昼になり、近所の食堂でメンチ定食を食べていると、メールが届いた。
清美からだ。私は興奮してメールを見ると、『会ったばかりで、こんなたくさんメールをもらっても困ります。 清美』と書いてあった。
何だ、この野郎。純情ぶりやがって……。
早速『じゃあ、電話するから話しようよ。 善行』と返信をする。残っていたメンチを胃袋にかき込んでから食堂を出ると、私は彼女へ電話を掛けた。
「あれ、おかしいな?」
今さっきメールがあったばかりなのに、電話に出る様子がない。何かあったのかな?
『どうかした?君の声が聞きたくて電話を掛けたんだけど、何で出ないの? 善行』
すかさずメールを送信してみた。
しばらく携帯を睨んでいたが、彼女からの返信はこない。事故にでも巻き込まれたのか。心配でもう一度、メールを送ってみる事にした。
『心配してるよ~。どうしたんだい?私で良ければ気軽に相談してね。 善行』
大きな愛で、おまえを包み込んでやるぜ。ニヤニヤしながら道を歩いていると、私を見てヒソヒソ話をしている女子高生二人組がいた。
自信に満ち溢れた私を見て、「あの人、格好良くない?」とか言い合っているのかな?
天下無敵の膝蹴りを持つ私である。いつの間にか、異性を引き寄せるオーラを醸しだしていたか。
二人共、大して可愛くないが、たまには青い果実を貪ってみるのも悪くない。勝男からせしめた金がまだ三万はあるのだ。カラオケにでも遊びに連れて行ってやるか……。
私は満面の笑みを浮かべ、女子高生二人組に近づいた。
「やあやあ、君たち。暇なら俺とカラオケにでも行くかい?」
「キャー、変態」
大声を上げ逃げ出す女子高生。
「何だと?」
人の親切心を無下にしおってからに……。
追い駆けて捕まえ、膝蹴りで教育してやってもいいが、今の私は清美との大きな愛に包まれている。今の無礼は見逃してやるとするか。
部屋に戻ると、ちょうど清美からメールが届いた。
『いい加減にして下さい。非常に迷惑なので、これ以上連絡をしないで下さい。 清美』
「……!」
このクソアマが……。私にアドレスを教えておきながら、いきなり何て言い草だろう。いつ、私が迷惑な行為をしたというのだ?怒りを覚え、激しくメールで返信を打つ。
『何が迷惑なの?私は何もしてないじゃないか。電話にも出ないで、こんなメールを送ってきて、訳が分からないよ。 善行』
あの時の楽しい会話は何だったんだ。ひょっとして清美の奴、私を弄んだつもりなのか。天使のような微笑みの裏で、何を企んでいるのだ。
今度はすぐに返信が返ってきた。
『最終警告です。これ以上、しつこくするなら、友人の勝男さんに話しますよ。 清美』
もしかして、勝男と出来ているのか?ふざけやがって……。
直接文句を言わなきゃ気が済まない。電話をするが、清美は着信拒否にしていた。
本当にイライラさせてくれたものだ。
夜になっても苛立ちは納まらなかった。勝男の奴、私の狙っていた清美にちょっかいを掛けたとしか考えられない。清美も清美だ。月に四十五万も稼ぐ金に釣られて勝男を選んだに違いない。
世の中、金金金……。
嫌な時代になったものである。
私のように真正直に生きている人間は、いつだって貧乏くじを引くような世界。生きる時代を間違ったな。まったく私をこんな時代に産んだ両親を恨むよ。
「ん……?」
勝男から着信だ。どうせ清美の件だろう。私は携帯を放置したまま、床に寝転んだ。
人間不信になりそうだ。中学時代の同級生ですらこうである。
やっぱり私には、前の彼女のほうが合っていたのか……。
女で傷がついたら、別の女じゃないと癒せない。こちらから仲直りしてやるか。
醤油を掛けた目玉焼きぐらい、うまそうに食ってやれば良かったかな。そうと決まればあやつのところへ行き、豪快に醤油をぶっ掛けて目玉焼きを食ってやろうじゃないの。
人生の目標を失いかけた私だが、切り替えも早いのである。
部屋を飛び出すと、私は前の彼女のマンションへ向かった。
「ピンポーン……」
彼女がドアを開けた瞬間、「今日は醤油をぶっ掛けたおまえの目玉焼き、食べに来たぜ」と格好良く決めてやろう。
「はい?」
ドアが開く。
「今日は……」
「何しに来たのよ?」
私の顔を見るなりビックリした表情の彼女。
「え?」
「帰ってちょうだい!」
「おいおい、せっかく来てやったのに何だ、その言い草は?」
「お願いだから、帰ってよ。もう関係ないでしょ?」
「何だって?人が…、あっ!」
チラリと見えた玄関先には、男物の靴があった。
「私を大事にしてくれる人ができたの。もうあなたとは無関係だわ」
「ど、どんな男だ?」
「ふん、私の目玉焼きに醤油をドバドバ掛けて、おいしそうに食べてくれる優しい人よ」
「お、俺だってそのぐらい……」
言い掛けた時、足音が聞こえ、奥から新しい真男が顔を出した。
「おいおい、兄ちゃん。人の女に何をちょっかい掛けていやがんだ、あ?」
「……」
何て凶悪な顔をした悪そうな男だろう。幾人も人を殺めたような濁った目つき。左頬に走る五センチぐらいの傷。髪の毛もパンチパーマ。誰がどう見ても、本職の人間にしか見えない。
「とっとと消えろや。それとも何か、文句でもあんのか?」
「い、いえ……。し、失礼します……」
言うなり、私はその場をダッシュで逃げた。無敵を誇る膝蹴りを持つ私でも、本職だけは相手にしたくない。あとあと厄介な事に巻き込まれるだけである。
頭では納得していたが、悔しくて溜まらなかった。何故、私がこんな酷い仕打ちを受けなければいけないのだろう。
ひと晩寝ても、悔しさは消えなかった。
どいつもこいつも私を軽く見やがって……。
冷静に考えれば考えるほど、怒りが込み上がってくる。
どうすれば、この怒りを静める事ができるだろうか。私は懸命に頭の中を整理してみた。
私が悪かった点は、せいぜい彼女のわがままを聞いてやれなかった事ぐらい。わがままと言うより、あれはあやつの単なるエゴだ。目玉焼きに何をぶっかけようが自由じゃないか。
何故、醤油じゃなきゃいけない。
何故、そのぐらいで別れなければいけないのだ。
この屈辱、思い知らせてくれる……。
あやつのマンションへ押し掛けても、あの怖い男がいるから駄目だ。では、どうする?
