Local-Liner ~静サツ雑記帳

静岡運転所札幌派出所=静サツへようこそ。
札幌圏の鉄道を軸に、気ままに書き連ねていく日記です。

東北ローカル本線 ~年末帰省2012(?) その9

2013年02月04日 | 鉄道 ‐ 旅行(2012年)
 東北本線は、本線と名がつくだけあって、それ相応の貫録を有しています。
 東北本線を開業させたのは、明治政府の立役者・岩倉具視を中心に作られた、日本最初の私鉄として知られる日本鉄道。ただし、政府関係者が噛んでいることもあり、「純民間」の私鉄は前に挙げた南海が初となります。
 1883年、高崎線の一部として上野~大宮~熊谷間が開業。その後大宮から分岐させる形で、1885年に宇都宮、翌年に黒磯、次の年の夏には郡山と延伸。その年の冬には郡山から福島、仙台を通って塩竈(初代・後の塩竈埠頭・廃駅)までが一気に開通します。日光線の開業と前後して1890年11月に盛岡まで到達。そして1891年9月1日、青森までが全通し、わずか7年で東北本線の基礎が出来上がりました。当初の計画では高崎から中山道経由(現在の信越本線・中央本線)から分岐する、いわば支線的な存在でしたが、東京と東北を繋ぐ幹線の役割は当初から大きかったようで、1906年の国有化の時点で上野~大宮も含めて名実ともに本線となっています。
 ちなみに、東北本線の路線上の起点は東京にあります。これは上野から秋葉原まで貨物線が建設されたのが始まりで、かつては一部の列車が東京駅まで乗り入れていました。
 東北本線は各所で東北の各線と接続し、文字通り東北の幹線として機能し続けました。「はつかり」「ひばり」「やまびこ」「つばさ」「はくつる」「まつしま」「ざおう」「あいづ」「ゆうづる」…… 支線に乗り入れるものを含め、多くの優等列車が運転されました。また、青函連絡船を介して北海道ともつながっていました。
 機運となったのは1982年、東北新幹線(大宮~盛岡)開業でした。これと、続く上野延伸(1985年)によって、新幹線と並行する区間を走る昼行特急は全滅。盛岡以南から優等列車がほとんど消滅します。幸いにして、対青森・北海道輸送の関係で夜行が残されていましたが、2002年に新幹線が青森の八戸まで上ると、盛岡~八戸が第三セクター鉄道(自治体が資本を持つ私鉄・半官半民の鉄道)になったことで消滅。さらに2010年の新青森開業で八戸~青森も第三セクターとなり、東北本線は見事なまでのローカル線に成り下がりました。全長732.9kmで日本一を誇ったこの線も、現在では山陰本線・東海道本線に抜かれ、在来線では3番目の長さになっています(新幹線を含めると東北新幹線が最長)。
 東北本線のダイヤは、上野~宇都宮~黒磯が約20分おき、仙台付近が15分おき、北上~盛岡が30分おきなのを除いて1時間に1本というのが通常です。乗り換え駅ではほとんど待ち時間なしで乗り換えができるので通し乗車は楽なのですが、それが災いして途中駅で降りることが難しくなっています。まだ11時なのに郡山で昼飯を買うことになったのも、このダイヤに拠ります。
 ちなみに買ったのはかつ丼。450円とは思えないボリュームです。キオスクの駅弁とは文字通り桁が違います。



 もともと人が多いわけではない東北。2両編成が基準になっているのは無理もありません。今度に乗る列車も、写真のE721系と701系が連なった(2両編成×2の)4両編成です。JR東日本の最近の車両は頭にEが必ずついています。



 向かいには磐越東線のキハ100系が停車していました。いくら東北本線がローカル線でも、ここまで成り下がることはないでしょう。



 郡山には、JR北海道から着たキハ141系が留置されていました。郡山には車両工場があり、改造から廃車まで様々な仕事を受け持っています。ここにいる車両は「SL銀河鉄道(仮称)」として復活するC58-239に連結する客車に改造予定です。宮沢健二の「銀河鉄道」のモデルとなった釜石線(旧・岩手軽便鉄道)を運行するにあたり、仙人峠を含む山岳区間では機関車だけではパワーが足りないので、客車にエンジンを取り付けたキハ141系4両が抜擢されたのでした。この列車は今年の冬から運行を開始する予定です。(詳しくはPDF参照)
 2013年1月4日の時点ではまだ改造されておらず、JR北海道カラーの帯を巻いたまま留置されていました。

