岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 91(金融業と酷評編)

2024年11月08日 17時39分24秒 | 闇シリーズ

2024/11/09 

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社長の命令で、毎週火曜日と金曜日は全社員八時出社となった。

何か理由があってとかじゃなく、ただ単に気まぐれなのだ。

元々そのぐらいの時間に出社していた俺は、さほど苦痛でもない。

しかし早出させられても、定時が五時になる訳ではない。

手当ても何もつかない。

それを考えると、非常にくだらなく感じた。

会社のタイムカードは、各個人に与えられたパソコンの中にある。

パソコンの電源を入れ、タイムカードのアプリケーションを開かないと出社した事にならないのだ。

よく会社の自動アップデートがされるので、その場合電源を入れ、起動したあとに始まってしまう。

当然再起動が掛かり、ギリギリに来てもタイムカードを押せず遅刻扱いになる社員もいた。

それを見越して俺は早めに出ていたが、たまたま寝過ごしてしまった時があった。

会社内に入った時間は始業二分前。

パソコンの電源を入れ、普通ならギリギリ間に合うところだ。

しかしこの時アップデートが掛かり、再起動したので八時三十一分になってしまった。

気の利く事務員が「岩上さんはいつも三十分前に来てるから、このぐらい手直ししておきますよ」と言ってくれる。

感謝を覚えながら仕事をしていると、別の事務員が来て「ここに判子を押して」と言ってきた。

何でかなと書類を見ると、今朝の一分遅刻した件だった。

「こういうの私は誤魔化さないから」と冷静に言われ、仕方なく判を押す。

遅刻は遅刻だからしょうがない。

しかし不満なのは、この嫌味な事務員はよく遅刻しているのである。

事務員だけがうまくそれを手直しできるので、自分の時だけは常に遅刻をそれで間逃れていた。

汚い女である。

金をいくら積まれても抱きたくないタイプの女だ。

「お願いだから、たまには営業電話の業務もして」と佐久間に頼まれたので、嫌々やっていると、パートのアポインターのおばさんが電話の合間によく話し掛けてきた。

誰かと常に話していないと気が済まないおばさんのようで、非常にウザかった。

話題のほとんどが、この会社の愚痴である。

ここで愚痴っていても何一つ変わらない。

それなのに「私は宅建の免許持っているから不動産にも誘われている。この会社はおかしい」と同じ事を繰り返し喋り続けていた。

それならとっととその不動産へ行けばいいと思うのだが……。

途中でうちの畑の野菜はおいしいという会話になり、時期的に茄子が今できているらしい。

食べ物の中で俺の一番の大好物は茄子だった。

つい会話に加わってしまい、そのおばさんは明日茄子を会社へ持ってきてくれると約束した。

色々とお節介だが、人の面倒を見るのが好きなのだろう。

朝の遅刻の件もあったので定時の五時半になると、俺はタイムカードを三十一分で押し、「お先に失礼しまーす」と会社をあとにする。

これが今の俺にできる精一杯の嫌味だった。

翌日アポインターのおばさんは、本当に茄子を山ほど持ってきてくれた。

他にピーマンや玉ねぎなどもごっそり入っている。

この行為に感激した俺はこの日も定時キッカリで上がり、もらった野菜を作ってトマトソースのパスタを作った。

こう見えて俺は、気分で料理をするのだ。

五時間ほど掛けて、社内の従業員数の二十五人前を作る。

世話になっているPC長の佐久間や野菜をくれたおばさんの分だけでも良かったが、また混乱を招く恐れもある。

なので人数分を不本意ながら用意したのだ。

会社へパスタを持っていき、みんなへ配る。

俺が料理をするなんて思わなかったらしく、一同驚いた表情で見ていた。

昼休みになると、女子社員は「岩上さん、いただきまーす」と嬉しそうに言い、食べ終わったあと「凄い美味しかったです」とお礼を言ってくる。

野菜をくれたおばさんも嬉しそうに食べてくれた。

問題なのは男の社員である。

俺が作ったパスタを食べておきながら、ひと言のお礼さえない。

店長は野菜をくれたおばさんに「パスタご馳走さまでした」と言い、おばさんが「え、これ作ったの岩上さんですよ?」と話すと、そのまま俺には何も言わず自分の席まで行ってしまう。

何故素直に礼すら言えないのだろうか?

不思議でしょうがなかった。

会社の命令を利かない俺を嫌うのはいい。

ただ食べておいて、無視はないだろう。

俺はこの日も定時なると、とっとと帰る事にした。

 

このぐらいから俺はインターネットを使いブログを通して、会社の中傷記事を書くようになる。

一つ気になった事があった。

『素晴らしい作家さんですよね。でも私は岩上智一郎さんの小説が一番大好きでハマっています』と自分のブログで嬉しいコメントを書いてくれたらんさん。

彼女の容態が思わしくないらしい。

しばらく彼女のブログ『ランの気まぐれな日々』は、更新がなかった。

最後に更新があった記事では『夢』というタイトルで長い文章の記事が書かれている。


―夢―

 

高校三年生。

私は自分の道がなかなかさだまらへんかった。

でも、進学する気はサラサラなかった。

これ以上勉強するなんて考えられへん!

