上咽頭癌&後遺症との戦いぃぃぃぃ!

2013年4月に突如の上咽頭癌ステージ4の告知を受けてからの入院闘病記と退院後の後遺症について、記録をしていきます。

どうやらブログも生き物です的な話

2015年10月09日 | 上咽頭癌


「定時過ぎ なぜか効率 上がってく」でおなじみボクです。


さてさて、ここ最近は夜中に2時間おきに夜泣きする夜行性生物こと
我が娘のおかげで、寝不足気味になっておりまして、
ちゃんと睡眠を確保しなくきゃなと嫁と相談をしております。

前のブログにも書いたとおりで、やっぱり「寝る」って大事ですよね。
私もそうですが、嫁も寝ないと倒れちゃうだろうから、共倒れだけはしないように
互いに「寝る」時間をどうやって創出するかが、最近の我が家の課題です。

そんな寝不足気味な僕ですが、今日はブログについて書こうかと思います。
SNSやLINEなどが全盛のこのご時世に未だにブログを続けている意味はあるのか?

たまにそう思うことがあります。
退院して、休職中に孤独感に苛まれた自分の苦しみのはけ口(OUTPUT)として
書き始めたこのブログもなんだかんだでもう2年近くになるだなと思うと、
それだけ後遺症という「ネタ」が未だに沢山あるんだなと痛感します。

ただ、このブログを始めたおかげでボスこと大舞我さんのブログや、naoさん、
そして、ねこさん、パツさん、ももさん、あと田中ちゃんのブログにもたどり着く事が出来て、
京都弾丸ツアーに行ってみたり、オフ会に参加するまでに至りました。

そして、この前の中華街でのオフ会で始めてお会いする方々から言われたのが、

「ブログ、いつも読んでます」とか、

「食事の記事とか参考になりました」とか、

「歯のケアの話とかマニアックですね」とか、

「京都弾丸ツアーのネタは腹抱えて笑いました」とか、



沢山のコメントをいただきました。
(だったら、コメント欄にも感想書いてよぉぉおおぉー!っと思ったりするんですが(笑))


そんな人達の少しは役に立ってるんだなと思うと、
駄文でもいいから、定期的にブログを書き続けることは、意味があるんだなと
改めて思いました。


そう、「ブログも生き物なんだ」なと。


ある参加者の方に、こう言われました。

「自分が咽頭癌になった時に、ネットで必死に闘病記のブログをグーグルで探したんです」
「でも、検索してヒットしたブログを見ると、殆どが数年前から更新していないブログなんです」と。


で、その方はこうも言ってました。

「咽頭癌のブログが殆ど無い」
      ↓  
「やっと見つけてもブログが更新されてない」
      ↓
「この人もう死んじゃったの?」
と。


そうなんですよね。私もそう思いました。
病気関連のブログで、更新が途絶えてしまうと、、、

A)書く事が無い、書くのがめんどいから更新を辞めた。
B)病気が再発したからブログなんか書いてられないorもう死んじゃったから更新されてない。


上記の二択になるかと思うんですが、大抵の人はB)なんじゃないか?と想像しちゃうと思うんです。


なので、私を含め癌になってブログを書いてる皆さん!!
最低でも1~2ヶ月に1回はブログを更新しましょう!!


内容なんて、何だっていいんですよ。
僕たちはプロのブロガーじゃないんだし。別にブログで飯食ってるワケじゃないんだし。


ほんと、どうでもいい事を書き続けるだけで、見てくれてる人にとっては
「この人は生存している」という「生きてる証」になるんですから。

読んでくれてる人は「この癌になっても、生き続けている人がいるんだ」という
事実が、実は「一番知りたい情報なんじゃないか」と僕は思います。



なので、、、
これからも、くっだらない事を書ける限り書き続けますので宜しくお願いします(ペコリ)




                            書き続ける事も戦いなんですね。

癌という最大の強敵と出会ったらやるべき事の話

2015年09月29日 | 上咽頭癌


「福山は なんだかんだで 巨乳好き」
でおなじみボクです。


ついに福山雅治もついに結婚してしまいましたね。
世の中の独女たちは、また明日会社を休むんでしょうか?
これでイケメンの独身の最期の砦は「加瀬亮」くらいなんでしょうかね。

ちなみに、福山の結婚の陰で、千原ジュニアも結婚して、
真木よう子は離婚したようですね。
大安だからといって良い事ばかりでは無いってことでしょうか。

まぁ、そんな事は置いておいて。今日も癌の話をしますよ。
皆さんは「進撃の巨人」って漫画知ってますか?知ってますよね?
最近、癌って「進撃の巨人」に似てるなと思ったので今回はその事を書こうかと思います。
(※この日記は酔払いながら書いている為、駄文になる確率高め、麺固め、油多めなのでご注意を!)

