戦陣訓虜囚の辱意味変化辞書記載し、識者、報道屋の捏造暴露。正答は、捕虜=捕まえた敵(虜)、虜囚=檻の中の敵(虜)と囚人と、辞書が断定。識者、報道屋の捏造を、辞書が暴露、実証した。「虜囚の辱」、正答は、「日本に囚われ囚人となる恥」。
意味はどうでも一人歩きさせたから悪いと先人罵倒の愚者(売国奴)がいる、一人歩きしたのは戦後だ、させたのは迎合した報道屋と無検証鵜呑みの識者だ、先人に責任は無い。
「虜囚」と「捕虜」の意味が戦後変化し真反対の意味を付加。辞書が戦後の捏造を暴露。
大正6年初版昭和3年新版昭和15年華語増補版発行昭和38年第一版発行の講談社大字典
「捕虜」の意味 いけどり。とりこ。(能動)
「虜囚」の意味 とりこ。(能動)
広辞苑初版昭和30年、第二版昭和40年版
「捕虜」の意味 戦争などで敵に捕らえられた者(受動)。とりこ。→ふりょ俘虜。(能動)
「虜囚」の意味 とらわれた人。とりこ(能動)。捕虜(受動)。
大正6年初版昭和3年新版昭和15年華語増補版発行昭和38年第一版発行の講談社大字典より。練馬区立図書館蔵書。
「捕」はホ。ブ。フ。トラフ(動、下ニ) トル、字源 形聲 とらふると故に扌扁。甫は音符。
「俘」はフ。トリコ(名) トラハレ トル、(注・戦後版は、とらわれ/とる。となっている。意味不明だが、「俘」とその熟語、戦前戦後、どの辞書も受動の意味皆無)イケドレ(注・ルが擦れてレに見える。戦後版では、いけどる) 字源 形聲。戦争にて死者の左耳を取るを戫、生きながら捕獲するを俘という、故に人扁。孚は音符。
「虜」はリヨ。ロ。トリコ(名) イケドリ、シモベ、イケドル、生擒ス、化外ノ民、えびす、字源 形聲。虍と母と力の合字。敵を生きながら捕らえ来ること。母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん。力は腕力にて引率する義虍は音符。
「囚」はシウ。ジユ。トラウ(動下ニ)トラハル(動下ニ)トリコ(名) メシウド、罪人、俘虜、ツナグ、字源 會意。囗と人の合字。人が囗(かこみ)の中につながれし意にてトラハルルこと。泅は囚を音符とす。
「捕・俘」単独の意味は全て能動。受動の意味皆無。捕まえる、捕まえられる、俘にする、俘にされる、のように、付加した単語の助けで、能受動を使い分ける。捕虜にする(能動)。捕虜にされる(受動)。「捕・俘」は檻の外の捕まえた敵。「捕・俘」の熟語の意味も全て能動。受動の意味皆無。
「虜」には、「イケドリ、イケドル、生擒ス(生け捕る行為=日本軍が敵兵を生け捕ること)」と「シモベ、化外ノ民 えびす(生け捕った相手=生け捕った敵兵)」と「母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん(相手の状態=拘束)」と記され、生け捕る行為と、日本軍が生け捕った相手と、相手の状態が記され、敵兵は存在し、能動。敵に捕まえられた日本兵は存在しない。受動の意味皆無。
「囚」は「メシウド、罪人(トラ<囚>えた囚人=トラ<囚>われた囚人)。俘虜(トラ<捕>えた敵兵=トラ<囚>われた敵兵)」=生け捕った相手と、「ツナグ(人が囗(かこみ)の中につながれし意にてトラハルルこと)」=生け捕りツナいだ状態の相手(囲みの中の人)と記され、日本軍が生け捕りツナいだ状態(囲みの中の人)の相手、敵兵は存在し、「トラウ(動下ニ)トラハル(動下ニ)」と能受動が混在する。「囚」は囲みの中の人の総称(トラ<囚>えた人、トラ<囚>われた人)を意味し、能受動が混在し、「囚」は檻の中の捕まえた敵と人。したがって「囚」の熟語には、囚らえた人、囚われた人(檻の中)が混在する。能受動が混在するが、敵に捕まえられた日本兵(檻の外)は存在しない。
「捕」は捕まえる動作(檻の外)。囚は、「捕」の結果生じた状態(檻の中)。
上記大字典の熟語の意味
「捕縛」の意味 とらえしばること(とらえしばる行為)(能動)。
「捕虜」の意味 いけどり(生け捕る行為)。とりこ(生け捕った相手)。
主語が日本の訓。日本が生け捕った敵兵(檻の外)。能動態。敵につかまった日本兵ではない。受動の意味皆無。
「俘虜」の意味 とりこ。捕虜。
主語が日本の訓。日本が生け捕った敵兵(檻の外)。能動態。敵につかまった日本兵ではない。受動の意味皆無。
「囚人」の意味 つみびと。めしうど。「囲みの中の人(囚らえた人、囚われた人)。能受動」(檻の中)
「囚徒」の意味 とらわれびと(囚われ人)。めしうど。「囲みの中の人(囚らえた人、囚われた人)。能受動」(檻の中)
「虜囚」の意味 とりこ。
主語が日本の訓。囲みの中(牢獄、檻の中)に閉じ込めた状態にした、日本が生け捕った相手、「囚人=日本にとら<囚>われた人。敵兵=日本にとら<囚>われた敵兵」となる。(状態は檻の中)。能動受動。敵に捕まった日本兵(檻の外)ではない。
「虜囚」は能受動が混在。「捕虜」は、「捕虜にする」(敵を捕まえる)。「捕虜にされる」(敵に捕まる)、「捕虜になる」(敵に捕まる)、と付加した単語の助けで意味変化し能受動表現となる。捕虜には単語の助けで変化した意味、「捕虜になる(敵に捕まる)(受動)」があるが、「捕虜」(名詞)単独では、「生け捕りした敵兵(檻の外)」(能動)だけの意味となる。
「虜囚」は「囚」により、囲みの中に閉じ込めた人の総称「囚人=日本にとら<囚>われた人、敵兵=日本にとら<囚>われた敵兵(状態は檻の中)」となる。簡略すると、捕虜=捕獲した敵兵(檻に入っていない)だが、虜囚=檻の中の敵兵と囚人。「捕虜=捕獲した敵兵」の処遇が、「虜囚=檻の中の敵兵」となる。「虜囚」は、「捕虜」の処遇を意味し、「囚」(檻の中)と「捕」(檻の外)の違いは明白だ。「捕虜」=「虜囚」は捏造。
