真実史観で子孫に遺す日本適者生存99年史

歴史には真実と捏造が有るのみ。東大やマスコミ等、虚業が造語の、自虐も保守も革新も右も左も無い!真実の歴史を子孫に遺そう。

原爆慰霊碑原爆死没者慰霊碑広島平和都市記念碑大江健三郎NHK平和の嘘

2008-03-28 09:47:03 | Weblog
史上初のノーベル文学贋賞受賞者大江健三郎と売国奴の館NHKと似非平和団体

 ・・・日本人は原爆を投下させるような戦争を起こした国の人間としての反省を、このように文明的に大きい規模で行ってきたでしょうか・・・

 ・・・広島、長崎のあの大きい犠牲を償うのは私たちなのだ・・・

 ・・・日本の侵略によってアジア全域にわたって大きい死者が出たのは、日本の帝国主義の「膨張」という「病気」がもたらした「悲惨な経験」だ・・・ 『あいまいな日本の私』(大江が世界各地で行った9つの講演の記録)大江健三郎大岩波新書(1996)

 「僕は日本の戦争犯罪を認める」「『あまりにも巨きい罪の巨塊』の犯人は日本軍」「広島・長崎の原爆投下は天罰のようなもの」「広島・長崎の原爆投下は日本人の責任」「中国などにとっては原爆は救世主だった」 「広島・長崎の原爆投下は天罰だ。日本の悪魔の所業に対する当然の報い」「原爆投下は日本の戦争に究極の責任があり、日本人が人類に対する罪を犯した報いだ」「防衛大学生は恥辱」・・・史上初のノーベル文学贋賞作家大江の発言。

 ノーベル賞と言う名前にだまされてはいけない。平和賞や文学賞には、業績を成した人に授与される真の、ノーベル真賞と、政治的意図で傀儡に授与される贋の、ノーベル贋賞、真贋二種の賞がある(もちろん、川端康成はノーベル文学真賞受賞者である)。日本人の覚醒を良しとせず、WW2の非を認めない戦勝国の妖怪がまだ世界にはいる。妖怪が後顧を憂え、傀儡にふさわしい素質の持ち主、侮日で独善軽薄短小な大江健三郎に、最後の白羽の矢を放った。こうして大江は、ノーベル贋賞を受賞した。これが、史上初のノーベル文学贋賞、大江受賞の顛末である。

 ノーベル賞受賞本当の理由「WGIP広告塔」も知らず、ノーベル贋賞を勲章に、WGIP活動を成す大江健三郎を筆頭に、先人である祖父や親への冒涜の輩で溢れている。とても文学者と呼べる代物ではない物書きが、ノーベル贋賞という衣を与えられ、踊っているのだ。妖怪のほくそ笑みも知らずノーベル贋賞を身に纏い、先人の子孫大江が、嬉々として祖父母や親を罵倒し踊り狂う様は、誰が見ても異様だ。白羽の矢を放った妖怪も、まさかここまで羽目をはずすとは思わず、見込み違いを悔やんでいるに違いない。踊りすぎて化けの皮が剥がれ、常人に異様に見られる傀儡は、もはや傀儡の用を成さない。知らぬのは、本人とノーベル贋章の威を借りたい迎合者だけだ。馬鹿息子を通り越し、大江の踊りは異様だ。

 大江は点から点へ跳び線が無く、整合が無い独り善がりの思考回路の持ち主である。ノーベル贋賞受賞で、文章同様意味不明な独善にさらに拍車がかかり、度を越したのだ。纏ったノーベル贋賞が拍車をかけ過ぎ、化けの皮を剥いだと言える。心ある世界の人々が眉をひそめ、発言するのはうなずけるが、これほど踊りすぎて重症になると、つける薬はない。ノーベル賞受賞者と思うから、意味不明が痛々しく感じるのだ。実体はノーベル贋賞受賞者、正体が判明すれば、さもありなんと得心がいく。「大江健三郎は史上初のノーベル文学贋賞受賞者でWGIP広告塔です」として、そっとして置けばよい。間も無く天定まる。天定まれば、異様な輩は消滅する。

「NHKその時歴史が動いた。軍服を脱いだジャーナリスト」

日露戦争でバルチック艦隊撃破した日本海軍高官の生き様を追った話だ。国民を守るには軍国主義が必要と考えていた海軍高官は第一次世界大戦後のヨーロッパに派遣され、そこの国土人民の惨状をみ、考えを変えた。軍隊では国民を守れない、「平和を守る外交こそが大切」と痛感、軍人をやめジャーナリストの道を選び、軍縮を訴え、軍の暴走を批判し続け、「戦争は日本を焦土と化す」と予言したと賞賛し報道した。

 また、NHKの戦争反対者賛美の、半人前つまみ食い売国奴報道だ。弱肉強食の時代は食うか食われるか(逃亡の選択肢もあるが、追いつかれれば同じなので、机上の空論)、服従するか、戦うか、の選択肢しかないのだ。NHKは、米南北、豪の先住民のようになればよかったということか。選択肢は複数だが、選択は一つしかない。世の道理だ。つまみ食い選択不可が現実だ。当時は弱ければ皆侵略された、歴史の事実だ。

 大国でもない小国が、自らも傷つく戦争など、好き好んでやるものなど誰もいない。野生での同属の争いは、傷つくと即刻死亡なので、互いに威嚇するだけで、なかなか戦いには至らない。3時間威嚇だけに終始した猫を目撃している。小国は止むに止まれず戦争となるのだ。大国ならばいざ知らず、小国の戦争は全てそうだ。大国に小国が仕掛けた戦争など史上無い。平和を守る外交が通用していれば、皆平和を守る外交に励み、侵略されなかったはずだ。通用しないから征服された。戦争で焦土と化さない戦争など無い。当たり前のことを予言とは賛美過剰だ。空論を食って人は生きれない、即刻死亡だ。森を見れず木だけしか見えない半人前の空論など、報道に値しない。

 また、金で買われた売国奴が空論を針小棒大にし、先人冒涜愚民化報道しているのだ。服従もせず、戦わずの不可能ねだりの空論報道は、愚民を生み国を滅ぼす。NHKは、日本国民から金を集金し日本を滅ぼす魂胆か。日本が滅べば当然NHKも消滅だ。巣くう売国奴を至急一掃しないと、NHK自身が消える事は常人であれば分かることだ。

 広島長崎の原爆投下17年後のキューバ危機(1962年)でWW3を防ぎ世界を救ったのは、フルシチョフでもケネデイでもない、広島長崎の原爆犠牲者だ。フルシチョフもケネデイも脳裏に広島長崎が浮かび踏みとどまったのだ。「こういうときのために怖さを知るため二種類(ウラン235広島投下・プルトニュウム239長崎投下)の人体実験をした」と、詭弁を吐く愚者もいるだろうが、少なくとも米ソの国民は広島長崎で救われたことは事実だ。新たなWW3を防ぎ平和をもたらしているのも、平和の守護神となった広島長崎の原爆犠牲者のおかげだ。すくなくとも全ての国の指導者は、広島長崎を訪れ、今は平和の守護神となった原爆犠牲者に、感謝の意を表し、惨状を目の当たりにする責任がある。人類も感謝の意を表する責任がある。

 全ての国の指導者を呼び、原爆の現実を脳裏に刻ませること、各国全てに原爆資料館を作り、人類に原爆の現実を刻ませること、風化させず発信し続け語り続けること、これが新たな世界平和を生む。そしてこれが、人類史上初めての被爆国日本に与えられた重大な使命でもあり、原爆犠牲者の総意でもある。人類の平和は日本の双肩にかかっていると言ってもけして過言ではない。キューバ危機を回避させたのは、日本の原爆犠牲者だ。

 使命も果たさず「戦争反対」などと常識(戦争賛成など誰もいない)の愚かな連呼を繰り返し、WW3を防ぎ人類の平和の守護神となった原爆犠牲者を政争の具にし、冒涜する、平和とは名ばかりの似非団体など不要である。似非団体などは至急解散し、被爆国日本に与えられた使命を果たす、原爆犠牲者の総意に基ずく、真の平和団体を立ち上げるべきだ。空論者の集まり似非団体ではなく、政治団体を排除し実利に基づき活動する真の平和団体にすべきだ。原爆犠牲者が嘆くような反日政治団体の隠れ家は不要。反日政治団体だから、下記のような侮辱屈辱国辱となるのだ。

 広島原爆慰霊碑碑文『安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから』には謝罪がない。原爆で虐殺された人災犠牲者の「慰霊(死者の霊魂を慰める)」の「碑文」で、天災の犠牲者の「碑文」ではない。虐殺(人災)した「当事者」が慰霊の場合、「犠牲者」に謝罪し、死者の霊魂を慰めるのが「慰霊」で、人災で加害者の「謝罪」の無い「慰霊」など無い。

「過ち」の主語が人類やアメリカなら、無辜の老若男女の市民を虐殺し尽くし、さらに生存者をも、阿鼻叫喚に叩き落しておきながら一言も、謝罪もせず、殺した本人が殺した相手に「安らかに眠って下さい」は原爆慰霊碑碑文ではなく、原爆犠牲者嘲笑「ちょうしょう(あざけって笑いものにする)」碑文となる。「安らかに眠って下さい」は、殺した本人が殺した相手に使う言葉ではない。使った場合は「嘲笑」の意味しかない。なぜなら「安らかに眠る」ことが出来るのは、殺した本人を霊が赦して、初めて霊は眠れるのだ。霊が赦すかどうかも分からないのに、霊が赦したと、かってに決め付けて「眠れ」は、死者への「冒涜」、ただそれだけである。加害者が被害者に対する慰霊の言葉は、ひたすらの謝罪しかない。ひたすらの謝罪の後に赦すか赦さないかを決めるのは霊で、加害者ではない。加害者に決定権など無いのだ。主語が人類やアメリカの慰霊碑文なら、さも許しを得たかのような「安らかに眠って下さい」は、使えない。どんなにこじつけても、加害者の慰霊碑文として使えないこの言葉が、すべてを否定している。

