岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

13 打突

2019年07月18日 09時50分00秒 | 打突

 

 

12 打突 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

新宿からはすぐに戻ろうと思えば、戻れる距離だ。ただ、しばらくは向こうで腰を落ち着けるまで戻るつもりはなかった。駅に着き、これから新宿へ向かう事にする。電車に乗り...

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 あっという間に九月がやってくる。最上さんの結婚式が近づいていた。
披露宴の一週間前になると、最上さんから電話があった。友人代表のスピーチをしてくれないかと頼まれる。スピーチなどした事ないが、二つ返事でOKした。
 披露宴の当日。
月吉さんと、久しぶりに顔を合わせる事が出来た。一月に新宿へ来た以来なので九ヶ月ぐらい会ってない計算になる。
「元気にしてた?ついにボーも、結婚だもんなー…。」
「本当お久しぶりですよね。でも、電話で定期的に話しているから、そんなに会ってないって、感じないですけどね。最上さん、どんな顔をしてるんですかね。」
 座席も同じ席だったので、月吉さんとの会話は尽きなかった。
ザワザワしていた会場が静まりかえり、新郎新婦入場になる。
いつも服装とかに無頓着な最上さんが、今日だけは見違えるようだった。表情から緊張の度合いが伺える。奥さんの有子さんは、とても幸せそうだった。
進行はスムーズに進み、もう少しで俺のスピーチの出番となった。
「新郎側、友人代表のスピーチ、神威龍一さん。」
 司会に促がされ、俺は席を立った。マイクのある位置まで静かに進む。歩きながら最上さんのほうを見ると、目が合った。俺は一瞬だけニコッとして真っ直ぐ歩く。
もっと緊張するかと思ったが、不思議と自然体でいられた。
会場を見渡し、深々と礼をした。
「ただいまご紹介されました神威龍一と申します。最上さんとは中学の先輩後輩の関係ですが、実を言うと、その時はあまり面識がありませんでした。社会人になってから偶然出会い、それから色々と面倒を見てもらい、お世話になりました。今でも本当に頭が上がらない先輩の一人です。今日を境に、最上聡史から大和田聡史に変わるわけですが、私の中では、今後も最上聡史であり続ける事でしょう。この場じゃ、言い表せないぐらい大事な事を教わり、また、励まされ、私も頑張ってこれました。今の自分があるのも最上さんのおかげであります。私は男二人兄弟で自分より上はいません。そんな私にとって最上さんは兄貴のような存在です。こんな出来の悪い弟いらねーとか言われそうですが、有子さんという素敵な女性と一緒に、ぜひ、これからも幸せに頑張っていただきたいと、心から願います。もし、困ったら、私、いつでも駆けつけますので幸せになって下さい。最上さん…、いや、ここだけ兄さんと、言わせてもらいます…。」
 俺はマイクを離し、最上さんの方を向く。最上さんも俺をじっと見ている。

「おめでとうございます。絶対に幸せになって下さい。」
 挨拶を終えると、場内から割れんばかりの拍手が飛び交う。俺はしばらく頭を下げたまま目を閉じ、心の底から祝福した。
料理が出始め、新郎新婦に酒を振舞う人たちが群がりはじめる。
最上さんと有子さんは、とても華やかで幸せそうに見えた。俺は、月吉さんと会話をしながら昔を懐かしんだ。何だかんだで、俺も二十四年間、生きてきたのだ。
披露宴も終わり二次会に突入する。最上さんも肩の荷が下りたのか椅子で呆けている。
「どうでした、結婚式を挙げた感想は?」
「いやー、緊張するよー。金もかかるし、出来ればやりたくないけど、やっぱ嫁さんにとっちゃ大事な事だろうしね。でも、有子も感動して喜んでいたからやって良かったよ。」
 結婚式をするのに、何百万という費用がかかるので、やりたくなかったというのが本音かもしれない。それでも奥さんの喜ぶ顔が見たいという理由でやった最上さんが、格好良く見えた。これも、一つの男の生き方なんだろう。

