無能主婦・塩茶のつぶやき

今日もゆるりと

2025/02/28 汚部屋⑤

2025-02-28 15:32:00 | 日記
   ④の続きです→


それから我々は、インテリアとか機能性とかを一旦度外視して、とにかく「そこで生活する」ということだけを念頭に置き、作業を進めた。

各部屋に溢れるモノたちを分別する際、私が「もう役目を果たした子だ」と思い勝手にゴミ袋に入れようとすると彼の怒号が飛んでくるため、小さいボタンとか何かよくわからないガラスの破片とかも一つ一つ彼に見せ、ゴミ袋に入れていいか確認をとった。そして大抵は「まだ必要」と言われるため捨てるに至らず、ゴミ袋はなかなか一杯にならなかった。
その上何かを見せる度に、彼は前回のカビ取り剤の時と同じくそのモノにまつわるエピソードを話し始めるため、実際は、彼に何か見せる→「まだ必要。これは〜の時の〜で〜」→「スゴイネ」→違うところに置く、のループであり、ただ手に取ったモノをA地点からB地点に移動させるだけの作業であった。

そんなことをしていて掃除が終わるはずもなく、その日すっかり暗くなってから、来る前よりかえって汚らしくなった家をあとにすることとなった。


それからも我々は何度かこの家を訪れて、掃除という名の模様替えを繰り返した。一向に片付く気配のない部屋に居続けると、私は何故かハイテンションになってしまい、手に持ったモノの思い出を語り続ける男と、そのそばで笑いを堪えニマニマしながらモノを動かす不気味な女という地獄のような構図が出来上がった。


さてここで2階の話題に移る。
アパートの退去日までに寝室だけは用意する必要があったため、ここだけは彼も本腰を入れて取り組んでいた。他はともかく、寝る場所がないのはやはり困るのだろう。
彼が元々使っていた年季の入ったベッドを解体して、私のアパートにあった同じサイズのベッドをそこに設置することになった。
どちらのベッドも、一般男性一人と無能主婦だけではとてもかかえきれるサイズではなかったが、今更業者さんを呼ぶわけにもいかず、ヒーヒー言いながら涙目で解体し運んだ。
解体された彼のベッドは別室に長い間幽閉され、窓のそばに立てかけていたせいで外からの光をさえぎり新たな闇の空間を作り出していたが、およそ半年後に業者さんによって回収されていった。


寝室に彼が自分で設置したという巨大なアコーディオンカーテンさんも、スペース確保のために外されることとなった。
素人の作業とは思えないほどゆるみなく取り付けてあり、多少もったいない気もしたが、もう場所もないので諦めた。
ちなみに「なぜここにアコーディオンカーテンをつけたか」については聞いたような気がするが忘れてしまった。多分たいした理由はなかったように思う。


我々はその後も意味があったりなかったりする動きを続けて、私のアパートの退去日ギリギリで滑り込み引っ越しを果たした。
「食べる」「寝る」「お風呂」「トイレ」が可能な最低限のスペースのみを確保した、ギリギリ生活の幕開けだ。その他の部屋に関してはほぼ機能していなかった。


そしておよそ半年が過ぎた。
慣れない新生活で疲れが溜まっていたのか、私は病気になり寝込んでいた。
仕事を休み、家事もできず、ごはんもろくに食べられない日々が2週間ほど続き、意識が朦朧としている中、電話口で異常を感じた親が救急車を呼んでくれていた。


私はその2週間、ベッドからほとんど動くことはなく、お風呂も最後に入ったのがいつだったか分からない状態で一日中もがきながら寝ていた。(補足すると、この間にも何度か病院に行っていたものの改善されることはなく、症状はひどくなっていた)
そのため、救急救命士さんたちが玄関から入ってくる音が聞こえた時はすこぶる安心した。
家の中がどんな状況なのかなんて、気に留める余裕はなかった。


私が全く動けない状態なのを夫が話し、私を2階までむかえにきてくれることになったようだ。安心したためかうっすら会話が聞こえた。

階段をのぼってくる音が聞こえ、ほんの少しだけ声を出せそうだったので「すみません・・・ここです」と言おうとした時、救急救命士さんたちは私がいる方向とは反対の方を一瞬だけ見て「?!?!?!?!」という顔をした(気がした)。
そしてすぐにこちらに気付き、私をストレッチャー(違ったらすみません)に乗せて階段を降り、救急車まで丁寧に運んでくれた。

