無能主婦・塩茶のつぶやき

今日もゆるりと

2025/02/09 汚部屋②

2025-02-09 11:08:00 | 日記
   ①の続きです→


「あ、コレ?友達と共同で買ったダイエットマシーンの『箱』なんだよ」
『箱』を玄関扉開けてすぐの場所に置いているのは「そこしか置く場所がなかったから」だそうだ。彼は、玄関スペースの8割程を占めるその木箱を慣れた動きでひらりとかわし、奥へ消えていった。
私はその超・巨大箱の存在感に圧倒されながらマンボウのように体をぺたんこにして隙間をかいくぐり、どうにか家の中に入ることに成功した。彼はかつて毎日これの横を通り出入りしていたというのか。

玄関スペースはやはり埃っぽかったものの、なんとなく落ち着く不思議な香りがした。

少し進むと、和室の入口らしきふすまが見えた。
「ここのお部屋、和室?開けてもいい?」
「うんいいけど、」
言い終わらないうちに開けた。
すると、某大人気海賊系少年漫画でおなじみの効果音とともに、中に入る者を拒む要塞の兵のような出で立ちで
冷蔵庫
が暗闇の中から現れた。

よく見るとふすまぎりぎりのところにこちらを向いて設置されており、その上なんと稼働していた。そこそこの大きさだったので、横を通り抜けて和室に入ることも、中を見渡すことも困難だった。

この時点で私はかなり笑いを堪えていた。
「なッ・・・なんでこ、ここにッ冷蔵庫がッ?・・・」
決して馬鹿にしているわけではないという意思を伝えたい一心で、できるだけ明るくポップに聞いてみた。
「そこに置いといたら、帰ってきてビールとかすぐとれて便利なんだよね。それに他に置く場所ないし」
吹き出しそうになるのを抑えたが、限界は近かった。


まだ廊下を数歩進んだだけなのに、既に来る前のイメージ像が甘すぎたと痛感していた。
廊下にもよくわからないモノたちがあちこちに点在しており、足元にはふわふわと周囲の仲間を吸収し育ちまくった綿埃くんたちが隅っこを中心に集結していた。

数少ない床が見えるエリアでは虫さんが天を仰いで静止しており、よく見ると虫さんそのものにもうっすら埃がかかっていた。その後も床が見えるエリアに限って虫さんが発見されるが、いずれも静止状態だったため、なるべく焦点を合わせないことで回避(?)可能だった。(ちなみにこの子達の回収は相当後のことになる)

そして、ついにリビング・ダイニングへと足を踏み入れることになった。


そこは魔界だった。


   →③へ続きます

2025/02/06 汚部屋①

2025-02-06 11:20:00 | 日記
塩茶家は、私の自室以外の部屋がいわゆる「汚部屋」だ。
汚部屋といってもレベルは様々だと思うが、室内の状況を人に説明すれば「わ〜かなりやばそうだな〜」と間違いなく感じるだろうくらいにはしっかり汚い。
私の部屋がその中でもマシなのは、私自身が管理可能な範囲がこの部屋だけ比較的広いからだ。とはいっても、ただでさえ狭い部屋に無理矢理押し込まれた夫のソファ三つは意地でも退けてもらえず、残ったスペースにも夫のかねてからの所持品を置かれているため実際使用できる場所はごく狭い範囲に限定されている。

なぜ片付けないのかと疑問に思うだろう。
答えは単純で、片付けさせてもらえないからだ。
以前あまりにも汚すぎる部屋を勝手に片付けたところ、気付いた夫に烈火の如く怒られ、それ以降家の中のモノを動かすことを禁止された。もちろん、「片付けたがらない家族へのポジティブな声かけ」とか「断捨離のメリット説明」とかあらゆる方法を試してはみたが、夫には効果がないようだった。

ここまで読んでくださった方の中には「あれ、なんか暗い話かな?」と思われた方もいるだろうが決してそうではないので安心してほしい。

もともと我々は結婚前、私の狭いアパートに夫が転がり込んできた形の同棲状態だった。
半年ほどそれは続いたが、いよいよアパートの更新時期となり、夫となる彼がその時点で既に所有していた一軒家に移り住むこととなった。

彼は、自分が一人暮らししていたその一軒家が非常に散らかっており、引越し前に一旦掃除が必要だと申告してきた。
汚いと言ってもそれほどではないだろうと甘く見た私は
「いや〜大丈夫だようちもあんまり綺麗じゃないしさ」などと今思えば大変にのんきなことを言い笑ってみせた。