「安らかに眠って下さい」は、加害者の慰霊碑文として使えない言葉なのだ原爆犠牲者に一言の謝罪も無く、ひたすら今後の誓いだけの碑文、「過ち」の主語は、「日本」だけしかない。したがって「過ち」とは原子爆弾投下ではなく、「過ち」とは大東亜戦争となる。犠牲者の身内「日本」が、「過ち」を犯し、皆様を巻き添えにし、死に至らしめましたが、「過ち」を「繰り返しませぬから」と誓います。誓いましたのでどうか子孫のことは心配せず「安らかに眠って下さい」となり、慰霊の碑文となる。
 
コードを解くと「日本は大東亜戦争という過ちを犯したため、原子爆弾を投下され、皆さんが犠牲になった。大東亜戦争という過ちを繰り返さないことを誓いましたので、どうか子孫のことは心配せず、原爆犠牲者の皆さん安らかに眠って下さい」となる。文意は、「過ちを犯した(原因は日本)から原子爆弾を投下され、原爆犠牲者(結果)となった」となり、全ての責任は大東亜戦争開戦の日本に有とした、原爆使用責任回避の強調文である。すなわちこの碑文は、原爆慰霊碑碑文などと言う立派なものではない。責任者回避のための言い逃れ、言い訳碑文である。原爆慰霊碑碑文などではない、原爆使用詭弁碑文だ。さらにこの碑文には、原子爆弾投下否定など、どこにも書いていない、皆無である。この内容は「過ちを犯せば原子爆弾を投下する」。なんと原爆虐殺正当化、原子爆弾攻撃肯定碑文なのだ。「核廃絶」ではなく「原子爆弾恐喝」碑文「核恐喝」碑文なのだ。

こんな碑文の前でこれまで仰々しく「核廃絶」「戦争反対」を唱えてきたのだ。正に似非平和団体と言える。心があるなら謝罪し解散せよ、原爆犠牲者冒涜もはなはだしい限りだ。こんな碑文で原爆犠牲者が浮かばれるはずなどない。

これまでご丁寧に、「核」は「恐喝」に使えることを毎年世界に発信してきたのだ。「核」が「拡散」するのも道理だ。 

『安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから』は、全世界の戦争犠牲者に対しての人類の平和祈願の碑文なら、「全世界の戦争犠牲者の皆さん、人類はこの過ちを二度と繰り返さないことを誓いますので、安らかに眠って下さい」となり、何も問題は無い。

しかし原爆慰霊碑碑文となった場合は、前述の解釈となり、「原爆虐殺正当化碑文」と化す。対象が、全世界の戦争犠牲者なのか、原爆犠牲者なのかで意味が変貌するのだ。全世界の戦争犠牲者慰霊碑文なのか、原爆犠牲者慰霊碑文なのかで、本意が豹変する。

原爆犠牲者慰霊碑文と見極めての1952年11月5日、ラダ・ビノード・パール博士の解釈

「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である」『パール博士のことば』(東京裁判後、来日されたときの挿話)著田中正明

 原爆犠牲者慰霊碑文と全世界の戦争犠牲者慰霊碑文を混同した1952年11月10日雑賀忠義(碑文の撰文揮毫者広島大学教授)のパール判事への抗議文

「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない」」『ヒロシマの記録ー年表・資料編』/『アメリカの影』p323)

原爆犠牲者慰霊碑文と見極めての解釈

 東南アジア諸国連合(ASEAN)を結成し、アジアの平和確立に寄与した功績で国連ハマーショルド賞を受賞したマレーシアのタンスリー・ガザリー・シャフェー元外務大臣も平成5年(1993)11月に来日した際、この原爆慰霊碑について次のように語っている。

 「以前、広島を訪れた時、小学校の先生が原爆慰霊碑の前で子供達に『日本は昔悪い事をした。これはその記念碑だ』と教えていたのを見ました。それで広島市長に『原爆慰霊碑と原爆資料館は日本人が見るべきではありません。ワシントンに持っていき、アメリカ人に見せて、アメリカ人に反省させるべきではないでしょうか。原爆資料館がここにあるのは不適切だと思います』と言った所、広島市長達は真っ青になってしまったが、やがて彼らも私の意見に賛同してくれました。
 それにしても日本人はなぜアメリカに対して異様なほど怯えているのか。敗戦国心理から早く脱却するべきではないだろうか」(『祖国と青年』平成6年1月号)

 この場所は、原爆犠牲者に対しての原爆犠牲者慰霊の場で、全世界の戦争犠牲者慰霊の場ではない。混同した撰文者、雑賀忠義の間違いは、明々白々である。雑賀忠義は、被爆者だという。怨讐を無理に超えようとして対象を錯誤したのだ。被爆者ゆえの錯誤だ。波風立てず、すみやかにふさわしい場所に移動すれば、それでよい。

碑文変更反対派は皆、考えず鵜呑みし混同解釈しているのだ。どうしてもこの碑文を置きたいのであれば、前記のようなふさわしい場所に置けばよい。ここは「原爆死没者名簿」が納められた原爆犠牲者慰霊の場所だ。原爆犠牲者嘲笑碑と化す碑文は、不要。慰霊の対象が誰なのか考えれば氷解し、論争などに値しないことなのに、政治団体に扇動され、騒ぐのだ。鵜呑みは、愚人化するのだ。

 正式名称は広島平和都市記念碑。しかし、原爆死没者慰霊碑、原爆慰霊碑、と呼称し、市民や県民や国民は、当初より錯誤を指摘していた。広島は、本意の慰霊(死者の霊魂を慰める)碑を、記念碑(世界市民としての誓い、宣言記念碑)と錯誤し、混同したのだ。犠牲者に謝罪し慰霊する場所で、謝罪も慰霊もせず、突然、宣言をしているのだ。宣言だから、記念碑と名付けたのだ。慰霊の場に慰霊碑も置かず突然の、宣言記念碑。錯誤を重ねた、正に広島錯誤記念碑と言える。原爆死没者に謝罪し、慰霊の場にそぐわない広島錯誤記念碑を移動し、至急国辱(広島の錯誤)を雪ぐ責任が、広島には在る。広島の錯誤がこれ以上世界に蔓延るのは、国辱以外の何物でもない。

 数多の職責者は誰も気付かなかったのか、嘆かわしいことだ。占領者はとうの昔に去ったのだ。哀れを通り越して職責放棄に怒りをおぼえる。心あるなら、職責者は即時「原爆虐殺正当化碑文」を移動し、原爆犠牲者に謝罪せよ。そして職責者全員(故人は遺族)で浄財を出し、真の原爆慰霊碑と碑文を成し、職責者の責任を果たせ。碑文は国民から募ればよい。心あるなら、成せ。人は皆錯誤する、錯誤を自ら正せば、人は皆不問に付し、その勇気をたたえるだろう。自ら正さざれば、愚かな錯誤者として歴史に汚名を残す。自ら是正の勇気か、汚名か、どちらを子孫に残すかの選択は、あなた方だ。

 ノーベル贋賞作家、NHK、平和団体、識者は、検証回路皆無の、単なるWGIP録音機だ。鵜呑みせず、知識を一度リセットし検証すれば、誰でも簡単に真実が現出する。立派な親から授かった己の頭を、似非の輩と同じ録音機にせず、検証機にし、似非を一掃し浄化しよう、子孫のために。護国の戦争は「過ち」などに非ず、生きとし生ける物の、自己保存の本能だ。

 今年は愚民化碑文を詫び、「繰り返しませぬから」と誓おう。あの地獄をみれば、たとえ子孫でも「安らかに眠って下さい」などとなど、軽々しく言えるものではない。子孫でさえも、慰霊の言葉がみつからない、無いのだ。しかし人類は今も、救われ続けていることだけは確かだ。慰霊の言葉はみつからないが、この報告を慰霊の言葉とし、子孫は語りかけよう、たとえば下記のように。

原爆慰霊碑碑文

人類の過誤赦(ゆる)してください 

人類は終わりを見ました

人類は永久(とわ)を誓いました

人類は救われました

人類は忘れません

人類に御加護を

感動の涙で洗脳愚民化するWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)「母べえ」goo

2008-02-06 09:04:39 | Weblog
アメリカが民主主義の元祖とたたえた二宮尊徳の言葉
「半面を知って全面を知らないのは、半人前の見識」
「まちがった学者、教育者は、生臭坊主と同じ」

極悪日本軍を潜ませ、かもし出し、感動の涙で洗脳愚民化する史上最も危険なWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)「母べえ」。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの真の恐怖、戦後63年経てもなお続く、子孫の捏造先人冒涜。

WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の手法が手に取るように分かるWGIPの見事な手本、映画「母べえ」と、無意識の内に愚民と化した人々。

下記は松竹映画「母べえ」公式サイトの感動の声です(http://www.kaabee.jp/static/)