 いつの間にか世の中の流れは、プロレスと格闘技が分けられるようになってきた。
何でも有りというルールが売りのスピリッツという大会が、東京ドームで開催された。「K・W・F」から、羽田信行というトップレスラーが出場した。知名度のあるレスラーが出る事によって、世間は一気に関心を示した。
そんな状況下で羽田は、柔術家のカインという選手にあっけなく負けてしまった。
レスラーは弱いというレッテルが貼られるようになった。
 新世界プロレスは、レスラーを次々にスピリッツへ送り込んだ。大和プロレスは相手にせず、いつも通りプロレスを展開していた。
プロレス雑誌に目を通すと、伊達さんのロングインタビューが、掲載されていた。
「伊達さん、この間、スピリッツで羽田選手と柔術家のカイン選手の試合が行われましたが、どう思いますか?」
「あれは、プロレスの試合じゃないでしょ。別にうちとは関係ない話って感じだよね。」
「もし、伊達さんがカイン選手と試合するとなったら、どうお考えですか?」
「カインって、ドロップキック出来るの?」
「……。」
「やってる事が根本的に違うものだからね。格闘技って枠の中にプロレスもあれば、キックボクシングもあるし、空手や柔道だってある。ようするに、ボクシングにしたってね。他の格闘技とは、全然、別物なんだよ。感覚で言うと、野球やサッカー、バスケにバレーボールと色々あるけど、野球選手とサッカー選手の凄さをどうやって比較するの?」
「確かにおっしゃる通りですね。」
「もう少し分かりやすく言うと、ピッチャーとバッター、どっちが凄いのって事でしょ?ただ、ピッチャーとバッターが対決してバッターが勝ったところで、バッターの方が凄いって訳にはならないでしょ。対決で勝ったそのバッターが、負けたピッチャーより凄いってだけで。」
「そうですね。」
「俺たちは別に相手を壊したくて、プロレスをしてる訳じゃない。関節を取ったらすぐに折るだとか、顔面の急所に拳を叩きこんで、一発で試合を終わらせようとか、そういうのを目指しているんじゃない。」
「ええ、言いたい事は分かります。」
「まあ、プロレスって面白いもんだと俺は思ってるし、やっぱり何を言われようと、なくならないものだと思うしね。俺たちは今まで通り、頑張ってやってくだけですよ。」
「伊達さん、今日はお疲れ様です。インタビュー、ありがとうございました。」
 雑誌を読んでいて、さすがは伊達さんだと思った。
この間のスピリッツとかいう大会はプロレスじゃない。ただの潰し合いなのだ。相手をただ潰しにいくだけの試合。
今までにないスタイルなので新鮮に映るが、これを毎シリーズやっても客はすぐに飽きるだろう。伊達さんら大和プロレス勢には頑張ってほしかった。