「サイン・コサイン・タンジェント」

一体いつになったら、使う日が来るんやろうか……。

そんな思いで過ごしていた。

就職…、どうせするなら、少しでも自分が興味を抱ける仕事がいい。

色んな迷いがあって、結局はフリーター(ニート?)という道を選んだ。

やってみたい事はいっぱいあるんやけど、踏み出せへんくて……。

高校を卒業してから、しばらく考えてみたほんまに自分がやりたい事。

『美容の道』それしかなかった、…と思う。

タイミングよくオープンする店があって未経験でもいいって書いていたので、オープニングスタッフの面接に行った。

もちろん経験者が多い、そして不採用。

せっかく見つけた道を一瞬で遮断された私はまた迷ってしまった。

(今思えば、他の店に行けばよかっただけの話やねんけど。)

でも、とりあえず働かなあかん。

そう思って近所のパチンコ屋に面接に行った。

即採用。

二ヶ月くらい経った時に、美容室のオーナーから電話があった。

欠員が出たから来ないかという話やった。

ちょっとは迷ったけど、やっぱりやってみたいと思ってお願いした。

そして美容学校の通信部(週一の登校)に入学した。

初めて聞く名前の道具、薬液、美容室の裏側、すべてが新鮮で楽しかった。

私が入社した時にはまだ昔気質なスタイリストが多くて上下関係も今までにないくらい厳しかったし、細かいとこまで怒られた。

私が負けず嫌いじゃなかったら続けられてなかったやろうなぁと思う。

そのおかげか、飲み込みが早いからか一年も経たん内に、中習の位置までいき、新人指導する事もできた。

同時にメイクの講習会に行き、結局メイクの学校に入学した。

少ない給料から美容学校とメイクの学校の授業料を支払うのはめっちゃきつかった、常に「お金がない…」って言っていたかも。

一年半でカットの練習もさせてもらえて、毎日が楽しくて楽しくてたまらんかった。

店舗を増やす事になり、私は新店舗へ移動が決まった。

社長が私のためにメイクコーナーを作ってくれたし、ジュニアスタイリストという地位も用意してくれた事が嬉しかった。

でも私はまだ、自分の技術や知識に自信がなくて戸惑った。

たった一年半の間で、めっちゃ色んな事件があった。

とてもトラブルの多い店やった。

スタイリストの解雇に、アシスタントの目まぐるしい入れ替わり。

営業中に「帰れ!」というような当日解雇というひどいものもあって、必要とされている人間が次々におらんくなる。

社長は不動産や建築しか知らず、美容については何もわかってない。

そんな社長夫婦に日々疑問を抱いてて、気づけば私のタイムカードは上から三番目という古株になっとった。

新店舗オープン時にも、たくさんのスタッフが入り準備も着々と進めてきた。

新店舗は、社長の自社ビルに入る為、本店になる。

本店で私は、新人・アシスタント教育を全面的に任された。

私としては、不満を言う前に自分達の立場を考えて欲しいと言っていた。

「ここへ勉強しに来ている、指導してもらっている」それでお給料がもらえているという事。

それを理解してもらうのは難しいみたいで、やっと営業で使えるってくらいになって消えていく……。

それでも毎日朝早くから、夜遅くまで残ってレッスンしてアシスタントの為と、自分の技術向上の為に一生懸命やった。

そして私は、アシスタント兼ジュニアスタイリストで指名も取れるようになって、一番忙しい時期やったかもしれん。

そのせいか私の手荒れがめっちゃひどくなってきた。

そんな中、また社長のせいで新しい店長を迎える事になった。

ひと昔前の美容師?

服装がすごく古く感じた。

ツータックてやつ?

ズボンも裾が細くなっていくの。

その赤いジャケットはどうかと思います……。

この店長が曲者で、彼の言い回しのせいで一人辞め、二人辞め、アシスタントがどんどんおらんくなっていく。

守ってやれんかった悔しさと、この人に対する嫌悪感が増すばかりで、先輩Nさんの「一緒に頑張ろ!」って言葉が、私の心をギリギリのとこで支えてくれていた。

こんな店長に「君たちも、おしゃれするように」なんて言われてビックリした。

君たちもって事は、自分はおしゃれやって事よな?

ありえへん!

時代が違うねん!