「捕虜」単独の意味は、生け捕りした敵兵(檻の外)。「虜囚」は、閉じ込めた人「(囚人=とら<囚>われた人)。(生け捕りした敵兵=生け捕りされた敵兵)」(檻の中)。と成り、「虜囚・捕虜」には、生け捕りした敵兵はいるが、「虜囚・捕虜」には、敵につかまった日本兵は存在しない(受動)。
「虜囚の辱」=捕虜(生け捕りした敵兵)の辱。では戦陣訓と成らないのだ。虜囚の辱は、敵兵への訓ではない、日本国の兵への訓である。したがって、「虜囚の辱」=「(囚人=とら<囚>われた人)の辱」=「虜囚の辱」=「日本国に捕まって囚人となる辱」と、なる。「捕虜」=「虜囚」は捏造。
検証したように虜囚=捕虜とするなら「捕虜単独の意味は、生け捕りした敵兵」以外に無い。「捕虜」の意味は前述のように単語の付加(受動)により意味が変化する。付加の単語無き文で捏造の「戦争などで敵に捕らえられた者(受動)」と解釈するのは不可。
「捕虜となる辱」・「捕虜にされる辱」・「捕虜になる辱」と、単語(受動)の付加が成されて初めて変化した意味となり「敵に捕まる(受動)=戦争などで敵に捕らえられた者(受動)」捏造した捕虜の意味となる。「捕虜」の文字と単語(受動)の付加など、どこにも無い「虜囚」を、「虜囚」=「捕虜」と解釈は、捏造以外の何物でもない。
「捕虜」単独の意味「生け捕りした敵兵(能動)」を戦争などで敵に捕らえられた者(受動)にし、捕虜の意味を改竄し、捕虜=虜囚、虜囚の辱=戦争などで敵に捕らえられた者の辱=降伏禁止と捏造した。報道屋は用意周到に、捕虜の意味から捏造していたのだ。虜囚を繰ると戦前の辞書には「とりこ」、戦後の辞書には「とら<囚・捕>われた人(檻の中・檻の外)」とでてくる。戦前、戦後の辞書で「囚」を繰ると「とら<囚>われる(檻の中)」とでてくる、これに皆だまされた。「とら<囚>われた人(辞書の意味はとら<囚>われた敵兵、主語日本、日本にとら<囚>われた敵兵)(檻の中)」の意味を、「敵にとら<捕>われた日本国の兵(檻の外)」と錯覚してしまったのだ。主語を把握し、虜囚だけの検証ではなく、「捕虜」単独の意味をも検証すれば、当の昔に氷解したのだ。
戦時下一部の報道屋は「日本にとら<囚>われた人」を、「敵にとら<捕>われた人」とつまみ食いし、報道したため、信じた者もいた。戦後、虜囚の辱=とら<囚>われた人の辱=捕虜(敵に捕まえられた日本兵と捏造)の辱=降伏禁止=玉砕=集団自決=極悪日本軍とし、扇動した。戦後は報道屋総動員で迎合し、徹底的に扇動、結果皆洗脳され続けている。「捕虜」単独の意味日本がとら<捕>えた敵兵を、真反対の敵に捕まえられた日本兵と捏造、先人罵倒の起因がこの捏造に在る。
捏造のため戦前の辞書と整合せず、戦後の辞書は皆変化したが、後述の「鯨に捕まった捕鯨船』のような矛盾が生まれ、捕虜限定の意味となった。しょせん捏造は捏造なのだ、矛盾が証明している。
昭和27(1952)年初版昭和49(1974)年新装発行、三省堂「辞海」。練馬区立図書館蔵書。
「捕虜」の意味 とりこ。俘虜。(受動の意味皆無)
「虜囚」の意味 とらわれ人(虜囚の主語日本。日本にとら<囚>われた人、囚人と敵兵。敵にとら<捕>われた日本兵ではない)。めしうど。とりこ。
まだこの時代では、日本国に捕まった人(囚人や敵)の意味だけである。捕虜「戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」の受動記載皆無。
前述の講談社大字典昭和38(1963)年復刻、1993年第一刷、新大字典。
戦前の大字典「捕」。ホ。ブ。フ。 トラフ(動、下ニ) トル。戦前の「捕」は受動の意味皆無。
戦後の新大字典「捕」はホ。ブ。フ。 とーらえる・とーらわれる・とーる・つかーまえる・つかーまる字義(一)(ニ)とらえる(とらふ)(動)/とる(動)。つかまえる(つかまふ)(動)。字源 形声 とらえること。ゆえに扌偏。甫。音符。語尾で受動。「捕」は能動のままで変化無し。
「捕」の熟語を繰ると、「捕虜」の意味 いけどり。とりこ。戦前と変わらず、変化無し。
戦後の新大字典「虜」はリヨ。ロ。ル。トリコ(名) いけどり。しもべ。いけどる/化外ノ民。えびす。「いけどり。いけどる。(生け捕る行為=日本軍が敵兵を生け捕ること)」と「しもべ。化外ノ民。えびす。(生け捕った相手=生け捕った敵兵)」と記され、生け捕る行為と、日本軍が生け捕った相手、敵兵は存在し、能動。敵兵に捕まえられた日本兵は存在しない。受動の意味皆無。戦前と変わらず、変化無し。
「慮」の熟語を繰ると、「虜囚」の意味 とりこ(日本が捕まえた敵)。捕虜。」と、あらたに捕虜が加筆。「とりこ」には日本が捕まえた敵(捕虜)の意味、既に在り。加筆は、捕虜=戦後の捏造=戦闘で敵軍に捕らえられた者(敵に捕らえられた日本兵)=受動態の意味、加筆である。「虜囚」=囚人、敵兵に、真反対の新たな意味(戦闘で敵軍に捕らえられた者=敵に捕らえられた日本兵)が付加された。
講談社大字典「捕」「慮」の意味、戦前も戦後も変化無し。