 次の日、店に行くと、スピリッツの話題で後輩の二人が盛り上がっていた。
「やっぱレスラーって、弱いんだよ。」
 角川は、偉そうに話している。
「そんな事ないですよ。この間のは羽田が負けたってだけで、プロレスが負けたという訳じゃないですから。」
 小島が、悔しそうな表情で懸命に言い返していた。
「ふーん、小島は熱いプロレスファンって訳だ。言い訳がましいというか…。」
「酷いですよ。俺は両方好きですから、公平な目線で見ているだけですよ。」
 格闘技うんぬんより、体を鍛えた事すらない奴にプロレスを馬鹿にされると、聞いていて、俺までイライラしてくる。それでも仕事中なので、一応我慢していた。
小島は興奮しながら一生懸命に自分の意見を言い、角川はそれを聞いて、からかうといった感じのやり取りが続いた。俺は、静かに二人に近付く。
「おい、仕事中、くっちゃべってんじゃねーよ。仕事しろ、仕事…。」
「神威さんは、この間のどう思いますか?」
「あ、スピリッツの事か?別にあれはあれでいいんじゃねーの。だからといってレスラーが弱いっていうのとは違うけどな。別に大和プロレスの人間が出た訳でもないし、今度、新世界プロレスのレスラーが出るんだろ?」
「ええ。新世界の若きエース、長崎が出場決定です。」
「どうせ、レスラーが負けるよ。」
 角川の台詞にカチンときた。俺は睨みつけると、低い声で静かに口を開く。
「おい、角川…。」
「な、なんですか…?」
「おまえ、トレーニングとか、ちゃんとした事あんのか?」
「それはないですけど、テレビ見てれば、ある程度の事ぐらい分かりますよ。」
「見てるだけのおまえに、何が分かるってんだ?」
「え…、い、いや…。」
「どんな格闘技の選手だってよー、真面目に血ヘド吐きながらトレーニング積んでるんだ。それを何もしてないおまえが、簡単に物事を偉そうに抜かしてんじゃねえよ。」
「だって、レスラーは何でも有りの試合に出ても勝てないじゃないですか。」
「まだKの羽田が負けたってだけじゃねーかよ。新世界や大和が出てないのに、簡単に決めるなよ。」
「大和の伊達や大河なんか、そういうのに出る気配すらないじゃないですか。」
「今、伊達さんや大河さんの名前を出したけど、それだけ有名って事だよな。それだけネームバリュームある人が、わざわざ他人の興行に何で出ないといけないんだ?向こうの選手はまだまだ無名だし、伊達さんらに勝ったら名前が当然売れる。伊達さんらは、勝って当然、負けたら自らの商品価値を落とすだけ。武道館とかで自分のところの興行をやれば、満員御礼になるぐらいの集客力あるのに、何故、わざわざスピリッツに出ないといけないんだ?大和にとって出ても、プラスよりもリスクのほうが多過ぎる。」
「神威さん、何、そんなにこだわってるんですか。しかも伊達や大河をさんづけで…。」
 角川につっ込まれ、自分自身を振り返る。俺の現状がプロレスと関係なくなったとはいえ、自分のしてきた事を馬鹿にされるのが、我慢出来なかったのだ。
「今、こんな形でいるけどな、プロレスは俺の誇りなんだ。」
 思わず呟いた言葉に、角川も小島もキョトンとして俺を見つめている。今まで店に来てからは、俺の過去、大和プロレスの事を隠してきた。仕事先でトラブルを起こしたくなかったからだ。それが感情的になり、つい出てしまった。
「ひょっとして神威さん、昔…、何かやってたんですか?」
 小島が興味津々といった感じで聞いてくる。今まで俺は何を考えてきたんだろう。自分で一生懸命やってきた事を何故、隠す事があるのか。
俺は堂々としてればいい。大和プロレスを駄目になってから三年は経っている。それでもまだ俺は、プロレスがこんなにも好きなのだ。
「もう三年前になるけど、大和プロレスにいた事があるんだ。伊達さんや大河さんは、当時お世話になった先輩にあたる。今でも頭が上がらないんだ。」
 俺の言葉に角川も小島も目を輝かせる。口で何だかんだ言っても、ほとんどの奴は格闘技や、プロレスが大好きなのかもしれない。そう思うと、少しだけ楽になったような気がした。
「へー、すごいじゃないですか?」
「だから、体もガッチリしてるんですね。」
 お世辞とはいえ、人から褒められるのは悪い気がしない。ささくれ立っていた神経がちょっと納まる。
「三年前って言ったら、大河がどんどん強くなっていった時期でもありますよね?」
「ああ、あの人は本当に練習に練習を重ねて強くなったと思う。俺みたいな新弟子なんかよりもいっぱい練習して、頑張ってあの体を作り上げていったからね。強くなる訳だと思ったよ。はっきり言って、大河さん以外にも、大和は、本当、化け物揃いだったよ。」
「何で神威さんは、辞めちゃったんですか?」
 左腕の袖をまくって肘を見せる。剥き出しになった左肘は、相変わらず歪に骨が突き出ている。負け犬の傷だった。
「木ノ下って、知ってるか?」
「いやー…。」
「俺、知ってますよ。」
「そいつと、スパーリングの最中にやったんだ。俺が弱かっただけの話だけどね。」
「でも、神威さんもったいないですよー。今でもまだいけるんじゃないですか?二十六歳ですよね?」
 小島の台詞が心に刺さった。心の底でずっと思っていた事なんだと、今、実感する。
まだ俺は強い…、ずっと、そう思っていた。
プロレスへの情熱をまったく捨て切れていなかったし、割り切れてもいなかったのだ。
現役復帰…。
その言葉が、頭の中でどんどん膨れ上がってくる。
俺は大和を駄目になってから口先だけだった。出来ればリングの上で自分の力を試してみたい。どのぐらい、俺は強いのかを…。
「もし、俺がリングの上にいたら、おまえらゾクゾクするか?」
「当たり前じゃないですか。」
「そうか…。でも、現実的に考えたら無理だよ。こんな腕じゃな…。」
 言葉とは裏腹に俺の体は熱く燃えたぎっていた。激しい炎ではなく、静かにメラメラと燃えていく炎が、俺の体を熱くさせていた。