二年半、三年目になる頃には自信を持ってスタイリストとしてやってた。

まだ仕事は好きで楽しいと思えていたけど、純粋に楽しんでいた頃とは違ってきていた。

ある日の営業後、店長から私の技術について言われた。

「何それ?! 今まで何やって来たん?!」こう言われた瞬間私の心は壊れた。

私が未熟なのは分かっている、けど私を指導してくれた前店長をもバカにされたようで……。

美容師としての自信も意欲もなくしてしまっていた。

小さな事件もいろいろあって、社長夫婦への不信感もピークになった。

私はこの時、この店を辞めようという気持ちが固まった。

一から私を育ててくれた店や、マネージャーNさんの為にも後任のスタッフが入るまでは、手を抜くことなく一生懸命やった。

みんなが引き止めてくれたけど、美容師としての自信も意欲も情熱も失ってしまった私が、店に立つ事はお客さまを侮辱する事になる。

それだけはしたくない、それが私の美容師としての小さなプライドでもあった。

けど、まだ学校が終わっていなかった。

あと数回と、一番大切な国家試験。

美容師を続ける事に迷いはあったけど、ここまでやったら取るしかないやろ。

せっかく高いお金払って来たんやもん、一発合格したるわ。

筆記と技術のテストがあって、筆記は四択。

何とかなるやろ。

技術は、カットと『ワインディング・ローラーカール・オールウェーブ』の三つあって、試験の数日前にどの技術か発表される。

かなりの正確さが求められ、審査はめっちゃ厳しい。

少しでもずれたりすると不合格になる。

人間ほんまに緊張するとこんなに手が震えるんやなぁ。

でもやるだけの事はやったという満足感があった。

合格発表……。

当然合格しました!

練習する場所もないのに、頑張ったなぁと自分でも思う

美容師免許を取得しても、この時の私には使い道がなかった。

バイトを掛け持ちして、朝から夜中までずっと働いた。

ずっとずっと悩んでいた。

美容師の仕事は好きやけど、どうしたらいいんやろう……。

たくさんの葛藤があった。

Nさんが、ずっと戻って来たらいいやんって言ってくれていた。

一度だけ気持ちが揺らいだ事がある。

あの店長が解雇されたと聞いたから。

でもあの店に戻るには、社長との戦いがある。

Nさんが社長に聞いてくれたけど、結果はノー。

店を辞めた私は、社長にとって裏切り者やから。

そんな時に、バイト先の会社が撤退するという事になり、私たちも辞めるか、時給は下がるが違う会社に移動するかという選択を迫られる。

めっちゃいい機会やと思った私は辞める事にした。

美容師に戻ろうという決意ができたのです。

そして面接に行きました。

そこは、男性の店長と女性のスタイリストとアシスタント一名の少人数でやっていました。

一年半ほどのブランクがあるので、また一からという事でお願いしました。

驚くほど手が動かない!

ブランクというやつは恐ろしいものです。

それでもやっぱりこの世界が楽しいと思えました。

でも店長がとても苦手でした。

二週間ほど経った朝、出勤すると雰囲気が違う。

なんと、アシスタントの荷物がなくなっていたのです。

理由はなんとなく分かっていた。

店長のセクハラ……。

私もめっちゃ苦痛で溜まらんかった。

その子に電話して聞いてみたら、やっぱりそうで前にいた子も、それで辞めたんだと聞きました。

私も悩んだ、今まで二分されていたセクハラが自分に向くと思うと……。

結局私も、新しいスタッフが入ってから辞めました。

ちゃんと店長にも言いました。

それはあなたのコミュニケーションなのかもしれないが、私たちはそれによって苦痛を感じていた。

せっかくチャンスを与えてもらったのに申し訳ありません。

そしてまた、途方に暮れてしまう。

これが、私が美容師として働いていた最後の瞬間です。

最初の店を辞めた事はめっちゃ後悔した。

もっと頑張ればよかった、もっと強くあればよかった。

そう思います。

でも美容師だったという事は誇りに思う。

美容師という夢は中途半端に終わってしまったけど、それを恥じる気持ちはまったくない。

私はそれだけの事をやったと思ってる。

今からでもと、思われるかもしれません。

もう私は美容師には戻れないんです。

美容師免許を取得の条件。

『てんかんにかかっている者には美容師免許を与えない』

私の『てんかん』という後遺症。

もう免許はあるので問題ないですが、シザーは握れません。

なので最終的に旦那さんと我が子のカットができたらいっかと思います。

それか、美容室の受付でもできたらいいかな。

う~ん、でも美容室におったら参加したくなるやろうなぁ……。

長くなってしまってごめんなさい。

最後まで読んでいただいてありがとうございます!