最近、立て続けに色んな有名人が癌になったり癌で亡くなったりしてるワケですが、
病気っていうのは、人間が住んでいる壁の外側からやってくる巨人だと思うんですよね。
で、普通の巨人だと、壁を壊せずに壁の上から人間に攻撃されてヤラれちゃうんですが、
壁の高さを超える「超大型巨人」が現れると、一蹴りで壁がぶっ壊されてしまい、他の巨人も、
人間界に入ってきて、結局人間は殺されちゃうんですよ。

これって、こう考えられませんかね?
・人類を守る壁= 自分の肉体(体力&免疫力)
・普通の巨人 = 風邪とか命に関わらないレベル病気
・超大型巨人 = 癌とか命に関わる病気

で、ここ数年で、日本人の2人に1人はなんらかの癌になる時代です。
という事は、これを読んでいる貴方は巨人に襲われたかorこれから襲われるかもしれないよと。

で、いずれにせよ超大型巨人が着てしまったら壁は決壊しちゃうわけですが、
じゃあ、超大型巨人が来ないようにするにはどうしたらいいのか?来たらどうやって戦えば良いのか?
当然、そう考えますよね。


巨人にすでに一度壁を壊された私が選択したのは、戦うという「選択」でした。
何が何でも「生きる」という無我夢中の意思で、
病院(戦場)を選び、最新鋭の放射線機器(最大威力の武器)を選び、
抗がん剤も、後遺症は残る事を理解した上で、入院中と退院してからも使用しました。

私が思うに、癌と戦うには、まず治療をしてくれる病院の事を十分に理解して最大の援護射撃を
してもらう必要があります。なんせ癌は最初の一撃が一番肝心だと私は思うので。
中途半端な治療は一番ダメなんです。「会心の一撃」を食らわせてやらないとダメなんですよ。
なんせ未だに人類史上、最大最凶の強敵なんですから。

これから治療する人も、まだ癌になった事が無い人も、もし癌になってしまったら、
治療する場所と治療方法だけは自分でちゃんと決める事をお勧めします。

そうしないと「もし~で治療していたら」とか「もし~をもっとやっていれば」みたいな、
タラレバ的な「後悔」が、一生付きまとって貴方を別な意味で苦しめるでしょう。
それも一つの後遺症として貴方の心に残ってしまうから、治療方針だけは慎重に決める事を
改めてお勧めします。


あと世間では、川島なお美さんと北斗晶さんの事が話題になってますね。

・川島なお美さんは、治療よりも仕事を優先し手術も遅らせて、
 抗がん剤をせず民間療法をやったとか。

・北斗晶さんは、毎年乳がん検査を受けていたけど、見つけにくい癌が見つかって、
 リンパ転移もしてて急遽手術になったとか。


かたや、芸能活動を最優先して治療が遅れて死んでしまった人。
かたや、毎年ちゃんと検診をしていた元女子プロレスラーが、気が付けば乳癌+リンパ節転移した人。

二人の治療が果たして適切だったのか? というか報道の通りだったのか?
まぁ、真相は僕ら一般人には分かりませんが、一言だけ言えることは。。。。


「死んだら終わり」って事です。


どんなに凄い人生を送って来ていようと、死んだら人生は終わりです。
逆を言えば生きているうちは意味があるんだと僕は思います。
だから、仮に間違った選択をしてしまったら、全てはその人の責任なワケです。
なので、くれぐれも選択だけは慎重にしたいものです(私も含む)