 休みの日に久々に地元へ戻ってきた。
目的は一つしかない。俺はSTB総合整体のドアを開けて、階段を駆け上がる。
「すいませーん。」
 俺が入り口で挨拶をすると、奥から先生が出てくる。俺の顔を見てびっくりした表情をしているが、すぐに笑顔になった。
「久しぶりじゃないですか、神威さん。新宿へ行ってからほとんど連絡ないし、帰っても来ないから、いきなりでびっくりしましたよ。」
「突然ですいませんです。今日は先生にちょっと見てもらいたいところがあるんです。」
「えーと…、どこか具合悪くなったんですか?」
 俺は左肘を黙って見せる。
「あの時の肘ですよね…。本当にあれは残念でした。」
「違うんです。」
「えっ?」
「先生…、俺の肘って歪ですけど、骨はちゃんと、くっついてますか?」
 俺の腕を取って先生は丹念にチェックしている。そして何度か頷きながら真剣に見ていた。
「骨は確かに曲がってはいますが、正常にくっついて動いています。一体、どうしたんですか?」
「俺、もう一度…。もう一度、復帰しちゃ駄目ですかね…。」
 何度も瞬きをしながら先生は俺を見てくる。俺は祈るような気持ちで、先生の言葉を待った…。この気持ちは、どう足掻いても止められそうもない。
「神威さん…。私の立場からしたら止めます…。」
「そうですか…。」
「でも、神威さんが大和プロレスを目指してた時から、私は、神威さんを見てきました。整体士としてではなく、いちプロレスファンの意見として言います…。」
「はい…。」
「ぜひ、頑張って下さい。リングに上がる姿が見たいです。」
 武者震いで体が震えてくる。ずっとずっと望んでたものだった…。これでまた俺は強さを求める事が出来る。それ以外、何もいらなかった。
「はい…。」

 まず、寮を出た。
新宿の店には地元から通うようにした。家からだと一時間半ほど通勤時間がかかるが、贅沢はいってられない。
体重も七十三キロまで落ちていたので、また、死に物狂いで体重を上げないと駄目だ。あとは覚悟を決めてやるだけだ。
地元から新宿に行くまで間を利用して、スポーツバックに十キロの鉄アレイを二つ入れて常に持ち歩くようにする。実際二十キロの重さを持ちながら、その状態で通勤してみると、かなりきつかった。電車の中で席が空いていても、常に足のつま先で立っているように心掛ける。出来る限り時間を有効に使いたい。
 ゲーム屋で稼いだ金のほとんどを再び食事代につぎ込むようにした。最初は昔ほど飯が喰えなかったが、気合いで食い物を詰め込むようにする。
コンディションがどんどん良くなっていくのを感じた。
以前のように走り、腕立てをして腹筋、スクワットを懸命にこなす。ストレッチを念入りにやり、滝のような大汗を流す。
トレーニングを開始して四ヶ月ほどで、体重は八十八キロまで戻る。
上昇する体重の比重と反比例するかのように、俺の身のこなしは素早くなった。体をでかくしながら、スピードを落とさずに仕上げていく。
出来る限り、鏡で自分の体をチェックした。自分の体を見てうっとりする。その事を周りに言うと、おかしいと笑われた。俺は大真面目だった。ナルシストになるぐらい、自分の体を鍛え上げないと駄目だからである。自分の体に惚れ込む。だから、きついトレーニングにも堪えられる。
 仕事帰りに整体の先生のところに寄り、毎日、中周波の電気を体に流した。昔の感覚が蘇ってくる。テンションが上がっていく。
日々、トレーニング内容をエグくしてくようにした。
筋肉が徐々に膨らみ、俺の肉体は大和にいた頃に戻っていく。それでもなかなか体重が九十キロを越えられなかった。

