人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

御言葉選集1(14、15)

2023年07月15日 14時53分17秒 | 学習
文鮮明先生御言葉選集 1 - 14. 1956年10月7日 神の永遠の理想を求めよう(1956年10月7日)
1956年10月7日(日)、元本部教会。
聖書拝読 コリント第一13:1-13


<祈祷>
 愛するお父様、天上の怨恨として残っている闘いの歴史を終わらせる人物が存在しないことが、お父様の嘆きであることを知っております。人類によって植え付けられた堕落の根源を、人類自身が取り除くべきですが、長い歴史が経過してもなお、人類はその罪の根源を抜くことができず、お父様、それを抜くことができるように許可してください。


 今集まった聴衆の皆さん全員がお父様の心情に感じ入り、一体となって許可して頂けることを切望しております。


お父様の悲しい心情を受け継ぎ、お許し頂き、お父様が望まれるその望みを私達に新たに与えていただけますように、お願い申し上げます。残された怨恨の歴史を担いで、数百万の敵である悪魔と戦うことができる、天を代表して現れる勇者達となることをお許しください。また、地を代表して立ち上がる勇者達となることをお許しください。


残された戦場において、永遠なるお父様の愛の心情を互いに分かち合う喜びの楽園が実現するまで、それぞれがお父様の意志を担いで立ち上がることができるよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。一人一人がお父様の全体的な意志を代わりに果たし、悪魔と戦うことができる勇敢な息子や娘となることをお許しください。愛するお父様、切望致しております。

私達の心が天の目標を向いており、私達の体が宇宙全体の目標に向かっていることに気づかせて頂けるよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。

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お父様の怨恨を解き放つ喜びの子供達となることをお許しください。お父様、切望しております。

私達の体と心はまだお父様の腕の中に収まっていないため、お父様、導いてください。能力をもって歴史を解き明かし、私達の心の方向を正せる様にお願い申し上げます。私達が本性に向かうように心の方向を正してください。お父様が望まれる希望の道を私達が進むことができるよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。

お父様の喜びの恩寵を私達の体と心が実践できるよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。私達を中心にして再創造の歴史を起こして頂けますように。そうすることで罪悪の根を断ち切り、戦いに勝利し、お父様の愛を体現し、お父様の前で栄光を捧げることのできる子供達となれる様にお許し頂けますように、愛するお父様、切望しお願い申し上げます。

愛するお父様、集まった子供達が、数百万の悪魔の罠に陥ることがないよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。お父様の祭壇に栄光の献身として捧げられることができるよう、お許し頂けますように、愛するお父様、切望し、お願い申し上げます。

今、お父様の前にひれ伏した私達は、お父様の尊厳なる御姿を目の前にし、自らの不足を自覚し、懺悔(ざんげ)することができるよう、お許し頂けますようにお願い申し上げます。温和で謙虚な献身として、お父様の贖罪の恵みの前に屈する子供達となり、お父様のもとに辿り着いた子と同じ姿となれるよう、お許し頂けますように、切望致します。

     2

苦悩の涙を流させずにお許し頂けますように、悪魔が嘲笑する足跡を辿らせないようにお許し頂けますようにお願い申し上げます。心と体がお父様の前に捕らえられたままこの一時でも共にすることができますように、永遠なる命の恵み、復活の恵み、愛の恵みに触れ、お父様、喜ぶことのできる理想的な献身となることができるこの時を許して頂けますように、愛するお父様、切望しお願い申し上げます。

今日は聖なる日であり、万民に祝福を与えるための約束の日です。24億の人々を代表して集まった聖殿ごとに喜びの恵みが共にあることを願い、祈ります。終わりの時代に入った今、聖霊の炎を水のように注いでください。お父様が選ばれた子どもたちが一つにまとまり、この暗闇の世界と対峙できるようにし、6千年の憎しみの心情を代わりにしてあらゆる悪を打ち破り、お父様の子となれるように許可してくださる様にと切に願っております。

まず、3億人の民族を代表するために、3千以上の祭壇を祝福してください。祭壇を代わりにして、お父様に心を尽くして生きる息子と娘達が、永遠のお父様の献身となれるように許可してくださいます様にお願い申し上げます。

今残された戦場で、お父様に負債を作らないように許可してください。永遠の勝利の恵みに耐えることができるように許可してくださる様にと切に願っております。

お父様、 お父様の祝福の心情が地上に表れる理想的な地を築くまで屈しない勇士の心情を持ち、父の意志を確立し続けることができるようにお可しください。お父様、切に願い求めます。

     3

今夜、この場に参加できなかった多くの子供達がいます。どこにいようと、父が一律に働いてくださり、終わりの時に成し遂げたいと望む貴方の意志を全世界に宣言し、天地が喜びの祭壇となるようにお可しください。

持っている力と心と努力を捧げて、ただ父の意志を達成するあなたの子供達になるように許可してください。切にお願い申し上げながら、すべての御言葉を主の御名においてお祈り致しました。アーメン。


《御言葉》
 これからお伝えしたいメッセージのタイトルは「神様の永遠の理想を求めよう」です。しばらくの間、神様の永遠の理想を求めようというテーマでお話しいたします。

 神様は暗闇の地上において、ご自身によって創造の歴史を始める際に、一つの基準を立てられました。それは、内なる心情に残った理想的な姿を永遠の実体として確立することでした。この一つの実体を設け、その永遠の喜びを感じながら、二人ではなく一人の相対的な理想を備えて生きるために、創造の歴史を始めたことを皆さんはよくご存じだと思います。

神様は創造の苦労を経て築いた創造物の中で、人間一人をすべての理想の中心に立てられました。しかし、その一人の人間が神が本来求められた望みとは反対の立場になったことにより、その後の長い歴史が経過しましたが、神様が望まれた理想とは関係のない人間たちとなってしまいました。

     4

その一つの理想を実現するために、一人の人間を再び訪ねて見つけ出す歴史的な計画は、秩序の計画であり、救済の計画であり、開拓の計画でした。

神様の内的な心情として望まれた一つの理想は、全ての被造物に及ぶ理想でしたが、一人の人間の過ちによってその理想は全ての被造物の中で見つけることができなくなりました。

それゆえに、神様は現在までの開拓と救済の歴史を通じて、秩序を確立しようとする一つの中心的な意図が何であるかを探求したいのです。それは、人間を通じて神様の内的な心情として描かれた理想を実現することによって、神様御自身が喜ぶだけでなく、その喜びの理想を人間の永遠の理想とし、栄光の条件として返還されることを望まれるからです。そのために、神様は歴史を進める様に働いておられます。

そのため、私達は今、天の神様が皆さん一人ひとりを呼び、皆さんの存在を知っていることを理解しなければなりません。天の神様は、皆さんが自分自身の理想を実現する一つの中心体となることを望まれており、これまで努力してきておられます。

しかし、私達が不完全な存在である限り、私達は神様の意志と人間の意志、そして悪魔の意志を区別することができない限り、神様が望まれるその理想を実現することはできません。

