潮待小屋

3.11の記憶

 
あれから9年。
今でも鮮明に思い出すあのときのこと。
  ↓
「3.11の記憶」


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コメント一覧

かめやまこ
>キャロルさん
そうですね。
あの頃はアジが沢山釣れましたね。
最近はさっぱりですが・・・
釣師会のメンバーもあまりアジ釣りをやらなくなったようで、ちょっと寂しい気もします。
キャロル
 かめやまこさん
 みなさんそれぞれが、忘れられない記憶、思い出としてあることでしょう。私は職場が大阪で、家族の住む自宅が東京なので、1995年の阪神淡路大震災と2011年東日本大震災の2つの思い出が不可分のセットになっています。それぞれの記憶に結びつくさまざまなことが、いまでも鮮明に思い出されます。ちなみに、釣り場ではじめてかめやまこさんとお会いしたのは、東日本大震災の前年2010年の11月でした。あの頃は、堤防でよくアジが釣れていました(涙)。
かめやまこ
>ちょろ松さん
皆さんひとりひとりの記憶があって、ひとりひとりの想いがあるんですよね。
私も色々な意味で人生観が変わりましたし、孫ができたらしっかり語り伝えたいと思っています。
今のところその気配もありませんが(^^;;。
ちょろ松
かめやまこさんこんばんは。今日は愛媛からです。
不覚にもかめやまこさんのブログを知ったのは釣りを始めて
からで、その上釣行記だけ遡って読んでいたので、この日の
ことは読んでいませんでした。
震災の日、私はお客さんと大阪に出張していました。
帰京する予定が新幹線が止まり帰宅できず、在来線で京都へ
下り、旧友の営む素泊まり宿に厄介になり、2人で深夜までず
っとテレビで流れる惨状を呆然と眺めていました。
幸い翌日の新幹線に乗れたので帰京しましたが、初めて京都
~新横浜まで立ちっぱなしを体験しましたそりゃそうです金
曜日に東へ帰れなかった方々が翌朝に重なったのですから。
そして東電の水素爆発。
その時点で会社は英断し、家族持ちは全員関西へ避難しろ。
親戚縁故が無ければしばらく関西圏のホテルへ泊まれ。金は
全部出すと。
火曜日の朝から週末まで京都に家族で避難しました。
そして、かめやまこさんと同じような思いをしました。
そこには充分な食料、燃料、そして乾電池。街は賑やかで、
東日本の災害などまるで無いように感じましたどこか遠い湾
岸戦争をテレビを通して生で見た時のような。
同時に思ったのは阪神・淡路の震災の時、東日本では同じよ
うに日常が流れていたことを思い出しました。どこか他人事
感があったと思います。
親戚縁故もなく遠い地域だったとしても、それが海外であっ
たとしても、人の受ける痛みはみな同じで、どれだけ寄り添
えるか、自分の身に置き換えられるかが、人の大きさかも。
と思い知った日でした。
そして親にも子供にも先輩後輩や仲間に対し、なんの詫びも
感謝も想いも告げられず亡くなってしまった方、伝えられず
残されてしまった方の無念さは計り知れません。

伝えること、残していくこと、後悔はしたくないですね。
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