鈴木頌の「なんでも年表」

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斎藤流シルクロード論

2021-03-17 17:30:53 | マンロー

 

中央アジアで最大版図を誇ったのは、13世紀に興ったモンゴル帝国である。
モンゴル帝国以前には、女真族の金、契丹族の遼、セルジュークトルコ、ウイグル、突厥、柔然、エフタル、匈奴などが興亡した。
ゲルマン民族の大移動の原因となったフン族の移動は、匈奴の一部がユーラシアを東から西に移動したためだとされている。
5世紀に現在のハンガリー地域を拠点として広い版図を誇ったアッティラ帝国は、フン族の系統だと考えられている。

 

過去3000年以上にわたり、遊牧民族はシルクロードをかけめぐった。それにともない、征服王朝をたてた勝者のDNAも拡散していった。

 

2003年に発表された、中央アジアの多数集団のY染色体の調査では、契丹(遼)時代の起源を持つ系統が8%近くに達するとされている。

 

ウイグル人は東アジア人と西ユーラシア人の中間に位置している。しかし、ウイグル人自身に多様性があり、東に位置するウイグル人はより東アジア人に、西に位置するウイグル人はより西ユーラシア人に近い。

 

此処から先はややポレミック

 

まず、東アジア人の祖先集団とシベリアから南下した集団が5500~5000年前(紀元前3千年)に混血した。
O2とC2との混血を指す?

 

これは、日本列島では縄文時代中期、黄河流域では仰韶文化から龍山文化への移行期にあたる。

 

西では、5000~3800年前(紀元前4千年)に、西ユーラシア人と南アジア人の混血があった。これはカスピ海・黒海の北部にいたインド・ヨーロッパ語族(印欧系集団)が南下し、イラン(ペルシャ人)とインドに移住していったイベントに対応していると考えられる。
印欧系とセム語系の混血を指す?

 

そして、シベリア・東アジアの混血集団と、西ユーラシア・南アジアの混血集団が、中央アジアで3800年前ごろにまず混血し、さらに西暦1240年ごろ(蒙古帝国による制覇?)、第二段階の混血が生じたと推定されている。
「中央アジアで3800年前ごろにまず混血」というのはさっぱり実態がわからない。

 

斎藤流シルクロード論

 

ユーラシアの東西交流は、遊牧民が誕生するよりもはるか以前からおこなわれてきた。
バイカル湖の南に位置するマルタ遺跡出土の、24000年前の人骨のゲノムは、現代のヨーロッパ人と南北アメリカ原住民の中間だった。
(こういう斎藤氏の言い方が好きでない)

 

後略

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