     5

左を見ても右を見ても上下を見ても、達成しなければならないものは神様の理想です。ですから、左側に属している群れであろうと、右側に属している群れであろうと、また地上に存在する全ての存在や天にいる無数の聖徒達でさえも、その一つの理想が何であるかを知らずに崇拝していることを皆さんは原理を通じてよく理解しています。

この暗い世界において、神様の新たなる輝かしい理想が現れる日はいつの日であり、その時はいつであり、その時はいつの時期であるのかと問われるとき、数多くの聖賢や先知達は自らも知らずに知らない道を切り開いてきたことが今日まで続いています。

したがって、今は皆さんが神様の輝かしい理想の心情を通して彼らに対して、「あなたが心から描いていた希望がこれであり、あなたが求めていた理想がこれである」と言える、不変で永遠の理想の要素を持っている必要があります。それによって、皆さんの心を通じて、身体を通じて、環境を通じて実現される喜びの場所を築かなければなりません。そのような喜びの場所を皆さんが築くことができないならば、神様の理想はこの世界で見つけることはできないということです。

では、ここで最も重要な問題はどこにあるのでしょうか? それは想像された万物にあるわけではなく、霊的な領域にあるわけでもありません。また、天上の天使にあるわけでもなく、全体の中心であり、一つの基準であり、万物の主役である皆さん自身にあるのです。したがって、皆さん自身が神の理想を左右する中心であり、基準であることを皆さんは認識する必要があります。

死に直面しているこの世界において、その一つの基準点、その一つの中心点が現れる日の喜びは、今日の歴史の進行における私達の希望であり、数多くの悪霊と戦いながら進む神様の摂理の意志であることを私達は心に留めておかなければなりません。

     6

したがって、今私達が神様の理想を尊敬する心を持って生きるためには、まず自己の内に神様の内的な心情と調和し得る存在を確立しなければなりません。自然が法則に従って進んでいくのと同様に、私達自身の心が神様の心を中心にして動く必要があります。そして、これを天の宇宙的な終着点まで到達することができる心の中心として確立しない限り、神様の永遠の理想は有限の世界と永遠の関係を結ぶことはできないことを皆さんは知るべきです。

では、今私達自身の心と体を見つめるとき、私達の心と天との間に障壁はありますか? 私の心と体の間に障壁はありますか? 私の体と万物の間に障壁はありますか? そのような障壁がある限り、永遠なる神様の理想は既に皆さんとの関係を切っていることを意味します。

今、私達は心の扉を開かなければならず、体の中のすべての罪悪を取り除いて、調和することができる基準を確立しなければなりません。そうすることで、天国的な性格を感じずにはいられず、行動しなければ為される事の無い自然な才能を受け取り、神様と共に神様の理想を実現していかなければなりません。

しかし、堕落した人間はその基準から遠く離れているため、その基準に引き上げるための努力の歴史が生じます。それがまさに復帰の理想の歴史です。その意味を実現するための復帰の歴史が、今まで先進者達を送り出し導いてきた歴史であることを、私達は心の底で深く肝に銘じなければなりません。

今、皆さんは前進しなければなりません。そのためには、まず万物を象徴し、与えられた身体の価値、天性を代表し、身体の中心として与えられた心の価値を持つ必要があります。そして、全てを包括する中心である神様の内的な心情、全体の中心から湧き出る神様の内的な心情が私達の心を通り、身体を通り、私達の生活の舞台を通って、万物の存在まで一つの運動として現れなければなりません。これらすべてを私達の一つの身体で成し遂げなければなりません。

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神様は、堕落によって神様の主管圏から離れた人間を本来の位置に引き上げるために、6千年にわたって歴史を進めてきました。その歴史はどのようなものだったでしょうか?  神様は創造の原理に従い、象徴的な実体として万物を創造し形象的な実体として人間を創造しました。ですからそのような存在が私達の心の理想的な基準である限り、私達は神様と切り離されるのではなく、一体性を持つ関係を持つことになります。

人間の持つ関連性を妨げ、連絡の道を断ち切って歴史を進める存在は誰でしょうか? それは皆さんの敵、悪魔です。この悪魔と戦い、永遠の勝利の絆を築かなければ、悪魔に従われることはありません。しかし、今日も明日も神様の理想の王国が私達の体と心を通じて実現しない限り、神様が望まれる希望の理想が個人間や宇宙全体で実現されずに、サタンは排除されないということです。

しかし、神様には私達の心のための理想、私達の体のための理想、そしてすべてのもののための理想があります。しかし、悪魔はこれに逆らって戦っています。したがって、悪魔を世界的に責任を持って屈服させる希望の日が現れなければならないということです。

その悪魔と結びついた条件があるため、それを除去する前には、神様の理想は私達と関係がないということです。ですから、神様は自らの理想を実現するために、悪魔と対立して勝利することができる主人(マスター)を立てられました。その方こそがイエス・キリストでした。

しかし、今日ではすべてのものから身体を通じて、身体から心へ、心から天上まで連絡路が遮られています。この要求する心と身体、要求する対象との遮られた連絡路を突破し、通じる歴史をもたらしてくださったのは、イエス・キリストと聖霊です。

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では、イエス・キリストがこの地においでになった不変の目的は何でしょうか? それは、必ずや神様の理想を実現することでした。まず、人間の心を復帰し、体を復帰し、そして万物の世界まで復帰することでした。イエス・キリストはこのような総合的な理念と理想を持っておいでになりましたが、信じるように選ばれたイスラエル民族が信じなかったため、神様の心の姿に代わって立てる心的な理想だけを打ち立ててお帰りになったのです。そのため、今日、私達はその心的な理想、すなわち霊的な理想を打ち立てるまで、イエス・キリストの生涯とイエス・キリストの歴史を知らなければなりません。

イエス・キリストは、神様が望まれるその理想を実現するための心的な勝利の道、つまり悪魔に対して勝利する道を私達に示してくださいました。ですから、私達はイエス・キリストに依って理想を追い求めることは、ある特定の時間枠内の理想ではなく、神様の永遠の理想を追い求めることです。

イエス・キリストは、人格、希望、信仰、生命、愛など、すべてを達成するための使命を持ち、それは一時的な使命ではなく、永遠を代表する使命でした。私達は、イエス・キリストがそのような使命を果たすために戦われたことを知る必要があります。

では、私達が神様の理想を追求し、その理想を達成したいとする場合、今日私達が持つべきものは何でしょうか? 私達は神様の永遠の要素を持つ必要があります。なぜなら、時代や状況が変わっても、神様の永遠な実体は変わらないからです。

したがって、神様が持つ理想も永遠の理想であることを理解する必要があります。その結果、今日の人々が追求すべき残された最後の理想は、神様が望まれる永遠の理想です。今あるいは明日であっても、自分自身が神様が望まれるその永遠の理想を達成するまで戦わなければなりません。人生を捧げて戦っていかなければなりません。

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イエス様はこの地上において、神様の永遠なる理想を追い求めるために来られ、信じることのできなかったイスラエルの民の代わりに永遠なる信仰を確立するために戦われた方です。歴史の過程で多くの人々が神様を信じてきました。しかしその彼らが信じる希望や信仰の限界は、個人的な範囲に留まっていました。しかしイエス様だけは信仰や希望を自己中心的なものとして確立しませんでした。彼はそれが神様の永遠なる理想に立てられている限り、それ以上の要素を持つ信仰、つまり永遠なる信仰を確立するために一生を捧げました。

