにファッションヘルスの『9チャンネル』という店がある。そこへ行く事にした。以前シャブと公務員殺人未遂で捕まった久保山が囲まれていた店でもあった。
 この店の従業員はとても元気がいい。威勢よく「いらっしゃいませ~」と入口で挨拶されると入ってすぐの壁際へ連れて行かれる。壁には店の出勤中の女の子の写真が貼ってあた。結構粒揃いで選ぶのに時間が掛かったが、俺は『ひより』と『あんな』の写真二枚を他の客から指名されないよう両手で押さえた。
「お客さま、すみませんせんがどちらか片方にしてもらえませんか?」
「う~ん、甲乙つけがたいなあ……。『あんな』にしようかな?」
 俺が『ひより』の手を離すと、湯上谷は「すみません。自分、『ひより』さんで」といきなり指名し出した。
「馬鹿野郎! テメー俺が選んだ女をすぐ選びやがって。おまえのは俺が選んでやる。そうだな…。これにしろ」
「え……、は、はい……」
 湯上谷は渋々俺の傲慢な意見に従う。奇麗な『ひより』と可愛い『あんな』。タイプが違うから迷うなあ。
「ねえ、どっちが早く着く?」
「すみません。『あんな』さんは十二時からの出勤となりますので、『ひより』さんになります。彼女なら三十分ほどで案内できますが」
「じゃあ『ひより』でいいや」
「お会計、お一人さま九千円になります」
「こいつの分も一緒に」
「では合計で一万八千円になります」
 支払いを済ませると、俺と湯上谷は待合室へ案内される。十分もしないで湯上谷が先に案内されたので俺は「終わったら待ってないで先に帰っていいぞ。その代わり仕事に遅刻するなよな」と伝えた。
 湯上谷は女の子に手を引かれながらも、何度も俺に頭を下げ視界から消えていく。ヘルスを奢られたのがよほど嬉しかったのだろう。
 夜になり『ワールド』へ出勤すると、湯上谷が先に出勤しており暗い表情で近づいてきた。
「神威さん……」
「どうした?」
「おしっこすると、チンチンの先っちょが痛いんですけど……」
 俺と島根は湯上谷を指差して大笑いした。俺が適当に指名した風俗嬢。実は淋病持ちだったのだ。湯上谷も運の悪い男である……。

 早番も遅番も新人二人ずつ入ったばかりなので、俺たちは誰も休みを取れない状況が続いていた。
 吉田の野郎は呑気にベッドの上か。とっとと辞めちまえばいいものを……。
 倉下と大山は、「あんな人、いないほうが気が楽でいいですよ」と笑顔で言ってくれたが、一ヶ月近く休みが取れないというのは正直辛いはずだ。
 淋病の湯上谷は泌尿器科へ行き、抗生物質の薬をもらったらすぐ治ったそうだ。現代の医学の力は素晴らしい。
 相変わらず店も暇なので奥の休憩室で一服していると、棚に置いておる一台の携帯電話が鳴っていた。もう一人の新人安沢の携帯だ。画面を見ると『きょうこ』とだけ表示されている。十回ほどコール音が鳴り切れた。すると再び携帯が鳴り出す。着信はまた『きょうこ』から。
 俺はホールへ行き、安沢を呼んだ。
「どうしたんですか?」
「さっきから電話鳴ってるぞ」
「ああ、いいんです。放っておいて」
「同じ名前の女から何度も掛かってきてるぞ。いいのか?」
「ええ、しつこいんですよ、あの女……」
「とりあえず一服していけよ。よかったら相談に乗るぞ?」
 面白そうだったので安沢を引き止める事にした。彼は折り畳み椅子を広げて「失礼します」と座る。タバコに火をつけながら「一応自分の彼女なんですけど、極度の心配性と言いますか、しつこいぐらいいつも電話してくるんです。仕事中は出られないよって言っているのに……」と愚痴をこぼし出した。
 話を聞いている最中、また安沢の携帯が鳴る。もちろん『きょうこ』からだった。
「とりあえず出なよ。休憩している人間がうるさいし、気になってしょうがない」
「分かりました。すみません……」
 安沢は携帯を手に取ると、店を出て階段を駆け上がっていく。
 次の日も異常なぐらい『きょうこ』からの着信はあった。安沢曰く仕事中は電話してくるなと伝えてあるらしいが、まったく効果がない。
「うるさいから電源切っとけ」
「はい、そうします」
 もっとビシッと言えばいいものを…。まあ他人の単なる痴話喧嘩ほど、どうでもいい事はない。