熟語「虜囚」の意味だけが能受動(新たな意味)混在(日本がトラ<囚>えた敵兵=日本にトラ<囚>われた敵兵=檻の中、本来の意味に、敵がトラ<捕>えた日本兵=敵にトラ<捕>われた日本兵=檻の外と、新たな意味が付加された)し戦後変化した。戦陣訓主語日本が、日本の兵に対しての訓、「虜囚」の主語日本、敵ではない。日本が捕まえた囲いの中の人「虜囚」=囚人、敵兵に、敵軍に捕らえられた日本兵が同居しているというのだ。居るはずの無い人がいるのだ。日本の「虜囚」に、敵軍に捕らえられた日本兵が存在するわけなど無い。「虜囚」の主語が、日本なのか敵なのか、考えれば氷解することだ。このことだけでも捏造は明白なのだ。戦陣訓「虜囚」の主語は、日本だ。
新選漢和辞典小学館昭和38(1963)年初版昭和60(1985)年新版
「捕」。ホ。ブ。 とら・える。つか・まえる。つかま・る。とらわ・れる。(とらは・る)。とる。語尾で受動。「捕」は能動のままで戦前と同じ。
「捕」の熟語「捕虜」の意味 とらわれた人。とりこ。俘虜。
能動の意味生け捕った敵「捕虜」の意味が、真反対の意味を含む、「とら<捕>えた敵兵と、とら<捕>われた日本兵」能受動混在に変化した。唯一「捕虜」の意味だけが能受動混在。他の熟語は能受動混在皆無。
「慮」は戦前の大字典と同じ。
「慮」の熟語「虜囚」の意味 とりこ。捕虜。
「虜囚」には日本が囚えた敵(捕虜)=とら<囚>われた人の意味、既に在り。捕虜加筆は、捕虜=戦後の捏造=(敵に)とら<捕>われた人(日本兵)=受動態の意味、加筆である。「虜囚」=囚人、敵兵に、真反対の新たな意味「(敵に)とら<捕>われた人(日本兵)」が付加された。
新選漢和辞典「捕」「慮」の意味、戦前と同じ。熟語「捕虜」「虜囚」の意味だけが戦前と異なり「捕虜」能動に受動付加。「虜囚」にとら<捕>われた人(日本兵)が付加され、変化した。他の辞書も同様、変化したのは熟語だけ。これも前述同様、日本が捕まえた囲いの中の人「虜囚」=囚人、敵兵に、(敵に)とら<捕>われた人(日本兵)同居となる。「虜囚」の主語が、日本なのか敵なのか、考えれば氷解することだ。戦陣訓「虜囚」の主語は、日本だ。
広辞苑初版昭和30年、第二版昭和40年版
「捕虜の意味・戦争などで敵に捕らえられた者。とりこ。→ふりょ俘虜」。
「虜囚の意味・とらわれた人。とりこ。捕虜」
「捕虜」 戦前の生け捕った敵「捕虜」の能動の意味が、真反対の意味を含む、「戦争などでとら<捕>えた者(敵)と、戦争などで敵にとら<捕>われた者(日本兵)」能受動混在に変化した。
「虜囚」 戦前の虜囚の意味 日本にとら<囚>われた(檻の中)、囚人、敵兵。に、とら<捕>われた人。捕虜(戦争などで敵に捕らえられた者=主語日本なので日本兵。受動)を付加。真反対の意味、戦争などで敵に捕らえられた日本兵、が付加された。これも前述同様、日本が捕まえた囲いの中の人「虜囚」=囚人、敵兵に、戦争などで敵に捕らえられた者(日本兵)同居となる。
「辭林」1907(明治40)年発行「広辞林第六版」1983(昭和58)年三省堂(現在知りえる、唯一意味変化の無かった、正答の辞書。戦前初版の辞書は、変化が少ない。整合がない真反対の意味とするのに、ためらいがあったのだろう)
[捕虜の意味] とりこ。いけどり。「ー収容所」。(受動の意味皆無)
[虜囚の意味] とりこ。とらわれ。「ーのはずかしめを受ける」
「虜囚」 とら<囚>われ(檻の中)(日本兵への訓、虜囚の主語日本)。=日本にとら<囚>われる。敵にとら<捕>われた日本兵ではない。「ーのはずかしめを受ける」(日本兵への訓、虜囚の主語日本)=「日本に囚われ、とら<囚>われのはずかしめを受ける」。
唯一意味変化の無かった辞書であるが、主語を把握して解釈しないと、「敵にとら<捕>われる」になる。日本が日本兵に対しての訓なので、「虜囚」単独記載の主語は日本しかない。ありえない敵を主語にしていることに気付けば、もっと早く捏造を暴露できた。「虜囚」単独記載の主語「日本」は明白なので、「虜囚」の意味の中に主語、「敵」を入れるため、「捕虜」を、「敵に捕らえられた者」受動にして、辞書は整合させた。上記「広辞林第六版」は主語に気付いたから、[捕虜の意味]も変えなかったのだ。こまごまと検証したが、「虜囚」単独記載の主語を把握し、日本が捕らえ檻の中にいれた「虜囚」と主語を明確にすれば、「虜囚」=檻の中の敵兵(虜)と囚人(囚)が自ずと現出する。日本兵への訓単独記載の「虜囚」に、主語「敵」介入の余地など微塵も無い。
辞書が捏造に追随し変化したが、虜囚=囚人、敵兵、戦争などで敵に捕らえられた者(日本兵)同居。などの矛盾を導き出し、辞書が結局捏造を暴露した。
敵が主語の「虜囚」ではない、日本が主語、日本が捕らえ檻に入れた「虜囚=とりこ(囚人、敵兵)」に、敵に捕まえられた日本兵の存在など有得ない、不可能。「虜囚」の主語が、日本なのか敵なのか、考えれば氷解することだ。戦陣訓「虜囚」の主語は、日本だ。
言葉は時代に追随する、戦後の解釈に整合しないから、辞書の熟語だけが、真反対の意味を含む能受動に変化した。能動が能受動混在に変化。変化はしたが、捕鯨=捕鯨船が鯨をとる、が、捕鯨=鯨にとらえられた捕鯨船となったため、「捕」は変化せず、熟語「捕虜」だけに限定された、特異変化となった。ここでも辞書は戦後の捏造を実証した。
戦後の解釈「虜囚=捕虜=敵にとら<捕>われた日本兵」に整合しないから、辞書が真反対の意味を含む能受動に変化し整合させた。つまり、辞書が変化し戦後の解釈を完全否定、意味変化することで、戦後の捏造を辞書が実証したといえる。辞書が変化し、解釈不適を露呈、虜囚=捕虜の捏造を辞書が暴露。正答は、捕虜=捕まえた敵(虜)(檻の外)、虜囚=檻の中の敵(虜)と囚人以外該当せずと、辞書が断定した。
