無能主婦・塩茶のつぶやき

今日もゆるりと

2025/02/20 友ニャンと私の記録

2025-02-20 14:35:00 | 日記
2月22日は猫の日だそうだ。
私は猫を飼っておらず、また飼った経験もないため、夫の実家にいた猫の話をさせてほしい。

私はこの猫を友達だと思っていたので、ここでは友ニャンと呼ぼうと思う。

もうずいぶん前のことになるが、初めて夫の実家に帰省する際、家に猫がいることを知らされた。
子供の頃から動物が好きで、ことさら猫が大好きな私は内心大喜びで、義実家への初帰省に対する緊張感と同じくらい、猫との暮らしへの期待感を膨らませていた。

義実家の玄関にお邪魔すると、何かを察知したのか部屋の奥へと急ぎ足で消えていく猫が一瞬見えた。

これが友ニャンとの出会いだった。





友ニャンはとても警戒心の強い猫で、知らない人が玄関に入って来るとすぐに隠れてしまうということだった。
時間を気にせず猫と戯れたり、おやつをあげたりするのをイメージしていた私は少し寂しく感じたが、最初は大体そんなもんだろうと思うことにした。

友ニャンはみんなが集まるダイニングキッチンに私がいると決して入ってこようとはしなかった。
どうしてもお腹が空いた時とトイレに行きたいときだけは仕方なく入ってきたが、用が済むとすぐに出て行った。
そのことに気付いたのはかなり後になってからのことで、大層申し訳なく思った私は、それ以降なるべく折を見て部屋を出るようにし、友ニャンが入る隙を作った。


また友ニャンは抱っこを嫌がる猫で、飼い主でさえも抱っこするのは至難の業だった。
当然私も無理だった。
友ニャンと私の間にはいつも一定の距離があり、見えない糸が張り詰めていて、互いに手繰り寄せられずにいた。
そんな中でも、私は友ニャンの帰りをいつもソワソワと待ち、家の中に入ってくればどの部屋にいるのか気になってコッソリ見に行った。



何度目かの帰省の際に転機が訪れた。
飼い主である義母が友ニャンの頭をナデナデしている時、便乗して私もそおっと手を置いて、初めてのナデナデができたのだ。
いつもと違う手の感触に始めは驚いたような表情を見せた友ニャンだったが、逃げるのも面倒だったのか、そのままナデナデを続けさせてくれた。
ひととおりなでさせたあと友ニャンはスッと立ち上がり、そそくさとどこかへ行ってしまった。
このとき、友ニャンの中で私は「知らないヤツ」から「たまに家に来る部外者ではない人間」くらいまでクラスアップしたような気がしている。あくまで私目線ではあるが。

それからあとは、心なしか友ニャンとの物理的距離は縮まり、私が部屋にいても構わず入ってきて、ごはんを食べたりトイレに行ったりするようになった。
友ニャンが部屋の中を歩く時、たまに私の足元を通り、友ニャンの毛が少しだけ私の足に触れることがあり、そうすると私はとても幸せな気持ちになった。


友ニャンはとても働き者で、家でゴロゴロすることはほとんどなく、いつも朝早くから外をパトロールして、食事やトイレ以外は夜まで外出しているような猫だった。
誰にも媚びることなく、自分を甘やかすことなく普段のルーティンを守る友ニャンの姿は
人間にしてみれば理想の社会人像であり、無能主婦の私の目にはとても立派に映った。


友ニャンの姿を自宅でも見られるように、私はスマホカメラで友ニャンをたくさん撮ることにした。
その頃になると友ニャンも、私がそばに寄っても嫌がるそぶりは見せず、カメラを向けると不思議そうな顔をしていた。
私はどうしてもツーショットが撮りたくなり、友ニャンの横にそっと体を寄せ、インカメラで素早く画角を調整しシャッターを切った。
タイトルにアップロードしてあるのは、その時の写真をイラストにしたものである。友ニャンと私の奇跡の一枚だ。

友ニャンはちょっと面倒くさそうにしながらもいつも撮影に付き合ってくれて、私が「いい写真が撮れた」と満足そうな顔をしたのを見届けるとどこかへ去って行く。不思議なことに、私が撮り直したいと思っている時はその場にとどまってくれていた。しぶしぶだったのかもしれないが、友ニャンが気を遣ってくれているのがなんとなく伝わってきた。





友ニャンの時間は私たち人間よりもずっと早く進んでいる。

ある帰省時、友ニャンを見ると少し痩せたような気がした。
元々細かった友ニャンの体が更に細くなり、毛量もやや減っているように見えた。
飼い主によると、最近あまり食事をとらなくなり、心配して病院に連れて行ったりごはんを工夫したり手は尽くしているが、改善の兆しは見えないということだった。

私は友ニャンのために何かできないかと、トイレの掃除をしたりごはんの片付けをしたり
、私がいなくてもできそうななんでもない仕事を手伝うことで心を紛らわせた。
それくらいしか、友ニャンのためにできることは実際無かった。


私は今まで以上に友ニャンの写真を撮ることにした。
窓辺で外を眺める友ニャン。
義母になでられる友ニャン。
廊下を歩く友ニャン。
友ニャンにとって凝縮した毎日をできるだけ邪魔しないよう、遠くからそっとカメラを構えズームを駆使して撮影していった。
そうしているとたまに私に気付いた友ニャンが横を通り過ぎ、私の体に友ニャンの毛が触れて、そのぬくもりが直に伝わってくることで、私は何故か、言葉にできない切ない気持ちになった。


友ニャンはとても気高い猫で、苦しいとか辛いとか周りに悟られないようにしていた。
その頃も既に不調を感じていたのかもしれないがそういったそぶりは一切見せず、いつもと変わらないルーティンを日々こなしていた。周りに心配をかけるのは嫌だったのかもしれない。
友ニャンは、ちょっとしたことですぐに不安になって助けを求める私よりもずっと強くて、大人だった。
優しく接する以外にも優しさを伝える方法があるということを、友ニャンは教えてくれた。


友ニャンは、時々遠くを見つめて、何か考えていた。
その瞳に映るものをひとつでも共にしたいと思って、友ニャンが見つめる先を見てみるが、遂にただの一度も、重なり合うことはなかった。






よく晴れた暖かい日に、友ニャンが天国へ行ったという知らせを受けた。

友ニャンは、美しい花々を敷き詰めた箱に寝かされて、静かに、穏やかに、育った家を旅立ったそうだ。

私は、いつかくると覚悟していたこの日をなかなか受け入れることができず、友ニャンが写った写真の数々をひとりでぼーっと眺めていた。
たくさんの表情を見せる友ニャン、毛の質感やまなざしからそのぬくもりを思い出し、友ニャンとの出会いから最後に会ったあの日までの記憶をめぐり、私はとても長い時間、ぽろぽろと泣いていた。






友ニャンはきっと、天国でごはんをモリモリ食べて、暖かい花畑で蝶々なんかを追いかけて遊んでいるに違いない。




私がいつか天国に行ったとしたら、友ニャンに会えるかな。

また友ニャンと、いっぱい写真を撮ろう。

友ニャンは「またか」という顔をしながらも、きっと私が納得いくまで付き合ってくれるはずだ。

そして私が満足したのを見届けると、どこかへ出掛けていく。

私はその帰りを、今か今かと、いつまでも幸せに待っているのだろう。




最新の画像もっと見る