・太く濃く短い人生で満足なら、癌になっても治療しなくてもいい。
・どんなシンドイ治療を受けても、色んな後遺症が残っても、周りの人達の為にも生きる。


↑のどっちも本人が納得すればそれは正しい選択なのであって、他人がどうこう言うことじゃない。
最終的に決めるのは自分です。

一番クソなのは、他人が決めた事に勝手に土足で入り込んでギャアギャア言う人だと私は思います。

それでは皆さんも、くれぐれも超大型巨人にはご注意を。。。。
以上、駄文でした。最後までお付き合いありがとうございました。


                                                                                                           生きてる限り戦いは続くんだ。

また生き続ける為の目的が増えた話

2015年09月11日 | 上咽頭癌


【ご報告】

9/11(金) 午前0時51分

私の娘がこの世界に誕生してくれました。


2年前に上咽頭癌になって余命宣告を受けてから、
ボクの彼女は毎日のように治療中の私の身の回りの世話をしてくれて、
死神に拉致されそうだった私を、この世界に引き戻してくれました。

そして、退院後1年後に私たちは結婚をし、
その1年後に、今度は娘を誕生させてくれました。

しかも、陣痛が始まってから夜中に病院に着いてから
1時間弱という電光石火のようなスピードでの超ウルトラ安産。
(私のラマーズ式呼吸法の威力を発揮する機会は微塵も出番なし。。。)

母子共に、超健康。超元気。

不健康なのは私だけ。。。(白目)



本当に彼女は凄い。
この世の中でもっともクリエイティブな事をあっけらかんとメイクミラクルしてくれた。


というワケで、、、

私のパーティには、また一人仲間が増えました。
なので、私はまだ死ねないのだ。




                                 戦いはつづくよ!

退院後2年後の話

2015年08月13日 | 上咽頭癌


「NK細胞・昇竜拳!」




「エアコンを つけるつけない 夏の陣」でお馴染みボクです。

相変らず暑いですな。
なんなんでしょうね。このクソ猛暑は。
流石にエアコンをつけ始めましたが、就寝時につけて寝ると、
翌朝喉がガラガラになってしまうので、扇風機で頑張っていますが、
結局は暑すぎて、明け方に目が覚めてしまいます。

ホント、唾液が出ないって色々大変だなと痛感する日々です。。。
あと1割でも2割でも出てくれないかなぁ(白目)


さてさて、今日は退院後2年経過ということで、久々の東大病院に行ってきました。
そう、半年ぶりのCT検査を受けるために。

朝9時~1番目にCT検査を受けて、午後2時からの診察となっており、
検査結果が出るまで4時間以上暇になってしまったので、一旦病院を出て上野へ
向かうことにしました。

東大の裏口から出て不忍池へ歩いていくと、小雨も止んできて、
少しづつ晴れ間も出てきて、気持ちいいなぁ~と歩いていると目の前に凄い光景が!


蓮が大量にマングローブみたいに生えまくってました。もうボーボーに!
思わず、中国人観光客に交じってスマホで写真を撮りまくりました(私ミーハー!)

そして、アメ横をぶらぶらして⇒カレー屋で昼飯食って⇒東大に戻って待つこと30分。
やっと診察室に呼ばれました。

まず、主治医から単刀直入に「ま、問題ないね」とPCのCT画像を見ながら一言。

「原巣部も、首のリンパ節も、異常無し」
「右肺に若干炎症っぽい感じはあるけど、肺炎のレベルでもない」
「という事で、次回から3ヶ月に1回の診察にしますので」
と淡々と報告されました。


「他に質問は?」って聞かれたので、ダメ元で耳管開放症の事を話しましたが、案の定、
「あー、まぁ上咽頭癌の晩期後遺症だからね。しょうがないよ」って予想通りの台詞を言われました。

「なんか治療とか改善方法ないでしょうか?」と聞いてみましたが、
「漢方薬飲んでるんでしょ?とりあえずそれで様子みましょ。」と一言。。。。(あー素っ気ない)

相変らず「なんだかなぁ~」って対応でした(もう慣れっこではありますが、、、)

その後に放射線科の先生の受診があって、ダメ元で耳管開放症の話をしたら、
「ああ、血行が悪くなるからねぇ、、、血行良くする薬あるけど飲んでみる?」と一言!

