職案人

求職・歴史・仏教などについて掲載するつもりだが、自分の思いつきが多いブログだよ。適当に付き合って下さい。

埼大生の為の法華経(その17)

2007年03月21日 | 受験・学校
こんにちは
愚な教育学部の学生は元気でしょうか?

前回の色・受・想・行・識の5つの集まり、つまり五蘊(ごうん)に分類でき、それらが互いに関連し合い心が動いているのであって、心は自分一人で如何する事も出来ない!。

つまり、他の存在があって(色)、自分の存在を示す身があり(受・行)、それらを感じる心(想・識)から成り立ち、色の変化に伴い、心も変化する。
だから、色の変化が判らない孤独な状態では心が自由に動けず人は苦痛を感じる。

また、人は自分があると思っているが、それは単に自分の都合の良い物を選んでいるだけに過ぎない。自から何かを感じて、自から他のものの為に働く事はない。

なぜならば、人は人として生まれながら、人間の体と生理的欲求を持っている以外、善・悪の区別・社会で生きる為の常識は知らず、育つ過程で親などから学び、自らは知ろうとせず、楽しい事だけ追い求めているからだ!

早い話が人は基本的に自分の事(苦・楽)以外に心を動かさない生き物です。だから、集団の中で生活するには”縁”が大事だとお釈迦様は言っている。
次回は五蘊(ごうん)をもう少し、堀り下げます。では法華経の譬喩品をどうぞ!


舎利弗に告げた
「私も、またこの長者と同じだ!大地を制する神々の中で佛と崇められる者であり、世間の人々の父である。すべての衆生はこれ皆、我が子であり、この子らは深くこの世の楽に執着し、真理を悟る心を持つ事が無い。

彼らの三界は安ぎを得る事が無く、なお火宅のようである。様々な苦が充満して、甚だ畏怖する所である。常に生・老・病・死の悩みや苦しみがあり、これらの火は盛んになり休まず。

如来はすでに、三界の火宅を離れて一人寂しく、俗世から離れた静かな処に座し、林野に安住する。今、この三界は皆、これらは私に悩みをもたらす有であり、その中に住む衆生はすべてが我が子である。

しかも、今住み着いている所は色々な困難にあって悩む事が多く、ただ、私一人のみ、これを治療することが出来る。しかし、私が教え伝えようとしても、これを信じて、教えを受け入れる事はない。

様々な欲に染まっている者達は欲に執着することが深い為、この事より方便を用いて、そして、その為に、三乗を説いて様々な衆生に三界の苦を自覚させ、変化してやまない迷いの世界(世間)からの脱出の道を開示し、演説する。

この諸子等が、もし、心を決めて、定めれば三明及六神通が備わり、縁覚不退の菩薩に成り得るのです。

汝、舎利弗
私は衆生の為に、この比喩を以って、一佛乗を説く。お前達、もし、この言葉を信じて、教えを受ければ、すべての者、皆は佛道を成就する事が出来る。

この乗(救いの道)は言葉に出して言い表せないほど優れたもので、心の汚れを清浄する、一番の法であり、様々な世間において、この法より優れたものは無い。佛が悦び認めた所、すべての衆生が賞賛し、供養し、礼拝すべき所である。

また、数限りない億千と言う数の力・解脱・禅定・智慧・佛の他の法があり、これらの乗(救いの法)を得て、諸子等を何時でも、好きな時間に遊ばせる事が出来た。

諸の菩薩及び学者達とこの宝乗に乗せて、直ちに道場に至らしめる。この因縁をもって、十方に諦めて他の法を求めたとしても、佛の方便を除けば、他の救いの道は無い。


・三界
心をもつものの存在する欲界・色界・無色界の三つの世界

・有(う)
存在。存在物。事物。実在

・三有
欲界・色界・無色界の三界のこと。また、三界に生きるもののことで、苦が存し、生死輪廻(しようじりんね)のある世界また、現在の生である本有(ほんう)、次の生である当有(とうう)、その中間の状態である中有(ちゆうう)の総称。
1.欲有;欲界の生死(本有)
食欲・貪欲など欲望のある世界。六欲天・人間界・八大地獄のすべてを含む。
2.色有;色界の生死(中有)
四禅を修めたものが死後に生まれる世界で、初禅天から四禅天の四つに分かれる。淫欲・貪欲(とんよく)などの欲を脱しているが、まだ物質の制約を逃れていない世界
3.無色有;色界の生死(当有)
物質や物質的な思いから解き放たれ、受・想・行・識の四蘊(しうん)のみから成る

