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還暦リタイアジジイの悠々自適な日々

北海道函館ツアー2日目

■ 2020年11月20日 北海道函館ツアー2日目

函館2日目は函館山とその周辺を散策しました。湯の川にあるホテル近くの湯倉神社に参拝後、市電で「湯の川」から「十字街」へ。市電下車後は歩きで函館山ロープウェイへ向かいました。当初はロープウェイで登り、下りは歩きと決めていたのですが、ロープウェイの始発は11:30とわかり、仕方なく登山道を登ることにしました。函館山といえば夜景が有名ですが、今回は明治28年(1895)の日清戦争後に日露戦争を想定し、津軽海峡の防衛強化を目的に建設された砲台跡を見に来ました。函館山には旧登山道を使って登りましたが、下りは千畳敷コースをたどって御殿山第2砲台跡~千畳敷砲台跡を見て、地蔵山コース~七曲コースを経て立待岬~石川啄木一族の墓~函館八幡宮~市立函館博物館~赤レンガ倉庫街~函館駅から路線バスでホテルへ戻りました。

▼ ルートマップ・・・函館山ロープウェイ山麓駅から函館駅まで

▼ 滞在したイマジンホテル&リゾート函館(https://imaginehakodate.jp/

▼ ホテルの部屋から見た函館山

▼ ホテルの朝食

▼ ホテル近くの湯倉神社・・・この地に550年も前に温泉が発見され、傷ついた熊が入っていたという伝説があり、昔の人は湯は神様からの授かりものとして元和3年(1617)頃より湯座に薬師様を祀っていた。承応2年(1653)松前千勝丸(のちの九代藩主高応公)難病のおり、母清涼院が夢告でこの湯の存在を知り湯治して全快したので清涼院は喜んで翌年には社殿を改築、薬師様を唐金作りの鰐口とを献納した。その後神社は広く世に知られるようになった。(案内板より抜粋)

▼ 市電で湯の川から十字街へ移動

▼ 市電内と路線

▼ 市電十字街電停そばの交差点にある操車塔・・・昭和41年(1939)に交差点での電車信号現示とポイントの切り替えを手動による遠隔操作をするために建てられたもの。

▼ 市電十字街電停からは歩きで函館山ロープウェイに10:30頃到着したが、ロープウェイ始発が11:30であったため、登山道を使って函館山に行くことに。登山口ある函館山ふれあいセンターに立ち寄り、トイレを済ませパンフレットを入手しました。

▼ 函館山ふれあいセンターから旧登山道を使って函館山へ向かいます。

▼ 登山道にある函館要塞当時の貯水槽

▼ 旧登山道コースにある三十三観音像・・・天保五年(1834)、関西・紀伊方面の西国三十三霊場の土を運び観音様を安置したため、「移土観音」と呼ばれている。現在、函館山では各佐作コース沿いに三十三観音像が見られる。(パンフレットより抜粋)

▼ 函館山の溶岩・・・函館山は約100万年前まで活動していた火山が噴火した溶岩などが盛り上がってできた火山。この岩石はそのころ出来た溶岩で「御殿山溶岩」と呼ばれている。(説明板より抜粋)

▼ 登山道五合目・・・千畳敷コースとの分岐を山頂方面へ向かいます。

▼ 函館山からの眺望

▼ 函館山

▼ 伊能忠敬北海道最初の測量地・・・伊能忠敬は日本最初の実測地図を作成するため、寛政12年(1800)に幕府の許可を受け、東海岸から根室まで蝦夷地の実測を行った。その起点が函館山であったことを記念して昭和32年(1957)4月、函館市が御殿山山頂展望台の側面に肖像ブロンズをはめ込んで設置したもの。(説明板より抜粋)