掃除当日、彼は大量の指定ゴミ袋と軍手を携えていた。その時点で少し違和感を覚えたが、車に乗り込み件の家に到着すると、少なくとも家自体の外観はそれほど散らかった印象は受けない。というより、庭などは本当に「何もない」「空っぽ」といったかんじだった。

「なんだ、綺麗なおうちだね」
少し拍子抜けした私がそう言うと
「ここだけ見ればね」
とむこうを向いたままの夫が返した。
嫌な予感がした。

改めて家の外観を見てみると、綺麗は綺麗なのだが、なんというか、全体的に埃かぶっているような、くすんでるいるような・・・近隣の家は色味が豊かで生き生きとしているのに対して、この家だけなぜか「灰色」のベール?をかけられている気がした。(今思い返すと、ほとんど誰も住んでないに等しいのだからそうなっても不思議ではなかったのだが、その時は理由が分からなかった。)

そしていよいよ家の中に入る瞬間が訪れた。

緊張しながら玄関扉を開けると、目の前には、私が三人ほど入れそうな超・巨大な木の箱が現れた。

  →②に続きます



2025/02/03 茶道教室のおもいで

2025-02-03 16:29:00 | 日記
高校卒業後の春休みから大学入学して少しの間まで、知人の紹介で茶道教室に通っていた。教室初日は、これまで全く縁のなかった業種の習い事にワクワクしながら「これで教養ある大人のレディに一歩近付くかも♪」などと浮かれていた。
電車を乗り継ぎ到着すると、優しく美しい先生が出迎えてくださり、基本的な作法や立ち居振る舞いから丁寧に教えてくれた。少し緊張していたのもあり、この日はかなり集中して話を聞いていた気がする。ど初心者なりになんとかやりきり、暖かい春の日差しを浴びながらの帰り道は充実感に満ちあふれていた。

問題は翌週からだった。
茶道教室は週1回、少人数で、時間にして2時間程だったと思う。
先週教わったことを思い出しながら座っていると、何やら足先の方から不穏な空気が漂ってきた。

「・・・?」

一旦気のせいだと思い込み、他の方がお茶をたてている中、再度脳内で先週の復習をしていると

『ズォンッ』

不穏な空気が足先から両足裏の8割ほどまで一気に迫ってきた。

「気のせいじゃないョ」
そいつは可笑しげにささやいた。

私は小学生以来ほとんどすることのなかった正座によって、
足 が し び れ た 
のであった。
焦る私をよそに、足しびれ小僧はその侵食範囲をどんどん広げていく。ピリピリという感覚からジンジンモードに移行し、
「やばいやばいやばい」
と更に焦りはつのった。
心まで侵食されかけたその時、うつむく私の前に女神が舞い降りた。
「大丈夫?具合悪い?」先生が声をかけてくれた。おそらく足がしびれるのを我慢していたせいで顔が赤らんでいたのだと思う。
「えっと・・・足が・・・すみません」
「あぁ!ごめんねちょっと待っててね」
先生が座布団を持ってきてくれた。
「これを折りたたんでおしりと足の間に挟むとしびれないよ」
先生は私のお尻の下に座布団を挟んでくれたあと、しびれにくい正座の仕方なども優しく教えてくれた。教室を中断させてしまったことと私の世話をさせてしまったことに申し訳ない気持ちになりながらも、その場はなんとか切り抜けられそうでホッとした。

だが、しばらくしたらまた足しびれ小僧は元気を取り戻し、座布団の綿をものともせず私の足で大暴れし始めた。これ以上対処のしようがない状況に、私は時間まで我慢を決め込むことにした。地獄のような時間だった。

やっと終わりの時間が訪れ、渾身の力で立ち上がり、しびれる足をそっと床につけつつ何事もなかったかのような涼しい顔で後片付けしたら、お礼を言い颯爽と帰路についた。解放感がすさまじかった。

それから何週後だったか記憶が定かではないが、その日は座布団をいただけなかった。しかもその日は序盤から「これは長くなるぞ」と確信させる雰囲気があった。
案の定私の足は開始5分でしびれはじめ、15分ほど経つと早くも限界前の警告音を鳴らし始めた。
ジンジンというリズムはやがてジューオッジューオッという謎のメロディに変化し、私の頭の中はしびれてだんだん感覚を失いつつある足およびふくらはぎのことで一杯になった。足しびれ小僧は半狂乱で踊っていた。

