ただ、ただ、ぼくのアウトプットの場です。

厳密日記ではないけど、日記として記してます。毎週基本的に、火曜、木曜、土曜の午前中に更新します。

妻に言われていたこと。

2024-03-31 15:58:34 | 日記

皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

 

今日のアウトプットは当事者感と責任感は違うというアウトプットをしていきます。

これはあるラジオで聴いた内容を踏まえ、気づきをアウトプットしていきます。

 

ぼくは当事者感と責任感は一緒だと思っていました。なのでそもそもその違いすら問うたことはないんですね。でもそのラジオのパーソナリティさんは違いを言語化してくれていて、自分の中である出来事がしっくり腹のなかにストンと落ちたんですね。

 

まず、当事者感と責任感の違いって何なの?から説明していきます。これは例えを用いて説明していきます。例えば子供がファミレスに行きたいと言っていたので、ファミレスに出かけたとします。ファミレスについて料理を注文し、待っているとまず子供の料理が運ばれてきました。そのうちぼくの料理も運ばれてきましたが、一緒に注文したはずのぼくのジュースが来ません。以前であれば子供はその状況でも気にしないか、あれ?こないねぇ。で終わっていたと思うんですが、今回は調理場近くまで見に行ってくれたり、店員さんに聞いて確認しよう提案したりしてくれたりと一緒に考えてくれました。

これがいわば当事者感と責任感の違いです。つまりはファミレスに行きたいと言ってファミレスに行く。そして来ないメニューに対し、来ないねぇと一緒におかしいと感じる。これが当事者感です。

そして、今回はそのおかしいなと思い、自分がファミレスに行こうと言ったものの父親のメニューが来ないことによって父親が困っている。困っているので何らかのアクションを起こす、一緒にどうするか考える。これが責任感ということだそうです。

なるほど。この話を聴いて自分の生活に置き換えてみました。

僕には保育園児の子供が2人います。夫婦共にフルタイムで働いているので子育ても家事も協力しなければ生活が成り立ちません。僕もいつ妻に何かあるかわからないのでいつでもワンオペで回せるようにと、すべてのことを平均的にできるよう意識して生活しています。なので、割と一般的な家庭に比べるとオールマイティに家事や育児はできる方だと自分で言うのは何なんですが思っています。

でも、妻から僕はよくというか、ケンカしたときに言われる言葉があります。それは「あなたは確かに家事や育児をやているけど、子育てに対する責任感がない」と。僕はそのとき毎回思っていたし、何なら口に出して言ってました。「おれ、やってるじゃん」と。保育園のお迎えも連絡帳や明日の準備も、妻が遅ければ食事も作るし、お風呂や寝かしつけ、一人の時間が欲しければ遊び出かけるし、子供が体調悪ければ仕事だって休む。これだけ当事者となって一緒に動いているのに何で責任感がないとか言われるの??と、まったくもってわかんなかったんですね。でもそれは当事者感と責任感の違いを感じてなかったからなんだなと振り返って思います。

確かに、家事も育児も他人ごとではなく当事者となってやってきてました。でもだからと言ってそれで責任感があるんだとは言えないんですね。僕は家事も育児も業務的にこなしているのであって、何かあったときにどうしようかと自ら動かなかったし、同僚の飲みとか付き合いとかあれば仕方ないじゃんと平気で行っていたこともあったので、そのあたりを妻は感じていたんだろうと気づきました。

当事者感と責任感。なんでもそうですが、状況やそのモノにより最初から責任感をもって取組めるモノや取組めないものなどそれぞれあると思います。当事者感をもつことによって責任感が芽生えてくることもあるのではないかと思います。そう考えるといずれにしても、まずは当事者感を持って取組むことが大切で、また、当事者感と責任感の違いを意識しながら取組むことも併せて必要なのだなとラジオを聴いていて思いました。

もっと早くにこの放送を聴けていたら、今の状況も違ったのだろうなとも思います。やっぱり学び続けることって気づきにもつながるので大事ですね。皆さんも日々の生活でも仕事でも通じる事象だとは思います。当事者感と責任感。考えてみるとまた違った日々を送れるかもしれません。それでは、またの機会に。

 

 

 


認知バイアスって知っていると損しないよね。というアウトプット。

2024-03-17 23:00:29 | 日記

皆さんこんばんわ。いかがお過ごしでしょうか?

年度末で仕事が忙しかったのと、プライベートでも様々変化が起きたので、久しぶりの投稿となりました。

 

人生の充実を考えると、知識があった方がいいと思いインプットを意識し始めましたが、アウトプットの場がないとインプットが効率よく進まないというのがよくわかりました。形なんてなんでもいいんです。とにかくアウトプットの場がないと、生活がただの惰性で過ぎる感じがしました。

このようにアウトプットをしていくと、日々の生活の中でも「あっ、これ投稿できるかも」と意識付けできるので、充実度が増す感じがします。今回のお休みでそんな実体験ができたなと思います。

 

それで今日の本題はある本を読み終えました。本の題名は「勘違いが人を動かす」~教養としての行動経済学入門~ という本です。行動経済学という単語は聞いたことがある程度の感じだったのですが、読むと社会の仕組みの一部を知れた感じがしました。例えばスーパーではなんで野菜売場が入口に入ってすぐの場所にあるのか?この理由が示されているんですね。僕は完全にこの行動経済学の術中にはまっていた一人であったと認識しました。

 

本では「論理」よりも 「情熱」よりも 「認知バイアス」が人を動かす。とあります。さらに、罰も報酬も、知識も議論も、感動も約束もないのに、なぜ人間の行動は「意識できない些細な仕掛け」に自然と誘導されてしまうのか?とも言われています。その答えが本書にはあります。

 

行動経済学を通しこの「認知バイアス」を知っていくと自分の身の回りの社会がより良い方向に向かっていくと同時に、この知識がないと「悪意ある認知バイアス」に自分が利用され不幸になりかねないリスクが潜んでいるなと僕はこの本を読んで思いました。

 

ご興味がある方はぜひ手に取ってみたください。

 

自分が印象に残ったところ。

「お金がない」ときに人は頭が悪くなる。

お金がない人は、ときにおかしな行動をとる。スクラッチや宝くじを買ったり、貯金をしなかったり、大きな借金をしたり。残念ながらそれは習慣になり、結果としてさらにお金がなくなる。~貧困とは誤った選択の結果なのではなく、むしろ原因なのである。

僕は思い当たる節がたくさんあります。やばい、やばい。気を付けようっと。