3月11日、16時20分。水島臨海鉄道球場前駅。
倉敷市駅(JR倉敷駅に隣接)から一つめのこの駅に静サツは立っていました。
裏側に球場が広がるだけのこの駅に来た目的は――
16時30分ごろ。目的のものが現れました。
拡大してみましょう。
そう、キハ20です。
水島臨海鉄道に来たのは、2014年3月で引退することとなったキハ20を撮るためでした。
以前から乗りたいと思っていましたが、遠い上に朝夕に2往復ずつしか走らないため、機会に恵まれませんでした。しかし、引退するとなっては無理を押しても――たとえルートから外れても――いかないわけにはいきません。
ホームと反対側にある駐輪場から撮影。
球場のナイター用ライトをバックに。
発車したので急いで追いかけます。
倉敷市駅側にあるガーダー橋で後追い(川沿いの道路から撮影)。
倉敷市に向けて発車するキハ20。
倉敷市では5分ほどで折り返し、再びやってきます。同じ場所で待ち構えます。
来た!
今度は暗めで撮影。暗すぎたか……
後追い。露出失敗したのでいじってあります。
逆行にたたずむキハ20。
キハ20が行った後は、次の列車まで現在の主力・MRT300を撮影。
駅に戻ってきました。
水島行の列車で、次の撮影地に向かいます。
[水島臨海鉄道 (列車番号不明) 倉敷市17:00→水島17:23]
《球場前 17:04発》
《浦田 17:14着》
下車したのは水島臨海鉄道の中間地点にある浦田駅です。
駅から10分ほど歩いたところにある踏切が第2の撮影スポットです。
辺りは住宅街になっています。複線分の用地が確保されています。
まずは倉敷市行を1本。
アップ。1両編成です。
後追い。
カラフルな色をまとったMTR300は、茂みの奥に消えていきました。
その後にやってきた三菱自工前行は、反対側の空き地から撮影しました。
後追い。
20分後、本題のキハ20の登場です。
踏み切りに迫るキハ20。
夕暮れの空に向けて走るキハ20。
このキハ20も茂みに消えていきました。
これでキハ20の列車は三菱自工前行を残すのみとなりましたが、下見もかねて浦田駅から乗車することにして、撮影は切り上げました。
上空を越す高架橋。水島地域は工業が盛んなため、道路がよく整備されています。
浦田駅は屋根があるだけの簡素な駅です。1988年に新しく設置されました。ちなみに「うらだ」と読みます。
ホームに明かりはありません。
18時22分。倉敷市から戻ってきたキハ20に乗り込みます。本当は入線を撮りたかったのですが、いろいろミスったのでカット。
[水島臨海鉄道 (列車番号不明) 倉敷市18:09→三菱自工前18:36]
《浦田駅 18:22発》
浦田駅を出ると線路は高架になります。この辺りは干拓で生まれたエリアで、現在は倉敷市水島支所となっています。0メートル地帯のこの一帯は住宅が密集しています。
元はJR四国などで活躍していた水島のキハ20。塗装こそ変わっていますが、内部は国鉄時代から変わっていません。
栄駅で列車交換。
《水島 18:30着》
ダイヤの兼ね合いも合って水島で下車しました。水島地区の中心にある駅です。
キハ20はエンジンを高らかに響かせながら、車庫のある三菱自工前に向けて発っていきました。
高架駅の水島駅。
しばらく待っていると、DE10率いるコンテナ列車が通過していきました。
水島臨海鉄道は、現在では少なくなった貨物を扱う鉄道の一つです。というより、水島臨海鉄道の場合は、貨物のついでに旅客輸送を行っています。元は水島港にある工業地帯と倉敷駅を結ぶための貨物鉄道としてスタートし、現在も貨物輸送を行っています。
水島駅に戻りました。コンクリートの無機質なコンコースです。水島臨海鉄道の数少ない有人駅ですが、時間外でしまっていました。
[水島臨海鉄道 (列車番号不明)水島18:57→倉敷市19:20]
こうして倉敷市に戻り、3月11日は終わったのでした。
続く!
おまけ
夕食はとんかつ屋「かっぱ」で食べました。
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