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還暦リタイアジジイの悠々自適な日々

新春の足利で七福神めぐり

■ 2020年01月11日 新春の足利で七福神めぐり

JR東日本駅からハイキング「足利七福神めぐりハイキング」に参加してきました。

足利市観光協会太平記館で受付を済ませ、七福神を祀る神社仏閣と足利の名所をめぐりました。七福神めぐりの歴史は古く、室町時代に京都で始められたといわれています。足利の七福神めぐりは、昭和17年、まちの繁栄と家運の隆昌、健康増進を願って生まれました。第2次大戦中は中断されましたが昭和50年ごろからの七福神ブームに刺激され昭和62年正月に復活しました。(足利市H.P.より抜粋)

【足利七福神】

  1. 鑁阿寺(大黒天)
  2. 心通院(寿老人)
  3. 本城厳島神社(弁財天)
  4. 長林寺(福禄寿尊)
  5. 西宮神社(恵比寿神)
  6. 常念寺(毘沙門天)
  7. 福厳寺(布袋尊)

▼ 歩行ルート


1、鑁阿寺(大黒天)(http://www.ashikaga-bannaji.org/)は、鎌倉時代、建久7年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山。山号が金剛山、本尊は源氏足利市の守り本尊である大日如来を祀る。約4万平方メートルに及ぶ敷地は、元々足利氏の館であり現在でも四方に門を設け土塁と塀がめぐらされており平安時代の武士の矢亜k他の大影が残されています。(鑁阿寺H.P.より抜粋)

2、心通院(寿老人)(https://www.ashikaga-kankou.jp/spot/shintsuuin)は、永禄9年(1566年)、足利長尾氏5代目の政長が両親(憲長夫妻)の菩提のために創建したと伝えられている。(足利市H.P.より抜粋)

3、本城厳島神社(弁財天)(https://www.ashikaga-kankou.jp/spot/akeshibenten)は、寛政5年(1793年)の建立で明治維新前は通称”明石弁天祀”といわれていました。昔湖の里に清泉が湧く池があったので水にゆかりの深い神として奉祀したと伝えられています。「美人弁天(http://bijinbenten.com/)」は、厳島神社の御祭神、市杵島姫命の分身です。(足利市H.P.より抜粋)


▼ 足利織姫神社(https://www.orihimejinjya.com/)は、宝永2年(1705年)足利藩主であった戸田忠利が伊勢神宮の直轄であり天照大神の絹の衣を織っていたという感は神服織機神社(かんはとりはたどのじんじゃ)の織師、天御鉾命(あまのほこのみこと)と織女、天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の二柱を現在の足利市4丁目にある八雲神社へ合祀、その後、明治12年(1879年)機神山(はたがみやま:現在の織姫山)の中腹に織姫神社を遷宮した。(足利織姫神社H.P.より抜粋)


4、長林寺(福禄寿尊)は、文安5年(1448年)足利長尾家の菩提所として初代景人が創建。境内地には史跡長尾氏歴代墓地があります。(長林寺H.P.より抜粋)

5、西宮神社(恵比寿神)(http://www.ashikaganishinomiyajinja.com/)

戦国時代、関東地方は古河の公方勢と上野の上杉勢が対立、足利地方は幾度も戦場となり街は焼かれ田畑が乱されました。徳川氏の代官風祭太郎左衛門は疲弊した足利を再考するため尽力しましたが、その一つとして産業の神様摂津国西宮大神を栗崎(現在地)に勧進しました。代官所の庇護で始まった神社は宝永2年(1705年)足利藩が誕生すると、地元有志に任され祭祀世話人会が結成され、以来300年、地元世話人会の人々によって守り続けられてきました。(足利市H.P.より抜粋)

6、常念寺(毘沙門天)は、平安末期(1143年)創建といわれています。一遍上人の法孫が遊行中荒廃した寺の再建に尽くされたと伝えられ、仏舎利泰安の寺です。(常念寺H.P.より抜粋)

7、福厳寺(布袋尊)(https://www.fukugonji.or.jp/)は、今から約830年前の寿永元年(1182年)に藤姓足利又太郎忠綱が父俊綱と母の菩提(死後の冥福)を供養するために理真上人を勧請開山として開設されたと寺伝に記録されています。(福厳寺H.P.より抜粋)


▼ 足利まちなか遊学館(https://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikaga-kankou/yugakukan.html)は、中心市街地の賑わいと活力創出を図り地域の活性化に貢献することを目的に開設された施設。(足利市H.P.より抜粋)

▼ 足利学校(https://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikagagakko/)

足利学校は日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は大正10年に国の史跡に指定されています。足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼設などがありますが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439年)関東管領 上杉憲実が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからです。(足利市H.P.より抜粋)


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