皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
今日のアウトプットは当事者感と責任感は違うというアウトプットをしていきます。
これはあるラジオで聴いた内容を踏まえ、気づきをアウトプットしていきます。
ぼくは当事者感と責任感は一緒だと思っていました。なのでそもそもその違いすら問うたことはないんですね。でもそのラジオのパーソナリティさんは違いを言語化してくれていて、自分の中である出来事がしっくり腹のなかにストンと落ちたんですね。
まず、当事者感と責任感の違いって何なの?から説明していきます。これは例えを用いて説明していきます。例えば子供がファミレスに行きたいと言っていたので、ファミレスに出かけたとします。ファミレスについて料理を注文し、待っているとまず子供の料理が運ばれてきました。そのうちぼくの料理も運ばれてきましたが、一緒に注文したはずのぼくのジュースが来ません。以前であれば子供はその状況でも気にしないか、あれ?こないねぇ。で終わっていたと思うんですが、今回は調理場近くまで見に行ってくれたり、店員さんに聞いて確認しよう提案したりしてくれたりと一緒に考えてくれました。
これがいわば当事者感と責任感の違いです。つまりはファミレスに行きたいと言ってファミレスに行く。そして来ないメニューに対し、来ないねぇと一緒におかしいと感じる。これが当事者感です。
そして、今回はそのおかしいなと思い、自分がファミレスに行こうと言ったものの父親のメニューが来ないことによって父親が困っている。困っているので何らかのアクションを起こす、一緒にどうするか考える。これが責任感ということだそうです。
なるほど。この話を聴いて自分の生活に置き換えてみました。
僕には保育園児の子供が2人います。夫婦共にフルタイムで働いているので子育ても家事も協力しなければ生活が成り立ちません。僕もいつ妻に何かあるかわからないのでいつでもワンオペで回せるようにと、すべてのことを平均的にできるよう意識して生活しています。なので、割と一般的な家庭に比べるとオールマイティに家事や育児はできる方だと自分で言うのは何なんですが思っています。
でも、妻から僕はよくというか、ケンカしたときに言われる言葉があります。それは「あなたは確かに家事や育児をやているけど、子育てに対する責任感がない」と。僕はそのとき毎回思っていたし、何なら口に出して言ってました。「おれ、やってるじゃん」と。保育園のお迎えも連絡帳や明日の準備も、妻が遅ければ食事も作るし、お風呂や寝かしつけ、一人の時間が欲しければ遊び出かけるし、子供が体調悪ければ仕事だって休む。これだけ当事者となって一緒に動いているのに何で責任感がないとか言われるの??と、まったくもってわかんなかったんですね。でもそれは当事者感と責任感の違いを感じてなかったからなんだなと振り返って思います。
確かに、家事も育児も他人ごとではなく当事者となってやってきてました。でもだからと言ってそれで責任感があるんだとは言えないんですね。僕は家事も育児も業務的にこなしているのであって、何かあったときにどうしようかと自ら動かなかったし、同僚の飲みとか付き合いとかあれば仕方ないじゃんと平気で行っていたこともあったので、そのあたりを妻は感じていたんだろうと気づきました。
当事者感と責任感。なんでもそうですが、状況やそのモノにより最初から責任感をもって取組めるモノや取組めないものなどそれぞれあると思います。当事者感をもつことによって責任感が芽生えてくることもあるのではないかと思います。そう考えるといずれにしても、まずは当事者感を持って取組むことが大切で、また、当事者感と責任感の違いを意識しながら取組むことも併せて必要なのだなとラジオを聴いていて思いました。
もっと早くにこの放送を聴けていたら、今の状況も違ったのだろうなとも思います。やっぱり学び続けることって気づきにもつながるので大事ですね。皆さんも日々の生活でも仕事でも通じる事象だとは思います。当事者感と責任感。考えてみるとまた違った日々を送れるかもしれません。それでは、またの機会に。