しかしながら、辞書の真意は伝わらず、今ではこのように、すべての辞書が逆に捏造ウイルスと化している。辞書も捏造の坩堝と化し、混乱し洗脳を助長しているのが現実だ。63年間撒き散らされ、嘘が真実になった実例がこれだ。まさに、ナチス・ドイツの宣伝大臣ゲッペルスの有名な言葉「嘘でも充分に繰り返し続ければ、真実になる」・・・。捏造亡国。
戦陣訓
『第八 名を惜しむ
恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱(囚人の汚名)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ。』
戦陣訓意訳
『第八 名を惜しむ(名誉の尊重)
恥を恥として知ることは強い。いつも故郷の人々や家族の名誉を忘れず、ますます奉公にはげんで、生きてる時も、皇軍の兵が法を犯し囚人と成るような辱めを受けず、死んだ時も、罪や過ちの汚名を残さず、恥を知り、名を汚さず、故郷の、戦功の期待に答えるように』 真実史観意訳
内容は今村均将軍が証言したように、正に「諭したもの」だ。
戦陣訓(せんじんくん)は兵士はもちろん国民も皆覚えていたか?証言
山本七平と安岡章太郎のマスコミ批判掲載の山本七平著『私の中の日本軍』文春文庫より。
(ジャングルの中で飢えとマラリアにバタバタと兵士が倒れる状態の中)
・・・『ではそんな状態にいて、いずれ近々死ぬことが分かっていて、なぜ投降も降伏もしなかったのか、という疑問は、当然誰の頭にも浮かぶであろう。投降も降伏も念頭になかったのは、もちろん明確な具体的な理由があるからである。
・・・ただはっきり断言できることは、私たちの場合は『戦陣訓』はなんら関係が無かったということである。私自身『戦陣訓』を読んだこともなければ、読まされた記憶もなければ、講義されたこともない。第一、一度も手にしたことがないから、一体全体どんな本なのか、その外観すら知らない』。
・・・『横井(庄一)さんのとき、まず驚いたことは、マスコミがいきなりそれを『戦陣訓』に結びつけた事であった。
・・・『報道の偏向』とは実に恐ろしいことである。横井さんの時、私はある週刊誌記者に、私自身『戦陣訓』を読んだことも、読まされたこともないし、軍隊でこれが奉読された記憶もない。従ってその内容も体裁も知らない、と言ったが、その人は私の言葉を信用しなかった。
・・・その人は戦後生まれだから日本軍なるものを全く知らない。それでいて、『戦陣訓』が一兵士に至るまでを拘束し、戦後三十年近く横井さんを拘束し続けたと信じて疑わないのであった」。
・・・『横井さんの時も、多くの記者が取材に来たが、「二十七年間のジャングル生活を『戦陣訓』が規制し続けたなどということはあり得ない』と私がいくら言っても、誰一人うけつけず、「本当ですか」「考えられませんね」「それこそあり得ないと思いますね」を連発するだけであった。
安岡章太郎の発言「私の中の日本軍下巻」
・・・『戦陣訓』に戻って言えば私自身も一年半の軍隊生活で、『戦陣訓』を強制的に読まされたり、講義されたりしたことは一度もない。それは軍隊内で、いわば体よく無視されていたと言えるだろう。しかるに現代のマスコミは、なぜ『戦陣訓』を重視したがるのか?それは山本氏(山本七平)も言うように『戦陣訓』は実は当時のマスコミにかつぎ上げられてマスコミの中だけで拡まっていたものであり、それは現代のマスコミにも体質的に通い合うものがあるからではないか。
陸軍で小隊長を務めていた経験のある司馬遼太郎
・・・「そんなものがある位の事は知っていたが、特に意識もしなかったし、暗誦させられたこともなかった」とエッセイで語った。
自称作家と称する物書き屋小田 実が「生きて虜囚の辱を受けずのよみがえりか・私は、昔、沖縄で米空軍の司令官と会って話をしたことがある。・・・「生きて虜囚の辱を受けず」は、大東亜戦争開始に当たってつくられた「戦陣訓」にあった軍律・・・軍のオキテだった。・・・」などと捏造を撒き散らしている。売国を生活の糧にする人々だ。哀れの一言に尽きる。
1944年(昭和19年)の7月9日サイパン陥落。サイパンで玉砕した一日本兵は「生きて捕虜となる辱」などの「私心」ではなく、「護国」と言う「公」のために、玉砕の直前まで「此ノ島ガ陥チタラ日本ノ存在ハ薄氷ヲ踏ムガ如シダドウシテモ死ナレナイ生キテ― ― ―生キ抜イテ此ノ島ヲ守ラネバ・・・」「生きて生きて生きて生きて生き抜いて此の島を守らねば」と日本へ書きしるしています。玉砕とはつまみ食い識者がいうところの自殺ではない、生ある限り戦い、自由を希求し自由に殉ずることだ。http://blogs.yahoo.co.jp/drmusou
先人は皇民化ロボットなどではない、食民治主義と凶産主義という人類の敵侵略者、破壊のため戦った祖国防衛軍、人類防衛軍だ。世界の侵略者、食民治主義者と凶産主義者に追い詰められ、無い無い尽くしの資源なき小国日本、子孫に残せるものは、比類なき戦いざましかなかったのだ。
「虜囚=捕虜=敵にとらわれた日本兵」の解釈が正答なら、辞書の意味変化など不要。それが戦後に変化加筆。変化加筆は、戦前と戦後の意味の変化を、証明した。結果辞書は、「虜囚=捕虜=敵にとらわれた日本兵」を完全に否定し、戦後の捏造を実証した。辞書も混乱の坩堝と化し洗脳を助長していたが、良心の呵責の念に駆られ、実証し、辞書が捏造を暴いた。職責者のあまりの不甲斐無さ、無検証売国奴振りに、見るに見かねて、愛国者辞書が、捏造を暴いたともいえる。辞書が職責者の正体、たんなる知識録音機、無検証鵜人を、暴露したともいえる。