母って、こんなに凛とした美しい存在なんですね。この映画には人間と時代の確かな匂いがありました。
―――あさのあつこさん(作家)

狂気の時代の怖さに身ぶるいした。誰がこれを過去の話と言えるだろうか。
―――天野祐吉さん(コラムニスト)

あんなひどい時代。でも強い「昭和の母」がいて家庭の幸せがあった、と宏べえも思った。
―――荒俣 宏さん(作家)

あの時代にいるかのように心に届く戦争と人間の哀しさ。吉永小百合さんの新代表作が誕生した。
―――有田芳生さん(ジャーナリスト)

家族が川の字に寝ていた時代のぬくもり。それを引き裂く戦争のむごさ、愚かさ。今なお戦争は他人事ではない。
―――井沢 満さん(脚本家)

観終わって街に出た。気づくと泣けていた。この映画は祈りのようなものだ。
―――犬童一心さん(映画監督)

あの時代の日本の母は、優しくて美しく、そして強かった。母べえは至る所にいたのです。
―――内田忠男さん(国際ジャーナリスト)

どこまで苦しめるの、戦争は。哀しい。でも母べえの傷つき細い胸には愛がいっぱいだった。
―――海老名香葉子さん(児童文学)

暗い時代を生きた母べえたちがいて、今がある。未来がある。平和を確かなものにしたい。
―――小川和久さん(軍事アナリスト)

治安維持法を題材に取り入れ、この法体系が愚劣で悲惨に「戦争のみち」へと人びとを引き込んでゆく過程を描いてみごとである。
―――奥平康弘さん(憲法研究者)

“戦争はイヤだ”という山田監督のメッセージが、強く胸に迫りました。
―――おすぎさん(映画評論家)

幼い頃戦争を体験。私と妹を必死に守ってくれた母の姿と重ねあわせ、何度か涙しました。
―――桂 由美さん(ブライダルファッションデザイナー)

軍靴が鳴り響く中、守り続けた家族の絆と揺るがぬ信頼。優しさこそが本当の強さであることを心の底から感じさせてくれる作品だ。涙が止まらなかった。
―――蟹瀬誠一さん(ジャーナリスト、明治大学国際日本学部長)

笑って泣いて。心のそこから平和じゃなくちゃいやだって、悲しいとかではなく本当に平和であってほしいという気持ちでいっぱいになる。
―――「徹子の部屋」より 黒柳徹子さん

ただいるだけであたたかい、そんなものが他にあるのだろうか。家族の絆、家へ帰りたくなる映画です。
―――財津和夫さん(シンガーソングライター)

ユーモラスな心優しい青年、山ちゃんがふと寅さんに重なった。となると、母べえは日本の永遠のマドンナということになる。
―――鈴木敏夫さん(スタジオジブリ・プロデューサー)

セットから演技まで、全てがホンモノ。人の心を素直にしてくれる力がスゴイ。吉永小百合の代表作。必見。
―――高畑 勲さん(アニメーション映画監督)

男たちが次々と死んでいく戦争の時代、片隅で耐えて静かに生きた昭和日本の母の吉永小百合が、切なく美しい。
―――立松和平さん(作家)

弱きを切り捨て・強きに擦り寄る、富すれば鈍する平成ニッポンの空気に警鐘を鳴らす山田洋次監督・渾身の結晶。
―――田中康夫さん(作家・参議院議員)

信じて待つ豊かな心、強くも、やさしくもある母べえは、私の思い描く理想の母親像になってしまいました。
―――谷 亮子さん(柔道)

吉永小百合が女優の全生命を賭けて、平和の大切さを呼び覚ませた。
―――田原総一朗さん(ジャーナリスト)

私はこの時代の子ども。こんな母べえや父べえを知っています。忘れてはいけない時代。山田監督べえに敬礼!
―――中村メイコさん(女優)

戦争を知らない世代にこの恩恵を届けることは、外野席の我々にとっても望外の幸せ。
―――野坂昭如さん(作家)

“なんとかなる”と母べえはたおやかに言う。こんな母親に育てられていたら、私の人生は一変していただろう。
―――藤田宜永さん(作家)

壮絶なそれぞれの世相を映し出しながら
哀しくてもなお美しいある一家にまつわる愛情物語だ。
―――藤村俊二さん(俳優)

混沌とした今の世の中、「偽」という字が選ばれる世の中、清々しい人間の生き様に感動しました。それにしても吉永小百合さんの美しさには脱帽です。
―――みのもんたさん(司会者)

あの時代、日本人はみんな愛国熱、反戦派は少数と思われがちだが、国とのかかわりは最少に、なろうことなら表だって非国民と言われず、日々の営みを楽しみたい人もいた。
―――森 毅さん(評論家)

きっとあなたの「母べえ」にすべての人が心の中に持ち続けている永遠の母親像・野に咲く小百合の優しさに満ちてそのなかに毅然とした母の姿が浮かび出ることでしょう。
―――森 光子さん(女優)

この映画の時代をリアルタイムで生きたぼくは最初から最後までどっぷりとはまってしまった。登場人物はその時代そのままに生きて動いている。
―――やなせたかしさん(絵本作家)

「母べえ」はまさに吉永小百合さんそのものです。母親の強さと同時に、やり場のない悲しさや切なさが心に迫ってきます。
―――渡 哲也さん(俳優)

<五十音順>

 上記感動者は皆非生産者だ。非生産者は国民に嫌われれば生活不可。時流への迎合を第一の業とし、事実か否かの実事求是などは二の次で、人を楽しませるのが第一の業なのだ。咀嚼せず鵜呑みは危険。

 それでも上記の感動者に惹かれ、善良な国民は涙を流し流布するだろうが、「母べえ」は、「日本極悪軍人」WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)をさりげなく静かに国民に潜ませる、これまで最も危険な亡国の書で映画だ。幼くして父と死別。作者野上照代の両親への思いが、長年にわたり昇華し結晶化したこの著作は、父母への子の思いを綴った名作である。子から親を見た実話で名作である。実話だがしかし、潜まされ、かもし出される主題「日本極悪軍人」などではなく、真実は真反対の「日本護国軍人」で「母べえ」は歴史の真実ではない。木ではなく森を見た時、真実では無いのだ。名作故に純真な人ほど「母べえ」悲劇の起因「日本極悪軍人」と錯覚しいきどおり涙する。涙した人は歴史の真実、真の侵略者を忘れ、「日本極悪軍人」にいきどおり、洗脳された愚民と化す。こうして愚民が生まれる。このように、本人が無意識の内に静かに洗脳されるが故に、最も危険なのだ。「母べえ」は、史上比類なきWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)だ。

 映画「母べえ」原作は、長年に渡り黒澤明監督のスクリプターを務めた野上照代が、幼い頃の家族の思い出を綴ったノンフィクション作品。舞台は、昭和15(1940)年の東京。夫の滋と二人の娘とつましくも幸せに暮らしていた野上佳代。その平穏な暮らしは、ある日突然、滋が治安維持法違反で検挙されてしまったことで一変する。

 映画「母べえ」は、戦時下戦争反対をとなえた「父べい」がつかまり、「母べえ」が苦労しながら」「初べえ」「照べえ」の二人の娘を育てるお茶の間から見た戦中戦後の実話である。お茶の間から見た一方的な実話のため、弱肉強食の時代背景や反共戦争の実体などは一切皆無である。一元史観の実話のため、「戦争反対を唱えることが、国を批判するとして罪だったこの時代」「反戦平和を唱えてなんで治安維持法で捕まるのだ」のような「父べい」と同様の時代背景無視の、時代錯誤の解釈となる。真の侵略者は隠蔽され、護国軍の殉国者は犬死とされ、遺族は無駄死にの遺族、と冒涜され、極悪日本軍の仕打ちに耐えた立派な母「母べえ」となる。ちゃぶ台から見た一元史観の意図はまさにここなのだ。まさにこれがWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)なのだ。「・・・そこにはまず、『日本の軍国主義者』と『国民』とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった『軍国主義者』と『国民』とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」非生産者の鑑江藤淳著『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』文藝春秋文庫

 日本が侵略者であるなら、おろかな戦争で、反戦平和運動や「父べい」の戦争反対は成立する。真実の日本は侵略者などではなく、日清、日露、大東亜戦争、何れも10~30倍以上の侵略者との反共戦争、護国のための自存自衛戦争だった。映画「母べえ」はここを意図して描かなかった。真実を語れば、極悪日本軍の仕打ちに耐えた立派な母「母べえ」が成立しないからである。「父べい」の悲劇が成立しないからである。耐えた母ではなく、売国奴の妻になり、悲劇の母には成らないからである。お涙頂戴に成らないからである。映画「母べえ」のお涙頂戴の悲劇の条件は極悪日本軍が必須の条件となるのだ。なんと事も有ろうに映画「母べえ」は、真実を隠蔽し、金儲けのために護国の日本軍とご遺族を冒涜したのだ。この時点で売国映画、侮日映画と化しWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)映画と化した。それにしても見事なWGIPだ。

 第58回ベルリン国際映画祭(2月7~17日)の最高賞を競うコンペティション部門に正式出品されるという。まだまだ世界には日本の覚醒を喜ばぬものが居る、侮日で大江が受賞したように、映画「母べえ」も、受賞するかもしれない。がしかし日本では、今後名作としてではなくWGIPの典型的な見本として、歴史に刻まれることは間違いない。