私はぼんやりとした意識の中で、先ほどの「?!?!?!?!」の意味を1、2秒だけ考えた。

そして私はその意味を、退院後初めて自宅に帰ったときに知り、というか気付いてしまい、心の底から申し訳なく、そしてとんっでもなく恥ずかしく思うこととなる。




        →⑥へ続く


2025/02/20 友ニャンと私の記録

2025-02-20 14:35:00 | 日記
2月22日は猫の日だそうだ。
私は猫を飼っておらず、また飼った経験もないため、夫の実家にいた猫の話をさせてほしい。

私はこの猫を友達だと思っていたので、ここでは友ニャンと呼ぼうと思う。

もうずいぶん前のことになるが、初めて夫の実家に帰省する際、家に猫がいることを知らされた。
子供の頃から動物が好きで、ことさら猫が大好きな私は内心大喜びで、義実家への初帰省に対する緊張感と同じくらい、猫との暮らしへの期待感を膨らませていた。

義実家の玄関にお邪魔すると、何かを察知したのか部屋の奥へと急ぎ足で消えていく猫が一瞬見えた。

これが友ニャンとの出会いだった。





友ニャンはとても警戒心の強い猫で、知らない人が玄関に入って来るとすぐに隠れてしまうということだった。
時間を気にせず猫と戯れたり、おやつをあげたりするのをイメージしていた私は少し寂しく感じたが、最初は大体そんなもんだろうと思うことにした。

友ニャンはみんなが集まるダイニングキッチンに私がいると決して入ってこようとはしなかった。
どうしてもお腹が空いた時とトイレに行きたいときだけは仕方なく入ってきたが、用が済むとすぐに出て行った。
そのことに気付いたのはかなり後になってからのことで、大層申し訳なく思った私は、それ以降なるべく折を見て部屋を出るようにし、友ニャンが入る隙を作った。


また友ニャンは抱っこを嫌がる猫で、飼い主でさえも抱っこするのは至難の業だった。
当然私も無理だった。
友ニャンと私の間にはいつも一定の距離があり、見えない糸が張り詰めていて、互いに手繰り寄せられずにいた。
そんな中でも、私は友ニャンの帰りをいつもソワソワと待ち、家の中に入ってくればどの部屋にいるのか気になってコッソリ見に行った。



何度目かの帰省の際に転機が訪れた。
飼い主である義母が友ニャンの頭をナデナデしている時、便乗して私もそおっと手を置いて、初めてのナデナデができたのだ。
いつもと違う手の感触に始めは驚いたような表情を見せた友ニャンだったが、逃げるのも面倒だったのか、そのままナデナデを続けさせてくれた。
ひととおりなでさせたあと友ニャンはスッと立ち上がり、そそくさとどこかへ行ってしまった。
このとき、友ニャンの中で私は「知らないヤツ」から「たまに家に来る部外者ではない人間」くらいまでクラスアップしたような気がしている。あくまで私目線ではあるが。

それからあとは、心なしか友ニャンとの物理的距離は縮まり、私が部屋にいても構わず入ってきて、ごはんを食べたりトイレに行ったりするようになった。
友ニャンが部屋の中を歩く時、たまに私の足元を通り、友ニャンの毛が少しだけ私の足に触れることがあり、そうすると私はとても幸せな気持ちになった。


友ニャンはとても働き者で、家でゴロゴロすることはほとんどなく、いつも朝早くから外をパトロールして、食事やトイレ以外は夜まで外出しているような猫だった。
誰にも媚びることなく、自分を甘やかすことなく普段のルーティンを守る友ニャンの姿は
人間にしてみれば理想の社会人像であり、無能主婦の私の目にはとても立派に映った。


友ニャンの姿を自宅でも見られるように、私はスマホカメラで友ニャンをたくさん撮ることにした。
その頃になると友ニャンも、私がそばに寄っても嫌がるそぶりは見せず、カメラを向けると不思議そうな顔をしていた。
私はどうしてもツーショットが撮りたくなり、友ニャンの横にそっと体を寄せ、インカメラで素早く画角を調整しシャッターを切った。
タイトルにアップロードしてあるのは、その時の写真をイラストにしたものである。友ニャンと私の奇跡の一枚だ。