イエス様が30年以上の生涯を通じて望まれた中心は何でしょうか? それまでの4千年の歴史の中で、多くの先人たちが信仰の基準を確立しましたが、彼らの信仰は民族的な限界を超えることができず、世界的な限界を越えることができませんでした。そのため、イエス様はそうした基準を超えて神様の永遠なる理想を実現すること、永遠なる信仰を確立することが彼の生涯の中心内容であったと言えます。


そのためイエス様の信仰は自己の救いを目的としたものではありませんでした。また、この地上だけを救うことを目的としたものでもありませんでした。イエス様は歴史の始まりから終わりまで神様の計画をご存じであり、その計画に基づいてすべてを復帰されようとされました。


また、イエス様は神様の永遠なる理想を確立するために、歴史上前例のない永遠に変わらない基準を打ち立てるために、悪魔と戦われました。イエス様はそのような理由から神様の永遠なる理想を求められ、永遠なる信仰の条件を確立することができました。

そのため、皆さんがイエス様を慕い求めるならまずイエス様一人には歴史的な全人類への内容が包括されていることを知る必要があります。彼は4千年の歴史の中で数多くの信仰者や当時の人類全体の信仰を統合できる唯一の方でした。また、天地創造から終末までの未来の歴史を代表し、全人類の信仰を統合できる基準であり、永遠に変わらない中心を持ってこられた方でした。

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そのため私たちはイエス様の信仰を見習わなければなりません。そして個人を超え、社会を超え、国家を超え、世界を超え、天地を超え、永遠なる神様の希望の基準、永遠に変わらない確かな信仰の礎を築くためにこの地上で30年以上を過ごされたイエス様であったことを知る必要があります。私たちはイエス様を信じるならば、全く新しく唯一無二の永遠なる信仰の基準を打ち立てたイエス様に似なければなりません。

そして、私たちはイエス様の希望を受け継ぐ必要があります。イエス様の希望は、彼自身の個人的な希望ではありません。過去の数多くの祖先が長い間抱いてきたあらゆる希望を包括した希望でした。また、天と地に根ざしている永遠なる神様の希望を代わりに持たれたのです。そのため、イエス様は歴史上誰もが持つことのできなかった神様の永遠なる理想を実現することができる希望の中心を確立したため、私達の希望に代わることができたのです。

それだけでなく、イエス様は天に向かった信仰を築き、希望を持ち、また生命の絆と愛の絆を持ちました。そして彼は自らの希望を永遠の希望とし、生命も永遠の生命として確立するために30年以上にわたる闘いと努力を費やしました。

しかし、イエス様が自分の人生の過程で生命の価値を感じたのは全人類を代表して永遠に実在し、生命の中心として存在する神様の永遠なる生命の要素を受け継いだからです。イエス様はこのような永遠なる生命の所有者であったためいかなる悪魔の力も彼に及ぶことはありませんでした。またイエス様が確立した愛は現代の人々が持つような自己中心的な制限の中でとどまる愛ではありませんでした。それは永遠なる神様の理想を実現するために死をも厭わない変わらぬ愛でした。


そのため、今や天の神様を愛するイエス様の心はすべての民を代表することができました。天上と地上において、やっと神様の永遠なる理想に代わり、天宙の人類全体を代表して変わらぬ愛の心をイエス様は持っておられたことを皆さんは知る必要があります。

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イエス様は信仰と希望と命と愛によってこのような秩序を確立し、私達は今日それを受け継いでいます。私達は彼が努力を経て築き上げた救いの計画を理解しなければなりません。また、自己犠牲の基準として自らを犠牲にし十字架の盾となって立てられた彼の業績を見習わなければなりません。

さらに、今日地上で限りある存在である私達は、無限の神様からの信仰によって無限の神様の希望、無限の神様の命、無限の神様の愛を慕い30年以上の生涯を悲しみながら過ごされたイエス様の生涯を思い起こさなければなりません。万宇宙の主役であり、万民の救い主であり、地球の主であるイエス様は希望と信仰と命と愛の全てにおいて神様の永遠の理想を実現する条件を確立するために生涯を捧げたことを皆さんは知らなければなりません。

そして、皆さんはそのようなイエス様の心情で万物を見る必要があり、イエス様が感じていた感情を共感しなければなりません。またそのような志とそのような希望、そのような理想を称えながら闘ってきたイエス様であったことを知らなければなりません。彼を単に2千年前に現れた歴史的人物として考えてはいけません。

今日、皆さんの心の中におり、皆さんと共に一つとなっているイエス様を感じなければなりません。永遠の神様の理想を実現できる生命的な要素を再認識しなければなりません。それによって、皆さんの信仰がイエス様の信仰に匹敵し、皆さんの希望もイエス様の大いなる希望に匹敵し、皆さんの生命と愛もまた、イエス様のものと同等でなければなりません。

皆さんは、神様の全体的な理想を具現化したイエス様の心情を見習う必要があります。イエス様は信仰や希望、命や愛などを全て確立するために戦ってきた中心の心情を、今日の皆さんが受け継いで実現しなければなりません。その意志を実現する人がいないとすれば、イエス様が十字架で犠牲になられたことによってこの地上で達成されるべき意志は叶わなくなります。イエス様の未完の業績が残されているため、摂理は今日も私達の中に存在しています。

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そのため、私達は身体を通してイエス様の姿を感じる努力をし、万物を通してイエス様の姿を感じようとしなければなりません。それによって、イエス様の姿と私達の姿が合わさり、全宇宙を代表する永遠の神様の理想に合致することができなければなりません。

今、皆さんはイエス様が十字架にかかっておられたことが何を予告していたのかを知る必要があります。その十字架は永遠の信仰を達成した十字架であり、永遠の神様の希望を共感させ、奨励していた十字架であり、神様の永遠の命と永遠の愛を私達も持つように勧めていた十字架です。そして、十字架を通じて達成された救いの道は、イエス様の永遠の信仰、永遠の希望、永遠の命、永遠の愛を私達に伝えるための条件となることを皆さんは知らなければなりません。

しかし、宇宙の全人類を代表しておいでになったイエス様の信仰が全体に現れなかったため、つまり世界的に実現されなかった希望はイエス様が十字架で訴えた結果だったのです。命と愛も同様でした。もし当時イエス様が望まれた信仰、イエス様が望まれた希望、イエス様が望まれた命、イエス様が望まれた愛が現れることができたならば十字架の結果としての訴えはなかったでしょう。

したがって、今私達が十字架を通じて備えるべきものは何でしょうか? それは、イエス様が持っていた永遠の信仰、イエス様が抱いていた永遠の希望、イエス様が持っていた永遠の命、イエス様が慕っていた永遠の愛を持つことです。今日、私達は十字架の前に立たれた永遠の信仰、永遠の希望、永遠の命、永遠の愛を単にイエス様のものとして考えてはならないということです。