 資源無き小さな島国日本、護国のため子孫のため自然権「私」を捨て「公」に殉じ、人づくり物づくりで一丸となり、先人は弱肉強食の時代を乗り越えた。資源無き小さな島国日本を救った人づくりや物づくりが、戦後、教授や日教組や公職者や作家などの迎合者に破壊され愚民化され、今まさに危機に瀕している。

 

 生産者は真実を指針としなければ即亡国の危機に瀕する、「私」無き「公」の実事求是主義者でなければ成り立たない。非生産者は、真実か否かなど無関係、ただ時代の指針に迎合する、「公」など皆無の「私欲」に満ちた幇間主義者だ。この非生産者の幇間主義者が戦勝国のWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)に真っ先に洗脳され、当の昔に撤退し、今は存在しない幻の占領軍の手先となって、戦後63年経ても戦勝国のWGIPを作動している。戦後63年経て今年発表の映画「母べい」、この先人冒涜映画「母べい」は、正にWGIP映画そのものだ。当の昔に洗脳者占領軍は撤退したのに、戦後63年経てもなお続く子孫の大江や石原や山田などの捏造先人冒涜。WGIPによる洗脳愚民化の恐怖は、正にここにあるのだ。

 学生時代は知識を検証せずひたすら丸暗記する、社会に出れば現実社会だ、現実と対峙し照らし合わせ咀嚼し定説を是正する、世の習いだ。ところが非生産者は卒業しても学生時代と同じ実技無き知識のみの、非現実社会に留まるため、己が知識を金科玉条と信じ、咀嚼、検証など皆無、好例が前述の大江や石原や山田なのだ。思考回路は丸暗記の学生時代に留まり、進歩皆無。非生産者は、非生産者の鑑江藤淳(閉された言語空間)や曽野綾子(沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実)に学び、遥か昔の学生時代に丸暗記した干からびた知識を金科玉条とする己を一旦リセットし、愚民から覚醒し、知識を咀嚼し、先人、立派な親から授かった己の頭脳で語れ。

日本は侵略者ではない、日本軍は護国軍。更に詳しくは下記へ。

「母べえ」を侮日愚民化洗脳映画に吉永小百合を売国奴にしてはいけない
http://sinzitusikan.iza.ne.jp/blog/entry/462259/


侮日国へのODA(政府開発援助)「公」が欠落した戦後日本の売国奴外交

2007-04-21 16:14:19 | Weblog
侮日国へのODA(政府開発援助)「公」が欠落した戦後日本の売国奴外交

○中国 直接の対戦国前政権「中華民国(台湾)・蒋介石」が、対日賠償請求権を放棄し完結している。現政権に賠償請求権無し。対中ODAは、1979年より開始され、これまでに有償資金協力(円借款)を約3兆1331億円、無償資金協力約3兆円以上のODAを実施してきた。合計総額六兆円以上の巨額な経済援助をし続けている。愚民化政策なので、非公開、中国国民は一切知らない。 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/index/kunibetsu/china.html

○韓 国 は日本軍だったので、賠償請求権無し。(1965年に開始)1080億円無償協力 720億円有償協力 1080億円以上の民間借款。 ODA(1998年度まで) 愚民化政策なので、非公開、韓国国民は一切知らない。 
http://www.u-tsukuba.com/2ch/view/tkch/1051681290/  

 愚民化捏造政策党助長の起点はここだ。愚民化捏造政策党は担当者を一本釣りし、ロボット化し操り小間使いにした。日本の代々の担当者は、どんなに侮日非難されても、弱点を握られたロボットなので援助した。ほとんど戦ってもいない世界最大の侮日国家に、最大援助する奇妙な理由は、マスコミと政府の担当者が、一本釣りされ、ロボットと化し、操られた、まさにこれなのだ。非常識を助長する日本の親中、親韓、親朝は、皆、愚民化捏造政策党のロボットと考えてよい。侮日国家などに、援助はしない、それが一般常識だ。

 ロボット化した政治家、外務省、マスコミ等、精神の欠落した、いかに大勢の愚かな売国奴が居るかということの証明だ。典型的な売国奴だ。非製造業だから、未検証でこんな愚かなことをするのだ。製造業ならとうにつぶれている。戦後、日本精神で日本の基幹産業製造業が繁栄を築き続けている。がしかし、日本精神を失った売国奴の非製造業は、絶えず足を引っ張り続けるだけで、助けとなっていない。これが日本の赤裸々な戦後史の現実だ。戦後の非製造業は公が欠如し、私だけだ。

 しかし売国奴ばかりと悲観するのはまだ早い。日本精神「公」で売国の鎖を断ち切る、日本国が待望した者がやっと現れた。小泉首相だ。まず日帰り外交で、ロボット化防御。ついで、北朝鮮と外務省担当者は、拉致を否定させ、寺腰さん親子のような状態に拉致家族をしようと画策しているのを見抜いた。外務省担当者と外務省を、北朝鮮の操り人形と喝破し、北朝鮮の落としどころを見切った小泉首相は、誘いに乗ったようにみせかけ、土壇場で北朝鮮の逆手を取り五人を帰さなかった。外務省担当者と外務省の売国行為を小泉首相の日本精神が制したのだ。

 愚民化捏造政策党は議員や記者、外務官僚、経団連役員、新聞社社長、TV局社員や社長を一本釣りし、弱点を握りスパイ化し、日本に送り込んでいるのだ。愚民化捏造政策党はなんでもありなのだ。目的のためならばあらゆる悪行を行うのが愚民化捏造政策党だ。戦後日本人捕虜をスパイ化し、「中帰連」として日本に送り込んだ。歴史が語っている。小泉首相訪朝の覚悟で訪問しなければ、たちまちロボットにされるのだ。

 靖国参拝、侮日する対中外交無視。売国奴の巣窟橋本派瓦解。野中広務議員退職。田中真紀子更迭。加藤紘一無視。等々、売国奴をあぶり出し、小泉首相は正道に導いた屈指の政治家として名を残すことは、間違いない。

 国家で仕掛ける罠に民主主義国家の個人は、確かに弱い、今後も続くだろう。しかし我々国民は今、売国奴報道ではなく、国民の声インターネットを手にした。国民の声で売国奴を摘み取ればよい。護国せざる者、皆売国の輩だ。

 捏造が国是の国家が、必滅するのは、歴史が証明している。大東亜戦争の元凶、世界征服を企てたソ連共産党(1903~1991)は88年間で解散した。中国共産党(1921~)創立。アジアの真の夜明けは、間近に足音となって聞こえている。満州、新疆ウイグル自治区、内モンゴル自治区、チベット自治区などの万里の長城以外の軍事占領されている約半分の領土を有する国家は、ソ連崩壊後のように皆独立するのは間違いない。中国人も覚醒し始めている。狂惨党の一党独裁政治を打破し、中国史上初めて、自らの手で政治を治める記念日も近い。世界の元凶、大東亜戦争の起因、狂惨党が滅び、先人の思い描いた、真の大東亜共栄圏が完成するのは間近い。日本の役割は甚大だ。我々子孫は禍福史観で至急覚醒し、先人の大願成就のために、その時以後を念頭において、すべて行動すべきだ。まず子孫の日本が先導して、アメリカ、オーストラリア、アジア近隣諸国に呼びかけ、軟着陸の方法を協議し役割を分担し、その時に備えるべきだ。世界の元凶狂惨党を、延命するODAは不可。

 (注・なぜ狂惨党は世界征服をすぐ企むか。閉鎖し国民を愚民化することで、狂惨党国家は成り立つ。狂惨党国家は国民を愚民化するため、進歩せず、他国に遅れることは必然なのだ。結果、狂惨党国家として未来永劫存続する為には、世界をすべて狂惨国にすることが条件となる)

アメリカの負い目(原爆空爆無差別大虐殺60万人)払拭用すり替え作戦

2007-04-02 14:18:18 | Weblog
アメリカの負い目(原爆空爆無差別大虐殺60万人)払拭作戦 
大東亜戦争日本対アメリカを、日本極悪軍人加害者対か弱い被害者日本国民にすり替えた。

「太平洋戦争史」 
 20年十二月八日。GHQは、真珠湾攻撃から4周年にあたるこの日、全国の新聞に連載記事「太平洋戦争史」(GHQ民間情報教育局提供)を掲載させた。連載は10回にわたり、満州事変から終戦に至るまでの「日本の悪行」を強調する内容のプロガバンダ史だ。

「真相はかうだ」
 昭和20年12月9日からベートーベンの5番が流れNHKラジオ責任すり替え捏造番組「真相はかうだ」が始まった。
 敗戦から四カ月、GHQの指導下、NHKラジオは「真相はかうだ」後の「真相箱」を開始。「太平洋戦争史」をドラマ仕立てにしたもので、週1回、日曜午後八時半から三十分、9日から10回放送された。しかし再放送があり、結局、放送されなかったのは週に二日だけであった。

 少年の素朴な問いに、反軍国主義思想の文筆家が答える形式のドラマだ。「日本を破滅と敗北に導いた軍国主義者のリーダーの犯罪と責任を日本の聴取者の心に刻ませる」目的で、内容は一方的なものだった。(民間情報教育局ラジオ課)大人は真相箱を「偽相箱」と呼び、大人には嫌われた。