▼ トーマス・ライト・ブラキストンの碑・・・ブラキストンは1832年イギリスに生まれ文久3年(1863)に日本での事業を起こすために来函し事業を継続しながら鳥類を採集・研究、気象観測も行った。明治12年(1879)には、函館滞在中に道内で捕獲した鳥類標本を開拓使函館支庁仮博物場(現在の市立函館博物館)に寄贈。明治16年(1883)、本州と北海道の動物に著しい違いがあることをアジア協会報に発表して注目され、津軽海峡が「ブランキストンライン」と呼ばれるようになった。(説明板より抜粋)

▼ 函館山山頂から千畳敷コースを使って下山。コース脇にある砲台跡に向かいます。

▼ 御殿山第2砲台跡・・・函館山には明治28年(1895)の日新戦争後に日露戦争を想定し、津軽海峡の防護強化を目的に明治31年(1898)から約4年間を費やして大小4ヶ所の砲台が建設された。(説明板より抜粋)

▼ つつじの広場からの眺望

▼ 入江山コースとの分岐を千畳敷コースへ

▼ 千畳敷コース牛の背見晴所からの眺望

▼ 千畳敷コースにある三十三観音像

▼ 千畳敷砲台跡

▼ 千畳敷広場からの眺望

▼ 千畳敷休憩所から地蔵山・七曲コースへ

▼ 地蔵山見晴台からの眺望

▼ 七曲コース出口から立待岬へ

▼ 立待岬・・・アンテナが見えるピークは地蔵山

▼ 立待岬にある与謝野晶子・寛の歌碑

▼ 石川啄木一族の墓

▼ 函館八幡宮に向かう途中で立ち寄った「弁天寿し」で昼食に「海鮮丼」をいただきました。

▼ 函館八幡宮と紅葉

▼ 市立函館博物館(http://hakohaku.com/)は外装工事中の為、外観写真は撮りませんでしたが、管内見学はできました。敷地内に旧函館博物館1号と2号があります。

▼ ハーバー遭難記念碑・・・・ドイツの代弁領事ルードリッヒ・ハーバーは明治7年(1874)2月に函館に着任したが、同年8月11日、排外思想を抱き外国人殺害の目的で来函していた旧秋田藩士土田崎秀親に、この日の近くで斬殺された。この碑は大正13年(1924)、甥のフリッツ・ハーバー(ノーベル賞受賞者)を迎えて没後50年祭を執り行った時に旧幕碑を遭難地に移し記念碑としたもの。昭和19年(1944)には日本軍に持ち去られ一時行方不明となっていたが、昭和24年(1949)に地中より発見されここに建てられた。(説明板より抜粋)

▼ 明治時代のレンガ積みマンホール・・・明治43年に築造され、昭和57年10月まで72年間にわたり、函館市内で電話の地下ケーブルを収容する設備として使われてきたもので「変形三味線形」と呼ばれている。明治43年船場町に郵便局を新築する際、電話線の地下配線が必要となり豊川町から弁天町にかけて設置されたマンホール14個のうちの1個。レンガの積み方は独特のもので、函館の当時をあらわす文化財として保存。(説明板より抜粋)

▼ 函館公園の紅葉

▼ 高田屋嘉兵衛銅像・・・嘉兵衛は明和6年(1769)に淡路島に生まれ、28歳の時に箱館にわたった。文政元年(1818)に故郷に帰るまで箱館を吉として造船・海運業・漁場経営などを手掛け、国後島・択捉島の航路や漁場を開発し、今日の函館発展の基礎を築き大きな功績を残した。さらに、日露国家間に起った「ゴロヴニン事件」を民間の立場ながら無事解決に導いたことでも有名。(説明板より抜粋)

▼ 十字街交差点近くにある坂本龍馬像

▼ 赤レンガ倉庫・・・倉庫内のショップを散策し土産を購入しました。

▼ 赤レンガ倉庫から函館駅まで歩き、路線バスを使ってホテルへ戻り夕食を頂きました。・・・基本的には昨晩と同じ内容ですが、目の前のグリルで調理してくれる煮込みハンバーグがありました。


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