おおおおおおお、お願いします!!
ということで「オパルモン錠5μg」という薬を1ヶ月飲んでみる事になりました。

漢方薬とこの薬で、少しでも症状が改善してくれれば良いのですが。。。。
とは言え、とりあえず退院2年を経過して、再発リスクは10%位になったので、
また一歩前進という事で、今日は良しとすることにします。


でも、まだまだ戦いは続く。。。

相変らず一進一退な話

2015年04月20日 | 上咽頭癌



「ちょっとだけ 手助けしたら もう担当」でおなじみボクです。

皆様、こんばんわ。
最近すっかりブログを放置気味になってしまいましたね。すみません。
何とか生きていますよー。細々と生きてますよー。


近況から話すと、身体も精神的にもちょっと参っておりました。
なんだか、何もかもが中途半端なモヤモヤ生活が続いたせいなのか?
ちょっとした「コミュニケーション障害」になっているようです。

人と話をするのがシンドイ時があったりします。
なんか急に、ワケも無く悲しみの波が押し寄せて来たりもします。
なんなんでしょうかね?雨ばっかり降ってるからなのかな?

来週やっとGWも来るし、実家に帰ったりして、少し心も体も整理整頓を
しようかなと思っております。
(そうそう親父の足はかなり回復して、もう車に乗れるようになりました!)


んで、最近の身体の調子なのですが、、、

■ポジティブなこと
 ・辛い物がだいぶ食べれるようになった(カレー、キムチなどなど)
 ・唾液が4割は出てる気がするので、水を飲む頻度が減った。
 ・食事のスピードが上がった気がする。
 ・鼻の調子が良くなった(薬が減った)
 ・鼻の調子が良くなったので耳の調子も多少良くなった。



■ネガティブなこと
 ・唾液が少し出るようになったのに、相変らず米が食えない(致命的に食べづらい)
 ・たまに鼻から水の逆流がある(これが何気に相当シンドイ)
 ・午前中は相変らず声が出にくい(おはよう!が言いづらい)
 ・相変らず「ら行」の発音がしづらいので、会話に困る時がある(特に電話)
 ・二日連続で酒を飲むと、9割の確率で血を吐く。
 ・4/1付けで上司が変わった(正直苦手な人が来た)
 ・突然、手の指先が腫れたりする(2~3日で治るので原因が謎)
 ・相変らず体力が無いので、ちょっと無理をすると翌日熱が出てダウンする。



こんな感じですかね。なんか一進一退といった感じで、
最近は足踏み状態のような感じです。

公私共に、色々考えたり悩んだりすることが多いので、ついつい酒に頼ってしまうケースが
増えてきてしまいました(白目)
そして、たまに朝に洗面所で血を吐いて「嗚呼、またか。。。」と反省をする。


まぁ、これでも去年の今頃に比べたら全然人間らしい生活出来るようになったんですけどね。
「贅沢言ってんじゃねーよ!」って言われてしまいそうですけど、
まだまだ出来ない事のほうが圧倒的に多いので、やっぱり切なくなってしまうんですよ。


この闇は、相変わらず結構深いのですよ。
どうしたらいいんでしょうかね?このモヤモヤ病。
同じ咽頭癌の経験者の皆さんはどうやって克服をしたりしてるのでしょうか?

有給休暇を取得して旅行でもしたい気分です。
でも、まだ有給休暇無いんですけどね。
あと、旅行する金も無いんですけどね。


あー、バルセロナとかイビサ島とか行きたい!


同じ癌経験者が亡くなった話

2015年04月03日 | 上咽頭癌


「お医者様 パソコン見ずに オレを診て」でおなじみボクです。


僕と同じ時期に上咽頭癌になって1年後に再発をしてからも、
闘病ブログをずっと書き続けていた、しげちーさんが4/1に亡くなってしまいました。
彼は年齢も近く、僕のブログにもよくコメントをしてくれていたので、
非常に残念で、今週はなんだかずっと悲しくてモヤモヤしてしまいました。

■上咽頭癌と闘ったり逃げてみたり
 http://ameblo.jp/sinrintei/


タイトルには闘ったり、逃げてみたりと書いてありますが、
彼は全然逃げたりはしていませんでした。
再発して、癌が全身転移しているのに、ほぼ毎日身体の具合と生活ぶりを
書き続けていたのだから。
これは僕のような同じ癌経験者からすると、とても勇気とパワーが必要な事なんですよ。
本当に凄まじいエネルギーが必要なのよ。
ここ1ヶ月の壮絶な闘病生活の日記は、必死に癌に抗う彼の姿がリアルに投影されていて、
僕は言葉を失いました。コメントすら出来なかった。