 私達はその十字架を背負い、その永遠の信仰を私の信仰として、その永遠の希望を私の希望として、その永遠の命と愛を私の命と愛として所有しなければなりません。さらに、イエス様が人類のために十字架を背負いながらも与えてくださった神様の理想の要素を私達は持つ必要があります。その後、イエス様が永遠の信仰、永遠の希望、永遠の命、永遠の愛を伝えることができる弟子を持っていたように、私達もそのような心情を持つ人となる必要があります。

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イエス様から受けた信仰の責任、イエス様から受けた希望の責任、イエス様から受けた生命と愛の責任が皆さんがその条件を果たせなかった場合には最後の審判の条件として現れるでしょう。

終末において神様は皆さんに問いかけ、イエス様が遺した永遠の信仰の債務を果たしたかと尋ねられるでしょう。イエス様が遺した希望の債務、生命の債務、愛の債務を果たしたかと尋ねられるでしょう。そのような立場に立つ時、イエス様が十字架上ですべてを成し遂げたと述べられたように、皆さんもそうでなければなりません。今日、私たちはイエス様の前で、「私はあなたが残してくださった永遠の神様の遺産を私の人生で完遂しました」と言えるべきです。そのような人物がこの地上に現れない限り、神様の終局的な計画は完了しないことを皆さんは知らなければなりません。

4千年の歴史の中で、永遠なる神様はその理想の中心的要素をイエス様によって確立されました。霊的で内面的な救いの条件を広げ、世界的な基準にまで拡大するために、今日までイエス様と聖霊は歴史を通じて働いてこられました。ですから、今日、私達が外的に内面的な神の理想の要素を実現できる永遠なる信仰、希望、命、愛を築けなければイエス様の2千年にわたる摂理の意志は無駄になります。皆さんはそれを理解する必要があります。

今、皆さんはイエス様に倣って神様の心さえ感じたいという信仰の道に入っています。しかし、皆さんは自分がどれだけ信じているのか、自己の信仰の枠組みの中で信じていませんか? 宇宙全体を代表したイエス様の信仰と比較して差異がある場合、その差異は終末における審判の条件となるのです。

あなたが今日持っている希望は何ですか? あなたが概念的に持っているその希望は、自分自身のための希望ではないでしょうか。あなたはイエス様の希望をあなた自身の希望として証ししなければなりません。それによって、あなた自身を超えて神様の永遠なる理想を具現化したイエス様の希望を持つ必要があります。しかし、もしもあなたの希望がイエス様の希望と異なる場合、その差異が終末の審判の条件となることを理解する必要があります。

     14

生命も同様です。今日、私たちがイエス様を信じて生命を得たとしたら、その生命は自分自身のためにある生命ではありません。その生命はこの民族を回復し、数多くの聖徒達を動かすべき生命です。十字架の前に立ち、悪魔の攻撃に直面しながらも神様の永遠なる存在を具現化したイエス様の謙遜な心を代わりに持つことができる生命です。

イエス様は十字架で自分の生命が失われる立場にありながらも、敵の攻撃に対して一言も呪わずにいました。

イエス様は、彼らが通常知っているような存在ではありませんでした。彼は、4千年にわたって神様が人間のために悪魔と戦われる中で感じられた神様の永遠の愛を理解しようとする方でした。皆さんがイエス様の無限なる心情を憧れるようになると、それが信仰の基盤となることを感じるでしょう。

ですから、イエス様が感じた天の愛に対する感動は、地上のどんな非難や困難も超えることのできる永遠の神様の理想を代わりにできるものでした。そのような立場に立っていたイエス様だからこそ、悪魔の誤りによって死の道を歩むことも忘れ、人類のために祈ることができたという事実を皆さんは知るべきです。

今日、皆さんがイエス様を信じて、無限なる神様の愛を受け、無限なる命を受けたと主張する場合には、その命がどの範囲にあるのかを反省する必要があります。

     15

イエス様は、神様の愛、つまり全宇宙を創造し、その中に満ち溢れる永遠で理想的な神の愛をご存知でした。そのため、彼はこの地上で自分自身を愛し、自分の家族を愛し、自分の民族を愛し、世界を愛するよりも、まず神様を愛されました。

そのため、イエス様はすべての愛の中心となる神様の愛を胸に、歴史の中で数多くの先志先烈たちを代わりにして、彼らが果たせなかった神様の計画を成し遂げるためにやって来られました。困難な試練に直面しても、それを忘れて人類を愛し、神様を愛する心情を持ち続け、それを私達に伝えてくださったのが十字架の愛です。皆さんはそれを考えてみる必要があります。

終末の審判があるとするならば、神様から流れ出てイエス様によって示された神様の愛が皆さん自身に届いたとき、皆さんはその愛を受け入れ、皆さん自身の内に永遠に持ち続けることができる心の基盤を持たなければなりません。もしもそのような心の基盤がないとすれば、皆さんは終末の審判の時に神様の前に自信を持って立つことができません。

ですから、今私達は私たちの前にキリストの偉大で高貴なる希望と理想があることを知る必要があります。その偉大で高貴なる理想は、イエス様によって初めて地上に現れたのです。

ですから、今私達はイエス様を信じ、彼に倣おうとするのです。イエス様は霊的な領域においても、世界を代表して悪魔と闘っておられます。永遠なる神様の理想を達成するために、聖霊と天の数え切れないほどの天使達と共に、私達を代わりに悪魔と戦っておられるのです。

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私達に残された信仰、私達に対する希望、私達に求められた命、私達に願われた愛を今私達は私自身の愛として、私自身の命として、私自身の希望として、私自身の信仰としてだけでなく持っていくべきではありません。もし私達がそれを私のものとしてだけ持っていると言うならば、永遠なる神の理想は私とは何の関係もないものだということを皆さんは心に留めておくべきです。











文鮮明先生御言葉選集 1 - 15. イエス様は宇宙的な革命の主人公(1956年11月11日)
1956年11月11日(日)、元本部教会。
聖書拝読 ヨハネによる福音書 14:1-21




<祈り(Ⅰ)>
愛するお父様! お父様が生命の園を眺めることが創造の目的であり、お父様の栄光を讃える真実の園が理想的な場所であり、永遠に変わらぬ愛を中心に、あなたの姿の前で全てが躍動し、お父様の内面的な姿や外的な形を明らかにしつつ、それに取り憑かれて生きるべき場所が本来の園であったことを知っております。


愛するお父様、今日私達が望む希望の園をこの時感じることができるようにお許しを与えてください。本来の園を思いやり、心で敬愛すると同時に、体を動かして礼拝することができるようにお許しを与えてください。心でお父様の意思を高くし、同時に体が生け贄として捧げられるようにお許しを与えてください。


お父様が私達を見つけるために努力されたすべての努力を今は私達に委ね、お父様は栄光を受けることを熱望しております。


お父様、ここに寂しく集まったあなたの子供達です。一つの命も捨てずに、まず彼らの心がお父様の永遠の命に燃え上がるように許しを与えてください。そうしてお父様の愛の心と一体になるように許しを与えてください。お父様の命に私達の身体と心が一つになり、全てが一つに結ばれて供え物となるこの時をお許しを与えてください。そうしてお父様が喜んで受け取ることのできる不足のない供え物となるように許しを与えてください。父よ、熱望しております。