・四有
一回の輪廻の生死を四つに区切ったもので、一つの生が経る四つの段階。
1.生有(しようう)
生命の出現する瞬間である状態
2.本有(ほんぬ)
生存している状態
3.死有(しう)
死ぬ瞬間である状態
4.中有(ちゆうう)
次の生を得るまでの状態

・四禅とは
色界における四つの段階的境地で、欲界の迷いを超えて色界に生ずる四段階の瞑想をいいます。それぞれの禅定は、
初禅=覚・観・喜・楽・一心の五支よりなる
第二禅=内浄・喜・楽・一心の四支よりなる
第三禅=捨・念・慧・楽・一心の五支よりなる
第四禅=不苦不楽・捨・念・一心の四支よりなる

・三明(さんみょう)
自他の未来を知る天眼通、自他の過去を知る宿命通、煩悩(ぼんのう)を断って明智を得る漏尽通の三つの能力。過去と未来を知った上で、現在を悟り一切の煩悩を断つこと。

・六神通
六つの超人的な能力。神足通・天眼(てんげん)通・天耳(てんに)通・宿命(しゆくみよう)通・他心通・漏尽(ろじん)通のこと

今日はこの辺で終り、



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埼大生の為の法華経(その16)

2007年03月17日 | 受験・学校
こんにちは
愚な教育学部の学生は元気でしょうか?
今回は、人が心を動かすメカニズムを解説しましょう。

人の心は自分の身と他の物の存在との関わりで、心が動作する様になっています。
他の物の存在を色と言います。色を具体的に言うと、人・物・ルール・既成概念など人が作った物及び人が認識するもの、すべての存在を言います。

自分の身、すなわち心は受・想・行・識から成っている。
1)受とは
六根(眼根(げんこん)・耳根(にこん)・鼻根・舌根・身根・意根)から入る信号の事で,外部からの刺激の事です。
2)想とは
好き、嫌い、普通、辛い、楽しいなどの感想や考えを思い浮かべる事です。
3)行とは
智慧(ルール)や体(手・足・口)を使って行う行為で、頭を使う事を行、体を使う事を業と言います。
4)識とは
自分や他人や物に対する知識で、データの事です。データを使って考える事は想です。
以上、四つが心の動きで、これに色を加えたると心が動作します。
人はこれら五つ、つまり五蘊(ごうん)のうち一つでも、欠けると心が止まります。が心が止まったからと言いって、悩みが無くなる訳では有りません。逆に病気に成り、死にます。よって、これらがスムーズに動く方が良いのです。
では法華経の譬喩品をどうぞ!


”私は今、自分の望みが叶い満足している。なぜならば、この子等を養育するのは甚だ、困難である。利が何か分からず、何の力もない者で、無知で有るが故に、平気で危険な家に入って行くからだ。

そこは、色々な毒虫や魑魅魍魎(ちみもうりょう)が沢山、住んでいる恐ろしい場所であり、おまけに四面から火が起き、勢いよく燃えているにもかかわらず、この子等は遊びに夢中であった。

しかし、私はすでに、これを救って難を逃れさせた。ゆえにお前たち、私は満足しているのだ。”その時、子供たちは父が安心しているのを知り、皆、父の所に行き、父に尋ねた。

”お願いです、私たちに三種の宝車を下さい。父が先ほど、お前たち出て来て、三車をもって、心の思うがままに遊べと言った宝車です。今すぐ、これらの車を下さい。”

長者は大富豪で、多くの蔵を所有している。蔵の中には金・銀・瑠璃・蝦蛄(しゃこ)
瑪瑙(めのう)がある。長者は色々な宝石をもって、色々な立派な車を作った。

車は規則正しく木で組まれ、美しく威厳有るかのように飾り、車の周りを手すりの様に楯で施し、羊の腸のような金色の花を所々に垂れさせ、多彩の織物を集めて、車の周囲を飾り立てた。

柔軟な綿で描かれた物(パッチワーク)を車中の引き物にし、清潔な純白で、一千億の価値ある最上の絨毯でその物の上を覆う。

体格が良く、力が漲って、姿形が美しい白い大きな牛がいる。その牛に車を担がせ、多くの召使にこれを守らせた。

長者はこの様な珍しい車を等しく、子等に与える。この時、子等は飛び跳ねながら喜び、この寶車に乗り、四方に遊びに行く。それはあたかも、自在無碍のようである。



・魑魅(ちみ)
〔「魑」も「魅」も化け物の意〕山林の精気から生じ、人を迷わすというばけもの
・魍魎(もうりょう)
〔「魍」も「魎」も山川の化け物〕山・水・木・石などの精気から生じて人をばかすという怪物。
・自在無碍(じざいむげ)
何ものにも妨げられず、自分が望むとおりに物事をなしうること


今日はこの辺で終り、



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埼大生の為の法華経(その15)

2007年03月04日 | 受験・学校

こんにちは
愚な教育学部の学生は元気でしょうか?
今、「千の風になって」が話題に成っているが、その詩を聞いてどう思うのか?