これ書いたのは自己満なんで申し訳ありません。

―らん―


 

「……」

前にもらんさんは具合が悪く、入院していたと書いていた事があった。

この『夢』という記事。

彼女の今までの想いがすべて詰まっているのを感じる。

しばらく更新のないらんさん。

現在彼女の具合はどうなのだろうか?

何事もなければいいが……。

俺は祈る事ぐらいしかできなかった。

 

朝、仕事へ行く準備をしていると、おじいちゃんから呼ばれる。

「おまえにこれを渡しておこうと思ってな」

手渡された一枚の名刺。

『株式会社飯島電気 取締役 飯島敦子』と書いてある。

記憶にない名前だ。

おじいちゃんが法人会の会議に行った時、「昔、智一郎君を教えていた事がありまして」と言われ、名刺を渡された人がいたようだ。

「う~ん、思い出せないなあ。俺を教えたって?」

「ピアノを教えたとか言ってたぞ」

「……!」

幼い頃の記憶が広がる。

まだお袋が家にいた時代。

小学生一年生の俺は、強制的に八つの塾や習い事をさせられていた。

ピアノ、絵画、合気道、学習塾、体操教室、習字、スイミングスクール、そしてお囃子。

合気道とお囃子は、親父がやっていたから。

残りはすべてお袋が勝手に決めてきた。

どれ一つとして自分で行きたいと思った事はない。

すべて強制だった。

一週間一日も休みの日などなかった。

多い時は一日で三個の塾へ行く事もある。

小学校二年生の冬。

お袋は黙って家を出て行った。

俺ら三兄弟を捨てた。

それまで理不尽な虐待をずっと受けてきた。

未だ左目に残る二つの傷痕。

しかし悲しさなど何もなかった。

家族と仲が悪かったお袋。

笑顔で自由に笑う事さえ、暴力によって禁じられていた。

おじいちゃんやおばあちゃんと自由に話もできない日々。

一緒にご飯すら食べられない地獄の毎日から、お袋が出て行った事により、ようやく解放されたのだ。

お袋が出て行ってから自然に出た行為。

それは心の底から自由に笑えるというものだった。

そして習い事をしていた塾は、ピアノ以外すべて辞めた。

別にピアノを弾きたくて通っていた訳ではない。

ピアノの先生だけが俺に優しかったのだ。

いつもピアノを弾かず、俺は先生に家の事を言った。

先生は優しく話を聞いてくれ、帰り道、喫茶店に寄りピザトーストを食べさせてくれた。

俺はこの先生が大好きだったのだ。

だから小学校六年生までこのピアノだけは通った。

しかし一度も真面目にピアノを弾いた記憶などなかった。

高校を卒業したあと、俺はピアノの先生の家を思い出し、久しぶりに会いたいと思った。

歩きながら昔を振り返り懐かしむ。

先生の家に到着しベルを押すと、おばあさんが出てきた。

ずいぶん年をとっているが、先生のお母さんだとすぐに分かる。

俺の事、分かってくれるかな?

半分照れながら笑顔で「お久しぶりです。岩上智一郎です。覚えてますか? 自分が小学生の頃、先生にピアノを習っていたんですけど……」と言うと、先生のお母さんの表情がガラリと変わった。

「あれ、忘れちゃいました?」

「……」

何でこの人は、こんな冷めた目で俺を見ているんだろう?

「あの~……」

「お願いだから、うちの娘には接触しないでちょうだい。あんたのお父さんのせいで、うちの娘はどれだけ傷ついたか……」

「え?」

「お願いだから帰って!」

訳も分からず、俺は先生の家をあとにした。

帰り道、何故先生のお母さんがあのような態度をとったのか考える。

「あんたのお父さんのせいで……」

確かにそう言われた……。

何となくだが理解した。

うちの親父と先生は、当時男と女の関係だったのかもしれない。

母親が家を出て、強制的に通わされていた塾は全部辞めた。

しかし、ピアノだけは六年生まで通い続けたのだ。

今になって思い出すと、あの時点でピアノだけは通わされていた。

先生が優しかったから、続いたというだけだ。

少し記憶がおかしい。

よく考えると不自然だった。

小学生の俺を先生は本当に可愛がってくれたが、帰り道に喫茶店に行き、身銭を切ってご馳走してくれた。

一回や二回じゃない。

毎回だった。

親父との関係に後ろめたさを感じていたからこそ、ああして俺へ優しくしていたのではないだろうか?