 「日本人は大本営や軍部に巧みにだまされて、戦争に引きずり込まれたのだ。米国はこの気の毒な日本人を救うために、日本の軍部を叩きのめして、いかにこの戦争が無益なものであったかを思い知らしめるために、止むを得ず原子爆弾を使わなければならなかった。原子爆弾の投下は、戦いをなお続けようとするなら、日本は迅速かつ徹底的な破壊を被るという連合国側の予告を、日本の指導者が無視した結果なのだ。従ってすべては日本の軍部の責任であり、憎むべきは日本の軍部であることを、日本人は今こそ自覚しなくてはならない・・・」責任を逆にすり替えた謀略宣伝なのだ。したがって「太平洋戦争史」と「真相はかうだ」などが扇動するところの逆が真実なのだ。

 この「捏造箱」は「真相はかうだ・質問箱」、「真相箱」、「質問箱」と、名前・内容を少しづつ変えながら、昭和二十三年八月まで三年間続けられた。一方、『太平洋戦争史』は翌年四月に単行本として出版されベストセラーとなる。出版前に、文部省が「各学校は各々これを購入の上、教材として適宜利用せらるべきものとす」という通達を出していた。ここで教員は更に洗脳された。

 学校教育でも1945年12月31日、民間情報教育局は、修身、国史、地理の学校の授業を即時中止するよう指令を発し、これらの教科書がすべて回収され、国史教材として『太平洋戦争史』を用いた。この本は、日本国民は軍部にだまされていた、悪いのはすべて軍部だ、原爆や東京大空襲など無辜の民に対する戦慄すべき大量虐殺も、アメリカではなく軍部のせいだとするものであった。戦争を日本対アメリカでなく、か弱い被害者日本国民対極悪加害者軍国主義者に洗脳教育ですり替えたのだ。子供は関心が薄い新聞やラジオなどではなく、なんと信頼すべき身近な教師によってほとんどが洗脳されているのだ。

 修身教育とは、古今東西の偉人の逸話を通じて、努力、忍耐、責任、公益、勤勉などを子供たちに学ばせ、人格を育成する教科だった。 

 「精撰『尋常小學修身書』」の監修者、八木秀次は、修身教育について次のように話している。「・・・修身を学んだ世代は具体的な人物像を通じて血の通った形で道徳を学んでいた。・・・共通の人物像を結ぶことで、親と子が、兄弟が、夫婦が、職場の同僚が、共通の了解を行ない、それが人々の間に価値観の共有とコミュニケーションを生んでいる。ここには『世代の断絶』も『価値観の相違』ということもない」。

 戦後の日本では、戦前の修身教育は軍国主義の象徴と見なされ、全否定された。戦後、「公」ではなく「私」優先のわがまま教育がなされ続けた。これが戦後教育の実態である。現在の日本の世相はその結果なのだ。

 日本人は護国のため、家族のため、大人は一生懸命生き抜いて投降せず、最後まで全力を尽くし戦ったが、負けた。しかし敗戦後、アメリカの負い目払拭の洗脳の嵐の中、大人は屈せず洗脳されなかった「終戦から7年後の昭和27(1952)年に日本が独立すると、戦犯釈放運動で成人4000万人の署名が集まった」。そして、1946(昭和21)年1月、昭和天皇は人間宣言して、その年の2月から9年かけて、日本各地を巡幸の際、国民(成人)は温かく迎えたではないか。

 しかし、空虚な子供の心に学校で刷り込まれた、か弱い被害者国民対極悪加害者軍国主義史観は、今では加害者アメリカを、完璧に消滅させ、生き続けている。『太平洋戦争史』この捏造が現在に至るまで残るのは、当時の子供への洗脳が、いかに有効だったかである。サイパン・沖縄などの民間人が巻き込まれての死は、アメリカが攻撃したから死んだのだ。アメリカが攻撃しなければ死んでいない。起因は敵国アメリカなのに、戦争なのに、日本国の戦陣訓、日本国の極悪軍国主義に殺されたと何度も再放送するNHK、元NHK職員、マスコミ、。日本はか弱い被害者国民対極悪加害者軍国主義史観に、すっぽりと覆われている。目覚めよ、日本よ、日本人よ。

資源が無い小さな島国日本は、資源封鎖され兵糧攻めされれば風前の灯だ

2007-03-26 11:14:34 | Weblog
 原点を忘れた人々よ、原点に回帰しよう。まず回帰し、世界全図で日本を見よう。日本は、10~20倍以上の超大国に囲まれた、資源が無い小さな島国なのだ。日本は資源が無いので資源を輸入して加工して輸出、物づくり以外の選択不可の、小さな島国なのだ。資源が無い小さな島国日本は、資源封鎖され兵糧攻めされれば風前の灯なのは、誰の目にも一目瞭然である。なんと時代は、弱肉強食(生命体の自己保存の本能の戦いの為正邪は無い。強いものが勝ち、敗者は従うか、あるいは消滅する)が常識の時代だ。満州や朝鮮半島が敵に占領され、海上封鎖され、兵糧攻めされれば、瞬時に亡国となる弱点克服に、皆苦慮し、封鎖防御のため大陸に進出し、頼ってきた朝鮮を併合し、対清、対露、対中、対ソに備え、弱肉強食の時代を乗り切るため、日本丸に乗船し天皇を中心に護国という「公」のため、一丸となった。いわば開国以来の日本の歴史は、生命体の自己保存の本能に従った、護国のための苦慮史と言える。護国のため皆「公」に殉じた、「公」の時代であると言える。台湾朝鮮も搾取ではなく、資金を投入し開発育成統治し、富国強兵に励み、一丸となった。(注・詳細は後述するが、戦後「私」が蔓延し、現在も蔓延し続け、諸悪の根源となっている。戦後日本国基幹の物づくり社会だけに「公」は残り日本の礎となり、日本は繁栄し、現在も日本繁栄の根幹となっている。)

 弱肉強食の時代に対応した護国の戦いを、攻めなければ攻めて来た時代なので、お互いに、とやかく言うことは出来ない。攻めなければ攻められた(日清、日露戦争)時代なのだ。敵に先手をうたれ、生命線の満州や朝鮮半島が占領され、海上封鎖され、兵糧攻めされれば、資源が無い日本は必滅。後手にまわれば、日本は必滅しかない。小国日本必勝の選択肢は、先手しかなかった。先手(大陸進出)は、資源が無い小国日本の、弱肉強食の時代への唯一の対応策なのだ。読者の皆さんも護国責任者の立場で考えれば、このことは簡単に分かることなのだ。

 弱肉強食が常識の時代の大東亜戦争では、宗主国は、「ABCD包囲網」と呼ばれる経済封鎖網によって対日資源封鎖(対日戦必勝パターンで宣戦布告し、降伏せよとせまった)した。資源封鎖する宗主国からアジアを皆解放し独立(貿易の自由化)させ、資源確保することが、護国への唯一の道であった。仮に日本台湾朝鮮が、ハルノート(最後通牒)に屈服、生命線の満州や朝鮮半島から撤退し、戦争を回避したとしても、列強にアジアが皆植民地にされ、再度対日資源封鎖されれば、日本台湾朝鮮は瞬時に無条件降伏となり亡国。日本の消滅または植民地化は避けられない。戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であった。まさに独立国日本の存亡をかけた資源封鎖防御、護国のための、回避絶対不可の自衛戦争なのだ。マッカーサーは、満州や朝鮮半島が資源の無い島国日本の生命線であることを朝鮮戦争で学習し、聴聞会において、聖書に誓い、「・・・戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障(security)の必要に迫られてのことだったのです」と証言した。読者の皆さんも護国責任者の立場で考えれば、このことも簡単に分かることなのだ。

 大東亜戦争の日本台湾朝鮮の真意はアジアの貿易の自由化なのだ。アジアの貿易の自由化のため、アジアの同胞を宗主国から解放する戦い、それが大東亜戦争なのだ。台湾も朝鮮も日本もアジアの同胞も、まさに一丸となって戦った、それが大東亜戦争の真意であり誇りなのだ。アジアの解放を先導した誇りを失った日本への叱咤激励を、戦後続けてくれる台湾やアジアの方々のこの心根を、理解できる日本人は、もういないのか。歴史に学ばず愚かな人々が安易に繰り返す、愚かな国への愚かな謝罪は、先人や、心ある人や国への、最大の冒涜なのだ。

 日本台湾朝鮮や、アジアの同胞のこの努力のおかげで、アジアの総植民地化を防御し、今の日本、独立したアジア(大東亜共栄圏・貿易の自由化圏)が存在している。アジアやアフリカは南北アメリカのようにはならなかったのだ。無策であれば日本は消滅し、アジアはすべて南北アメリカのように征服されていた。つまみ食い史観を撒き散らす人々よ、物事にはすべて禍福がある、つまみ食いはできない。時代の通過に、つまみ食い不可。歴史のつまみ食い解釈は不可なのだ。

 物づくりはあまたの失敗が無ければ、完成しない。卑近な例で述べると、バンダ温室無し皿栽培方法完成のために、私は15年間買っては枯らす失敗を繰り返し、バンダを枯らし続けた。失敗の無い物づくりなど絶無だ。失敗と完成は、表裏一体、禍福一体なのだ。あまたの失敗(敗戦。殉難者)をし、苦労したが、最後に完成(アジアの独立。人種差別の撤廃。貿易の自由化での日本の繁栄)し、子孫はあふれるほどの恩恵を今も受け続けている。あまたの失敗(先人の超大国への挑戦。)が無ければ今の日本、否、日本と言う呼称すら消えていただろう。最後に完成し、先人のあふれるほどの恩恵(貿易の自由化での日本の)を受け続けていながら、過程における先人の失敗を、犬死、無駄死に、敗戦必須の無駄な戦争とあらん限りの罵倒する、NHK(日本国民から料金を徴収し日本の公共放送を放送する局)や子孫と称する輩がいる。失敗(過程)無くしての完成(繁栄)など皆無なのだ。先人に護られた真の子孫や、真の日本公共放送局ならば表裏、禍福を見てものを言え。それが、護られた子孫としての、先人への最低限の礼節だ。真の子孫ならば、「感謝」以外の言葉は存在しないはずだ。歴史は森を見て語れ、木だけ見て語ることなかれ。