再発しても分子標的薬やサイバーナイフの治療を行い、一日でも長く生きる。生にすがる。
そして、その生き様を記録に黙々と残すという作業。
彼は最期まで、闘い続けたと思います。本当にご冥福をお祈りします。
彼のブログは咽頭癌サバイバーにとってアーカイブとして残りつづける。
有名な医者のブログなんかよりもずっと、僕らにとっては意味のある事で価値のある事なのだ。


一生懸命生きる。


健常者ではない僕ら癌経験者が、日々生きていて一番辛いことは、
仕事にしても、遊びにしても、100%の能力をもう発揮出来ないという事なんです。
一生懸命生きても、昔のように全力で物事にぶつかって行くことがもう出来ないんですよ。
僕はこれが一番の「後遺症」なんだと思うようになりました。


だから、、、
健常者なのに仕事もダラダラやって一日を過ごしてる先輩や、
特に趣味も無く、恋人も作らずモヤモヤ保守的に生きてる後輩とか、
未だに歩きタバコとかしてる、マイルドヤンキーみたいな輩とかを見てると、


なんか、思いっきりブッ飛ばしたくなっちゃいますね。(マスク狩りしたいね)
もっと、密度の濃い一日を過ごせよと。
そう僕は言いたいのですよ。歯がゆいのですよ。嫉妬してしまうのですよ。
使わないなら、その健常な身体を俺にくれよと思っちゃうのですよ。


ちょうど、今年もわが社には数名の新入社員が入ってきました。
彼らも、最初のスタートダッシュというか、3年間が重要なんですよね。
最初の3年間で、自分のスタンスを確立しないと、大体モヤモヤした思考の社会人になって、
周囲の人間も「アイツは、ショボイ人間だから、そこそこのレベルの仕事だけ頼もう」っていう
諦めの視線で見るようになっちゃうと思うんですよね。
そういう負のスパイラルに入った人間には、遣り甲斐のある仕事なんて来るワケないんだから。
だから、彼らには頑張ってほしいものです。


もう僕は100%の力を出せないから、100%の力を出してる健常者には勝てませんが、
ダラダラしてるヤツには負けたくないな~と思います。つーか勝ってやるわ。


それが、今の僕の生きる原動力になりつつあります。
生きるって、そういう事でしょうよ?

 

                                      戦いは続く。

また桜の季節がやってきた話

2015年03月30日 | 上咽頭癌


「なぜ帰る?できないあいつ。なぜ定時?」 でおなじみボクです。


今年も桜の季節がやってきましたねぇ。
桜を見ると、普通の人なら=花見を連想するのでしょうが、
僕は2年前の桜の季節に癌の告知を受けて、「治療しないと余命半年です」と、
言われて絶望したあの瞬間を未だに思い出します。



「嗚呼、こうやって死神というのはやってくるんだな」と思ったものです。

あの告知から、なんとか2年は経ったわけですが、
未だに春になると気持ちが晴れてこないものですね。
桜に罪はありませんが、あのすぐに花びらが散ってしまう儚さは、
今では僕はあまり好きでは無くなってしまいました。

そういえば、先週に2ヶ月ぶりに東大病院に定期健診に行きましたが、
特に問題なしとの事でした。
次回は5月下旬に受診をすることになりましたが、どうやら放射線科の先生が
4/1付けで、異動になるようで、次回から担当が変わることになると言われました。

耳鼻科の主治医からは特に何も言われてないので、変わらないのか。。。





「嗚呼、変わってくれないかなぁ~」





と本気で思ってしまいました(白目)



話変わって、4/1といえば、僕の会社も人事異動の季節ですね。
自分も去年の9月から復帰して、もう普通の人扱いをされつつあるので、
今回の人事でどうなるのか?ちょっとドキドキしております。

そして会社の同期はドンドン出世をして、僕を追い抜いて行くわけです。
僕はあっという間に、振り出しでペーペーなワケです。

僕もまた仕事でそれなりの立場でゼネラリストとして、仕事をしてみたいなと
思う事しばしばですが、残念ながら身体が付いてきてくれません。

魂は前進したくても、実体が付いてくれないというこの惨めな気持ちは、
あと数年したら「あの頃はホントにシンドかったな~」なんて笑い話になる時が来るのかな?
(ねこさんも似たような事をブログで書いてましたね。)→ねこさんのブログはこちら


前に進めば、眺めが変わる?
もう少し進めば、心が変わる?
さらに進めば、人生が変わる?