 俺が復帰しようと、トレーニングをしている間に、新世界プロレスの長崎や他の小さい団体のレスラーがスピリッツに出場した。
当然、俺はレスラーのほうを心の中で応援していた。
しかし、俺の期待とは逆に、次々と敗れていくレスラーたち…。
大和プロレスだけは我関せずで、いつも通り激しい試合をしていた。もともと俺は大和の人間だから、他の団体はどうでもよかった。でも、スピリッツに出て負けていくレスラーを見るたびに、やるせない気持ちになる。世間はプロレスを過小評価するようになっていた。何でも有りの試合に出ない大和のレスラーを臆病者扱いする連中もいた。
何故、大和を見て、プロレスの凄さを分かってくれないんだろうか…。
俺は悔しかった。
だから、心に決めた…。
「先生、俺…。」
「どうしたんですか?」
「何でも有りの総合の試合に、出ようと思います。スピリッツみたいなでかい大会だと、俺なんかネームバリュームもないので出れないです。でも、規模の小さい試合なら何とかなるかなと思いまして…。」
「馬乗りになって顔面をグーで殴る試合にですか。神威さん、危険ですよ。」
 俺はニヤッと笑いながら、右の親指を前に出す。
「もともとそういうほうが、俺には向いてるんですよ。」
「だ、打突ですか。」
「これも有りですよね?何でも有りってルールなんですから。レスラーにもなれなかった奴が、ああいうルールで勝ったらスカッとしませんか?」
「それは、もちろん…。」
「あとは体重を上げるだけです。コンディションは徐々に良くなってますからね。」
 先生のところで中周波を終えると、走って以前のトレーニング場所へ向かう。
散々エルボーを叩き込み、俺の血でドス黒く染まった木の前に立ち呼吸を整える。俺の右側の肘と拳と親指からは、血で真っ赤になっている。それでも痛みを堪え、木に向かって打撃を放ち続けた。俺はどのくらい強くなっているのだろうか。
 一通りのトレーニングを終え、家に帰る。真っ先に風呂に入った。体のあちこちが痛い。しばらく湯船に浸かっていると眠くなる。水面に顔が沈んで、そのたびに気づき、目が覚めた。
風呂上りに鏡を見て、自分の体をチェックする。だいぶ大きくなってきたが、まだまだだ。丹念にチェックしてトレーニング方法を独自に変えていく。体重計にもこまめに乗って、自己の体重をそのつど把握する事は疎かにしなかった。
それでも前みたいに、九十キロの壁を越える事は出来なかった。

 仕事帰り靖国通りを歩いていると、人だかりが出来ていた。
覗き込んでみると、店の常連客である笹崎さんが、サブナードへの入り口辺りで鼻血を出しながら道路に倒れていた。俺は野次馬を掻き分けて、笹崎さんに近寄る。
「どうしたんですか?大丈夫ですか?」
「何だ、テメーは?」
 笹崎さんを支えながら声のする方向を向くと、ホスト風の三人組が、俺のほうを向いて怒鳴りつけてくる。
みんな同じ黒いスーツに茶色い髪…、見ていて全部同じ感じに思えてくる。こいつらに個性というものはないのだろうか。俺は相手にせず、笹崎さんに声を掛けた。
「何があったんですか?」
 悔しそうな表情で震えながらホスト風の三人組を指差し、口を開く。
「あいつらがよー…。女と居酒屋で飲んでる時、俺がトイレに行った隙にナンパしてきたんだ。こいつら、俺の女の顔見て、ケッとか抜かしたみたいで悔しくてさー…。」
「おい、なんなんだよテメーは?」
 俺は立ち上がり、ホスト風の顔面を右手で鷲摑みにする。
そのままの勢いで壁に頭を叩きつけた。そのホストは壁にもたれかかりながらズルズルとダウンする。
残りの二人が突っ掛かってきた。攻撃を避け、二人の髪の毛をつかむ。お互いの頭を叩きつけてやった。ゴツッといい音がして、二人とも頭を押さえながらうずくまっている。
「笹崎さん、こいつらどうしますか?」
「土下座しやがれ、チクショー。」
「聞こえたか、おまえら…。土下座して謝れ。」
 一人が睨みつけてくる。俺は無言のまま顔面を蹴飛ばすと、そいつは完全に気絶した。
「聞こえなかったのか?」
 俺が睨みつけると、気絶した馬鹿一人を除き、土下座をした。
「もう、これでいいですよね?」
 俺は笹崎さんを抱え起こしてあげた。沢山の野次馬の視線が集中しているのが分かる。俺は周囲を見渡してから睨みつけると、静かに言い放つ。
「おい…、見世物じゃねーんだよ。」
 そのひと言で野次馬は、蜘蛛の巣を散らすようにいなくなる。笹崎さんに肩を貸して、西武新宿駅前通りと交差するタクシー乗り場まで歩いていく。
背後から、ハスキーボイスな声が聞こえた。
「大丈夫、あなた?」
 振り返ると、俺よりも背がでかい、一目見ただけで明らかにニューハーフだと分かる奴が背後に立っていた。
冷静に考えてみる…。
笹崎さんは居酒屋で女と飲んでいてトイレに行ったところ、さっきのホスト三人組に声を掛けられたと言った。ホスト連中は女の顔を見てニューハーフだったので、ケッと捨て台詞を残し、席に戻る。トイレから戻った笹崎さんが、女(ニューハーフ)からその経緯を聞いて怒る。おまえら表出ろと喧嘩したまではいいが、三対一なんでやられて靖国通りに倒れる。野次馬が徐々に増えて、そこへ俺が仕事帰りに通りかかる…。
「こいつはよー、見かけはこうだけど、普通の女なんかよりも、全然女らしいしよー。」
 訳分からない事をブツブツ言いながら、笹崎さんは、女(ニューハーフ)とタクシーに乗り込む。
俺は何も言い返せなかった。笹崎さんを乗せたタクシーが発進して見えなくなるまで、俺はその場で固まっていた。一体、俺のした事はなんだったのだろうか…。
 帰りの電車の中でずっと考えたが、答えはまったく出なかった。家に着いてがむしゃらに飯を喰い、その事を振り切るよう一生懸命トレーニングに没頭した。