『もし日本なかりせば』暗に大東亜戦争の本質を喝破したマレーシア・マハティール首相の演説

2007-03-26 11:06:55 | Weblog
『もし日本なかりせば』暗に大東亜戦争の本質を喝破したマレーシア・マハティール首相の演説(1992年10月14日香港で開かれた欧州・ 東アジア経済フォーラムにて ) 

 ・・・ 日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。
 ・・・日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押しつけられていただろう。

 ・・・ 貧しい南側諸国から輸出される原材料の価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定される。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。

  ・・・ 南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるをえなかったからにほかならない。日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。

 ・・・ また日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロ ッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けていただろう。

 ・・・東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功をとげた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。

 ・・・ もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨー ロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。(植民地のままか、たとえ独立したとしても、植民地と同様であった。筆者注)

 マハティール首相の本心は「もし日本戦わざれば」なのだ、あまりに刺激的なので「もし日本なかりせば」にしたのだ。日本が戦い、有色人種独立の扉を開いたことにより、アジアが覚醒し共に戦い独立し、貿易の自由化を勝ち取り、日本へのよどみない原材料供給の結果、日本は繁栄した。日本を見習い東アジア諸国はあえて挑戦し、世界各国も驚くような成功をとげ、今の東アジア(大東亜共栄圏)があると言っているのだ。日本国がたとえ在っても、戦っていなければ、今の東アジアの存在はない。日本国が在り、日本国が戦った結果、今の東アジアが存在していると言っているのだ。親日などではなく、実事求是に基づいての演説なのだが、大東亜戦争のすべての殉難者に対して、これ以上の頌詞は無い。

 先人冒涜をつづける人々よ、「もし日本戦わざれば」に置き換えて再読してほしい。物事にはすべて禍福がある。禍、判断は半人前史観、つまみ食い史観で、禍福判断は一人前史観、真実史観だ。戦後の日本やアジアの繁栄は、先人と、共に戦った覚醒したアジアの先人のお陰なのだ。歴史には、逃げ場が無く、背水の陣で死に物狂いとなって戦わなければ通過出来ない時代が、必然的に存在する。織田信長の桶狭間がそうだ。日清、日露、大東亜、10~20倍以上の超大国が相手だ、いずれの戦いも、日本においては背水の陣、桶狭間の戦いだったのだ。護国指導者の苦悩が髣髴する。

 弱肉強食が常識の時代に、列強との戦いに日本は敗れたが、覚醒したアジアは皆独立し、貿易は自由化された。アジアの潤沢な原材料供給で、我が国は自由主義国として戦後強大な経済力を持つに至り、アジアも共に繁栄している。アジアやアフリカは南北アメリカのようにはならなかったのだ。この繁栄がアジアの自由主義圏を拡大させ、アジアの狂惨化を防いだ。この事実もけして見逃してはならない事なのだ。歴史は森を見て語れ、木だけ見て語ることなかれ。

正文で無い外務省和訳東京裁判受諾は明白な誤訳だ

2007-03-16 14:18:11 | Weblog
 昭和61(1986)年8月19日の衆議院内閣委員会で、後藤田正晴内閣官房長官は、共産党の柴田睦夫氏が東京裁判についての認識をただしたのに対して、「サンフランシスコ平和条約第11条で国と国との関係において裁判を受諾している事実がある」と発言し、東京裁判の正当性を認めることが政府の統一見解であるとの考えを表明した。 

 サンフランシスコ対日平和条約「1951(昭和26)年9月8日」第11条を自分で検証もせず、正文で無い外務省和訳「東京裁判を受諾」と鵜呑みし、外務省に操られた。

 Japan accepts the judgmentsを外務省は「日本は裁判を受諾し」と和訳。裁判は判決が最終決定するまでの過程なのだ。過程は受諾できない。結果が書いていない白紙に、判は押せない。

 条文の正文は英語、フランス語、スペイン語で、日本語の正文はない。日本の外務省がおこなった和訳が、正文に準ずるものとして締約国の間で承認され、国会承認・内閣批准を受けた公式なテキストとして日本国内では扱われている。

 正文でない外務省和訳で論争するから、おかしくなる。正文で検証すれば、即座に検証出来る。

 accepts(責任や仕事などを引き受ける)。
 the judgments 法律用語でのjudgment は、判決と訳すのが慣例。the judgmentsで諸判決。

 Japan accepts(責任や仕事などを引き受ける) the judgments(諸判決)。文意や正文や用法に沿えばJapan accepts the judgmentsは、「日本は諸判決の責任(刑の執行の継続)を引き受け」となる。
上記は要約、詳細は真実史観HPへ。
真実史観日本護国史戦勝国歪曲党売国党狂惨党に仕組まれ捏造された大東亜戦争
http://www.tofu-ryohin.co.jp/siten.htm

東條英機自殺と捏造したアメリカ

2007-03-16 14:14:24 | Weblog
 インドのパール判事(ラダ・ビノード・パール)の日本人被告の無罪論も、赤穂浪士のあだ討ちも、根底にあるのは実事求是だ。パール判事は職責をまっとうした結果の結論だ。赤穂浪士は幕府の不正を正した結果の結論だ。

アメリカの戦争目的は侵略、植民地化。日本の戦争目的は護国、アジアの解放、人種差別の撤廃、進んで資源の開放(貿易の自由化)。アメリカの原爆「二種類の原爆である。明らかに人体実験目的(ホロコースト・大虐殺)だ」空爆による60万人老若男女無差別殺人C級の罪。アメリカはこの負い目を払拭するため戦後、侵略戦争・南京掃討戦など日本軍隊極悪の多くのプロパガンダ(捏造宣伝)を繰り広げ東京裁判などで軍隊にすべて責任転嫁し、こんなに日本軍隊極悪だから60万人老若男女無差別大虐殺されたのだ、責任はすべて日本軍にあると、軍隊に責任をすり替えた。

 アメリカが日本軍隊極悪の槍玉に挙げ、生け贄にしようとしていたのが総大将東條英機なのだ。その東條が「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」と、大義に殉ずる(命を投げ出す)と公言している。東條英機は日本の正義を明確にし、戦勝国の不正を暴くと公言しているのだ。軍人勅諭「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覺悟せよ其操を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ」に殉ずると公言しているのだ。もはや命をすてた東條英機の証言は阻止出来ずと判断したアメリカは、当然のように東條英機失墜作戦を展開した。ヒトラーはスターリングラード戦で、直々に「降伏禁止令」という、 狂気の極みとも言える命令を出し、凄まじい悲劇となった。東條英機をヒトラーと同罪にするため、ただの単なる教え(戦陣訓)なのに、「降伏禁止令」であるかのように報道させた。総仕上げとしてアメリカは、東條を急襲し、一発の弾丸もしくは弾丸のような刃物で胸を傷つけ、自殺を捏造した。プロパガンダ(捏造宣伝)は真実を覆い隠す仮面だ。叫べば叫ぶほど捏造なのだ。

 戦後、これまで大江健三郎の『沖縄ノート』のように、プロパガンダを鵜呑みし、取材も検証も思考もせず、貼り付け『プロパガンダ貼り付けノート』にしてきた。日本は、とうの昔に独立したのだ、独立国の、人民の、人民による、人民として思考すべきだ。戦後62年を経た、もうプロパガンダを鵜呑みすべきではない。プロパガンダ(捏造宣伝)を探究すべきだ。パール判事や、赤穂浪士の心を失っては駄目だ。

 昨年、虚偽の「戦陣訓」の、その仮面を剥ぎとりました。アメリカのプロパガンダ(捏造宣伝)のシンボル「東條英機」の虚像仮面も昨年剥ぎとりました。東條自殺説では26の矛盾が生じ、米国自殺捏造説では、26の矛盾が氷解する。
 下記の文は下記サイトの要約ですアメリカの東條英機自殺捏造の詳細は下記。

真実史観日本護国史戦勝国歪曲党売国党狂惨党に仕組まれ捏造された大東亜戦争
http://www.tofu-ryohin.co.jp/siten.htm

 まず 「米司令官に陣太刀送る」は前述のように、明白な米軍の捏造。次に、東條英機自殺では、下記26の矛盾点を一切払拭出来ない。下記の矛盾点はすべて一点を指し示している。「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。」が鍵となり、米国、東條英機を撃ち、自殺捏造の一点を導き出した。この一点で、下記の矛盾点すべて一瞬に氷解し、画竜点睛となる。