考え過ぎか……。

そのあと俺は、独断でお袋のところへ会いに行った。

両親どちらとも歩み寄る気配がなかったし、お互い別の相手がいるのは昔からである。

お袋は別の人と一緒に暮らしながら鬼という炉端焼きの店を経営していた。

家では「何でおまえのお母さんが離婚しないか分かる? 家の財産が目的なんだよ」と言われ続けてきた。

だから大学へ行かず、高校卒業と同時に初めてお袋へ会いに行き、「離婚しませんか?」と話し合いに行ったのだ。

お袋は俺の言い分を了承し、離婚届を出してくれた。

それで初めて俺はお袋の言い分を聞こうと思った。

両者の意見を公平に聞いているのは俺だけなのである。

だから自分の考えに従いたかった。

そのせいで俺は家族から白い目で見られ、様々な誤解を受ける。

「お袋が恋しいのか」とも罵られた。

親父からは「おまえなど岩上の性を捨てろ」と言われた事もある。

「おまえのケツを拭きに行ったんだぞ」と当時は激怒したものだ。

その後お袋は徐々に俺に慣れたせいか、地を出してきた。

昔の感覚が蘇る。

この人は何も変わっていない。

それに気づいた俺は、お袋に「生涯俺に関わらないで下さい」と言い、縁を切った。

それ以来、お袋とは一切関わっていない。

こんな経緯があったピアノの先生。

その先生がおじいちゃんを通し、俺と連絡を取る為に名刺を渡してきた……。

過去に親父とどんな関係があったにせよ、俺は先生に一度会いたかった。

当時を振り返りたかったのだ。

小学六年と言えば、十二歳である。

今が三十三歳だから、二十一年間も会っていないのだ。

もちろん言葉一つ交わしていない。

笑顔の先生に会いたかった。

俺は『飯島電気』と書かれた会社へ電話を掛けてみた。

事務員らしき女性が出て、「社長は只今席を外しています。折り返し連絡させますので」と言うので、俺は自分の携帯番号を教えた。

ピアノの先生とまた会えるかもしれない。

すぐ話せなかったのは残念だが、俺はこのタイミングでの再会のきっかけを嬉しく思う。

 

この頃俺は執筆がノリに乗っていた。

『ブランコで首を吊った男』を完成させた俺は、続けざまに『昭和の僕と平成の俺』、『つぶし屋』とどんどん意欲的に執筆し、作品を完成させていく。

だが少し前までは、初のスランプに陥った時期があった。

振り返ると『はなっから穴の開いていた沈没船』を執筆しだした頃を思い出す。

新宿の風俗ガールズコレクションをやっている時代だ。

家の前の大型駐車場を管理する監視員がいて、一人のおばさんがいた。

名を伊藤久子と言う。

何故俺が彼女を知ったかというと、弟の徹也が「あの駐車場の伊藤さんって学習院出てて、凄い頭いいんだよ。兄貴も小説書いてんだから、そっち方面の専門らしく見てもらったら?」と言われたからである。

俺は処女作の『新宿クレッシェンド』、そして続編の『でっぱり』、俺の現役時代の経験を元に執筆した『打突』を読んでもらう。

俺はこの時の事をブログ『新宿の部屋』で記事にした。


2006/05/17
酷評…


元、小説の選考委員をしていたというおばさんと、一年ぐらい前に知り合った。

最初に見せた作品は『とれいん』。

ボロクソに言われた……。

確かにこの作品は私情を入れ過ぎた為、自分でも納得できるものがあった。

今まで俺は色々な人を師匠として、リスペクトし、吸収してきた。

・プロレスで、体を頑丈に鍛えてくれた師匠、人間としての生き方まで教わった。

正々堂々とは、この辺りから始まったような気がする。

本当の強さを教えてもらった。

・ピアノを習った師匠。

ドビュッシーの月の光を弾けるようになる。

市民会館で、発表会までできた。

・バーテンダー時代の師匠。

お酒の基本的な事から接客まで様々な知識を吸収し、いいサービスマンとしての心得を養えた。

・パソコンを教わった師匠。

今現在パソコンを使った仕事に、携われるぐらいのレベルに達せた。

感謝で頭が上がらない。

・整体術を教えてくれた師匠。

人体を壊す事は、自分で一流だと思っている。

素手で、人間を壊すのは非常に簡単な事である。

しかし逆に位置する人を治す整体。

俺はその知識や仕組み、やり方などを全面的に教わった。

俺が本当にお世話になった師匠たち……。

だから、この時思った。

この人を俺の小説の師匠にしようと……。

今まで書いた俺の作品をこの人に見せてもらおう。

新しいジャンルの師匠。

俺の胸は高鳴った。

次に見せたのが『新宿クレッシェンド』『でっぱり』『打突』のシリーズ作品。

批評は……。

・書き方がなっていない。

・読み手に失礼だ。

・何故、もっと人物の顔形などの描写を書かないのか?

・あなた、本を全然読んでないでしょ?