職責者の正体が辞書により暴露され、判明したのだ。鵜呑みせず、立派な親から授かった自分の頭脳で考えよう。資源なき小国日本、鵜人の集となったら亡国だ。 真実史観
意味はどうでも一人歩きさせたから悪いと先人罵倒の愚者(売国奴)がいる、一人歩きしたのは戦後だ、させたのは迎合した報道屋と無検証鵜呑みの識者だ、先人に責任は無い。
「虜囚」と「捕虜」の意味が戦後変化し真反対の意味を付加。辞書が戦後の捏造を暴露。
大正6年初版昭和3年新版昭和15年華語増補版発行昭和38年第一版発行の講談社大字典
「捕虜」の意味 いけどり。とりこ。(能動)
「虜囚」の意味 とりこ。(能動)
広辞苑初版昭和30年、第二版昭和40年版
「捕虜」の意味 戦争などで敵に捕らえられた者(受動)。とりこ。→ふりょ俘虜。(能動)
「虜囚」の意味 とらわれた人。とりこ(能動)。捕虜(受動)。
大正6年初版昭和3年新版昭和15年華語増補版発行昭和38年第一版発行の講談社大字典より。練馬区立図書館蔵書。
「捕」はホ。ブ。フ。トラフ(動、下ニ) トル、字源 形聲 とらふると故に扌扁。甫は音符。
「俘」はフ。トリコ(名) トラハレ トル、(注・戦後版は、とらわれ/とる。となっている。意味不明だが、「俘」とその熟語、戦前戦後、どの辞書も受動の意味皆無)イケドレ(注・ルが擦れてレに見える。戦後版では、いけどる) 字源 形聲。戦争にて死者の左耳を取るを戫、生きながら捕獲するを俘という、故に人扁。孚は音符。
「虜」はリヨ。ロ。トリコ(名) イケドリ、シモベ、イケドル、生擒ス、化外ノ民、えびす、字源 形聲。虍と母と力の合字。敵を生きながら捕らえ来ること。母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん。力は腕力にて引率する義虍は音符。
「囚」はシウ。ジユ。トラウ(動下ニ)トラハル(動下ニ)トリコ(名) メシウド、罪人、俘虜、ツナグ、字源 會意。囗と人の合字。人が囗(かこみ)の中につながれし意にてトラハルルこと。泅は囚を音符とす。
「捕・俘」単独の意味は全て能動。受動の意味皆無。捕まえる、捕まえられる、俘にする、俘にされる、のように、付加した単語の助けで、能受動を使い分ける。捕虜にする(能動)。捕虜にされる(受動)。「捕・俘」は檻の外の捕まえた敵。「捕・俘」の熟語の意味も全て能動。受動の意味皆無。
「虜」には、「イケドリ、イケドル、生擒ス(生け捕る行為=日本軍が敵兵を生け捕ること)」と「シモベ、化外ノ民 えびす(生け捕った相手=生け捕った敵兵)」と「母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん(相手の状態=拘束)」と記され、生け捕る行為と、日本軍が生け捕った相手と、相手の状態が記され、敵兵は存在し、能動。敵に捕まえられた日本兵は存在しない。受動の意味皆無。
「囚」は「メシウド、罪人(トラ<囚>えた囚人=トラ<囚>われた囚人)。俘虜(トラ<捕>えた敵兵=トラ<囚>われた敵兵)」=生け捕った相手と、「ツナグ(人が囗(かこみ)の中につながれし意にてトラハルルこと)」=生け捕りツナいだ状態の相手(囲みの中の人)と記され、日本軍が生け捕りツナいだ状態(囲みの中の人)の相手、敵兵は存在し、「トラウ(動下ニ)トラハル(動下ニ)」と能受動が混在する。「囚」は囲みの中の人の総称(トラ<囚>えた人、トラ<囚>われた人)を意味し、能受動が混在し、「囚」は檻の中の捕まえた敵と人。したがって「囚」の熟語には、囚らえた人、囚われた人(檻の中)が混在する。能受動が混在するが、敵に捕まえられた日本兵(檻の外)は存在しない。
「捕」は捕まえる動作(檻の外)。囚は、「捕」の結果生じた状態(檻の中)。
上記大字典の熟語の意味
「捕縛」の意味 とらえしばること(とらえしばる行為)(能動)。
「捕虜」の意味 いけどり(生け捕る行為)。とりこ(生け捕った相手)。
主語が日本の訓。日本が生け捕った敵兵(檻の外)。能動態。敵につかまった日本兵ではない。受動の意味皆無。
「俘虜」の意味 とりこ。捕虜。
主語が日本の訓。日本が生け捕った敵兵(檻の外)。能動態。敵につかまった日本兵ではない。受動の意味皆無。
「囚人」の意味 つみびと。めしうど。「囲みの中の人(囚らえた人、囚われた人)。能受動」(檻の中)
「囚徒」の意味 とらわれびと(囚われ人)。めしうど。「囲みの中の人(囚らえた人、囚われた人)。能受動」(檻の中)
「虜囚」の意味 とりこ。
主語が日本の訓。囲みの中(牢獄、檻の中)に閉じ込めた状態にした、日本が生け捕った相手、「囚人=日本にとら<囚>われた人。敵兵=日本にとら<囚>われた敵兵」となる。(状態は檻の中)。能動受動。敵に捕まった日本兵(檻の外)ではない。
「虜囚」は能受動が混在。「捕虜」は、「捕虜にする」(敵を捕まえる)。「捕虜にされる」(敵に捕まる)、「捕虜になる」(敵に捕まる)、と付加した単語の助けで意味変化し能受動表現となる。捕虜には単語の助けで変化した意味、「捕虜になる(敵に捕まる)(受動)」があるが、「捕虜」(名詞)単独では、「生け捕りした敵兵(檻の外)」(能動)だけの意味となる。
「虜囚」は「囚」により、囲みの中に閉じ込めた人の総称「囚人=日本にとら<囚>われた人、敵兵=日本にとら<囚>われた敵兵(状態は檻の中)」となる。簡略すると、捕虜=捕獲した敵兵(檻に入っていない)だが、虜囚=檻の中の敵兵と囚人。「捕虜=捕獲した敵兵」の処遇が、「虜囚=檻の中の敵兵」となる。「虜囚」は、「捕虜」の処遇を意味し、「囚」(檻の中)と「捕」(檻の外)の違いは明白だ。「捕虜」=「虜囚」は捏造。