○「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」東條英機は、まさしくこの言葉(米国がもっとも恐れた言葉)に殉じている。「自殺未遂」が無ければ、東條英機は、米国がもっとも恐れたまさに解放の戦士としてアジアの、いや世界の有色人種の英雄となっていた。
○「虜囚の辱=軍人が日本国の囚人となる事」なのに、戦後の捏造(虜囚の辱=敵国の捕虜となる辱=「捕虜となるよりは自殺せよ)を、戦陣訓示達者本人が、なぜ認めたか。(注 検証の順番は戦陣訓が後でした。)
○「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」と東條英機は大義を公言していた。戦後生き恥を曝していた理由は、まさにこれなのだ。総大将東條には、総大将として語る責任の「公」と、「臣」として天皇死守の二つの「公」があるのだ。その人が責任を果たさず、「辱」で無い「捕虜」(私)ごときで、なぜ自殺なのか。既に死を決意し、覚悟を決め、「公」の実現のため生き恥を曝し、「公」の大義の実現の為だけに生きている「私」など皆無の東條の脳裡には、「捕虜」(私)の「辱」など、ひとかけらもなかったはずだ。
○なぜMP、CIC(対敵諜報部)が来てから衝動的に自殺なのか。時間はいくらでも今まであった。

○なぜ「沈黙、弁解せず。一切語るなかれ」なのか。

○なぜMP、CICのいるところで自殺なのだ。失敗の場合は敵国に助けられるのは明明白白なのだ。敵国に生かされて虜囚の辱めを受けることになるのだ。それこそ総大将東條には最大の屈辱ではないのか。こんな単純明快なことすら、総大将カミソリ東條はわからなかったというのか。東條は大臣時代に出した戰陣訓に俘虜となるよりは自殺せよと書いてあるのを實行したのだと後日、証言している。証言が真実なら、必殺の頭を撃つのが正解ではないか。撃ちにくく、失敗しやすい心臓では無いだろう。どちらが撃ちやすいか自分で試して見れば、すぐ分かる。心臓を撃つには両手でピストルを持ち、利き手の親指で引き金を引かねばならず、撃ちにくいのだ。だからピストル自殺者はほとんどが頭だ。

○戦犯容疑者の逮捕は、占領軍司令部から日本政府に該当者の氏名を通告し、日本の官憲の手で逮捕するという取り決めになっていた。なぜ取り決め違反の逮捕なのか。事前通告し自殺されるのを恐れたのか?。『東條英機とその時代』矢次一夫

○たまたま本社(朝日新聞)記者は東条邸を訪れたとある。そして記者が口頭の遺言を聞いたというのである。記者が現場に簡単に入れるものだろうか。

○朝日新聞長谷川記者は、なぜ左胸なのに、左腹部と報道したのか。

○朝日新聞長谷川記者が聴いたという口頭の遺言は、不自然な辻褄をあわせるための弁解だ、遺言ではない、内容は遺言になっていない、弁解ばかりだ。

○朝日新聞長谷川記者の記事では生命はとりとめるであり、『眞相箱 』では自分には手を施す術がない、大將は死ぬだらうと一人の日本人の醫者の診察が違う。

○口頭の遺言は誤りが多々あり、日本人記者の文ではない(赤細字で訂正)。手渡された走り書きを、そのまま書き写したものだ。米軍の検閲が有り、勝手に書き直せないので、直さずそのまま載せた。

○朝日新聞長谷川記者の「証言 私の昭和史 6」ではなぜ、あばら骨の四番目と五番目の間なのか。あばら骨は腹ではない、新聞報道となぜ違うのか。

○ピストルで心臓を撃ち自殺する人がいるのだろうか、間違つて生き度くない、一發で死に度かつたのなら撃つのは頭だろう。「ザレイプオブ南京」の著者36歳女性アイリス・チャン頭部への銃弾1発で自殺。ましてや東條は男で軍人だ。敵国に生かされて虜囚の辱めを受け無い必殺は、頭だろう。

○書きかけの、コピーされた遺書が前日日付なのも不自然だ。MP、CIC(対敵諜報部)は取り決め違反で予告無く逮捕に来ているのだ。また覚悟の自殺であれば、前日日付では無く、当日日付ではないのか。

○遺書は未完成なのになぜ自殺をしたか。天皇陛下宛の遺書も清書せず、日にちだけ記載し、不敬のまま、臣(しん「けらい」)英機の自殺は無いだろう。不自然だ。

○未完成な遺書があるのに、口頭でなぜ遺言を話したのか。

○1発で胸を撃ち抜いた人間が2発目3発目を撃たず、長文の遺言を、しゃべったと言うのだ。 治療優先だろう。

○一發で死に度かつたと口頭の遺言の開口一番の言葉だ、一發のいい訳から始まっている、語るに落ちるではないのか。

○遺言を口頭で伝えたといわれた人間が、なぜ生き恥をさらしながら死刑判決まで生き長らえたのか。

○軍人東條が、家族や近親者に死ぬ死ぬと、証言のように詳細に、自殺を公言するものだろうか。

○「忠臣」と言われた東條が、天皇を守らず、死ぬわけにはいかないのだ。ましてや遺書に臣英機と記載し内容は天皇宛である。天皇宛でないところが、追記となっている。臣英機と書き、臣「しん(家来)」の勤めも果たさず自殺は無いだろう。

○ご丁寧に自殺直後の写真まで撮影されている。

○口頭の遺言は朝日の長谷川記者が直接聞いたのではなく、マツクアーサーと記載されたメモとして米軍より手渡されたものを、そのまま転載したものだ。直接の聞き書きであれば、文頭記載のようにマツカーサーと書くはずだ。米軍の検閲が有るので勝手に書き直せない。

○東條大将が自決を図ったのが午後4時、午後7時20分頃、家から運び出し、横浜の米軍病院に収容した。(重光葵の手記より)3時間20分もかかっている、何があったのだろうか。報道されたような重傷であったのだろうか。

○自殺未遂後一月もたたない10月7日、大森俘虜(ふりょ・捕虜)収容所に傷の癒えた東条が送られている。報道されたような重傷ではなかったのだ。


 私が検証した以外にも、反日や戦勝国のプロパガンダはたくさんあります。反日やプロパガンダは真実を隠蔽するためのものです。反日やプロパガンダが叫ぶ、逆が真実です。プロパガンダを鵜呑みせず探究しましょう。

陥落後512日戦い、降伏命令書で下山したサイパン島の47士 

2007-03-16 14:09:56 | Weblog
○陥落後512日戦い、降伏命令書で下山したサイパン島の47士 「捕虜の辱」、そんな「私心」でなく、生きて生きて生きて生きて生き抜いて護国「公」(義)のため最後の最後まで戦い帰還した日本兵47士。「捕虜の辱」で自決の記載一切皆無。
 サイパンが落ちれば、米軍爆撃機の行動圏内に日本本土は全部入ってしまう。それはどうしても防がねばならなかった。「我身を以て太平洋の防波堤たらん」と奮闘したが、昭和19年7月7日最期の反撃戦にてむなしく玉砕。
 しかし、サイパンに於ける戦いはそれで終ったわけではなかった。玉砕後、なお生き残った多数の将兵はタッポーチョ山(標高476m)付近を初め、山地、海岸などのほら穴や岩影に潜入し小集団となって遊撃戦を続行した。民間人を守り最後に皆下山させ、なんと終戦後の昭和20年12月1日まで、護国の戦いを続けたのである。
 アメリカ軍は捕虜をつくりたがらない。もし捕虜にするとしたら、婦女を陵辱し、男を拷問にかけて楽しむためだ。と彼(看護婦青野千恵子の父)は聞かされていた。(P27)一家は洞窟に隠れた、しかし一家は見つかり、父母妹の家族全員を目前で瞬時に殺されてしまった。目の前の家族の仇を討とうと機関銃の引き金を引いたが、撃ちかたが分からず仇を討てなかった看護婦の引きずる思い。復讐の念に燃えながら医療品の袋を背負い、ベルトに長いナイフをさげ、大場部隊と女一人となっても最後まで行動を共にし、助ける、看護婦青野千恵子。蔓草で肩から吊るした九九式軽機関銃を操り、米兵100人殺すまでは自分は死なないと誓い、大場部隊を助ける、はぐれ者一匹狼、元ヤクザ刺青一等兵堀内今朝松。なぜかこの二人のはかなく凄まじい生きざまは、読後も深く胸を打つ。この本の早期の復刻を願う。敵味方当事者合作のこの記録には、先に殺さなければ殺される、戦争の真実が存在している。日本人必読の書だ。
 昭和20年12月1日 天羽少将の降伏命令書に従い下山。最後まで戦いを貫いた将兵の数は47名、指揮官は大場栄大尉。その日47名は髯を剃り軍服に着替えて、タッポーチョ山に設けた潜伏拠点の前で慰霊祭を行い、戦友の霊に3度の弔銃を捧げ、へんぽんとひるがえる日の丸を先頭に、銃をかついで歩調を合わせ隊列を組み、軍歌「歩兵の本領」を唱和し、米兵の真つ只中を式場まで整然と行進した。
 米軍は、彼らを勇士として丁重に扱い歓迎会まで催し、米軍の新聞にも大きく報じられた。彼らは祖国日本に忠義を尽し最期まで戦いを貫き、米兵から尊敬までされたのである。米海兵隊の元兵士のドン・ジョーンズ氏が大場部隊47士の姿に感動して、戦後日本を訪れ(昭40)取材して書き残した本が、『タッポーチョ』ドン・ジョーンズ著中村定訳祥伝社1982(昭57)年出版副題「『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日」だ。何と大場部隊に守られた日本人の執筆者に先駆けること一年前、敵国の元兵士が、誰よりも先んじて大場隊の勇戦を世に知らしめたのだ。
序文
 「本書を、自らの国のために全力を尽くし、報われることのなかった、現代の日本人の父親たちに、祖父たちに、伯父たちに捧げる。」
あとがき
 私は今日の日本で、1945年(昭和20年)以降に生れた人たちの間では、日本にあった戦争についてあまりにも知られていないことが残念で、この本を書きました。
 これを書く前に、・・・調べてみました。・・・多くの人たちの間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。
 この人たちは、自分たちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。
 私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵士たちと三年戦いましたから、よく知っています。
 しかしこの本は戦争の物語ではありません。日本とアメリカとの双方で、多くの人たちは自分が作ったわけでもない恐ろしい状況に、どのように反応したか、と言うことを書いた物語です。双方の人たちは、それぞれ信じていたことをしたのです。
 ・・・事実(この本に記した真実を日本人が知れば)によって、現在の知識の真空状態は埋められることになるでしょう。また、先述の恥じる感覚は誇りに変わるでしょう。
 ・・・そして、それらのページは、今日の若い日本の人たちにとってだけでなく、その人たちの子供や孫にとっても、誇りの源泉になるでしょう。それが、私がもっとも強く持っている願いです。1982年11月 ドン・ジョーンズ
『タッポーチョ』刊行に寄せて  大場 栄
 この本がどのように読まれるかについては、私には懸念がある。しかし、この本がかっては敵同士だった私たちの戦後の長い交流を経て、敵の目で書かれたわれわれの戦いの記録であることは間違いない。