あやつの職場であるイトーヨーカドウへ出陣しかないな。
時間はもうじき朝の十時を迎える。ちょうどいい。この黄金の膝を食らわせてやろうではないか。
見慣れたいつもの街並み。しかし、どこかいつもと違って見えた。これもあやつのせいである。
物事の発端は、目玉焼きは醤油じゃなければならないというあやつの病的な感覚からだ。
間違った思想は、正さないといけない。人としての、けじめは大事である。
「あ、見つけたっ!」
甲高いおばさんの声が聞こえる。
「ん?」
見ると、以前膝蹴りをぶち込んだおばさんが仁王立ちで睨んでいた。確か小学生を膝蹴りした時、うるさく怒鳴ってきたおばさんだ。
「この暴力魔!やっと見つけたわよ」
「今忙しいんだ。あとにしろ」
「何を言ってんの、あんたは」
「うるさいっ!」
再び左腿に膝蹴りをぶち込んだ。
「ギャーッ!」
足を押さえたまま地面に転がり込むおばさんは、非常に滑稽だった。辺りの通行人がこっちを見ていたが、誰一人止めに入る者はいない。
そこのけそこのけ、私が通る。威風堂々と歩くと、野次馬連中が避けるようにどく。まるで海が割れるモーセの奇跡のように……。
人が恐れおののき、私だけが通るのを許される道ができていく。今、私は偉大だ。素直にそう感じた。選ばれし者だけが通れる聖なる空間。
ようやく先にイトーヨーカドウが見えてきた。あやつ、今頃汗水垂らしながら働いているだろう。私がやってくるなんて、露にも思うまい。
入口付近でおばさん連中が世間話をしていた。これでは客が通れないではないか。
「どけっ!」
「ギャッ!」
挨拶代わりに膝蹴り一閃を浴びせる。こういった輩に何か言うと、面倒なので膝蹴りが一番なのだ。
後ろからおばさん連中が騒いでいたが、無視をして先を進む。あやつを探す為に、ここまで来たのだ。昨日、赤っ恥掻かせられた借りは、キチンと返す。それが真の男というものであろう。
もし、私が平成でなく戦国時代辺りに生まれていたら、いっぱしの名将軍になっていたかもしれぬな……。
時代は刻を見誤った。
私みたいな人間が、時代を明るくするはずだ。
各コーナーを歩き、カップラーメン売場で足を止める。
あやつは忙しそうにカップラーメンを棚に乗せていた。
人にあんな酷い仕打ちをしといて、自分は呑気に仕事三昧か……。
視界が狭まり、私はゆっくり歩を進める。あやつは私に気付く様子もない。
ゆっくりと背後に立ち、息をゆっくり吐いた。
「キャッ、何?」
しまった。吐いた息が彼女の首筋に掛かり、気付かれてしまう。
私の顔を見て表情を曇らせる彼女。
「な、何しに来たのよ?」
「ふん、自分でした事を忘れたのか?」
「お願いだから帰ってよ。これ以上、仕事の邪魔をしないで!」
「いつから男尊女卑じゃなくなったのだろうな……」
「何を言ってんのよ?」
「もっと男を敬え。さすれば世は隆盛を取り戻そうぞ」
「バッカじゃないの」
「世が世なら、切捨てゴメンで貴様など終わっているぞよ?」
「あっち行け、この馬鹿!」
「むうっ!」
こやつめ、錯乱したのか売り物であるカップラーメンを投げつけてきた。
このような真似をして、覚悟はできているだろうな……。
「醤油派め……。ゆっくり味わうがいい……」
私は彼女の両肩をつかみ、ゆっくりと足を後方に振り上げた。
「ちょっと、離してよ!離せっ!」
「もう遅い……」
李書文も一目置く必殺の膝。とくと堪能しやがれ。
「やめて!」
膝蹴りをぶちかまそうとした時だった。背後から数名が襲い掛かり、強引に私は引き剥がされる。
「何をしてんだ、おまえは!」
私を押さえていた奴らは警官だった。
「どけ、今俺は天誅を下すところなのだ。邪魔するな!」
「黙れ、この馬鹿が!」
ガチャリと冷たい感触が、手首から伝わる。
「何で俺が、手錠を掛けられなければいけないんだ?」
「大人しくしろ!」
「おまえら、目玉焼きには何を掛ける?言ってみろ!」
「何を言ってんだ貴様は?黙れ!」
「答えろ~!」
多勢に無勢……。
いくら暴れても、私の体は動かない。
チクショウ……。
何で目玉焼きにソースを掛けるのが、そんなにいけないんだ……。
こうして私はパトカーに乗せられ、未知の領域へと連れてかれるハメになってしまった。
―了―
タイトル「膝蹴り」 作者 岩上智一郎
2007年7月13日~2007年12月11日 原稿用紙178枚