まぁ悩んで落ち込んでも、明日は無常にもやってくるし、
これからも色んな後遺症が出てきたりもするんだろうけど、
それでも、人生は前にしか進んでいかないから、目の間に来た出来事をその時々で考えて
自分で適切な答えを出して、噛み砕いて対応をしていくしか無いんだよな。


結局は、これからも「人生はレリゴー!」で行くしかあるまい。
今は、酒飲めるようになって、カレーも食えるようになった自分を褒めてあげよう。


というワケで今夜も黒霧島を飲みます。


                                       闘いは続く。


君と僕は死への距離が、全然違うんだよという話

2015年02月21日 | 上咽頭癌


「殴ったね、親父にはよく、殴られた」でおなじみの僕です。

僕はよく子供の頃に親父に殴られました。
いま思えば、僕が100%悪い愚行をしたときに殴られたので、
今は良い思い出ですが(笑)


ちょっと脱線しましたが、
今日は、そんな話じゃあありません。

先日、某赤羽で咽頭癌サバイバーのお姉さん2人組と飲んだ時に
出た話をします。


僕は、退院してから約1年間自宅療養をしました。
その1年はまさに地獄でした。

食べれない、声が出ない、めまい、吐き気、発熱、嘔吐、不眠、不安、、、、。


まさに「生き地獄」でした。
治療中も地獄でしたが、僕は退院してからのほうが地獄でしたね。

・近所のスーパーに買い物行くだけで精一杯の日々。
・スーパー行っても、食べれる物があまり売ってない。
・収入が無い。
・出世コースからコースアウト。
・それ以前に社会復帰できるのか?



とまぁ、3日に一度は口から血を吐きながら、心は荒んでいくばかりでした。

そして、自宅療養中に見舞いに来る友人や、メールをくれた友人達は、
僕の荒みっぷりに、こう言うのです。

「頑張れ!」と。


いやいや、頑張れねぇよ。頑張れねぇんだよ。これでも頑張ってるほうなんだよ。
もうね。今思えば反論する余力も今は無かったですね。

あと、このフレーズも良く言われましたね。

「もう完治したんだろ?」と。


いやいやいや、完治してねぇよ。後遺症酷いわ。5年経っても再発する可能性は消えねぇんだよ。


そして極めつけは、このフレーズ。

「誰だって明日死ぬかもしれないじゃん。だから同じだよ」と。



いやいやいやいや、全然違うから。

健常者の貴方=「事故」or「病気」で死ぬかもね。
僕ら癌経験者=「再発癌」or「転移癌」or「事故}or「他の病気」で死ぬかもね。


実際はこうだからね。
健常者の皆様とは、死神との距離は全然違うんだという事をもっと理解して頂きたいです。


【まとめ】
癌経験者が嫌うフレーズは、「頑張れ!」と「誰だって明日死ぬかもしれないじゃん」です。
覚えておいて欲しいでものです。




                                        戦いはづつきます。

親父はやっぱりスーパーヒーローだった話

2015年02月08日 | 上咽頭癌


「真冬はね、唾液がすぐに、渇くのよ」でおなじみボクです。

相変らず、寒いですな。
ヒートテックが手放せない日々ですね。


昨日は、久々に実家に親父の見舞いに行ってきました。
昨年末の話では、2月末までリハビリセンターに入院予定だったのですが、
非常に術後の経過も良好で、親父もリハビリを積極的に行った結果、
なんと、1月半ばで退院をして、今は週一でリハビリセンターに通うという
状態までに回復をしたのでありました。


↑左膝にはこんな感じのチタンのプレートが補強で埋め込まれてて、
もうつけたままで問題ないらしい。(30年はもつらしい)