     17


お父様なる神よ、私達を保護してください。分別の歴史を負うてください。悪魔が侵入することのないこの時をお許しを与えてください。ただ父の意思に捧げ従い、応えることができるようにお許しを与えてください。ここで心と体を従順にすることができるこの時をお許しを与えてください。


そうして自分の不足と間違った要素を全てお父様の前にさらけ出し、正直に告白し悔い改めることができると同時に、お父様の愛を受けることのできるこの時をお許しを与えてください。愛するお父様、熱望しております。


お父様、この日は聖なる日であり、祝福を与えられ、約束された日です。この民のために集まる数多くの祭壇を祝福してください。孤独な祭壇で戦っている子供達にも一斉に恵みを与えてください。


あなたが予告し、示し、証明された事実が彼らを通じて明らかになるようにお許しを与えてください。この民が闇に囚われていることに気付き、他の人々をも目覚めさせるために、直接的な歴史を示してください。あなたが働かれる教会を通して、あなたの子供達を通して、この時を現わしてください。愛するお父様、熱望しております。


約束された終わりの日が近づいており、許された恵みの時が来ておりますが、私達はまだ完全ではなく、不足していて、未完成です。私達が受け入れるべき父の意志を受け入れない者にならないようにお許しを与えてください。


     18


お父様、私達が自らを嘆き悔いながら、お父様の前にひれ伏すことができる者達となれるようにお願いします。孤独な祭壇で戦っている子供達も多くおりますので、彼らにも均一な恵みをお与えください。


お示しいただき、お見せいただき、お証しいただいた事実が、最後の日を迎えることによって明らかになるようにお願いします。この民が闇に囚われていることに気づき、他の人々をも目覚めさせるために、直接的な歴史を示してください。お父様が働かれる教会を通して、子供達を通して、この時が現れるようにお願いします。愛するお父様、心から願っております。


性別や立場を超え、完全で純粋な心と身体を持ち、謙虚な姿勢で父の本質の前に立つことができる者達となり、そのような時を柔和な姿勢で受け入れることができるこの一時をお許しいただきたく、切に願っております。


お父様、あちこちで言葉を持って闘う子供達がお父様の前で謙虚に立つことを知っておりますので、彼らを守ってください。このような時と同様の恵みを与えてください。


お父様、この民のために私達を使命し、勧め、共に協力されたならば、私達に生きているお父様の子として誇りを持てるように許してください。生命の中心に立っていることを証明できるようにお許しください。


     19


お父様、あなたの手に掴まれた事実を証明し、この民を目覚めさせて悪魔の罠から救い出すことをお許してください。


そのようにして、民族的な使命を許されようとするお父様の全体的な意思の前に、この民族が恥じることのないように私達を立てて、父の前に導いてください。切に願っております。


初めから終わりまで、お父様と聖霊が喜ばれる御心に私達の心と身体が共鳴できるようにお許しを与えてください。この全体の集まりを栄光の供え物として受け取ってください。切に願っております。


初めから終わりまで、全てを主管してください。あなたの名においてお祈り致しました。アーメン。




<祈り(Ⅱ) >
お父様! シオンの中心を築くために、多くの先祖達が血を流し、お父様の前で心配事を引き起こし、負債を減らすために今まで戦ってきました。


     20


お父様! この時、私達の心にシオンの栄光が注がれるようにお許しください。永遠にお父様が居て下さるシオンの喜びが私達の心に満ち、溢れるようにお願い申し上げます。


私達がお父様に心と体を委ねることができる栄光の子となるならば、私達にはそれ以上望むものはありませんし、それ以上の希望はないことを知っております。


しかし、永遠なるお父様の愛の手にとらわれなければ、この地上に私達と同じように孤独で哀れな存在はなく、悲惨な人々も存在しないでしょう。


お父様! 戦いに疲れ、迫害に疲れ、困難な環境に苦しんできたあなたの子供達を、この時生命と愛で守って育んでください。


この時、傷ついた私達の傷を癒すことができるように、お父様の前に現れたこの傷だらけの身体と心を、お憐れみください。この時だけでも、お父様の心の中に秘められた愛の味を知ることができるように、お許しください。


     21


そうして、天の心に似て、天の栄光を中心に全てが歌い、天の栄光を中心に全てが楽しむことができ、天の意志のために全てが頭を垂れることができるこの時をお許しください。私のお父様よ、心から願い求めます。


お父様! 孤独な私達をあちこちに追いやられたのもお父様であり、悲惨な状況で天に向かって語りかけさせられたのもお父様です。この時、彼らが慰めを受けることができるようにお許しください。


今日、この場に広がるお父様の子供達が歩んできた苦労の後には、まだ幼い足跡が残っており、悲しみの涙が彼らの祈りを支えています。お父様、彼らを憐れんでください。


この日から抱く希望、この日から抱く願い、そしてこの日から感じるお父様の愛に感動し、希望を持って明日の戦いに立ち向かえるようにしてください。私達の人生の旅において、数々の敵の呪いの壁を乗り越えることをお許しください。そうして平和の心だけが私達の心の中心となるようにお許しください。勝利に向かう渇望の気持ちだけが私達の生命の中心となり、この民を代表して戦いの旗を掲げることに不足がないようにお許しください。


天が許された勝利の言葉を盾として立ち上がることに不足がないようにお許しください。今日も明日も、悲しみを抱えた者にならないようにお許しください。お父様の永遠の愛に燃え、現れている敵悪魔を打ち破り、残ることのできる子供達となるようにお許しください。愛するお父様、切に願い求めます。


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この孤独な段階を導いてくださるお父様、あなたの後に続いている子供達も孤独で哀れな場所にいます。今日もお父様が彼らの生命の全体となり、善の全体となり、希望の全体となり、彼らを慰め、導き、愛してください。


この時は終わりの時であり、人の言葉は必要ではありません。人を介した言葉も必要ではありません。人を中心とした意図も必要のない時であることを私達は知っています。ただ、永遠の命の鼓動を通じて生まれるお父様の愛の言葉だけが必要なのを私達は知っています。今日集まったあなたの子供達が愛を感じられない不安定な場所にいるとしても、お父様、測り与えてください。炎のような眼差しで見守ってください。私達の心に秘められた喜びの核が現れるようにしてください。私達はさまざまな恐れに捕らわれた私達ですが、お父様の前に出て悔い改める子供達となるように許してください。


お父様の手にとらわれて、お父様の恵みを感謝することを知る者があれば、変わることなくその心を抱くようにお許しください。聖なるお父様の前に愛の子供達として生まれ、なお残る子供達となるように許してください。お父様、切に願い求めます。


今日もこの民のために集まる数多くの祭壇の上に祝福を与えてください。意図を知らずに熱心に天に訴える聖徒達の声が天に届いたことを知っていますので、彼らの怨恨を解き放ってください。彼らの心を支え、彼らを導いて、最後にお父様の望まれる意志を受け入れ、成し遂げることができるように導いてください。