・背景描写がなさ過ぎる。

・内容が駄目。

・これは悪いけど、小説とはいえない。

…など、本当に酷い言われ方をされた。

それでも自分の文章が上達するのならと、我慢していた。

俺の小説が少しでも向上するならと、意見をできる限り取り入れた。

『群馬の家』『はなっから穴の開いた沈没船』

この二つは作品として途中だが、その状態で見てもらった。

感想は嫌そうな顔をして、なってないと言われた……。

情景描写が少な過ぎる。

もっと、本を読んだらとも言われた。

もう小説書くのやめようかな……。

自信が無くなり、一年間……。

結局、小説を一冊も完成できなかった。

やっぱり俺って思いつきで始めたから、駄目なのか……。

落胆した。

でも、諦めたくなかった。

そんな時、まわりの人間に言われた。

「せっかく、あれだけ面白い作品書いているのに、もったいないよ。」

「もっと他の作品も読みたい。」

「どっぷりと、ハマっちゃった。」

「何で、賞に応募しないの?」

俺の事をちゃんと評価してくれる人って、たくさんいたんだという事に、今さらながら気付かされた。

とても、ありがたかった。

最初に小説を書こうと思ったのが、活字離れが多くなったと聞き、だったら俺が漫画より面白い作品を書いてやろうじゃないか。

浄化作戦で酷い有り様の歌舞伎町を俺が救いたい。

そう思って、ずっとひたすら書き続けた。

素人の人ばかりだったけど、読んでくれた人はみんな、もっと読みたい、次はいつできるの?と…、そう言ってくれた。

 なのに何故、このおばさんは酷評しかしないのだろう。

俺は文学の専門的な勉強などした事はない。

でも、自分の経験を活かして、読み易くリアルなものは書けるんじゃないか。

そう気合い入れて、執筆してきたのに……。 

・小説じゃないと言われた。

でも俺が本として作ったものは、誰が見ても小説だと言ってくれる。

・背景描写がない?

でも、全然ない訳じゃない。

俺はそんな事よりも、読者が一気にスラッと読めるように心掛けている。

・人物の描写?

ちゃんと目鼻だちから、髪型、年齢、ホクロの位置まで書かないと、あなたは小説を読めないの?

登場人物を自分で、想像できないのと言いたい。

・内容が駄目?

あなたの主旨に合わないだけでしょ?

面白いって言ってくれる人、多いし…

・本を読んでない?

かなり自分では読んでいると思うけどな……。

生まれて初めて言われた。

・読み手に失礼?

俺、自分の金で読みたいって人だけ、本を作ってあげているだけなんだけどな。

出版されて買った人に言われるなら、まだしも… 

ふざけんなって、言い返したかった……。

しかし俺はそれでも文句を言わず、自分の心の中だけにしまっておいた。

『ブランコで首を吊った男』を11ページほど書き、見せに行った。

初めてホラーというジャンルに挑戦してみた。

知り合いには先に読ませると、気持ち悪い…と、いった感想をもらえた。

狙い通りである。

気持ち悪く、怖く感じるように書いたので、成功である。

だからそのおばさんに気持ち悪いですよと、あらかじめ言っておいた。

しばらく日にちが経ち、評価を聞きに行く。

おばさんは印刷した紙を面倒臭そうに引き出しから取り出し俺が受け取ろうとすると、渡してくれない。

机の上に置いて、急に目の前で読み出した。

一枚ずつ読み終わる度に、俺へ渡してきた。

俺は我慢しながら、笑顔で聞いた。

「どうですか? 気持ち悪くなかったですか? まあ、最後の方で一気に怖くしようかなって…。」

おばさんは、呆れた表情で言う。

「悪いけど、全然気持ち悪くない…。どこが気持ち悪いのか、分からない。」

もうこの人の評価はいいやって、感じた。

でも今まで師匠と一度決めた人を自分で裏切るのは、どうかという思いも同居していた。

この人に師事していて、俺はプラスになるのだろうか。

実際にこの人と会ってから、あれだけいいペースで書けていた小説が、一冊も完成していない。

一年間も……。

「この主人公。男の人が、飯、食事とか言うなら分かるけど、何故、ご飯なんて使うの? あと、金って言うのに、何故、お金って言うの? これじゃ、おかまっぽく見えるだけでしょ。おかしいよ。それに、このタイトルが、長過ぎる。首吊りってだけにしたら?」 