 ボッ…、音と共にダンボールに穴が開く。親指の皮はめくり上がりガサガサな形をしている。
打突…、俺の強さの源。接近戦で初めて効果のある打撃技。
親指一本の指立て伏せは何度もやっているが、片腕での親指一本による指立て伏せは、いまだに成功した事がなかった。
五月に入り、外の気温も暖かくなってくる。これ以上喰えないくらい量を食べているのに、体重は相変わらず九十キロを越せない日々がずっと続いた。
昔みたいに体が戻るのか、不安もあった。
しかし、何でも有りのルールの試合に出て勝ちたかった。そして、散々お世話になったヘラクレス大地さんに恩返しがしたかった。
 整体の先生のところへ中周波の電気トレーニングをやりに行く。電気の数値をフルパワーにすると、当てている部分が、刃で抉られるような痛みが伴う。それでも我慢しながら何度も繰り返し続ける。
「本当にビックリですよ。本来、この機械は治療用として使用するのが目的ですが、トレーニング仕様で、数値を振り切るなんて信じられません。」
 先生も熱を入れて、俺に付き合ってくれている。言葉では言い表せないほどの感謝を感じていた。
トレーニング中に俺の携帯が鳴り出す。
何故か、普段と変わらない着信メロディなのに、気のせいか音が違うような気がした。電話は弟からで、一時トレーニングを中断して携帯を手に取る。
「もしもし、どうしたんだ?」
「あ、兄貴―。ヘラクレス大地が亡くなったって…。」
 携帯をあぶなく落としそうになる。弟の言葉が、よく理解出来ないでいた。
「ほ、本当なのか…?」
「ニュースで今やってるよ。兄貴…?どうしたの、兄貴?」

 目の前が真っ暗になった。頭の中がグルグル回転してどうしていいか分からない。
大地さんとの思い出が走馬灯のように思い出される。
人の良さそうな優しい笑顔。
俺はどんなにトレーニングが苦しくても大地さんがいてくれたから頑張れた。
ちゃんこ鍋をおいしそうに食べる大地さん。
最初に合宿所へ行った時だけ、初めて同じ席で一緒に食べられた。
あのちゃんこ鍋は本当においしかった。
打突を大地さんに誇らしげに見せた時、真剣に怒ってくれた。
レスラーとしての心構えを教わった。
心だけじゃない。この体も精神も俺の生き方も、すべてヘラクレス大地さんがいてくれたから、俺は今までやってこられたのだ。
本当に練習をしない人だった。
それでもリングの上にあがると、鬼神のように強く、誰も歯が立たなかった。
プロレスファンの間では、大地最強説というファンも多かった。
みんなに愛され親しまれ、大和の軸となって頑張っていた大地さん。
強さと優しさ両方を兼ね備えた素晴らしい人だった。
俺にとっては、かけがいのない大切な見本となるような人だった。
いつか、この人と横一線上に並んでみたい…、ずっと…、ずっと思っていた。
初めて人間としての器の違いを見せつけられたのも大地さんだった。
俺はまだ何も恩返ししていない。
新宿でくすぶっているだけのチンケな野郎だ。
大地さんが亡くなったのが、俺には信じられなかった。
いくらニュースで報道されようが、新聞の一面にデカデカ載ろうが、俺は絶対に信じない。
 気が付けば俺は全力で駆けていた。
心臓が苦しい…。
呼吸するのも苦しい…。
それでも俺は走り続けた。
視界がぼやける。
涙が止まらなかった。
いつものトレーニング場所に行く。
俺の血で染まっている木を目掛け、大声を出しながら無差別にブッ叩いた。
拳は割れ、肘も皮膚が擦り切れて出血していたが、痛みは不思議と感じなかった。
体が動かなくなるまで、木をブッ叩き、その場にうずくまる。
でかい大声を出しながら思い切り泣いた。
涙が次から次へと溢れ出てくる。
全然止まらなかった。
木に顔を押し付けて思い切り泣いた。