「捕虜」単独の意味は、生け捕りした敵兵(檻の外)。「虜囚」は、閉じ込めた人「(囚人=とら<囚>われた人)。(生け捕りした敵兵=生け捕りされた敵兵)」(檻の中)。と成り、「虜囚・捕虜」には、生け捕りした敵兵はいるが、「虜囚・捕虜」には、敵につかまった日本兵は存在しない(受動)。
「虜囚の辱」=捕虜(生け捕りした敵兵)の辱。では戦陣訓と成らないのだ。虜囚の辱は、敵兵への訓ではない、日本国の兵への訓である。したがって、「虜囚の辱」=「(囚人=とら<囚>われた人)の辱」=「虜囚の辱」=「日本国に捕まって囚人となる辱」と、なる。「捕虜」=「虜囚」は捏造。
検証したように虜囚=捕虜とするなら「捕虜単独の意味は、生け捕りした敵兵」以外に無い。「捕虜」の意味は前述のように単語の付加(受動)により意味が変化する。付加の単語無き文で捏造の「戦争などで敵に捕らえられた者(受動)」と解釈するのは不可。
「捕虜となる辱」・「捕虜にされる辱」・「捕虜になる辱」と、単語(受動)の付加が成されて初めて変化した意味となり「敵に捕まる(受動)=戦争などで敵に捕らえられた者(受動)」捏造した捕虜の意味となる。「捕虜」の文字と単語(受動)の付加など、どこにも無い「虜囚」を、「虜囚」=「捕虜」と解釈は、捏造以外の何物でもない。
「捕虜」単独の意味「生け捕りした敵兵(能動)」を戦争などで敵に捕らえられた者(受動)にし、捕虜の意味を改竄し、捕虜=虜囚、虜囚の辱=戦争などで敵に捕らえられた者の辱=降伏禁止と捏造した。報道屋は用意周到に、捕虜の意味から捏造していたのだ。虜囚を繰ると戦前の辞書には「とりこ」、戦後の辞書には「とら<囚・捕>われた人(檻の中・檻の外)」とでてくる。戦前、戦後の辞書で「囚」を繰ると「とら<囚>われる(檻の中)」とでてくる、これに皆だまされた。「とら<囚>われた人(辞書の意味はとら<囚>われた敵兵、主語日本、日本にとら<囚>われた敵兵)(檻の中)」の意味を、「敵にとら<捕>われた日本国の兵(檻の外)」と錯覚してしまったのだ。主語を把握し、虜囚だけの検証ではなく、「捕虜」単独の意味をも検証すれば、当の昔に氷解したのだ。
戦時下一部の報道屋は「日本にとら<囚>われた人」を、「敵にとら<捕>われた人」とつまみ食いし、報道したため、信じた者もいた。戦後、虜囚の辱=とら<囚>われた人の辱=捕虜(敵に捕まえられた日本兵と捏造)の辱=降伏禁止=玉砕=集団自決=極悪日本軍とし、扇動した。戦後は報道屋総動員で迎合し、徹底的に扇動、結果皆洗脳され続けている。「捕虜」単独の意味日本がとら<捕>えた敵兵を、真反対の敵に捕まえられた日本兵と捏造、先人罵倒の起因がこの捏造に在る。
捏造のため戦前の辞書と整合せず、戦後の辞書は皆変化したが、後述の「鯨に捕まった捕鯨船』のような矛盾が生まれ、捕虜限定の意味となった。しょせん捏造は捏造なのだ、矛盾が証明している。
昭和27(1952)年初版昭和49(1974)年新装発行、三省堂「辞海」。練馬区立図書館蔵書。
「捕虜」の意味 とりこ。俘虜。(受動の意味皆無)
「虜囚」の意味 とらわれ人(虜囚の主語日本。日本にとら<囚>われた人、囚人と敵兵。敵にとら<捕>われた日本兵ではない)。めしうど。とりこ。
まだこの時代では、日本国に捕まった人(囚人や敵)の意味だけである。捕虜「戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」の受動記載皆無。
前述の講談社大字典昭和38(1963)年復刻、1993年第一刷、新大字典。
戦前の大字典「捕」。ホ。ブ。フ。 トラフ(動、下ニ) トル。戦前の「捕」は受動の意味皆無。
戦後の新大字典「捕」はホ。ブ。フ。 とーらえる・とーらわれる・とーる・つかーまえる・つかーまる字義(一)(ニ)とらえる(とらふ)(動)/とる(動)。つかまえる(つかまふ)(動)。字源 形声 とらえること。ゆえに扌偏。甫。音符。語尾で受動。「捕」は能動のままで変化無し。
「捕」の熟語を繰ると、「捕虜」の意味 いけどり。とりこ。戦前と変わらず、変化無し。
戦後の新大字典「虜」はリヨ。ロ。ル。トリコ(名) いけどり。しもべ。いけどる/化外ノ民。えびす。「いけどり。いけどる。(生け捕る行為=日本軍が敵兵を生け捕ること)」と「しもべ。化外ノ民。えびす。(生け捕った相手=生け捕った敵兵)」と記され、生け捕る行為と、日本軍が生け捕った相手、敵兵は存在し、能動。敵兵に捕まえられた日本兵は存在しない。受動の意味皆無。戦前と変わらず、変化無し。
「慮」の熟語を繰ると、「虜囚」の意味 とりこ(日本が捕まえた敵)。捕虜。」と、あらたに捕虜が加筆。「とりこ」には日本が捕まえた敵(捕虜)の意味、既に在り。加筆は、捕虜=戦後の捏造=戦闘で敵軍に捕らえられた者(敵に捕らえられた日本兵)=受動態の意味、加筆である。「虜囚」=囚人、敵兵に、真反対の新たな意味(戦闘で敵軍に捕らえられた者=敵に捕らえられた日本兵)が付加された。
講談社大字典「捕」「慮」の意味、戦前も戦後も変化無し。
熟語「虜囚」の意味だけが能受動(新たな意味)混在(日本がトラ<囚>えた敵兵=日本にトラ<囚>われた敵兵=檻の中、本来の意味に、敵がトラ<捕>えた日本兵=敵にトラ<捕>われた日本兵=檻の外と、新たな意味が付加された)し戦後変化した。戦陣訓主語日本が、日本の兵に対しての訓、「虜囚」の主語日本、敵ではない。日本が捕まえた囲いの中の人「虜囚」=囚人、敵兵に、敵軍に捕らえられた日本兵が同居しているというのだ。居るはずの無い人がいるのだ。日本の「虜囚」に、敵軍に捕らえられた日本兵が存在するわけなど無い。「虜囚」の主語が、日本なのか敵なのか、考えれば氷解することだ。このことだけでも捏造は明白なのだ。戦陣訓「虜囚」の主語は、日本だ。