「うーん、タイトルは、自分で決めるものなので…。それは絶対に変えるつもりはありません。」

「長いわよ。それに、何て言ったらいいのかな…。」

おばさんはしかめっ面で、まだ、何かを言おうとしていた。

俺は自分で印刷した原稿をその場で破った。

それで、笑顔でできる限り冷静に言った。

言いたいのは、そんなものかと感じる。

「うーん、そうですか…。じゃあ、俺の書く作品は、駄目って事ですね…。」

「そうね、もっと文章のトレーニングから、やったほうがいいんじゃないの。」

「そうですね。俺、小説なんて、やめたほうがいいみたいですね…。」

 言葉とは裏腹に、喜んで読んでくれる人たちの為に書こう…、そう思った。

別にあえて、飯ではなく、ご飯。

金ではなく、お金とわざと書いただけの話だ。

おかまっぽいと思うなら、好都合である。

だって、40歳の引きこもりオタクが主人公の話なんだから…。  

ちょうど、この頃、歌舞伎町で裏稼業のコンサルタントをやっていたが、嫌気がさして、その業界から足を洗った。

まっとうな社会で、俺はやっていこうと決意した時期でもあった。

会社の面接を十社以上受けて、すべて落ちた。

知り合いがどういう風に履歴書を書いているのと、訪ねてきた。

「俺は正々堂々と、裏にいた事も、全日本にいた事もホテルでバーテンダーやっていた事もすべてちゃんと書いてますよ。」

「そんなんじゃ、受かるところも、受からないって…。」

「でも、嘘はつきたくないんで…。俺はすべて一生懸命やってきたものですから。」

「気持ちは分かるけど、裏は匂わせないほうがいい。俺が会社で面接する時だって、絶対にそんな事を言う奴いたら、スキルあっても絶対に落としてるよ。履歴書はなるべく癖がないほうがいいんだから…。おまえ、デザイン会社に行きたいって言っているんだから、マイナスにしかならないぞ。」

俺は履歴書を書き直した。

ちょっとだけ……。

罪悪感と自分の生き方に少し傷がついた。

でも、何よりも、働くのが最優先である。

また、今、更新しているブログもやりだした。

みんな、俺を励ましてくれた。

例のおばさんとばったり会った。

俺がまだ就職決まっていない状態なのを知り、何故、まだ働かないのと言われた。

好きで働いていない訳ではない。

働く気がないのとは違う。

面接に行っても落ちただけなんだから……。

「たぶん、採用されないのって、すぐキレそうに思われているんじゃないの? 会社って、言い易いほうをとるからね。あなたの顔が怖いんじゃないの?」

人にあれだけ本を読んでないと言えるのは、自分は読んでいるという自負があると思う。

言い方を変えれば、読解力があると……。

俺は普通に思った。

何故そんな事しか、言えないのだろう。

・顔が怖い?俺より怖い奴って、いっぱいいるでしょ?

・その言い方は、俺には働く場所なんて、ないって事を言いたいのかな。

・怖く見える奴って、採用してくれないんだ?

さすがに頭にきた。

怖いと思う人間に、面と向かって怖いって言うかな?