仏経で言う、無意涅槃の心境を言っている様な気がします。
お釈迦様も、死については前向きのイメージで、捉えています。”死は生の入り口で、生は死の入り口である。その事は永遠に続くのである。(輪廻転生)”これを感じる事が死の恐怖、物欲から離れ涅槃に立つ事ができる。


前回の”縁”が如何に大事なのか、理解出来たでしょうか?
人の心は影響を受けやすく、信念がなく、一度思い込むとなかなか、考えを変えない。
そこで、お釈迦様はまず初めに、5戒【不殺生(ふせつしよう)・不偸盗(ふちゆうとう)・不邪淫(ふじやいん)・不妄語(ふもうご)・不飲酒(ふおんじゆ)】を守らせた。


つぎに、悩みの元でる十悪【殺生・偸盗(ちゆうとう)・邪婬・妄語・両舌・悪口・綺語(きご)・貪欲・瞋恚(しんい)・邪見】を犯さない十善行をさせた。以上の良縁に住まわせる事で心も自然に、良心になり、欲に捕らわれない自由軟な心にして。


そして、お釈迦様は心のメカニズムの定義;三科や苦の定義・苦が集まる訳・森羅万象の法則・解決法などを納めた四諦や生死の輪廻を説いた十二因縁を教え、六波羅蜜の修業を行ない、最後に輪廻転生をもって仏にさせた。
では法華経の譬喩品をどうぞ!

また、諸の餓鬼どもは、頭上から火や火の粉を浴び、飢えや渇きや熱に悩まされて、周囲の火に怯え、もだえながら走り回っている。

この家はこの様に、ただただ恐れるばかりであった。毒・害・火災があるとは言え、すべての災難が集まった、一番であるとは言えない。

この時、この家の主人は門の外に立っていました。ある人の言葉を聞く”あなたの子供らが、遊びふざけて、この家に来て、中に入った。子等は幼く、無知で有る為、歓喜し遊びに夢中である。”

長者はこの事を聞き終わると、驚いて火宅に入り、安全な方へ救済して、子らを焼けどから守らなければと、子供たちに比喩もって告げ、数多くの困難にあってなやむことを説いた。

”悪鬼・毒虫・火事などが蔓延していて、それらの衆苦を次第に味わい、逃れられなくなる。毒蛇・大蛇・蝮・及び諸の夜叉・鳩槃茶鬼・野干・狐・狗・鵰・鷲・鳶・梟・百足の類は飢えや渇きに悩んでいて、食を得る事を急いでいる。

ただただ、恐れ、おののくでけで、この恐怖すら、何ともしがたいのに、まして、火事が起きているのを子等は知らないでいる。よって、父が諭しているのを聞いても、遊びに夢中で、悪戯することを止めない。

この時、長者はこの思いを抱いた。
子供等がこの様では私の不安や悩みが増すばかり、今は、この家には楽しむべき事は一つもない。しかし、この子供等は遊びに楽しみ溺れ、私の教えを聞かずに、今将に火に

害されようとしている。長者は考えて、諸の方便を用いて、子供等に告げた。
”私は色々な珍しい玩具、不思議な宝物で出来ている立派な車を持っている。それは羊車、鹿車、大牛の車である。

今、それらの車は門の外にある。お前たち、出て来なさい。私はお前たちの為に、この車を造ったのです。想い存分に、これで、遊ぶが良い。”

子供等はそれらの車の事を聞いて、すぐ互いに争うように、あちらこちら駆回りながら家を出て、無事に空き地に到り着き、色々な難から逃れる事が出来た。

長者は子等が火宅を出る事が出来、道の交差点にいるのを見て、獅子の座に座す、すなわち、佛になり、自ら喜んで述べた。


・獅子の座
〔仏〕(人の王であるところから)仏

今日はこの辺で終り、

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