また、目的のために人々が知らない孤独な道を切り開き、闇と戦っている隠れた兄弟達がこの民の中に多く存在しています。その闇がこの民の前から退く時が早く訪れるようにしてください。


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生命の動きも一つであり、恵みの働きも一つであり、栄光の現れも一つでした。お父様、彼らを通じてあかしを示し、散らばった祭壇を囲い、お父様の意志を中心に据えて立ち上げ、この民が一つとなる喜びの祭壇を形成してください。お父様、切に願い求めます。


今日も孤独な子供達が地方で御言葉を持って戦っているので、そこにも共にあってください。彼らは6千年の歴史の最後の敵と戦って勝利しなければならないという精神で勝利の祭壇を築き、お父様と子供達が共に楽しむことができるその時を待ちながら、お父様の命令に従って戦っています。お父様、共にあってください。彼らが滞在するあらゆる場所にお父様の直接的な歴史を示してください。そんな環境を通じて全体にまで及ぶことができるようにお許しください。切に願い求めます。


今、この一時にお父様、喜びの恵みを与えてください。私達を受け入れてください。すべての御言葉を愛する主の名においてお祈り致します。アーメン。




<御言葉>
 今日のこの時、イエス様は宇宙的な革命の主役というタイトルで少し話したいと思います。


新しいものが創造される過程を見ると、それは革命的なプロセスと見なすことができます。たった六日間で作られたすべてのもの、つまり微小な昆虫から人間までのすべての創造物を見ると、神はより新しく、より優れた存在を創造し、最後に人間を創造されたのです。


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人間の創造によって、神はより高い神の内面的な性質と外見の形を完全に備え、それが父なる神が永遠に誇りに思える新しく変わらない実体であることを望んだのは、創造主の理想であったことを皆さんは知っているでしょう。


こうして人間は神が楽しむことができる永遠の新しさの実体として、万物の支配者となり、どんな創造物と比較しても美しく、素晴らしい存在となるために造られたのです。こうして造られたものが万物を統べるアダムと呼ばれたのは、皆さんもご存知でしょう。


アダムは神の本来の善意と内なる栄光を実践的な生活を通じて楽しむ存在として存在したかったのです。しかし、アダムは堕落によってその意味を理解することができませんでした。神が創造されたすべてのものを代わりにして新しさの栄光を示すことができない存在に堕ちてしまったのが、堕落した人間です。


しかし、人間が堕落した状態であっても神の意志は不変の意志として必ず完成されなければならず、神としての威厳を保ち、権能を示すことができるため、それを再創造するためのものが回帰の歴史、救済の歴史であるということを皆さんは原理を通じてよくご存知でしょう。


しかしこのような立場から、宇宙の万物に対して天は直接介入しません。天と地の間で見つけることも、他の被造物の中で見つけることもできない貴重な存在は、神自身です。神は自身の内に隠された全体の姿を、より高次元の新たな形で顕現させることができる主人公として現れるのです。それが実現される日はいつでしょうか? この感動的で衝撃的な一日を迎えるために、今日まで神はこの目的を立て、回帰の計画を通じて絶えず努力しながら歴史を進めているのです。


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創世以降、神はすべての被造物を与えても変えることのできない、今までになかった喜びを味わわせる新たな宇宙的存在を見つけるその日はいつ訪れるのでしょうか? 神はその一日、その存在を切望しておられるのです。




神は、神自身と人間、そしてすべての創造物が共に楽しみ、喜び、調和することができる創造理想世界を既に計画し、構想し続けておられます。したがって、内的な象徴である天と外的な象徴である地が共に喜び合い、楽しむことができる主人公を中心にして楽しむ時、天と地が共に喜び得るということです。このような基準を見つけるために、天も努力されていることを皆さんはよくご存知でしょう。




では、父なる神が求められる意志とは何でしょうか?天地を破壊し尽くすかのような状況でも、手放すことのできないただ一つの意志があるとすれば、それは完成された人間です。人間が完成されるまで、原理的な創造の原則を経て真理の実体となるべきですが、堕落により原理にそぐわない実体となってしまいました。そのため、人間は人間の形を備えていながら、内面的な性質と外的な形が神の永遠なる実体を代わりうる分身として現れることができませんでした。




そのため、堕落した人間は人間の形は持っていますが、創造理想の形を失ってしまいました。しかし、神はこの人間に対して再び創造理想の形を注入し続けておられます。天が新たな実体を見つけるために努力される歴史を、皆さんもよくご存知でしょう。




では、この一つの中心的な存在であり、希望の存在としておいでになった方は誰でしょうか? それはイエス・キリストでした。イエス・キリストを送られるまで、神は4000年もの間努力されました。


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創造の後、初めて調和できる新たな存在として、万物の前に現れることができる存在として、イエス様をお送りになりましたが、人々はイエス様を神の意志の指針として受け入れることができず、逆に堕落した歴史を繰り返しました。


失われた善の基準を見つけるため、努力された神は4千年の歴史を通じて、悪魔の誘惑に陥った人々を呼び集め、民族的な基盤を築いてこられました。したがって、この民族的な基盤は、神と万物を代表し、天地のすべての存在を代表することができるイエス様のための基盤となるべきものでしたが、イエス様はイエス様のまま、民族も民族のままに去ってしまいました。ここで私たちの使命と神の使命が決定されたのです。


神を中心に宇宙を新たなる世界として再構築するために、全体の代わりとしてお遣わしになったイエス・キリストを全体の主人公として受け入れるべきユダヤの民は受け入れず、全体の主人公となる使命を持つイエス様はイエス様のまま、民は民のまま消えてしまいました。その結果、神の悲しみはさらに深まったことを皆さんは知るべきです。


イエス様自身が当時のユダヤの民に対して述べられた言葉や示されたすべては、自身の意志ではなく、だれの意志だったのかというと、それは天の意志でした。イエス様は神の摂理の意志を代わりになさったのです。しかし、イエス様を通して神の意志に対立しなければならない堕落した人々との間で矛盾する論争が起こりました。


堕落したこの世界に神の御言葉が現れるとき、その御言葉が民族の前に現れれば、民族を革命させる御言葉となり、個人に現れれば、個人を革命させる御言葉となり、世界の中に現れれば、世界を革命させる御言葉であり、また天地を新たに革命させる御言葉として現れることを、当時のユダヤの民は知りませんでした。


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イスラエルの民は、4000年の間にわたってモーセを通じて下された律法とヤコブに下された契約が彼らの理想を成し遂げ、全体を代表できるものだと信じていました。しかし、神は低い位置から徐々に引き上げる歴史をなさっていました。受育的な旧約時代を経て、成人的な新約時代に至り、完成の段階まで進む天地創造の原則的な経路を再び進んでいる歴史を、イスラエルの民は知らなかったのです。


そのため、イエス様の言葉は当時の人々が容認できない、生命の言葉でした。それは旧約の律法よりも高い新たな言葉であり、従来のものよりも高い新たな価値とのつながりを求める言葉であったことを、当時の人々は知りませんでした。


