「飛び立って2時間後に必ず死ぬ。これが特攻隊なんです。」
太平洋戦争末期、
そんな極限状態を旧陸軍の戦闘機乗りとして間近に眺めてきた北島さん。
1945年陸軍特攻隊の出撃基地となった鹿児島知覧に配属され、
敵艦を目指して飛行する特攻隊の護衛の務に就いた。
出くわした敵機から特攻機を守る役目とする北島さんは、
敵艦に体当たりすることはない。
「だが終戦があと3カ月遅れていたら私も特攻機に乗り込む事になっていただろう」
と振り返る。
そう話してくれるのは、北島令司さん(98歳)
北島さんとのご縁は今から16年前。
藤沢市役所にて市内全体の役員対象の研修会で講師としてお招き頂いて以来。
その事がきっかけとなり、
当時北島さんが83歳の時、平塚教室に参加。
シリーズ3カ月間を皆勤され、
その後も当センターを応援するOBとして
積極的に何度も繰り返し勉強をされています。
現在は、鵠沼地区社会福祉協議会会長から、顧問としてご活躍。
「死んで祖国の土になれ!そうすれば親兄弟は幸せになれる」
と朝から晩まで聞かされていた。
本当に教育とは恐ろしい
終戦後は特攻で散った仲間の遺品集めに奔走し、
知覧特攻平和会館の設立にも尽力。
その時、訪ね歩いた遺族から
「息子は死んだのになぜあなたは生きて帰って来たんだ」
と責められた事もあった。
と話します。
「彼らが生きていれば日本はもっと良くなっていた。」
心底そう思っているといつも話されています。
北島さんがいつもおっしゃってくださる言葉は
「この教室の灯を消してはいけない」
有難いです。
どんなことがあっても消さずに行こうと思います。
北島さんの貴重な体験談は私のブログでも
過去に何度も紹介しています。
2日前にも紹介しました。
ぜひご覧ください。
今日の日がコロナに負けない一日でありますよう。
湘南話し方センター
所長 松永洋忠
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