そっか、俺って舐められてんだ。

「そうですね。人には適材適所ってありますからね。じゃあ、俺はヤクザ者ぐらいしか、行くとこないですね。俺が実際に行けば、喜ぶ組だっていっぱいあるだろうし…。」

俺が凄んで言うと、智ちゃんは優しいから向いていないよと、急になだめてきた。

「何、言ってんですか? 普通のところが、とってくれないんじゃ、しょうがないでしょ? 行く道、行きますわ。」

本当にその時はそう思った。

健全で真っ当なヤクザになってやろうと……。

それでも小説は書ける。

でも、まわりの人間に必死に止めてきた。

俺がヤクザになると、悲しむ人間ってこんなにいるんだって思うとできなかった。

みんなを裏切っちゃいけない。

真っ当に…、表社会を歩こう…。

めげずに、面接に行くと、すぐに採用してくれた会社があった。

こんなタイミングで決まるものなのかと、びっくりした。

とても嬉しかった。

感謝した。

この件で俺は一つ教訓を得た。

本当の信頼関係は、俺がどんな状況にいても、変わらずに接してくれるものなんだと…。

弾けるしかないんだ……。

そう決めたら、四月だけで三冊小説が完成した。

仕事を始めた今現在で、四冊完成。

いつもの俺のペースだ。

やっぱり自分が小説を書けなくなるのが、一番いけない事だ。

そう、思った。

 『昭和の僕と平成の俺 ママの章』。

俺が感動ものとして、自分の過去をほぼノンフィクションで書いた作品である。

・読んだ人は、みんないいと言ってくれた。

・中には泣いちゃったって人もいた。

・中学生の子まで、この作品を読んでくれた。

・本当に嬉しかった。

・懐かしい、昔を思い出した。

虐待が無くなるような世の中にしたい。

そのテーマも込めて書いた作品。

だから辛かったけど、自分の嫌な過去を一部分曝け出した。

子供の視点から見た虐待……。

これを読めば、少しは分かってくれる親もいるかもしれない。

そう願いを込めて……。

愛情を持って接すれば、子供はいい笑顔で笑うのである。

人づてに、例のおばさんが勝手に俺の『昭和の僕と平成の俺 ママの章』を読んだらしい…。

今朝、いきなり批評を言ってきた。

「自分の事を書き過ぎる。もっと……」

「はいはい、別に無理に読まなくて結構ですよ。すみません。俺、これから仕事なので…。」

 何も気にならなかった。

小説を書けなくなるような中傷は受け入れない。

俺は、絶対に世に本を出してやる。

心に固く誓った。

出たら、みんなにありがとうございますと、心から言いたい為に……。

一つだけ受け入れたいという部分を残してくれましたので、その部分だけは感謝しています。

「人は石ころ一つにしても、学ぶものがある。」

例のおばさんは、俺の小説に必要ない……。

師と崇めた人を初めて自分で切り捨てた。

それは俺にとって、とても辛い選択だった……。

この意味を自分なりに解釈して、頑張っていきます。

でも今後、あなたの批評はもういりません……。

ここで、初めて自分から弟子をやめさせていただきます。

今までありがとうございました。

色々と勉強になりました。

身の周りの人たちや、このブログで知り合った方々……。

応援してくれる人はいっぱいいるんだから……。

 

新宿トモより


この記事を読んだ百合子から、俺は責められた。

「何でこんな傷ついていたのに、私に言わなかったの?」と。

あまり彼女を心配させたくなかった。

俺はこれまで色々馬鹿な真似をして、散々傷つけてしまったのだから。

今は表でちゃんと働いて、小説を書く。

もう裏稼業でなく堂々と。

でも今の会社、デカいだけでかなりヤバい会社だよな……。

 

埼玉の支社は全部で六店舗ある。

恒例の朝の会議で、社長の無茶な鶴の一声が始まった。

「まず埼玉。さいたま支社、川口支社、川越支社、所沢支社、浦和支社、熊谷支社。全部で六店舗ありますが、君たちはこの数の分の仕事をちゃんとしてません。よってさいたま、川口、川越。この三つだけ残し、あとの支社は撤退する事にします。今日が金曜日。なので月曜までには移動して下さい。浦和は川口へ。所沢は川越へ。熊谷やさいたまへ。それぞれ統合という形をとります」

始めは冗談で言っているのかと思った。

しかし大真面目に言っているのだ。

会社の基本的な休みは、土日曜祝日。

今日が金曜日なので、本来なら明日明後日は休みである。

月曜日にここ川越に移れと言う事は、休みを返上して用意しろと命令しているようなものだ。

かなりムチャクチャな会社。

労働基準監督署に訴える人間がいないのが不思議なぐらいである。

店長が「明日、明後日所沢の手伝いに行くぞ」と言い出した。

俺は上司の佐久間に聞く。

「当然休日出勤手当てなんてないんですよね?」

「そんなの当たり前じゃないですか」

「じゃあ俺は休日なので休みます」

「でも岩上さんがそんな事したら、あとで私が責められます」

「じゃあ佐久間さんも一緒に休んじゃいましょうよ。馬鹿らしいじゃないですか」

「そんな訳にいきませんよ」

今の俺は、ここをクビになっても構わないという気持ちがある。

北海道に家族を残した佐久間はそうはいかない。

言い方が少し意地悪だったかもしれないと反省した。

「あ、岩上さん。今日夕方なんですけど、ちょっと不備是正でお願いしたいところがあるんですよ。行ってもらえませんか?」

「夕方からですか。場所はどこです?」

「え~とちょっと待って下さい…。秩父ですね」

「秩父ですか? 定時に帰れないじゃないですか」

「お願いしますよ。私も自分の仕事が詰まっていて……」

まあ今日終われば明日明後日は休みだ。

たまには協力するか。

仕方なく俺は受ける事にした。

「分かりましたよ。行く場所のデータもらえますか」

顧客データをもらい、住所を調べる。

見て唖然とした。

秩父とはいっても秩父市でない。

秩父郡両神村となっている。

川越から埼玉の山奥まで行くようなのだ。

ほとんど群馬県に近い。

車で片道三時間は覚悟しなければいけないような距離である。

「お願いしますよ」

「分かりましたよ……」

渋々了承した。

準備をしていると、店長からも「岩上君、悪いんだけど、ついでにここもお願いできないかな?」と頼まれる。

これから向かう両神村の通り道なので、了承した。

「あ、岩上さん。もう一つ頼んでもいいでしょうか?」

「ん、どこですか?」

「ここなんですけど、同じ秩父なので」

地図を見て愕然とする。

長瀞だった。

「冗談じゃないですよ」

「え、でも同じ秩父じゃないですか」

「どれだけ距離があると思っているんですか? この間で山をいくつ越えれば済むと思っているんです? 距離にして何百キロあると思っているんですか? 自分で実際に行ってみれば、俺の言っている事分かると思いますよ。前にも言いましたけど、俺は残業などしたくないんです」

苛立ちながら会社をあとにした。

 

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