イエス様が望まれたことは、神の全体的な創造理想を実現することでした。ですから、天地を代わりにして宇宙的な使命を遂行しようと、絶えず革命的な過程を経て現れられたのです。したがって、イエス様がこの地に現れて宇宙的な意志の道を歩まれる時、堕落した人間を本来の位置に引き上げる過程があり、その過程には数多くの戦いと革命的な進展があったことを、皆さんは現代においても知るべきです。


では、この革命的なイエス・キリストの希望はどのような希望なのでしょうか? それは、皆さんが今生きているこの地上の希望ではありません。それは世界を超え、無限の神の国とつながることができる希望です。


この希望はイエス様の希望であり、同時にイエス様と一体化した神の希望でもあります。ですから、神はイエス様に希望を寄せ、イエス様を通じて神の意志を現そうとされたことを人々は知らなければなりません。


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では、イエス様がユダヤの民の前に現れて述べられた言葉や神の全体的な意志を代表した実体とは、どのようなものだったのでしょうか? それは歴史上に存在しなかった新たな真理の主人公として現れたのです。多くの人々が真理を叫んだかもしれませんが、それは個人的な真理にすぎませんでした。彼らはそれを民族や国家を代表する真理だと主張したかもしれませんが、実際にはそのような真理にはなり得ませんでした。


ですから、天地を再び照らし出すことのできる真理を具えて現れたのはイエス・キリストでした。それゆえ、イエス・キリストが述べられたその言葉は、その時代や世界において最高の価値を持ち、新しく革命的なものでした。


もしユダヤの民がこの革命的な真理の言葉が神の意志であることを知っていたならば、これまでの自分たちの生活を捨ててこの真理を追い求めたでしょう。


このような立場に立つユダヤ民族が実現しなければならない一日を破ってしまったのですから、私たちはこれを超えていかなければなりません。結ばれたものを解き放つ使命が私たちにはあります。イエス・キリストの真理を受け入れなかったことにより、犠牲が生じているのです。


神は一つの民族を立て、その民族の中で一つの中心を確立し、その中心を通じて宇宙的な真理の言葉で神の内的な思いを表現しようとされました。しかし、イスラエルの民はこの事実を知らなかったのです。


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イエス様は30年以上にわたり、永遠の真理の言葉を示すべきであったが、彼らの不信心によってイエス様は捨てられてしまった。そのため、人類は言葉の実体を見つける瞬間まで、イエス・キリストが神の意志と思いを代わりにこの地上に伝えようとした宇宙的な新たな真理を追求する必要がある。


今日の信仰する聖徒たちは、イエス・キリストの希望を実現させなければならない。イエス様が証しした言葉は、当時は民族的な言葉として、また世界的な言葉として現れるべきであった。しかし、世界的な言葉として現れることができなかったため、キリスト教は苦難の宗教となったのです。


もしイエス・キリストの言葉が当時、この地上を救う中心的な言葉として現れていたならば、神の力を示すことができたでしょう。個々の人がイエス様の前に従い、イエス様の前に従う民族があり、イエス様の前に従う世界があったとしても、神の意志を担うイエス様はこの地上でその意志を成し遂げたでしょう。しかし、イエス様の前にはそのような個人や民族、世界は存在しませんでした。


そして、イエス様の言葉を中心に据え、イエス様に代わって愛する弟子たち、愛する家族、愛する教団、愛する国家が一体となって神の思いを共有し、神の意志を受け入れるべきでしたが、彼らは自分たちの教団的な枠組みで自分たちが知っている真理を持ち、イエス様に接する立場にありました。そのため、イエス様の御言葉は御言葉通り、彼らは彼ら通りに分かれてしまったのです。


では、今、イエス様が終わりの時の聖徒である皆さんに求めているものは何でしょうか? 私たち自身に恥じることなく、宇宙的な存在となることを望まれ、宇宙的な真理を宣言されました。


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イエス様はこの地上に一人の個人としておいでになりましたが、彼はただの一般の個人ではなく、天下万物の創造の全体を代表した方でした。全ての創造の原理的な真理を代表した方であったのです。


イエス様は、このような価値ある存在として私達のもとに来られましたが、その価値の主人公、宇宙の主人公にはなられませんでした。ですから、皆さん自身がこのような宇宙的な価値の目的を達成しなければなりません。ですから、私達がイエス様を信じると、私達は個人的に真理と出会うことができます。皆さんが霊的な歩みを進めるとき、無限の恩寵が降り注ぐと、それを個人的な神恩としてだけでは理解してはいけません。それは時間をかけて環境的な神恩、教派的な神恩を経て、世界的な神恩にまで広がっていくべきです。そうすれば私達は再び帰還することができます。


神恩が私達に降り注ぐと、個人的な思考から自己の神恩としてだけでは見なしてはいけません。皆さんが個人的な立場から恩寵を受け、個人的な立場でイエス・キリストを通して真理を得たと言うなら、それを私自身のものとして消化すると同時に、この真理を責任を持って世界にまで広めていくべきです。こうして世界と共に進んでいくなら、それは私の神恩となると同時に、天の恩寵となるのです。しかしもし皆さんの信仰観念が、皆さん一人を救済しようとするものであるなら、皆さんは個人的な救済観念にとどまってしまい、そこで終わってしまうでしょう。


いまや皆さんの心に満ちる神恩が個人的なものに留まっていると言うなら、かつてのユダヤ民族がイエス・キリストを十字架につけた過ちを再び犯すことになるでしょう。


私が得た真理が私一人の命を救済するための宗教にとどまっていると言うなら、イエス・キリストの希望を実現することはできません。


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個人を通じて、家庭を通じて、社会を通じて、世界を通じて天の摂理に達する希望の中心を持って語られるイエス・キリストの言葉は、皆さんの個人的な神恩を通じて復活と新たな生命の歴史を成し遂げさせるためのものです。個人的であり、民族的であり、国家的であり、世界的な救済を皆さんを通じて行わなければならないのです。


皆さんは、個人的な救済、民族的な救済、世界的な救済、宇宙的な救済が残っていることを明確に認識する必要があります。


皆さんが父なる神に感謝するとき、個人的な感謝だけでなく、家庭的・社会的・国家的・世界的な次元での感謝を捧げることを知っていなければなりません。また、皆さんが悔い改めると言うなら、個人的な悔い改めから家庭的な悔い改め、国家的な悔い改め、世界的な悔い改め、天の国を巻き込んだ悔い改めをすることが求められます。


いまや個人的な救済観念を超えて、家庭的な救済観念を超えて、社会や国家的な救済観念を超えて、世界的な救済観念を超える時です。そうすることで、皆さんを通じて世界的な回心が始まるのです。もしユダヤ民族が民族的な救済観念から世界的な救済観念まで持っていたなら、イエス様はこのユダヤ民族を通して世界人類を救済されたでしょう。


歴史の過程を経て結実したイエス・キリストの福音の御言葉は真理の御言葉です。それは先祖達が経験し生きた全体の歴史を超越し、皆さんに救済をもたらす御言葉でした。このようなイエス様の御言葉こそが宇宙的な革命の御言葉であったことを皆さんは理解しなければなりません。