↑右足の踵には骨を密着固定する為に、ボルトが3本埋め込まれてます。
これは骨が固まったら、もっと細いボルトに埋め込め直すそうです。

今は、まだ両足に固定治具をつけて、松葉杖で歩いていましたが、
来週には右足の固定治具も外して、松葉杖を使わないで歩く訓練を始めるそうな。


もうね、74歳とは思えませんよ。なに?この回復ぶり。

「スーパーサイヤ人かよ!」

と思いたくなります。


そして、見舞いに行ったはずの僕は、また逆に親父に励まされて、
帰ってきたのでした。

この人、昔から言葉で語らずに、行動で語りかけてくるんですよね。
やっぱり、この人より先に死んではいけないなと改めて思いました。


身近にスーパーヒーローっているんだね。



                                   生きねば!!

退院後一年半検査の話

2015年01月17日 | 上咽頭癌

※写真はイメージです(笑)

この一昨日の木曜日に、退院後1年半後のCT検査を受けて来ました。
頭~肺まで、造影剤を打ってバンザイをしてCTスキャンのドーナツを何回もくぐって、
10分位で検査終了。

結果としては、右の肺に若干の炎症っぽい反応が出たものの、咽頭部、頸部リンパなどの
再発も無く、食道、肺などにも転移も無しということで、無事に通過できました。

右肺の炎症は、たぶん誤嚥をして糖分がたまに入ってしまうのだろうとの事でした。
想像するに、一番の原因は「ビール」だろうとの事でした(白目)

主治医曰く、固形物を誤嚥すると、反射的に咳込んで、排出する反応を体がするらしいが、
糖分を含む水分は多少肺に入っても、咳払いをしても肺に入ってしまうことがあるそうだ。

なので、今後の飲酒についてはビールは控えめにして、糖分の少ないホッピーや、糖質0の
発泡酒、あと大好きな焼酎に変えていこうと思いました。


え? 断酒しろって?
絶対に嫌でーーーーーす!!


まぁタバコはもうとっくに辞めましたが、酒だけは絶対に辞めれません。
つーか、食べ物も食べれる物が制限されるわ、味覚も可笑しくて、満足に楽しめないのに
酒までも辞めてしまったら、生きてて楽しめる私の娯楽が無くなってしまいます。


昔みたいに、晩酌はもうしませんし、テキーラガバガバ飲んだりはしません。
でも、僕の場合は最低でも週最低に1~2回位は酒を飲まないと逆にストレスが溜まってしまい、
心にとっては結局飲まない事のほうがよっぽど「毒」になってしまう気がしてなりません。


最近よく思うのが、タバコや酒や食生活は確かに発癌の因子の一つではあるのでしょうが、
なんだかんだ一番の原因はやっぱり「ストレス」だと思っている。


グローバルな有名企業で働いている社長さんや有名人などの元気バリバリな人達って、
健康管理を完璧にこなしたり、タバコも酒も一切やってないなんて人はいないと僕は思っている。
(※僕の経験上、元気バリバリな経営者は酒もたばこも嗜んでいる人のほうが多い)

そんなことより、大事なのは「メンタルコントロール」なんじゃないだろうか?

ストレスは日々色んな原因で自分に降りかかってくるんだけど、それを如何に消化して、
自分の好きなことから受ける刺激の数増やして、ストレスよりも上回る人生を送っていくか?
それが、一番の健康管理であり、健康な人生に必要不可欠なものなんじゃないだろうか。


「一番大事なことは、食事管理や運動なんかじゃない」


自由に主体的に生き、必死で物事を考えたり心からワクワクしたりしながら、
自分にいい刺激を自分に与え続ける人生を歩むこと。

<僕の人生に必要なストレスをぶっ飛ばす為の行為>
1)酒を嗜みながら、友人達と酌み交わす飲酒ということ。
2)あと、会いたいと思った人には自分からドンドン会いに行く。そして交流をすること。
3)そして、好きな音楽をみんなと共有するDJを続けていくということ。

というのが、僕は死にかけた経験から得た貴重な「生き方」である。


ストレスが増えたら、それを上回る良い刺激を!



これをモットーに、これからの人生を歩んで行こうと思う。

 

                                      つづく