オーストラリア・カウラ・日本人捕虜1104人大脱走 

2007-03-16 14:03:26 | Weblog
カウラの大脱走 1944年8月5日、午前1時55分、オーストラリア・シドニーの西約320キロに位置するカウラ戦争捕虜収容所で、1104人(約80%が陸軍で、20%が海軍。)の日本人捕虜が一斉に脱走した。日本兵の死者231人、負傷者108人、成功者ゼロ。オーストラリア側の死者4人。捕虜脱走事件は、オーストラリアと日本の両国政府によって長く隠蔽され、事件が公開されたのは、事件から40年後の1984年だ。

 NHK制作の「カウラの大脱走」2005年9月4日に放映された。内容は、カウラ事件の生存者の「証言」を主体に編成したものだ。日本兵の大半は、捕虜となったときに偽名を名乗って入所し、姓名が日本に伝わることを避けたという(捕虜になっての偽名や家族への音信不通は、捕虜は公表されていないので、自分たちだけが捕虜になったのだという、うしろめたさがそうさせた。また捕虜同志の面子もあり、おのずとそうなった)。

 戦陣訓を意識せずに平和な捕虜として暮らしていた。ところが、ある日、日本軍の下士官の一群が収容されて来た。一人の下士官が軍人手帳を示し『諸君は捕虜である。戦場に臨む軍人の心得として、戦陣訓には「生きて虜囚の辱めを受けず」と書いてある。生きて捕虜になっていることはこの上なき恥辱である。国に残してきた家族に対しても申し開きができないではないか』と話し始めた。「これは敵につかまるぐらいなら自決しろということだ」とつまみ食い読みし、説明し、皆、戦陣訓に納得し、票決の上決行した、のだという。NHKは戦陣訓原因説だ。

 下記はNHK放映内容記載
http://www.yamadas.jp/mami/cowra.html ←Mami Yamada|週刊マミ自身 
http://daisukepro.exblog.jp/2652637/ ←発見の同好会 : 続 NHKテレビ「カウラの大脱走」と民主主義

『ウィキペディア(Wikipedia)』の見解 ←http://ja.wikipedia.org/wiki/ォヲゥコサカ

 士官と兵の信頼関係は厚く結ばれたものであると言う理論に基づき、全体一緒の移送ならば良いが、分離しての移管を受け入れる事が出来ない日本兵はそれを "契機" として捕虜収容所からの脱走を計画する事になる。(以前から計画はしていなかった。)

 日本人はミーティングで、要求を受け入れるか、反対して脱走をするか の多数決投票を行い、 "移送計画へ協調しない=脱走" となる ('脱走へ非参加' への投票者も居た)
 この際、紙に移送受諾なら○、反対は×として行ったが、当時の集団心理としてのけ者になる、目立つことへの恐怖の心理が投票に強く働いていた可能性を、現生存者は証言。

「カウラの大脱走」はNHKのように、戦陣訓に責任転嫁だけでは語れない事は確かだ。下記は詳細に語られている「カウラの大脱走」だ。

http://www1.odn.ne.jp/kminami/sub16.html← カウラ (COWRA)―ひそやかに眠る日本の兵士たち 

真実史観の検証 カウラの1100余名の日本兵は、戦陣訓を知らずに平和な捕虜生活を送っていた。そこへ戦陣訓をつまみ食い読みした下士官が現れ、戦陣訓に白紙の兵士は、洗脳され、大脱走となったと言うのが「カウラの大脱走」のあらすじだ。日本軍人の捕虜数を一切軍が公表していなかったので、自分たちだけが捕虜なのではないかという自虐心が、戦陣訓のつまみ食い読みであおられたため、自虐、自損の行動となったのだ。つまり、戦陣訓を読み解いた者が一人もおらず、つまみ食い読みし、悲劇となった。戦陣訓の内容を皆、知らなかったから、つまみ食い読みの間違い〔陸海軍の軍人が空で覚えている軍人勅諭に、義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ其「その」操「みさお(定めた意志を固く守ってかえないこと)」を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれと述べているのに、私心(捕虜の辱め)で、死ねという矛盾〕に気付かなかったのだ。戦陣訓を読み解いた者が一人でもおれば、皆帰還していた。捕虜収容所という異常下におきた事件とはいえ、なんという悲劇だ。

 「カウラの大脱走」は戦後の日本と同じだ。戦陣訓に白紙の日本人は、戦陣訓を、つまみ食い読みした鵜人識者やマスコミに瞬く間に洗脳され染まってしまった。精神に荒廃を来たしながら61年を経た。手本の軍人勅諭を読み、戦陣訓を読み解き、二度とカウラの悲劇を繰り返してはならない。同胞よ、二度とカウラの悲劇の、轍を踏むなかれ。

玉砕直前のサイパンから一日本兵の母国への伝言

2007-03-16 13:39:40 | Weblog
 2007-2-24 NorthernCaliforniaのDr.夢倉さんより「61年間誤報道され続けた戦陣訓の真実」のスレッドに、「サイパン戦で玉砕されたと思える一人の日本兵の残した従軍手帳と出会う事がありました・・・御時間のあるときにご覧になられてください」と投稿がありました。http://blogs.yahoo.co.jp/drmusou

 Dr.夢倉さんは従軍手帳や遺品を写真掲載し、ブログを以下のように結んでいます。
 戦争の遺物品を収集するコレクターは多くいる。・・・インターネットのオークションサイトで日本兵が最後の力を振り絞り書いたと思われる従軍手帖が「商品」として売られているのを発見した。このような貴重な歴史を語る遺物品は、決して金銭価値で計れるものではない。戦争の遺物品を収集する事を趣味にする人間の、単なる個人のコレクションのひとつとして埋もれさせてはいけない。サイパンから日本に届けたかったと思われる、一日本兵の最後の言葉を含むこの従軍手帖は、必ず、日本人の元に戻さねばならない。そういう思いで、私は競り落とした。
 ・・・玉砕する寸前まで、「生キテ生キテ生キ抜イテ」という一日本兵の言葉は、21世紀に生きる日本人の私の胸を熱くする。敗戦後、六十二年、決して、その言葉の重みは失われてはいない。私は、この従軍手帖に書かれた数名の日本兵の玉砕を弔うと共に、最後の最後まで生きる事をあきらめず、無念にも玉砕した日本兵の言葉を死なせてはならないと思う。私には、果たして、どの日本兵がこの従軍手帖に最後の最後まで力を振りしぼって伝言を綴ったのかは、わからない。今、私にできることは、できる限り多くの人に、この日本兵の最後の「伝言」の言葉を読んでもらう事だと考えている。そして、私の手で、これらの遺物品を無事、母国日本に帰国させてあげたい。適した施設に寄贈し、「地獄ノ有様」の戦争を知らずに育った日本人、そして、これから生まれてくる日本人に、「生きる」という意味を考える一つのきっかけにしてもらいたいと願う。

 戦後戦勝国のプロパガンダに洗脳された哀れな子孫と反日は、先人を犬死に、無駄死に、無駄な戦争と、62年を経た現在でも冒涜し続けています。日本は戦争には確かに負けた。しかし、独立し、護国すると言うことは、日本のように命を懸けなければ達成出来ない事を学び、アジアは戦い、南北アメリカのようにはならず、皆独立した。戦後宗主国が退き、貿易が自由化され、アジアが日本が繁栄している。 1944年(昭和19年)の7月9日サイパン陥落。サイパンで玉砕した一日本兵は「生きて捕虜の辱」などの「私心」ではなく、「護国」と言う「公」のために、玉砕の直前まで「此ノ島ガ陥チタラ日本ノ存在ハ薄氷ヲ踏ムガ如シダドウシテモ死ナレナイ生キテ― ― ―生キ抜イテ此ノ島ヲ守ラネバ・・・」「生きて生きて生きて生きて生き抜いて此の島を守らねば」と日本へ書きしるしています。一人の日本人の熱き想いで発見された伝言は、63年を経て今年日本に届きました。子孫は、この熱き想いと、この真実を流布し、この礎石を、未来永劫忘れてはならない。ここには、先人と子孫、過去と現在、呼応する二つの「公」の感動がある。