[郡山11:06→福島11:54/東北本線1137M 郡山発福島行]

 およそ1時間で福島に到着です。
 福島の乗り換え時間はごくわずか。写真を撮る間もなく、福島駅を過ぎ越します。

[福島12:00→白石12:33/東北本線1185M 福島発白石行]

 次の1185Mはなんと701系のワンマン列車でした。県境とはいえ、『本線』で2両編成でワンマン運転をしなければいけないところには、厳しい事情がうかがえます。
 実を言うと、乗客数次第ではワンマン列車よりもツーマン列車の方がいい場合もあります。ワンマン列車というと、運転台後ろに運賃箱のあるタイプが多いですが、東北本線はついていません。改札業務は駅にすべて任せています。しかし、無人駅の多い路線では、改札担当の車掌を載せた、いわば『人間運賃箱』方式の路線が増えています。地元静岡では身延線・御殿場線・飯田線といったローカル線でよく見かけました。
 福島~白石間でワンマン運転を行っているのは福島~藤田の区間列車を除くと5本だけです。



 30分はあっという間に過ぎ白石に到着。駅間の長い東北本線では山越えの区間でも駅間があまり変わらないので、峠を越した感覚が希薄です。
 ちなみに北海道にも白石駅がありますが、東北本線は「しらいし」、北海道は「しろいし」です。ここ、テストに出ます。


1185Mの写真。ワンマン表示を含めLEDなので写真写りは良くありません。

 次の列車はなんと4分後。急いでいるのは私だけではありません。1時間に1本の列車を逃すまいとばかりに、ホームにはあっという間に長蛇の列が出来上がります。
 が、肝心の次の列車が来ていません。すぐの発車だというのに、白石駅3番線には列車の影すらありません。アナウンスもなく、乗客のストレスは溜まる一方。
 発車時刻から2分後にやっと折り返しとなる436Mが到着(定刻は12:23着)。ロングシートの701系ですら立ち客が出た1185Mの乗客を、セミクロスシートのE721系で受け切れるわけがありませんでした。ボックスシートはあっという間に満杯。郡山で買ったカツ丼も、ドア横のロングシートでは包みを開けることすらできませんでした。

[白石12:44→仙台13:33(約7分遅れ)/東北本線445M 白石発仙台行]

 仙台に近づくにつれて乗客の数は徐々に増え、常磐線を分ける岩沼では立ち客が目立つようになり、仙台空港からの線路がつながる名取では身動きもできないほどに混雑してきました。さすがは東北一の大都市・仙台のベッドタウン。もはや仙台まで降りられないくらいの密度と化していました。
 白石から1時間、E721系は無事に仙台に到着し、乗客を吐き出しました。

 駅の改札を出る暇すらなく、次の列車に乗り換えます。白石を出るのが遅れたため、ただでさえ少ない乗り換え時間が10分を切っていました。
 時刻は13時33分。そろそろ空腹が我慢できなくなってきました。次の列車は岩手県の一ノ関まで、2時間の長丁場になります。
既に黒磯から白石まで立ちっぱなしだったので、ここはボックスシートをおさえて、昼ご飯を食べながらゆったりとしたいところです。とりあえず、セミクロスシートの719系かE721系のどっちかに乗れればそれで満足……そう考えながら、仙台駅1番線に向かうと、そこには、



 また701系か!!

 かねてから701系の地獄振りは耳にしていましたが、ここまでくると怒りすら覚えます。モーターがうるさい、揺れが大きい、オールロングシートと、18キッパーを怒らせるには十分な性能です。それを言うと、静岡の『ロング地獄』も大概ですが、静岡はせいぜい3時間で抜けられるのに対し、701系は南は黒磯から北は青森までと幅広く、すべての列車が701系だとすれば、その苦しみは6時間余り続きます(実際、全て701系になる可能性はあります)。東北本線では一ノ関以北が701系に統一されているので701系以外に乗れるチャンスはここまでなのですが、それが701系とくれば割り切ることもできません。
 しかし、今は憤慨よりも困惑が先に来ていました。昼飯の問題です。ロングシートほど食べるのに向いていない空間はありません。乗ってしまったら最後、一ノ関はおろか、盛岡まで食事にありつくことができません。4分乗り換えの一ノ関で、今回の飯を平らげるのは至難の業です。

 考えた末の結論は……『今ここで平らげるしかない!

