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還暦リタイアジジイの悠々自適な日々

唐沢山から諏訪岳周回

■ 2021年02月04日 唐沢山から諏訪岳周回

栃木県佐野市にある唐沢山から諏訪岳を訪れました。車を唐沢山麓にある佐野市無料駐車場に置こうと向かっていましたが、そのすぐ手前、唐沢山に向かって左側にある栃本公園に車を置きました。ここはトイレがあるので便利です。佐野市無料駐車場からも歩いてこれる距離にあります。

栃本公園から車道を登って最初の左コーナーの右側に、唐沢山神社に向かう「関東ふれあいの道」入口から登ります。登りきると、唐沢山頂駐車場を経由して唐沢山城跡に向かい、唐沢山神社本殿を経て裏手の関東ふれあいの道を通り、京路戸峠を目指します。途中にある休憩所で昼食を摂り、京路戸峠から松桧神社方面へ向かい途中の分岐から諏訪岳へ登りました。山頂を往復後再び京路戸峠に戻り、多田駅方面に下山し京路戸公園脇を通って、工業団地を通り橋を渡って左折、川沿いに歩いてスタート地点の栃本公園に戻りました。

▼ ルートマップ・・・参考:山と渓谷 栃木県の山、下野新聞社 栃木百名山ガイドブック

▼ 栃本公園・・・唐沢山麓の佐野市無料駐車場の斜向かいにある駐車場でトイレもある。

▼ 唐沢山麓にある佐野市無料駐車場

▼ 鳥居

▼ 唐沢山登山口

▼ 唐沢山駐車場

▼ 唐沢山城跡・・・佐野市の北、高さ240mの山全体をいい、往時の広さ550町歩といわれ、周囲を急崖に囲まれ、眺望は関東平野を一望に遠く北より日光連山、西に群馬連山、秩父、南にアルプス、秀峰富士、東に筑波と誠に自然の要塞である。藤原秀郷公により延長年間築城とされ、この城を中心に天慶の乱を鎮定し、その功により鎮守府将軍として奥州地方にまで威勢を張った。その後、700年間多少の変遷はあったが、秀郷の子孫佐野家代々の居城として関東7名城の一つに数えられ、中世山城の天慶としての旧態をよく今に残し、代々の変遷の後も見られ近世初期まで下る整備の跡もうかがわれる。(案内板より抜粋)

▼ くい違い虎口・・・敵が直進できないように、鍵の手に折れて「くい違い」に造られている。さらに内側は「桝形」となる。

▼ 天狗岩・・・「大槻山」とも例えられる岩山。頂上からの良好な展望を生かし、広く周囲を見張る役目を果たしいていたと考えられる。

▼ 天狗岩からの眺望・・・下に北関東道、遠くに大小山

▼ 唐沢山神社の鳥居

▼ 大炊の井・・・籠城に際、厳島大明神に祈祷しその霊夢により掘ると水がこんこんと湧き出た深さ9m、直径8mの井。今日まで水が枯れたことがないそうです。

▼ 参道の階段

▼ 唐澤山神社本殿・・・御祭神藤原秀郷の流れをくむ佐野市により戦国時代初期に築城された本丸跡に建てられている。公は「むかで退治」の伝説や「天慶の乱」の鎮定から武勇に優れていたことが知られている。その後、700年の間多少の変遷はあったが、江戸時代初期に廃城となり、明治16年(1883)、佐野氏の一族旧家臣等が公の遺徳を偲び唐澤山神社を建立。(案内板より抜粋)

▼ 唐沢山神社裏手から関東ふれあいの道を通って京路戸峠に向かいます。

▼ 途中にある休憩所

▼ 休憩所から関東ふれあいの道へ戻り、京路戸峠に向かいます。

▼ 南見明岳山頂

▼ らくだ岩

▼ 京路戸峠に向かいます。

▼ ハート岩・・・蛙岩・・・梟岩・・・亀岩・・・!?

▼ 京路戸峠を直進・・・村桧神社方面へ

▼ 諏訪岳方面へ

▼ 途中の見晴台からの眺望・・・山麓は切り開かれて太陽光発電になるのかも?

▼ 諏訪岳山頂

▼ 山頂から下り、関東ふれあいの道に合流し京路戸峠に戻ります。

▼ 岩生小楢

▼ 京路戸峠を多田駅方面に向かいます。

▼ 下山道

▼ 京路戸公園

▼ 工業団地を抜け一般路を唐沢山麓の栃本公園へ向かいます。

▼ 左:諏訪岳

▼ 途中から川沿いの遊歩道を歩きます。

▼ 遊歩道から見た唐沢山


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