どのぐらいその状態でいたのだろう…。
気が付くと空は夕日に包まれていた。涙は枯れ果てたかのように出なくなった。
今日もこれから仕事だ。
家に戻って風呂に入る。食欲はまるでなかったが、必死に胃袋に詰め込んだ。
体重計に乗った。また復帰すると決めて、トレーニングしだしてから、初めて九十キロを超えていた。
大地さんが、背中をポンッと後押ししてくれたような気がする。
体中、傷だらけだが鏡を見ると、いつもより自分の体が大きく見えた気がした。
以前、大地さんに頂いたリングシューズを抱き締めてから、初めて履いてみた。これが形見になるとは…。
大和の合宿所で散々しごかれて、一時、大地さんを恨んだ事もあった。
辛いトレーニングに歯を喰いしばって耐え抜き頑張った。
ある日、大地さんが俺にリングシューズをいきなりくれた。まだ、デビューもしてない俺に何でもらえるのかと尋ねると、大地さんは人が良さそうないつもの笑顔で、ニッコリ笑うだけで何も答えてくれなかった。
意味はよく理解出来なかったが、それ以来このリングシューズは、俺の大事な宝物になっていた。ふと、時計を確認すると、そろそろ仕事に行く時間が近づいていた。
外に出ると空気が冷たく感じる。何か考えようとしても頭の中は大地さんとの思い出でいっぱいになる。
これから仕事に行くのも正直つらかった。電車に乗り新宿へ向かう途中、店の責任者から電話があった。
「神威、今日のニュース見たか?」
「…はい…。」
「今日…、仕事、大丈夫なのか?」
「ええ…、今、向かってます…。」
「…うん、分かった。」
 いつもは厳しい責任者も俺を気遣ってくれていた。電話を切ると、電車の中で泣いた。
新宿に着き、店に入ると、その日は珍しく客が誰もいなかった。角川、小島が俺に近寄ってくる。
「か、神威さん…。ニュース見ましたけど…。」
「…うん…。知ってる…。」
「大丈夫ですか、神威さん…。」
「あ…、ああ。ありがとう。」
 蚊の鳴くようなか細い声で答えるのがやっとだった。情けない…。入り口のチャイムが鳴り、責任者が店に姿を現した。
「あれ、今日、確かお休みですよね?」
「うん、そうだけど…。」
 責任者は心配そうな表情で俺の前に歩いて来た。俺の顔を覗きこみながら、声を掛けてくれる。今までにない優しい声だった。
「自分、大丈夫なの?今日、仕事どこじゃないでしょ?」
「す、すいません…。だ…」
 我慢していた涙が、また溢れ出し声も出なかった。それでも必死に喋ってみる。
「だぃ…じょぅ…ぶ…で…す…。」
「もういいから、今日は変わりに俺が、店に入るから…。神威は休みなよ。ね?」
「……。」
 仕事中、場所も考えずに俺は号泣してしまった。
休みなのに俺に気を遣い、わざわざ店に来てくれた責任者に、心の底から感謝して頭を下げた。
 一日で、こんなに涙を流したのは初めてだった。どこからこんなに大量の涙が出てくるのだろう。
俺が、大地さんの最後のDNAを受け継いだ男だといえるよう、誇りを持ってこれからは生きよう。心に固く誓った。

 最上さんの結婚式から三年経ち、奥さんの有子さんに子供が生まれた。出産祝いに駆けつけると、元気な男の子だった。生命の神秘を感じる。
「おめでとうございます、有子さん。」
「ありがとう、龍君。」
「わざわざ来てくれてありがとな、神威。」
 最上さんも、子供が無事生まれ、とても幸せそうだった。
「しばらく見ない内に、だいぶ体、大きくなったよな。」
「ええ、大地さんに恩返ししたいです。遅いかもしれないですけど、俺はどのような形であれ、絶対に近々復帰します。最上さん、子供の名前は決めたんですか?」
「ああ、麗一って、名前にしたんだ。」
 仕事とトレーニングの日々に追われていた俺は、丁度いい骨休みをもらえたような気がする。
師匠代わりの大地さんが亡くなり、四ヶ月の月日が過ぎた。心にポッカリと穴が開いていたが、体のコンディションは日増しにどんどん良くなっていった。
 次の日、出勤すると小島が格闘技関係の雑誌を持って、興奮しながら話し掛けてくる。
「神威さーん。これ見て下さい。」
小島が開いてあるページを覗き込むと、何でも有りのルールでオープントーナメントの出場者募集という記事があった。
簡単に記事を読むと、体重無差別でワンナイトのトーナメントらしい。通常ルールではオープンフィンガーグローブを装備するの対して、この大会の売りは素手で殴ってもいいルールになっていた。しかもマウントポジションでの打撃も有りなので、かなり過激なルールだと書いてある。
開催日程は二ヵ月後の十一月。俺にはうってつけかもしれない。募集項目のメモを取り、仕事終わったあとで主催者側に聞いてみる事にした。