 かくして、階段の隅にあるベンチにかつ丼を広げ、目の前に停まっている電車が発車しないかとびくびくしながら、黙々とカツ丼を腹に流し込んだとさ。

[仙台13:41→一ノ関15:30(約7分遅れ)/東北本線537M 仙台発一ノ関行]

 異変は一駅先の東仙台でおきました。
 時間を過ぎても発車しないのです。よく見ると前方の出発信号は赤になったままです。
 運転士と指令の間の連絡を聞くと、どうやら強風のため運転を見合わせているよう。先程の436Mが遅れて白石にやってきたのは、おそらくこの風のせいでしょう。確かに、ドアの近くに立つと、隙間から風の鳴き声が聞こえてきます。
 数分して、指令の指示が『運転見合わせ』から『次の岩切まで徐行25㎞/h』に変わります。信号の色が変わるとともに列車は加速。あっという間に25㎞/hまで達し、惰行に切り替わります。JR東日本は羽越本線で脱線事故を起こしているので、風関係に厳しくなっているのでしょう。まっすぐに線路が伸びているにもかかわらず、出せる速度は指示通り25km/h。電車にとっては亀のような歩みで銀色の鉄路を這います。
 通常でも5分かかる道のりは、徐行制限の中では15分近くかかりました。利府方面を分ける岩切からは徐行制限がなくなり、列車はそれまでの遅れを取り戻すべく高速運転に戻りました。
 ロングシートの空席が出来た塩釜から一ノ関までの記憶はほとんどありません。多分ロングシートで寝ていたのだと思います。
 約2時間で県境の一ノ関に到着。結局一ノ関まで遅れを引きずったままでした。



 対面の701系に乗り換えます。乗客は列車を降りるや否や、猛ダッシュで跨線橋を駆け上がります。ホームのスピーカーは、『盛岡行き、まもなく発車します』と、乗客の焦りを煽るアナウンスを流しています。東海道線ぐらいなら1本逃してもいいやと考えることもできますが、こちらは1時間に1本のローカル線。この後の予定に関わるだけにそんな気分ではいられません。私もバッグ2つを背負って向かいのホームへと走ります。
 隣には485系改造の「ジパング」が停車していました。マルコ・ポーロが『東方見聞録』で出したこの語の意味するところは『黄金の国』。かつて奥州藤原氏が栄えた平泉にある、中尊寺金色堂が名前の由来です。この日は快速「ジパング平泉3号」盛岡行として、701系の発車を待っていました。一部自由席なので18キッパーも利用できますが、既にはみ出んばかりに人を乗せた701系に対して、「ジパング」はがら空き。敬遠される理由は、快速「ジパング平泉」があまり知られていないのと、盛岡から青森方面の列車に1分タッチで間に合わないことが原因でしょう。私も後者の理由で701系を選択しました……後々それを後悔することになるのですが。

[一ノ関15:33→盛岡17:00(約4分遅れ)/東北本線1543M 一ノ関発盛岡行]

 北に上がるにつれて気温はだんだん下がっていました(それでも北海道に比べれば大したことはない)が、岩手県内に入ってからあちこちに雪を見るようになりました。観光地・平泉を過ぎると、車窓は白が大部分を占めます。地面が出ているところは全て雪が覆い隠しています。



 東京方向から来たのか、物珍しげに窓の外を見つめる子供たち。パパ・ママを含め5人家族のようです。荷物からして、南から鈍行旅を続けているのでしょう。可愛い子には旅をさせろとは言いますが、誰も鈍行旅をさせろとは言ってません。実際に旅すると、鈍行旅が時刻表上の旅行よりもはるかにつらいと、身をもって感じます。ましてや701系でだなんて……

 雲行きが怪しくなったと思ったら、水沢を過ぎたあたりで天気はいきなり雪に変わります。しんしん、なんて生易しい振り方ではありません。視界を白く染め上げる猛吹雪です。雪を含んだ風が、容赦なく窓をたたきます。登場時「客車より揺れる」と新聞に書かれた701系は、吹雪にあおられ更に揺れます。このままだと列車が停まってしまうのでは……とさえ思いました。



 結局、701系は無事に耐え、終点の盛岡に到着しました。頑張った、701系。


 なかなか札幌に着かない(半泣き)……


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