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潮待小屋

3.11の記憶(2)

(前記事より続く)


<2011年3月13日>

徐行運転の外房線と総武線を乗り継いで、私は東京駅へ到着した。
昨日は、あれほど多くの人で溢れかえっていた駅も、今朝は閑散としていた。
パン屋さんでは、若い女性の店員さんが、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれた。
私は、サンドイッチと飲み物を買って、「のぞみ」に乗り込んだ。

東京を離れ、西へ向かう新幹線の窓から見える見慣れた景色は、これまでと何も変わらなかった。
ただ、車内の掲示板に流れるニュースのテロップだけが、震災と原発事故の情報を延々と流し続けていた。

大阪に到着し、現地事務所のスタッフと翌日の打ち合わせを済ませ、大阪駅近くのビジネスホテルにチェックインした。

奥さんにメールを入れたところ、乾電池が欲しいのだけれど、どこの店に行っても売り切れで買えないという。
私は、大阪駅前の大きなヨドバシカメラに行って、大量の乾電池を買い込んだ。
大阪には、山ほど乾電池があった。
そして、ホテルの部屋でもう一度翌日の準備をした後、夕食をとるために梅田の街にくり出した。

大阪の街は、いつもと全く変わりはなかった。
色とりどりのネオンが煌々と灯り、通りには若いカップル達が楽しそうに歩いていた。
人気のラーメン店はお客さんで溢れ、居酒屋の前では学生のグループが盛り上がっている。
東京が失ってしまった「平凡な日常」が、ここ大阪にはあった。
私は、この街に、何か頼もしさのようなものを感じた。

街頭では、ギターで弾き語りをする若者の横で、数人の若者が被災者支援の募金活動を行っていた。
私は、「ありがとう」と言って募金箱に100円を入れた。
そして、行きつけのラーメン屋さんでお気に入りのチャーシュー麺を食べ、たこ焼きを1パック買ってホテルに戻った。


<2011年3月14日>

大阪での仕事は、とどこおりなく終わった。
しかし、東日本の状況は急激に悪化していた。

福島第一原発の3号機が1号機に続き水素爆発を起こし、原発稼働停止による電力需給のひっ迫で、東京電力が計画停電を開始した。
私は、昨日買い込んだ乾電池で大阪へ来る時の倍くらいに重くなった荷物を抱え、東京行きの新幹線に乗り込んだ。

携帯でJRの運行状況を確認すると、計画停電の影響で外房線が止まっている。
今日も家に帰るのは無理かもしれない。
奥さんにその旨メールを入れたところ、すぐにネットで空部屋のあるビジネスホテルを見つけてくれた。
とりあえず2件押さえたというので、職場に近い方を選んで確定してもらった。

東京駅に到着し、私は疲れた体を引きずって何とかホテルまで辿り着き、そのままベッドに倒れ込んで眠りについた。


(続く)
 

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