 新システム導入で勝手にいじくり回された『ワールド』。あれから二週間が経つが、客足は一向に伸びる気配がない。
 遅番の仕事中、浅田さんから電話が掛かってくる。
「あ、神威君。ちょっとお店の事で相談があるんやけど」
「店を閉めるって話でしょうか?」
「いや、オーナーもさすがにこの現状でしょ? 頭を抱えていてね。そこでまた神威君の好き勝手にしていいから、店を一新させてもらいたいんや」
「それは願ってもない展開ですが、オーナーも最初からこうなるぐらい予想してほしいもんですよね」
「まあ、そう言わんといて。ちょっと外へ出てこれる?」
「ええ、暇ですし問題ないですよ」
 電話を切ると島根に状況を話し、店を任せる事にした。俺は笑顔で従業員に送られながら『ワールド』を出る。
 近くの喫茶店で浅田さんと会い、今後どのような形で店を運営していくかを話し合う。
「近日中にリニューアルしたいんやけど」
「ちょっとやそっとのリニューアルじゃ、客は戻ってきませんよ。歌舞伎町自体、こんな状態ですしね」
「うん、それはそうだね。神威君にすべて任せるから何とかしてくれないかな?」
「やれるだけやってみます」
 我が『ワールド』の台はダイナミックを使用している。ダブルアップの際、黄色い札が出れば賭ける三倍、緑で四倍、赤で五倍。スリーカードを『一気』手前まで当てると九千六百点。最後の札が赤だったりすると、賭ける五倍なのでもの凄い興奮があった。『ロイヤル』や『ストフラ』だって叩く事ができた。しかし、客の慣れとは恐ろしいもので、さらに刺激を要求する。
「あまり経費は掛けたくないんだけど、何かいい方法ってある?」
「いい方法ですか……」
『ダイナミック』の真の醍醐味とはダブルアップ画面にした際、最初の一枚を当てれば残りの色つき札が二枚連続で当たりが見え、三枚目も当たりが見えるという部分。一発目のダブルアップさえ当てれば、絶対に『一気』となるのだ。
 仮にストレートが揃い、点数が五百点の時、ダブルアップを押すと二、三枚目が黄色で四枚目も札の中身が見えていたとする。最初の一発目を自力で当てれば千点。次は数字が見えている黄色なので、当てて三千点。その次も見えている黄色なので、当てて九千点。最後はノーマルの札だがこれも見えているのでその通り叩いて一万八千点『一気』となる訳だ。
 客は刺激を求める……。
 刺激とはギャンブル色の強い事……。
 閃きが頭の中を走る。もしこれが可能なら、また店を盛り返す事ができるかもしれない。
「浅田さん、台の設定で使う『イシ』ってあるじゃないですか?」
「うん、それがどうかしたの?」
「あれって機械屋に頼んで設定をしてもらうんですよね?」
「うん、そうやけど……」
「赤だと本来なら五倍ですけど、それを変える事ってできますか?」
「ワイは分からんなあ。今、機械屋へ電話してみるから神威君が話してもらえるかな?」
「いいっすよ」
 浅田さんは携帯をポケットから取り出し電話を掛けると、そのまま俺に手渡してきた。
「もしもし私、『ワールド』の店長の神威と申します。お世話になってます」
「ああ、どうも」
「ちょっと聞きたい事がありましてね。いいでしょうか?」
「どうぞ」
「うちで使っている『ダイナミック』の『イシ』についてなんですが、赤で五倍という設定を七倍って設定に替える事って可能でしょうか?」
「ああ、そのぐらいなら簡単にできますよ」
「あとですね、『ダイナミック』って『ロイヤル』や『ストフラ』も叩けるじゃないですか?」
「ええ」
「通常の『一気』。そのあとも、さらにもう一度だけダブルアップできるようにする事はできますか?」
「聞いた事ないですよ、そんな事をしているゲーム屋なんて……」
「だからいいんじゃないですか。『一気』のあと自動で点数が上がらず、もう一度ダブルアップってできますか?」
「ええ、可能です」
「代金についてなんですが、『イシ』一つで単価いくらになります? それと『一気』のさらにダブルアップ機能追加で」
「え~とちょっと待って下さい……。まず『イシ』を赤賭ける七倍にするのは一つ二千円でいいですよ。『ワールド』さんとは長いつき合いですからね」
「ありがとうございます」
「次に『一気』のあと追加でダブルアップですが、これは一台につき一万円ずつもらいたいです」
「そうですか。上と相談して折り返すので一時失礼しますね」
 全十四台のゲーム機の内、半分は過激な台に替えたとして……。
 七掛ける二千円で一万四千円。七掛ける一万で七万。全部で八万四千円か。俺は説明しながら浅田さんへ報告してみた。
「台の半分をそんな過激な台にするの? 大丈夫?」
「だって今までのままじゃ、客は来ないじゃないですか。大丈夫です。リニューアル時、イベントも打ちますから」
「どんな?」
「シンプルに新規五千ポイントって謳うんですよ。今、ゲーム屋もきついから三千円から二千円に新規サービス落としているところ多いじゃないですか。だからこそ逆にイベントの時だけ大きくいくんです。それによって客は何だろうって食いつきます。そこで新しい『ダイナミック』過激バージョンを見て興奮……。こんな感じです」
「うん、確かに面白いかもしれん」
「そして以前の『一気ビンゴ』『フォーカードビンゴ』『個人ビンゴ』は復活させなきゃ意味ないですよ?」
「そうやね。その辺の説得は、ワイからオーナーにしてみるよ」
 下手したら赤字の日が多かった『ワールド』も、これで少し光明が見えてきた。
 機械屋へ再度連絡すると、最速で『イシ』や設定を替えるのに一週間は掛かると言う。言い方を代えれば、一週間でリニューアルに向けて準備をしなきゃいけないって事だ。
 これで駄目なら本当に『ワールド』はおしまいになる。背水の陣だと言うのに俺は、妙にワクワクしていた。

 

 

9 新宿フォルテッシモ - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

店に戻り、浅田さんとの話し合いの内容を島根に伝える。島根は興奮気味に「そんな事できるんですか?面白そうじゃないですか」と笑顔で言った。『ワールド』が本当は忙しい...

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