友ニャンはちょっと面倒くさそうにしながらもいつも撮影に付き合ってくれて、私が「いい写真が撮れた」と満足そうな顔をしたのを見届けるとどこかへ去って行く。不思議なことに、私が撮り直したいと思っている時はその場にとどまってくれていた。しぶしぶだったのかもしれないが、友ニャンが気を遣ってくれているのがなんとなく伝わってきた。





友ニャンの時間は私たち人間よりもずっと早く進んでいる。

ある帰省時、友ニャンを見ると少し痩せたような気がした。
元々細かった友ニャンの体が更に細くなり、毛量もやや減っているように見えた。
飼い主によると、最近あまり食事をとらなくなり、心配して病院に連れて行ったりごはんを工夫したり手は尽くしているが、改善の兆しは見えないということだった。

私は友ニャンのために何かできないかと、トイレの掃除をしたりごはんの片付けをしたり
、私がいなくてもできそうななんでもない仕事を手伝うことで心を紛らわせた。
それくらいしか、友ニャンのためにできることは実際無かった。


私は今まで以上に友ニャンの写真を撮ることにした。
窓辺で外を眺める友ニャン。
義母になでられる友ニャン。
廊下を歩く友ニャン。
友ニャンにとって凝縮した毎日をできるだけ邪魔しないよう、遠くからそっとカメラを構えズームを駆使して撮影していった。
そうしているとたまに私に気付いた友ニャンが横を通り過ぎ、私の体に友ニャンの毛が触れて、そのぬくもりが直に伝わってくることで、私は何故か、言葉にできない切ない気持ちになった。


友ニャンはとても気高い猫で、苦しいとか辛いとか周りに悟られないようにしていた。
その頃も既に不調を感じていたのかもしれないがそういったそぶりは一切見せず、いつもと変わらないルーティンを日々こなしていた。周りに心配をかけるのは嫌だったのかもしれない。
友ニャンは、ちょっとしたことですぐに不安になって助けを求める私よりもずっと強くて、大人だった。
優しく接する以外にも優しさを伝える方法があるということを、友ニャンは教えてくれた。


友ニャンは、時々遠くを見つめて、何か考えていた。
その瞳に映るものをひとつでも共にしたいと思って、友ニャンが見つめる先を見てみるが、遂にただの一度も、重なり合うことはなかった。






よく晴れた暖かい日に、友ニャンが天国へ行ったという知らせを受けた。

友ニャンは、美しい花々を敷き詰めた箱に寝かされて、静かに、穏やかに、育った家を旅立ったそうだ。

私は、いつかくると覚悟していたこの日をなかなか受け入れることができず、友ニャンが写った写真の数々をひとりでぼーっと眺めていた。
たくさんの表情を見せる友ニャン、毛の質感やまなざしからそのぬくもりを思い出し、友ニャンとの出会いから最後に会ったあの日までの記憶をめぐり、私はとても長い時間、ぽろぽろと泣いていた。






友ニャンはきっと、天国でごはんをモリモリ食べて、暖かい花畑で蝶々なんかを追いかけて遊んでいるに違いない。




私がいつか天国に行ったとしたら、友ニャンに会えるかな。

また友ニャンと、いっぱい写真を撮ろう。

友ニャンは「またか」という顔をしながらも、きっと私が納得いくまで付き合ってくれるはずだ。

そして私が満足したのを見届けると、どこかへ出掛けていく。

私はその帰りを、今か今かと、いつまでも幸せに待っているのだろう。



2025/02/19 汚部屋④

2025-02-19 15:23:00 | 日記

   ③の続きです→

このお掃除の間にもトイレに行く可能性は高かったため、早めに確認しておきたかった。


度々お伝えすることになり申し訳ないが、今後も中々イカツイ描写が登場するので引き続きご注意いただきたい。


この家は、リビングを出て廊下を進むとトイレがあり、その近くに洗面所や脱衣所、お風呂がある。

「ここがトイレで、あっちの方が洗面所とお風呂ね。ちょっと汚いけど」

急にお風呂の方が気になり出した私は、先に見に行くことにした。
「汚い」という今更な申告は一旦スルーすることにした。


妙な緊張のなか足場を見つけつつ廊下を進む。洗面所前のスライドドアを過ぎてお風呂の扉をそっと開け、恐る恐る覗き込み、私は「ここのお風呂は全面ブラック仕様なんだね」と口にしようとして、咄嗟に飲み込んだ。ここまでに見てきたモノを鑑みるとそれは考えづらいような気がした。