新選漢和辞典小学館昭和38(1963)年初版昭和60(1985)年新版
「捕」。ホ。ブ。 とら・える。つか・まえる。つかま・る。とらわ・れる。(とらは・る)。とる。語尾で受動。「捕」は能動のままで戦前と同じ。
「捕」の熟語「捕虜」の意味 とらわれた人。とりこ。俘虜。
能動の意味生け捕った敵「捕虜」の意味が、真反対の意味を含む、「とら<捕>えた敵兵と、とら<捕>われた日本兵」能受動混在に変化した。唯一「捕虜」の意味だけが能受動混在。他の熟語は能受動混在皆無。
「慮」は戦前の大字典と同じ。
「慮」の熟語「虜囚」の意味 とりこ。捕虜。
「虜囚」には日本が囚えた敵(捕虜)=とら<囚>われた人の意味、既に在り。捕虜加筆は、捕虜=戦後の捏造=(敵に)とら<捕>われた人(日本兵)=受動態の意味、加筆である。「虜囚」=囚人、敵兵に、真反対の新たな意味「(敵に)とら<捕>われた人(日本兵)」が付加された。
新選漢和辞典「捕」「慮」の意味、戦前と同じ。熟語「捕虜」「虜囚」の意味だけが戦前と異なり「捕虜」能動に受動付加。「虜囚」にとら<捕>われた人(日本兵)が付加され、変化した。他の辞書も同様、変化したのは熟語だけ。これも前述同様、日本が捕まえた囲いの中の人「虜囚」=囚人、敵兵に、(敵に)とら<捕>われた人(日本兵)同居となる。「虜囚」の主語が、日本なのか敵なのか、考えれば氷解することだ。戦陣訓「虜囚」の主語は、日本だ。
広辞苑初版昭和30年、第二版昭和40年版
「捕虜の意味・戦争などで敵に捕らえられた者。とりこ。→ふりょ俘虜」。
「虜囚の意味・とらわれた人。とりこ。捕虜」
「捕虜」 戦前の生け捕った敵「捕虜」の能動の意味が、真反対の意味を含む、「戦争などでとら<捕>えた者(敵)と、戦争などで敵にとら<捕>われた者(日本兵)」能受動混在に変化した。
「虜囚」 戦前の虜囚の意味 日本にとら<囚>われた(檻の中)、囚人、敵兵。に、とら<捕>われた人。捕虜(戦争などで敵に捕らえられた者=主語日本なので日本兵。受動)を付加。真反対の意味、戦争などで敵に捕らえられた日本兵、が付加された。これも前述同様、日本が捕まえた囲いの中の人「虜囚」=囚人、敵兵に、戦争などで敵に捕らえられた者(日本兵)同居となる。
「辭林」1907(明治40)年発行「広辞林第六版」1983(昭和58)年三省堂(現在知りえる、唯一意味変化の無かった、正答の辞書。戦前初版の辞書は、変化が少ない。整合がない真反対の意味とするのに、ためらいがあったのだろう)
[捕虜の意味] とりこ。いけどり。「ー収容所」。(受動の意味皆無)
[虜囚の意味] とりこ。とらわれ。「ーのはずかしめを受ける」
「虜囚」 とら<囚>われ(檻の中)(日本兵への訓、虜囚の主語日本)。=日本にとら<囚>われる。敵にとら<捕>われた日本兵ではない。「ーのはずかしめを受ける」(日本兵への訓、虜囚の主語日本)=「日本に囚われ、とら<囚>われのはずかしめを受ける」。
唯一意味変化の無かった辞書であるが、主語を把握して解釈しないと、「敵にとら<捕>われる」になる。日本が日本兵に対しての訓なので、「虜囚」単独記載の主語は日本しかない。ありえない敵を主語にしていることに気付けば、もっと早く捏造を暴露できた。「虜囚」単独記載の主語「日本」は明白なので、「虜囚」の意味の中に主語、「敵」を入れるため、「捕虜」を、「敵に捕らえられた者」受動にして、辞書は整合させた。上記「広辞林第六版」は主語に気付いたから、[捕虜の意味]も変えなかったのだ。こまごまと検証したが、「虜囚」単独記載の主語を把握し、日本が捕らえ檻の中にいれた「虜囚」と主語を明確にすれば、「虜囚」=檻の中の敵兵(虜)と囚人(囚)が自ずと現出する。日本兵への訓単独記載の「虜囚」に、主語「敵」介入の余地など微塵も無い。
辞書が捏造に追随し変化したが、虜囚=囚人、敵兵、戦争などで敵に捕らえられた者(日本兵)同居。などの矛盾を導き出し、辞書が結局捏造を暴露した。
敵が主語の「虜囚」ではない、日本が主語、日本が捕らえ檻に入れた「虜囚=とりこ(囚人、敵兵)」に、敵に捕まえられた日本兵の存在など有得ない、不可能。「虜囚」の主語が、日本なのか敵なのか、考えれば氷解することだ。戦陣訓「虜囚」の主語は、日本だ。
言葉は時代に追随する、戦後の解釈に整合しないから、辞書の熟語だけが、真反対の意味を含む能受動に変化した。能動が能受動混在に変化。変化はしたが、捕鯨=捕鯨船が鯨をとる、が、捕鯨=鯨にとらえられた捕鯨船となったため、「捕」は変化せず、熟語「捕虜」だけに限定された、特異変化となった。ここでも辞書は戦後の捏造を実証した。
戦後の解釈「虜囚=捕虜=敵にとら<捕>われた日本兵」に整合しないから、辞書が真反対の意味を含む能受動に変化し整合させた。つまり、辞書が変化し戦後の解釈を完全否定、意味変化することで、戦後の捏造を辞書が実証したといえる。辞書が変化し、解釈不適を露呈、虜囚=捕虜の捏造を辞書が暴露。正答は、捕虜=捕まえた敵(虜)(檻の外)、虜囚=檻の中の敵(虜)と囚人以外該当せずと、辞書が断定した。
しかしながら、辞書の真意は伝わらず、今ではこのように、すべての辞書が逆に捏造ウイルスと化している。辞書も捏造の坩堝と化し、混乱し洗脳を助長しているのが現実だ。63年間撒き散らされ、嘘が真実になった実例がこれだ。まさに、ナチス・ドイツの宣伝大臣ゲッペルスの有名な言葉「嘘でも充分に繰り返し続ければ、真実になる」・・・。捏造亡国。
