■ 2023年02月16日 氏家雛めぐり~いにしえの情景にひたる奥州街道~
JR東日本駅からハイキング「氏家雛めぐり ~いにしえの情景にひたる奥州街道~」に参加してきました。車を氏家駅近くの氏家雛めぐり無料駐車場に置き、さくらテラス駅前情報館で参加受付後、蔦地蔵~氏家宿入口の道標~雷神社~ベイシアさくら氏家店で昼食~高尾神社~与作稲荷神社~船玉神社~浮島神社~鬼怒川河川敷~氏家ゆうゆうパーク~街中雛めぐり~光明寺・不動明王~さくらテラス~駐車場に至るルートを歩きました。
▼ ルートマップ
さくらテラス情報館で参加申込み~JR宇都宮線氏家駅~蔦地蔵~氏家宿入口の道標~雷神社~高尾神社~与作稲荷神社~船玉神社~浮島神社~鬼怒川河川敷~氏家ゆうゆうパーク~街中雛めぐり~光明寺・不動明王~さくらテラス~駐車場に至る11Km
▼ さくらテラス情報館で参加申込み
▼ JR宇都宮線氏家駅
▼ 蔦地蔵・・・安山岩に地蔵菩薩座像と蓮弁台座まで丸彫にした中世期の石仏。
▼ 蔦地蔵近くの商店のひな飾り(大正時代)
▼ 住宅街の稲荷神社
▼ 氏家宿と道標・・・奥州街道の宿場・氏家宿の南端にあたる場所。ここには北向き地蔵と道標、馬頭観音が建てられている。道標の正面には「右 江戸海道」左側面には「左 水戸 かさま 下たて 下つま みち」と彫られている(説明板より抜粋)。この写真の奥方向に続く通りが奥州街道。
▼ 旧奥州街道からみた日光連山
▼ 雷神社
▼ 高尾神社・・・人間の力では自由にならない天候。それらを支配する神が高尾神で、天空や地の底・闇の中にいる神々たちの集団で、雷神・龍神・水神などとなって人々に信仰されてきた。上阿久津の高尾神は鬼怒川と関係の深い水神(龍神)信仰が原点と考えられる(説明板より抜粋)。
▼ 与作稲荷神社・・・遠い昔には勝山の城地の一隅に祀られてあったといわれる。いつの頃か洪水により稲荷神社の小祠は流され、三本杉(現宇都宮市白沢)の根元に留まり、そこにしばらく祀られてあった。嘉永3年(1850)に上阿久津と下ヶ橋村との間に地域論争が起きたが、これを契機として故あって東円寺裏に御神体を祀ったという。村人や奥州街道を旅する者、鬼怒川に船を操る船人たちがこの稲荷神社を詣でるようになると、様々な霊験が現れ、奇瑞が起こったといわれ、爆発的な稲荷信仰が起きた。寺の裏の片隅にあった小社はには、信者の奉加によって本殿や拝殿と社地が造営され、たくさんの鳥居が奉納された、門前には稲荷町ができて、参詣者の飲食遊興の場ととなった。しかし、河岸の衰退とともに霊験談も消え、境内のにぎわいも遠い昔の物語となってしまった(説明板より抜粋)。
▼ 上阿久津の宝篋印塔・・・旧東円寺中興第五世の住職、法印良雄代の正徳5年(1715)に境内に建立された。この塔の基礎には千余個の河原石からなる一字一石の大日経一品が敷き詰められ、中央塔身には舎利箱、蓮華石および「宝篋印陀羅尼経」一巻その他が内蔵されており、塔そのものが本尊仏・大日如来とされている。安永2年(1772)、昭和3年(1928)の二度の修理が加えられて、ほぼ原形のまま保存されている(説明板より抜粋)。
▼ 阿久津河岸・船玉神社・・・徳川家康が江戸城に入部すると、領地である関八州諸国からの建築用材や食料の輸送はもっぱら川船によった。幕府が開かれ、やがて参勤の制が布かれると、東奥の糧穀や物産などは阿久津まで陸送され、ここから川船で江戸へ送られるようになり、さらに商用の荷駄も旅人もこれを利用するようになった。川船の発着所を「河岸」という。阿久津河岸は奥州街道の鬼怒川渡河点にあたり、最上流に位置するという地の利を得て、慶長以来、明治の中期まで水陸交通の要地として300年間の繁栄を続けた。鬼怒川上流独特の川船を「小鵜飼船」といい、また、船頭たちが水上安全の守護神として河岸場に祀ったのが、船の御霊・船玉(魂)大明神である。境内は船の形を模して作られたといわれ、舳の一に神殿があってられており、一般の神社とは趣を異にしている(説明板より抜粋)。
▼ 浮島地蔵尊・・・鬼怒川沿岸の人たちが恐れたのは、洪水や水死などの水難で、それを救済してもらおうと水神や地蔵などの民間信仰が生まれ、特に浮島地蔵が信仰されてきた。どんな洪水にも流れず浮いてその地にとどまり救済する霊力のあるのが浮島地蔵なのです(説明板より抜粋)。
▼ 鬼怒川沿いの道
▼ 鬼怒川の河原から見た日光連山
▼ 鬼怒川の河原から見た高原山
▼ 氏家ゆうゆうパーク
▼ さくら市内を流れる草川沿いのイチョウの木
▼ さくら市内のうすいや呉服店のひな飾り
▼ 光明寺・不動明王座像
▼ さくらテラスに展示されていたひな飾り
▼ 車を置いた氏家雛めぐり無料駐車場
▼ 第20回氏家雛めぐり