「洗い場広くていいねー」
あまりにも無難なコメントだがそれくらいしか絞り出せなかった。
じっくりと中を観察してみると、壁や床の一面のブラックを作り上げていたのは、この世の全ての胞子を集結させたかのような信じがたい量の カビ だった。
カビたちはお風呂の使用者が一切掃除しないのを良いことに、少しずつ仲間を集め、増殖し、各地に出向いてはその生息範囲を広げ長年かけて現在の大国を築き上げたようであった。

よくよく見るとこぢんまりとしたイスや洗面器まで侵略されている。
私のアパートに来るまで彼はずっとこのお風呂に入っていたんだと思うと、私の心には何故か母性のようなものが生まれ、「この人を毎日綺麗なお風呂に入れてあげなければ!!」という謎の使命感まで抱いてしまった。

そして洗面所の方を見てみると、こちらは洗面ボウル内に不思議な茶色の汚れがはびこり、ボウルの元の色がほとんどわからない状態だった。かろうじて汚れの隙間を発見し、「洗面所は薄ピンクなんだ。可愛いね」という無意味なフォローを入れることで彼ではなくむしろ己を鼓舞することに成功した。

ある程度予想はついていたが脱衣所の床にも、前回登場のキッチンマットくんの関係者と思われるとんでもなく汚れまくったバスマットくんが佇んでいた。ちなみにバスマットくんは元々かなりタフだったことが裏目に出て、いま現在もなんと現役であり、しかもバスマットとしてではなく、室内で発生したすごく汚い水とかを吸い込む役割でこき使われている。


言うまでもないがお風呂や脱衣所・洗面所もありとあらゆるモノたちで溢れかえっていた。
我々はまたモノをかき分け足場を見つけつつ来た道を戻りトイレへ向かった。


トイレに関して言えば、入った瞬間に「これは少なくとも5年は掃除してないな」と一目で分かる容貌だった。
全体的に、茶色くホコリ被っている。
トイレが茶色に見えるほどホコリ被るという「過程」の想像が難しい状況と、壁に備え付けのタオル掛けにかかっているカラカラにしおれたタオルを見て、またもやじわじわと笑いがこみあげてきた。

トイレの中で笑いを堪えニマニマしながら、その流れで便器くんの中を覗いた。
便器内は、茶色い汚れがフチ裏から排水される方へと流れる「道筋」が、それはもうクッキリと浮かび上がっていて、あまりにも見事な濃い線ができているものだから見た瞬間吸い込まれるような錯覚に陥った。これはこれである種の芸術だと思ったくらいだ。

そうやって眺めていると、彼が
「僕がお風呂と洗面所を掃除するから、塩茶ちゃんはトイレをお願いね。」と言ってきた。

別に掃除場所自体は構わないのだがなぜその配置なのかと尋ねると、
「僕が汚したところは僕が責任持って綺麗にしないと。こんなに汚れたところで塩茶ちゃんに顔洗わせるわけにはいかないから。」と返ってきた。


トイレはいいんだ、
と脳内で発された声に思わず笑いそうになり、私はまた吹き出すのを我慢した。



私たちは黙々と、担当箇所を掃除した。
トイレのこびりつきは予想以上に強固で、洗剤をかけてはこすり、またかけてはこするというのをひたすら繰り返した。渾身の力を込めても汚れはほとんど剥がれることはなく、この便器内ステージにどれほどの積み重ねがあったのかをうかがわせた。
彼は彼でお風呂のカビ取りをしていたが、取り掛かる前にカビ取り剤を見せてきて、これは電池内蔵で一回一回レバーを引かなくても自動噴射されるんだよと嬉しそうに実演してくれた。
実演を一通り見終わって「へー、初めて見たよーすごいね」ととりあえず返事したが、彼はこの時だけでなく、その後も何かを手に持つと必ず私にそれを見せてきて、手に入れた経緯や思い出を語り出すのだ。全てしっかり聞いているといくら時間があっても足りないと察した私は、全ての話に「そうなんだ、すごいね」と返事することにして、それから私は話しかけると「すごいね」と返すだけの「すごいねマシーン」と化した。