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イエス・キリストがこの地においでになり、それまで信じられてきたすべての律法に異議を唱えました。「私を通して、すべての律法は完成されなければならない」と宣言されたのです。このようなイエス様の宇宙的な信仰の中にある御言葉、宇宙的な価値の御言葉の意味をイスラエル民族が理解していなかったために、イエス様を殺したのです。


その御言葉は当時において宇宙的なみ言葉でした。また、愛の面でもイエス様は宇宙的な革命の御言葉を述べられました。


イエス様は「だれも私を愛さない者は私に値しない。また、だれも私を愛さなければ私の弟子になることはできない」と述べられました。これを見ると、神が創造の理想を追求される際には、宇宙的な旅を通して真理を追求していく必要があることがわかります。


人間と人間との関係、そして人間と神との関係を結ぶ際に非常に重要なのは宇宙的な愛です。しかし、人間が宇宙的な愛によって神との関係を築けなかったために、使徒の愛との関係を結ぶこととなりました。そのため、人間は神との理想的な愛を中心に据え、愛の門を突破して上に上る力を失ってしまいました。再びこの愛の門を突破するためには力が必要です。


イエス様は「私を他の何よりも愛せよ」とおっしゃった目的は、イエス様自身が愛されるためではありません。人々がその言葉を信じてイエス様を愛すれば、イエス様は人々を悪霊の支配から解放し、神との真の愛の関係に引き上げるために、悪霊の力よりも強い力で人々を引き寄せるのです。だからこそ、「他の何よりも私を愛せよ」とおっしゃったのです。このみ言葉は預言的な革命の御言葉でした。


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イエス様はこのようにして真理の革命を起こし、また十字架の死によって敵愛の革命を起こされたのです。これは個人対個人の愛だけでなく、家庭的・社会的・国家的・世界的な真理を代表する愛でした。それは宇宙を超える愛の革命でした。


しかし、現代の世界では愛はしばしば自己中心の愛や国家を中心とした愛に囲まれています。今までは自分の国を愛したり、自分の家族を愛したりする程度でした。国家以上、国家権を超えることができる愛は存在しませんでした。


しかし、神とイエス様の希望は一つの民族や国家に限定されません。それは神を中心にして天と地が一つになる理想的な世界を持つことです。ですから、イエス様が示された愛は、自己中心の愛や国家中心の愛ではなく、世界を超えて天に繋がる愛なのです。


イエス・キリストは、福音の御言葉を通じて確立された真実の道は何でしょうか? 


今日、皆さんはどの程度の愛を持っていますか? イエス・キリストは個人の前に立たれませんでした。家族や国家の前に立たれませんでした。宇宙的な愛の主人となり、花婿となられたイエス・キリストは、家庭的な迫害や国家的な迫害を受けられました。


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天地の創造主より、今まで神の愛を感じることができなかった全ての被造物がイエス・キリストを通じて初めて愛の絆を結ぶことができました。このような絆を結ぶ責任はイエス様にあったのです。


そうですね、イエス・キリストが開拓し、見つけ出して確立された愛はどのような愛なのでしょうか?


それは世俗的な愛とは正反対の愛です。人間の愛はせいぜい国家のための愛ですが、イエス・キリストの愛は宇宙的な愛です。つまり、個人を超え、民族を超え、国家を超え、世界を超え、天に至るまで響き渡る愛なのです。


それでは、神の愛はどのような愛なのでしょうか? 両面を持つ愛です。自分だけを愛するのではなく、敵すらも愛するのです。ですから、私達は神を愛すると同時に、敵までも愛することができる存在とならなければなりません。


イエス・キリストの愛とはどのような愛なのでしょうか? それは悪魔さえも思いやる愛です。悪魔までも愛することが神の愛であることを知ったからこそ、イエス・キリストは「しかし、わたしはあなたがたに言います、敵を愛して、迫害する者のために祈ってください」という基準を立てられたのです。(マタイ5:44)


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だからこそ、私達はこの宇宙的な愛の基準をこの地上に築き上げなければなりません。私達が死ぬまでにこの使命を果たせなくても、私達の子孫を通じてでも、この基準を確立する意志を持たなければなりません。


そして、今では感謝の生活を送らなければなりません。私達はキリストの恵みと愛によって生かされており、天からの恵みと愛によって生かされていると考え、キリストと天の前で感謝の生活を送らなければなりません。私が救われたことに感謝するだけでなく、イエス・キリストの宇宙的な使命を代わりに果たすことにも感謝し、イエス・キリストの愛を完成させるために生きることにも感謝しなければなりません。


家族を代表し、民族を代表し、国家を超えてイエス・キリストが十字架にかかりながらも敵を許し愛したその宇宙的な愛を皆さんは知らなければなりません。そして悲しみに打ち勝ち、愛の心で敵を見つめたイエス様の心を皆さんは知らなければなりません。


イエス・キリストは十字架で「成し遂げた」と言われました(ヨハネ19:30)。そう仰るまで、イエス・キリストは自分の悲しみや不正な扱いさえも忘れて、天の御旨を達成するために苦労されたことを皆さんは知らなければなりません。自らの一生を通じて宇宙的な命を取り戻すために、イエス・キリストは自分の苦しみや不正な扱いを忘れ、あらゆる苦難を乗り越えられたのです。だからこそ、イエス・キリストの生涯は自分だけが生きるための生涯ではなく、民族や国家はもちろん、神の国を築くための生涯であったということです。


今日、皆さんはイエス・キリストの命を求める運動をしており、民主主義の世界ではイエス・キリストの名を復活させるための運動をしています。大きな恵みを受け、大きな責任を負っている民族であろうとそうでない民族であろうと、同じです。この地上にはイエス・キリストの福音が残っており、この地上に存在しなかった新しい宇宙的な真理、愛、そして命が残っています。そんな宇宙的な真理、愛、そして命は、皆さんのものになることができるということです。


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この地上の人類を救うために努力された方として、哀れだとすればイエス様よりも哀れな人はいません。イエス様の言葉は世界を代表する言葉でした。地上にまかれるべき真理の言葉であり、地上に受け入れられるべき天の言葉であり、地上に植えられるべき宇宙的な命の言葉でしたが、地上で受け入れられず、おいでになったイエス様は否定されました。イエス様の言葉を当時の人々が信じなかったために、イエス様は孤独になられたのです。


神は6千年にわたり努力されてこられましたが、この神の努力を理解することができる生命の主人、真理の主人がこの地上において現れるならば、地上のすべての良心的な人々は彼を敬愛するでしょう。真理の道を歩む人々がいるならば、生命の道を歩む人々がいるならば、彼と共に歩むでしょう。


このようなことが天が望む基準でありながらも、現代の人々は個人的な愛の基準、個人主義を持って生きています。昔のユダヤ人達もこのような心を持って生きたためにイエス・キリストを十字架につけたのです。このようなことがイエス様の後も続いているという事実をよく認識しなければなりません。


今、私達には天を代表できる新しい言葉、新しい命、新しい愛が必要です。しかし、単に理念的な言葉だけではなく、具現化できる言葉が必要です。


だからこそ、終わりの時代である今日、皆さんは目覚めなければなりません。皆さんは新しい真理、生命、愛を持って民族を救い、世界を救い、天の6千年の怨恨を解消しなければなりません。


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