東京で何を聴いたのかというと、TBSラジオで当時やっていた『マカロニほうれん荘』など一連のラジオ劇画や、文化放送の『セイヤング』だ。
特に『セイヤング』を聴くのは中学からの夢でもあった。『オールナイトニッポン』や『パックインミュージック』は福岡でも聴くことが出来たのだが、その『セイヤング』だけは、聴くことが出来なかったのだ。ということで、東京に着いた日の夜中、さっそく『セイヤング』を聴いた。運良くその日のパーソナリティは吉田拓郎さんだった。
もちろん、『オールナイトニッポン』など、福岡時代から聴いていた番組も、そのまま継続して聴いていた。聴きたいパーソナリティが、『セイヤング』と重ならなかったために、それが可能になった。
その翌年、ぼくは四谷でアルバイトをしていたのだが、四谷駅からバイト先に行く途中に、文化放送があった。初めてそこを通った時にすごく感動したものだった。その後も、もしかしたら吉田拓郎さんや吉田照美さんに会えるかもしれないと、いつも期待して歩いていたが、結局彼らには会えなかった。もし会えたとしても、何を喋っていいのかわからないので、会えなくて良かったとは思っている。
憧れであった東京のラジオ生活は、そんなに長くは続かなかった。前に『南の窓』で書いたとおり、ぼくが下宿にあまり帰らなくなったためだ。
その後ぼくは八幡に戻り、一般企業に就職した。就職した当初は飲みにばかり行き、いつも午前様だったため、深夜放送など聴く暇はなかった。
就職してから一年経ち二年経つうちに会社はブラック企業に変ぼうしていった。今度は仕事で午前様になってしまったのだ。もちろんラジオを聴く暇などありはしない。そのうちラジオどころか、テレビも見る気が失せていった。
十数年後に、そのブラック企業をやめ、地場の会社に再就職した。そこはブラック企業ではなかった。逆に「早く帰れ!」と言われるくらい就業規則が徹底していた。しかし、ラジオは朝晩行き帰りの車の中とプロ野球中継を聴く程度で、深夜放送まで聴くことはなくなった。相変らず『オールナイトニッポン』をやっているのは知っているが、「もういいや」という感じで、聴くことはない。
さて、深夜放送から始まった寝不足だが、それを聴くことがなくなったので早寝するようないなったのかというと、そうではなかった。その頃からインターネットのブームが始まり、ブームに乗ってぼくはホームページを起ち上げた。物事に凝ると、時間を忘れる質なので、当然の如く夜ふかししてしまう。
ということで、八幡に戻ったぼくは、ラジオ(深夜放送)とは縁が切れてしまったが、寝不足とは縁が切れない生活を続けることになった。
その習慣を変えようとしているのが、まさに今なのだけど、さてどうなることやら。
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