この時点で、私のアパートの退去まで2ヶ月を切っていた。

なんとしても終わらせなければならなかった。

しかし、この時まだ、寝室のある2階は全くの手付かずだったのだ。




    →⑤へ続きます



2025/02/14 塩茶流「バレンタイン」の過ごし方

2025-02-14 22:06:00 | 日記
※この記事は「バレンタイン」と呼ばれる行事に関する長めのつぶやき的な内容です。
汚部屋の話の続きが見たいと言ってくださる神たちは、次回の投稿をお待ち下さい。
この記事を開いてくれて心から感謝します。
ありがとう。


今日は朝から和室改装の業者さんに入ってもらっていて、和室の面積の半分以上を占めていた大量の荷物を各部屋の空きスペースに運び込み(押し込み)、おうちの中は普段以上にカオスな状態だった。

私は午前中に家でやるべきことをある程度終わらせ、昼食を済ませると急いで定期受診している病院へ向かった。
珍しく早起きしたせいか猛烈な眠気に襲われながらも、お薬をもらうところまでなんとか完遂し、車の中で一息ついていた。



私の活動範囲は基本的に近所のスーパーとドラッグストアのみであり、コンビニに立ち寄る機会はそれほど多くない。しかしその時は少し気持ちに余裕ができたせいか、目に入ったコンビニの看板が手招きするかのように輝いて見え、私の心にはある欲望が芽生えた。


今 す ぐ お や つ た べ た い


そういえば、しばらく前から街はそわそわしたムードで、装飾なんかは赤やピンクが増えている。行きつけのスーパーには可愛らしいチョコレートがたくさん並んでいて、見るともなしにチラチラ見えていた。

私はものすごくチョコレートが食べたくなって、いそいそとコンビニの門をくぐった。サブリミナル効果というワードが頭をよぎった。



滅多に入ることのないコンビニは私にとってはちょっとした遊園地であり、キラキラした商品たちに目を奪われながら散々ウロウロした挙句、スイーツ棚に並ぶ美しい細工のチョコレートスイーツを手に取り、心の片隅の後ろめたさを中和するために「内臓脂肪を減らすのを助ける」という記載のあるお茶と一緒に購入した。

長らく店内に滞在したことが気に掛かり、広く開放的な駐車場であるにも関わらず車に戻るとエンジンもつけず、手早くスイーツをいただき、帳消しにするかのように勢いよくお茶を飲んだ。
私の「バレンタイン」は2分半で終了した。


世間では好きな人にチョコレートをあげる風習があるらしい。
私は夫に、ちいさくてかわいいやつらの容器に入ったチョコを購入して渡した。もちろんあとから外容器は没収して鑑賞する予定だ。どこまでも強欲な女である。


「バレンタイン」なる行事に関して非常に限定的な知識のみで特に微笑ましい思い出もなく、私のほぼいつも通りの一日を淡々と書き連ねる結果となり、読んでくれた神たちには申し訳なく思う。街ではたくさんのあたたかい想いが行き交い、泣いたり笑ったり色々あるのだろうと考えるとなんだか心がポカポカして、そしてほんのわずかに切なさが滲んだ。


そして、病院の待ち時間に書き進めていた汚部屋の記事は、下書き保存をし忘れたことによって全て消えており、いつかやるだろうと思っていた己のムーヴに今更困惑している所である。