大和プロレスを駄目になってから約三年と九ヶ月…。
また俺は、戦いに向けて動き出している。コンディション的にもいい頃合いかもしれなかった。俺は二十七歳になっている。これが最後のチャンスかもしれない…。
仕事を終えて家に戻ると、メモした電話番号に早速連絡してみた。
「もしもし、こちら第一回バイオレンスワンナイトトーナメント受付け事務所です。」
「もしもし、はじめまして…。神威と申します。」
「はい、どういったご用件でしょうか。」
「トーナメントに出る為、連絡しました。」
 しばらくの間、返答が返ってこない。確かに、俺の言っている事は目茶苦茶だった。
「あのー…、何か格闘技は、おやりになってますか?」
 しばらく考えるた。
今の俺は、大和プロレスとまったく関係がない。下手に言うと、大和の名を汚す事になるので、言わない事にした。
「ないです…。ただ、喧嘩は十段です。」
「……。」
 俺の台詞に呆れているのか、返事がない。
「それじゃ駄目ですか?」
「あのですね…、街の喧嘩大会と訳が違うんですよ。分かってますか?」
「ええ、分かってるから、電話してんじゃないですか。」
「素人を出す訳には、こちらとしては出来ません。」
 ガッチャッ…。いきなり電話を切られる。
失礼な奴だ。まー、元はといえば、俺が最初に舐めた事してる訳だが…。
大会に出場出来ないんじゃ話にならない。もう一度、電話を掛けてみる。
大和の名を出来れば出したくなかったが、この際、仕方がない。
「もしもし、こちら第一回バイオレンスワンナイトトーナメント受付け事務所です。」
「あ、もしもしー。先ほど電話した神威です。」
「あの…、いい加減にして下さい。こっちも暇じゃないんですから。」
 さすがに電話に出た事務員らしき奴も、声を荒げていた。考えてみれば当たり前の話だが…。おちょくられていると思われてもしょうがない。
「待って、ちゃんと言いますよ。」
「何をですか?」
「今はもう関係ないので、絶対に公表はしないって約束して下さい。」
「うちが何を公表するって言うんですか?」
「以前、俺がいた団体ですよ…。」
「分かりましたから、さっさと言って下さい。」
「約、四年前になるけど、大和プロレスで練習生をしてた者です。今はまったく関係ないので、絶対にこれ、公表しないで下さいよ。」
 しばし無言の状態が続く。俺はじっくりと相手の反応を待った。
「ちょ、ちょっと待っててください…。」
 相手は電話から離れ、受話器を通して向こうで色々話し合っているのが聞こえる。いきなり大和の名前が出たから、先方もびっくりしているのだろう。
「お、お待たせしました。神威さんの大会出場の件…、問題ありません…。大会に関する詳しい事は、ファックスで送ります。」
 俺は自宅のファックス番号を教えてから電話を切り、一呼吸した。
現役復帰が現実味を帯びてきた。ようやく自分のしてきた事が具現化出来そうだった。全身を武者震いが覆う。
右親指を突き出して見つめる。出来れば、人間相手には使いたくない…。
 二時間ほどして、第一回バイオレンスワンナイトトーナメント実行委員会から、ファックスが届いた。心の底からワクワクしてくる。内容を隅から隅まで見てみる。

・大会開催日時 十一月二十三日(金) 午後五時より試合開始
・当開催はワンナイトのトーナメント戦にて行う試合形式 場所は後楽園ホール
・体重制限は無差別
・素手でマウント時に打撃有り
・セコンドは最低一名つける事
・必ずマウスピース、ファールカップ着用
・当日、選手は会場に十二時まで入る事
・自分のプロフィール項目に必要事項を書く
・誓約書にサインする
・出場する選手は、全身と上半身裸の写真と書類一式をこちらまで送る

 届いたファックスの書類で一枚目以降は、面倒臭そうな書類が続いた。見ていて頭が痛くなってくる。プロフィール項目欄に名前を書き始めた。元々このような作業は向いていないので途中でやめて外に出た。まだ、日にちがあるからあとで書けばいい。マウスピースとファールカップを買いに行く事にした。

 

 

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