前の会社にいた頃、ぼくはよく出張に行っていた。たまには東京や大阪という遠方に行くこともあったが、主に行ったのは近場の広島や博多だった。
その広島に初めて行ったのは、入社してからわずか7日後のことだった。
上司から呼ばれた。
「しんた君、明日から広島に行ってきてくれんかね」
「え、広島にですか?」
「ああ。そこにある店でしっかり勉強してきてくれ」
「一人で行くんですか?」
「ああ」
「・・・。で、期間はどのくらいですか?」
「期間・・。そうやねえ、1ヶ月ばかりかなあ」
「1ヶ月もですか?」
困ったことになった。就職する前にアルバイトをしていたところで、広島のその店の話をさんざん聞かされていたのだ。
「社員はみな七三分けで刈り上げにしなければならないらしい」とか、
「一人接客をするたびに報告書を提出しなければならない」とか、
「お辞儀の時、45度体を曲げないと文句言われる」とか、
「お客さんの家に行ったら、玄関で土下座しないとならない」とか、
「休みが少ない」とか、
「朝が早く、夜が遅い」とか、
とにかく厳しい店だということだった。そんなところに1ヶ月もいるのは辛い。
また、当時ぼくが持っていた広島のイメージがひどかった。映画『仁義なく戦い』の舞台になったくらいの街だから、当然怖いところだというものだった。つまりぼくの頭の中の広島の図は、『=やくざ』となっていたのだ。
その頃、北九州市内で発砲事件があった。ニュースでは暴力団の抗争だと言っていた。北九州市内でもこの状態だ。『=やくざ』の広島では、こんなことが毎日起こっている思っていた。
「もっと短くならんのですか?」
「ならん」
「どうしても行かないけんのですか?」
「どうしてもって、何か広島に行きたくない理由でもあるんかね」
「ええ、ちょっと」
「別れた彼女でもおるんかね」
「いや、そういうことじゃないですけど」
「じゃあ、どうしてかね」
「気が進まんとです」
「えっ、何で?」
「だってやくざの街なんでしょ?」
さすがに、厳しい店と聞いているので行きたくないとは言えなかった。
「ははは、そんなことか」
「・・・」
「あんた『仁義なき戦い』見たんやろ」
「はい」
「あれは映画の世界での話」
「でも、実話だと言っていましたよ」
「そんなの昔のことやろ。今はそんなことはない」
「やっぱり行かないけんですか?」
「ああ、決まったことやけ。まあ、頑張ってきてくれ」
「・・・はあ」
最後に上司は言った。
「広島カープの悪口だけは言うなよ」
翌朝、ぼくは新幹線に乗り、広島へと向かった。3月初旬、まだまだ冷たい風が吹いていた。
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