吹く風ネット

ぼくの生まれた街 ー旧八幡市内の駅「折尾編」ー

 旧八幡市内には、特急の停まる駅が二つある。その一つが黒崎駅で、もう一つがその二つ隣にある折尾駅だ。今のところはどちらも同じ区の中にある。

 この折尾という街、ぼくは思い入れが強い。なぜならぼくは、この折尾の駅近くで生まれているからだ。もちろんその時のことを覚えているわけではないが、その当時の風景とか空気とかを、今もこの街に感じることができる。

 今でもそうだが、ここは文教地区ではあるものの繁華街という位置ではない。だからショッピングやデートなどで利用したことはないのだが、親戚がこの辺に住んでいたこともあり、若い頃にはしょっ中訪れていた。

  裸電球雨に濡れ、過ぎし光を追いまする
  しだれ柳風に揺れ、落ち葉ひらひら終列車

 中学の頃まで、この街にはSLが走っていた。夜遅く親戚の家から駅に向かっている途中、筑豊方面から「ボー」という汽笛とともにSLが現れるのだ。線路沿いには堀川という小さな川が流れていて、その川べりにはしだれ柳が揺れていた。それを照らす東筑市場の裸電球にこの街独特の雰囲気を感じていた。
 そこから少し駅に寄った所に、昨年までワイドショーなどで取り上げられていた『風情あるネオン街』があった。そこが「実に折尾らしい」と言われているのだが、ぼくにとっては、折尾といえばやはりSLと堀川沿いのしだれ柳、それを照らす裸電球だ。

 もう一つ、折尾にはゴチャゴチャしているという印象があった。黒崎にあるスッキリとした都会感がないのだ。文教地区だから、別に街をスッキリさせる必要もないのだろうが、せめてJR九州駅の乗降客数7位(昨年調べ。ちなみに黒崎は8位)なりの景観を作ってもらいたいものだ。10年ほど前から、駅の建て替えや駅周辺の区画整理をやっていたのだが、昨年駅の建て替えが終わり、あとは街の整理が残っているだけだ。そちらの方は、いつになったら終わるのだろう。このあとぼくは何年生きるのかわからないが、駅周辺の工事が終わらないままだと、ぼくが来世に持って行く折尾の街の記憶は、ゴチャゴチャした街ということになってしまう。


※1,この町の名は、林芙美子の小説「放浪記」に出てくる。
 『……私がはじめて小学校にはいったのは長崎であった。《ざっこく》屋という木賃宿から、その頃流行のモスリンの改良服と云うのをきせられて、南京町近くの小学校へ通って行った。それを振り出しにして、佐世保、久留米、下関、門司、戸畑、折尾と言った順に、四年の間に、七度も学校をかわって、私には親しい友達が一人も出来なかった……』
 もし林芙美子が、折尾の小学校に行っていたとしたら、その頃(大正時代)、折尾地区には、ぼくの通った小学校を含め二校しかなかったと聞いている。もしかしたら彼女は、ぼくの先輩だった可能性もある。

※2,高倉健さんの通った高校は、この駅の近くにある。駅から駅前を流れている川沿いを歩いて高校に通っていたということで、その川沿いの名前を「健さん通り」と呼んで、イベント時には映画「幸せの黄色いハンカチ」にちなんで、川沿いに多くの黄色いハンカチを掲げるらしい(ぼくは見たことがない)。だが、ぼくは、昨年武田鉄矢さんがそのことをテレビで言っているのを聞くまで、そういう呼び名があることを聞いたことがなかった。おそらく、健さんが亡くなってから、そういう呼び名を付けたのだろう。

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