2025/02/12 汚部屋③

2025-02-12 15:30:00 | 日記

②の続きです→


室内はとにかく暗かった。
この部屋には大きな窓が二つ、中くらいの窓が一つあったが、カーテンを閉め切っているだけではここまで真っ暗にはならないだろう。


この真っ暗闇の犯人は、全ての窓のカーテンレールに隙間なくビッシリと掛られた、洋服たちだった。
よくこんなに器用に並べられたもんだとある意味感心すると同時に、ここまで負荷を与えられてもビクともしないカーテンレールの頑丈さに驚いた。そしてなんと洋服はそこだけに収まらず、ダイニングテーブルの上にも相当な量が無造作に積まれていた。

「お、お〜やっぱりすごい洋服持ちだね〜」
圧倒的な洋服たちの攻撃力にたじろいだ私の口からは、それくらいしか出てこなかった。
普通こんな部屋を誰かに見せるとなればかなり躊躇するはずだが、彼からそういった「恥ずかしい」的概念は全く感じられず、それどころかちょっと誇らしげだった。(ように見えた。)

しだいに部屋の全貌が見えてくると、床という床、棚や小さな台やキッチン前のカウンターに至るまで、「そうしないと◯されるから」という理由があるとしか思えないほどモノで埋め尽くされていた。
モノたちの一つ一つは、まだ問題なく使える付箋や写真立てや、よくわからない記念品や、絶対に見返すことはないであろう書類など多岐に渡った。

先々、この部屋で生活することになるのか。

私はこの時になって初めて、自分がとんでもなく大きな山を登り始めたことを悟った。

まずは人間が歩く道を作るところから始めなければならない。一瞬気が遠くなった。

私は来た時から一番気になっていたエリアについて尋ねた。
「あ、そうだキッチン見てもいいかい?」

ちなみにここからは(できるだけぼかしているが)今まで以上に閲覧注意である。



キッチンは、ダイニングからカウンターを挟んで繋がっていた。
しかしもうお察しの通り、「憧れのカウンターキッチン」とか言ってる場合じゃない状態だった。

先にお伝えしておくと、このキッチンの掃除は数年に及んだ。入居前にできたことはほんのわずかである。

キッチンに入ると、まず真っ先に目に飛び込んできたのが、コンロ奥の非常に狭い幅に高々と積み上げられた謎の木の板らしきモノだった。

「これッ・・・なッ、なに?ブフッ」
限界を突破した私は吹き出しつつ、そしてなんとなくその正体を察しながらも聞いてみた。

「あぁ、それね、カマボコ板」
「ブファッッ」堪えきれなかった。

彼はカマボコを食した後、板から丁寧に身を削ぎ落とし、洗って乾かして、コンロ奥のスペースにジェンガのように高々と積み上げ続けているようだった。もちろん一列で収まるはずもなく、どんどん奥へと進み続けその時点で5列か6列くらいあった。保管しておく理由は「何かに使えるから」だそうだ。

しかも最も衝撃的だったのが、このカマボコジェンガには無数の黒い点がついており、それが床の飛び石空きスペースで天を仰いでいた彼らの生きた証だという点であり、それに気付いた私はすぐさま目線を外して見なかったことにした。(ぼかして書いているので意味が分からない方もいるかもしれないが分からなくても全く問題ないのでご安心いただきたい)



キッチンにはカチコチに固まった調味料や、彼が実家から持ってきて使わずに置いておいたと思われる賞味期限が7年くらい前に切れた食材や、これでもかとホコリ被ったお皿など、予想を凌駕するモノたちがたくさん存在した。

そして床には、元の色が分からなくなるまで汚れて踏みしだかれ、ボロボロに朽ち果てたキッチンマットくんが虚しげな目で横たわっていた。
もうこの子の役目は十分に果たされたと思うのだが、彼はそんな状態になった者をも見捨てない優しい心の(?)持ち主だった。

しかし最終的には捨てた。


我々はその日、リビングのガラステーブルの上にかろうじて二人分の食事スペースを確保し、コンビニで買ってきたごはんを電子レンジで温め、綿埃くんと愉快な仲間たちや、床で仰向けの黒い彼らや、彼らのアレらがついたカマボコジェンガや、瀕死のキッチンマットくんと共に昼食をとった。
色々考えると手が止まるので、思考停止でテレビだけを見て黙々とごはんをいただいた。


しかしこれほどの状況であっても、お風呂・トイレに比べたら大したことなかった。
我々は恐怖の水回りゾーンへと突入した。


     ④へ続きます→