小学生の頃もお習字教室で正座してたはずなのに・・・なんともなかったなんてさすが子どもはすごいな・・・
遠のく意識の中でぼんやりそんなことを考えていたら、自分がお茶をいただく番が来た。
残った意識のほとんどを足にもっていかれているせいで小刻みに震えている手でお茶をいただき、味もわからないまま教わっていた台詞を何か言ったような気がするが記憶がない。
その後は足のしびれのことをなるべく考えないようにして、気付かれない程度に片尻ずつ浮かせたりつま先をずらしたりして、もぞもぞしながら耐えた。この時はもう足の感覚はほとんどなかった。足からなんとか意識を逸らそうとすると、思い出したかのように突然しびれのリズムは復活し、小僧の踊りは激しさを増した。

永遠のような時間が過ぎ、なんとか最後までその場に居続けることはできたものの、どうやって帰ったのかは覚えていない。

翌週くらいまでは、教室に行ったかもしれない。あんまりはっきり記憶がない。この頃は、もう足の血流を止めに行くようなものだった。

私は茶道教室をやめることにした。
「大学が忙しくなってきたのでやめます」
先生にはそう言ったが、実際は足がしびれるのが嫌でやめるのだ。こんな情けない理由でやめる人など聞いたことがない。もしいたら語り合いたい。
先生は少し寂しそうな表情で「また落ち着いたらいつでもいらっしゃいね」と優しく言った。心から申し訳ない気持ちになったが、もう小僧と戦う気力は私には残ってなかった。

それ以降、この一連の出来事は忙しい毎日の中で頭の片隅に追いやられることになるが、春の穏やかな日差しを浴びるとふわりと思い出す。
暦の上では今日から春だそうだ。
今年も、あの遠い日の思い出が蘇る日は近い。

2024/11/04 はじめに

2025-01-31 16:53:50 | 日記
私はパソコンが大の苦手である。

高1の時の情報なんちゃらとかいうパソコンの授業では、真剣に話を聞いているにも関わらず何故か私だけ作業が分からず置いてきぼりになった。
私以外の賢く手際の良いクラスメイトたちはサクサク作業を進めていたので、先生の説明には全く問題はない。
あるとき「○○塩茶(名前)」というファイル?を「1年○組」というフォルダ?に入れるというただそれだけの作業をすることがあった。そこで、何をどう間違えたらそうなるのか不明だが、私は「1年○組」の全クラスのふぉるだ?が並ぶ最後尾に「○○塩茶」という新たなふぉるだ?を作成してしまった。図にすると↓こう

1年1組 1年2組 1年3組 〜 ○○塩茶

「先生、あの〜・・・」私は自分のしたことに気付き助けを求めた。事態に気づいたクラスメイトたちの笑いを押し殺す声が聞こえる。先生は画面を見て「?!?!?!」という顔をしていた。そこは助手の先生がやり直してくれて事なきを得た(?)が、なんと次の作業もさっぱり分からず、再度助けを求めたところ先生は半笑いで「もう〜あなたにばかり手をかけていられませんッッ」と言いクラスメイトたちはまた笑った。(先生は冗談で言ってるので傷付ける言い方ではない)
私は恥ずかしさでうつむいた。そして、まだ入学したてで慣れないクラスの空間に、自らを生贄に捧げ少しの笑いをお届けした悲しきピエロなのだと自分に言い聞かせることで心の崩壊を免れた。(あのときの先生、助手の先生、そしてクラスメイトたちよ、本当にすみません)
その後もパソコンを扱う機会は度々訪れたが、どのタイミングでも「パソコン楽しい!便利!」となることはなく、今日まで逃げ続けている。
このブログを立ち上げるにあたって、はじめはパソコンで作成・編集しようとおもっていた。というのも、夫がパソコンを買いかえる際に古いものを私がもらい、せっかくなら練習がてら、毎日触る習慣をつけられる日記的なものをはじめようと思ったのだ。
パソコンをもらい、自室の机に置いてもらい、初期設定もやってもらい、いつでも始められるようになった。


今、スマホから書き込んでいる。
このページもスマホで作成した。
パソコンには触れてもいない。
今後もスマホで書き込みそうな気がする。そんな気がする。

もしかすると、いつか何かのまぐれでパソコンを触りたくなる日が来るかもしれない。その時こそは、高1のときの「あの」作業をもう一度やってみたい。