駅近に住むシニアシングルお気楽生活

63歳で熟年離婚
日々楽しく笑いながら、時にはちょっと悩んだり・・・
そんな生活を見守ってください

「きのう何食べた?」と私の50歳

2023-11-18 10:28:23 | 過去

昨夜は毎週楽しみにしている「きのう何食べた?」をリアタイできた。

ジルベールわたる、最高~~・・・・でも、自分の身近にはいてほしくないタイプ。ジルベールを面白いと思ってうまく付き合えるシロさんとケンジはすごいと思う。私なら絶対近づかない。

私は49歳で家を出た。

49歳から50歳にかけてはめちゃくちゃ働いてた。

昼はお勤め、夜は在宅ワーク。

長男と一緒だったので、とにかく飢えさせないように、そして近くにいたとはいえ、私の両親には絶対経済的に頼らないと決めていたので、必死で働いていた。

田舎なので、父親に車を貸してほしいと頼んだ時、父は「買えばいいではないか」と言った。お金がないことを知っていながらそういうことを平気で言う父だった。2台ある車のうち、軽のバンは駐車場に放ってあったのに・・

当時も離婚とか別居はもう珍しいことではなく、私の同級生でも離婚し実家に帰っている人は割といた。でも、私には帰る実家はなかった。両親がいた小さな公営住宅では寝る場所もない。結婚後、極たまに帰省するときも、ホテルをとらなくてはならなかった。だから、離婚しても実家に戻るなんて考えられなかった。

父の「買えばいい」に49歳はかなり傷ついた。そんなお金もなくて、なにが別居だといわれてるようで。

実際、別居の報告に行ったときは延々「親に背いて勝手に結婚し、挙句はこれだ」と。父は、非難し始めたらその相手が泣き出すか、身も世もなく落ち込むまで、痛めつける人だった。それもわかっていたから、私は早々と泣く準備をし、その通りにしたけど、それでも2時間はああだこうだと言われ続けた。

だから「買えばいいのに」はその非難の続きのような感じがして・・・

それでも、車がないとどうしようもないので、ボロボロの軽を借りた。ワイパーやタイヤを新しくして、車検代も払った。そして、この車をできるだけ早く父に返すため、お金を貯めた。返すことができたのは1年後。中古の軽自動車を70万円で。その車はそれから約12年間、一度も故障することなく、事故を起こすことなく頑張ってくれた。

2020年の夏にエンジン不調の警告灯が出るようになって、それで今の車に乗り換えた。あの時はお金の都合でその選択肢しかなく、仕方なく買った車だったけど、本当によく頑張ってくれたな・・・

あ、話がそれてしまったけど、そんな感じでとにかく働いていたから、50歳を迎える葛藤などあまり感じなかった。まだまだ頑張れるってある意味意地を張っていたのかな。

無理に無理を重ねていたけど、大きな病気をすることもなく過ごしてこられた。屈強な体をくれたことは両親に感謝だな。

それから4軒、私名義の(格安)不動産を買い、収入がないときも家賃がもらえることでかなり助かった。そこまで頑張れた裏にはいつも父の「買えばいい」が引っかかっていたから。2度と父に言われたくない言葉だったから。

でも・・・今になって・・・父は私の性格を知ってて、奮起させるためにわざとそういうことを言ったのかな・・・とも思うときもある。


恐ろしい夢と昔の話

2023-04-23 10:29:58 | 過去

もう夢なんて何十年も見てないと思っていたのに・・・

もしかしたらそうではなく、起きた時には夢のことは忘れてたのかもしれないな。

今朝、恐ろしい夢を見て・・・多分・・・それで目が覚めた。

  

中学生のころから、私はいじめられっ子だった。

小さな田舎の学校で、幼稚園からみんな知っているのにも関わらず、中学1年生から壮絶ないじめにあった。

通学用の靴に泥を詰め込まれたり、イスに画びょうなんて日常茶飯。学年ほぼ全員から無視され、嫌われた。弟にも「お前は嫌われ者だから」と言われた。

ある日、先生に呼ばれて、「お前が嫌われている理由を、クラスで話し合いたい」と言われた。他の学校から先生が来て、授業を見せる研究授業で私のことを話し合いたいんだとか。

つまりこういうこと

今なら完全に問題になるような状況。

そんなことをしたら、私はそこに存在できるのか・・・でも、先生が言うことを断っていいのか・・・・いろんなことが頭をよぎったが、そんなことをされたら、最低でもみんなの前で泣くだろうことはわかっていたので、「嫌です」と断った。

すると担任は、「そんなにプライドが高いからいじめられて、今のようになるんだ」と吐き捨てるように言った。

きっと研究授業のいい題材が見つかったと思ったのに、それがうまくいかなかったからそう言ったんだろう。

そういう時代のことが夢に出てくることは若いときはあった。

でも、ここ2・30年、夢自体見なくなったと思っていたのに・・

目が覚めた時の嫌な感じ・・・

わかっている。

弟が言ったように私が「嫌われ者」であることは今も変わっていない。

幼なじみたちにもそうやって無視された。以前、中学卒業時に映画に行ったことを書いたけど、男子二人と行く事になったのは、他の子たちが私が一緒に行くことを知って、ドタキャンしたんだと思う。

弟にもはっきり「嫌われ者」と言われていた。母には父の法事のとき、親戚の前で「お前など家族の数に入れていない」と言われた。元夫には・・・。息子にも暴力・・・信頼していた友人は離婚直後から連絡がなくなった・・・いや、よくよく思い返してみると、相手から連絡があったことなどなかった。いつも私から・・・

つまり、私は根っからの嫌われ者なのだ。

そんなことはわかっていたので、結婚する時も一瞬だけ考えた。ほんの一瞬。すぐ、打ち消して結婚したけど、結果はこうだもの。こうなることは心のどこかでわかっていたのかもしれない。

離婚して、はっきりわかった、というか、もうこりごりと思ったので、人との付き合いは一切やめた。挨拶とか、ほんのうわべ、失礼にならない程度に。

自分のことは話さないし、聞かない。

以前社宅に住んでいたときに、知り合いになった人の愚痴を聞いてあげてたら、その愚痴、私が言ってることになってて・・・それ以来、話さないし、聞かない。

だから、一人が好き。一人でも苦にならない、むしろたくさんの人の中にいる方が緊張する。

最近は「一人のほうが気楽」とか「人間関係を断捨離」などの話、書物を見たり、聞いたりするようになった。

私は時代の最先端をいってたんだ と無意味にほくそ笑んだりして・・・アハ、やっぱり嫌な奴だ。