戦陣訓
『第八 名を惜しむ
恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱(囚人の汚名)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ。』
戦陣訓意訳
『第八 名を惜しむ(名誉の尊重)
恥を恥として知ることは強い。いつも故郷の人々や家族の名誉を忘れず、ますます奉公にはげんで、生きてる時も、皇軍の兵が法を犯し囚人と成るような辱めを受けず、死んだ時も、罪や過ちの汚名を残さず、恥を知り、名を汚さず、故郷の、戦功の期待に答えるように』 真実史観意訳
内容は今村均将軍が証言したように、正に「諭したもの」だ。
戦陣訓(せんじんくん)は兵士はもちろん国民も皆覚えていたか?証言
山本七平と安岡章太郎のマスコミ批判掲載の山本七平著『私の中の日本軍』文春文庫より。
(ジャングルの中で飢えとマラリアにバタバタと兵士が倒れる状態の中)
・・・『ではそんな状態にいて、いずれ近々死ぬことが分かっていて、なぜ投降も降伏もしなかったのか、という疑問は、当然誰の頭にも浮かぶであろう。投降も降伏も念頭になかったのは、もちろん明確な具体的な理由があるからである。
・・・ただはっきり断言できることは、私たちの場合は『戦陣訓』はなんら関係が無かったということである。私自身『戦陣訓』を読んだこともなければ、読まされた記憶もなければ、講義されたこともない。第一、一度も手にしたことがないから、一体全体どんな本なのか、その外観すら知らない』。
・・・『横井(庄一)さんのとき、まず驚いたことは、マスコミがいきなりそれを『戦陣訓』に結びつけた事であった。
・・・『報道の偏向』とは実に恐ろしいことである。横井さんの時、私はある週刊誌記者に、私自身『戦陣訓』を読んだことも、読まされたこともないし、軍隊でこれが奉読された記憶もない。従ってその内容も体裁も知らない、と言ったが、その人は私の言葉を信用しなかった。
・・・その人は戦後生まれだから日本軍なるものを全く知らない。それでいて、『戦陣訓』が一兵士に至るまでを拘束し、戦後三十年近く横井さんを拘束し続けたと信じて疑わないのであった」。
・・・『横井さんの時も、多くの記者が取材に来たが、「二十七年間のジャングル生活を『戦陣訓』が規制し続けたなどということはあり得ない』と私がいくら言っても、誰一人うけつけず、「本当ですか」「考えられませんね」「それこそあり得ないと思いますね」を連発するだけであった。
安岡章太郎の発言「私の中の日本軍下巻」
・・・『戦陣訓』に戻って言えば私自身も一年半の軍隊生活で、『戦陣訓』を強制的に読まされたり、講義されたりしたことは一度もない。それは軍隊内で、いわば体よく無視されていたと言えるだろう。しかるに現代のマスコミは、なぜ『戦陣訓』を重視したがるのか?それは山本氏(山本七平)も言うように『戦陣訓』は実は当時のマスコミにかつぎ上げられてマスコミの中だけで拡まっていたものであり、それは現代のマスコミにも体質的に通い合うものがあるからではないか。
陸軍で小隊長を務めていた経験のある司馬遼太郎
・・・「そんなものがある位の事は知っていたが、特に意識もしなかったし、暗誦させられたこともなかった」とエッセイで語った。
自称作家と称する物書き屋小田 実が「生きて虜囚の辱を受けずのよみがえりか・私は、昔、沖縄で米空軍の司令官と会って話をしたことがある。・・・「生きて虜囚の辱を受けず」は、大東亜戦争開始に当たってつくられた「戦陣訓」にあった軍律・・・軍のオキテだった。・・・」などと捏造を撒き散らしている。売国を生活の糧にする人々だ。哀れの一言に尽きる。
1944年(昭和19年)の7月9日サイパン陥落。サイパンで玉砕した一日本兵は「生きて捕虜となる辱」などの「私心」ではなく、「護国」と言う「公」のために、玉砕の直前まで「此ノ島ガ陥チタラ日本ノ存在ハ薄氷ヲ踏ムガ如シダドウシテモ死ナレナイ生キテ― ― ―生キ抜イテ此ノ島ヲ守ラネバ・・・」「生きて生きて生きて生きて生き抜いて此の島を守らねば」と日本へ書きしるしています。玉砕とはつまみ食い識者がいうところの自殺ではない、生ある限り戦い、自由を希求し自由に殉ずることだ。http://blogs.yahoo.co.jp/drmusou
先人は皇民化ロボットなどではない、食民治主義と凶産主義という人類の敵侵略者、破壊のため戦った祖国防衛軍、人類防衛軍だ。世界の侵略者、食民治主義者と凶産主義者に追い詰められ、無い無い尽くしの資源なき小国日本、子孫に残せるものは、比類なき戦いざましかなかったのだ。
「虜囚=捕虜=敵にとらわれた日本兵」の解釈が正答なら、辞書の意味変化など不要。それが戦後に変化加筆。変化加筆は、戦前と戦後の意味の変化を、証明した。結果辞書は、「虜囚=捕虜=敵にとらわれた日本兵」を完全に否定し、戦後の捏造を実証した。辞書も混乱の坩堝と化し洗脳を助長していたが、良心の呵責の念に駆られ、実証し、辞書が捏造を暴いた。職責者のあまりの不甲斐無さ、無検証売国奴振りに、見るに見かねて、愛国者辞書が、捏造を暴いたともいえる。辞書が職責者の正体、たんなる知識録音機、無検証鵜人を、暴露したともいえる。
職責者の正体が辞書により暴露され、判明したのだ。鵜呑みせず、立派な親から授かった自分の頭脳で考えよう。資源なき小国日本、鵜人の集となったら亡国だ。 真実史観