インド宗教史-1
・はじめに
このブログは、
インド思想史略説を参照して、自分なりにまとめ直したものです。
自分の主観が入っているから、これが正しいとは思っていませんが、まんざらデタラメでもあ
りません。!
----インド史概略---
【インダス文明:ドラヴィダ人】
・紀元前53000年頃
ドラヴィダ人はアフリカ東岸からインド南西部に移住して来た。
・インダス文明(紀元前2600年頃)
ドラヴィダ人はインダス川流域(現在のパキスタン)に、インダス文明を形成する。
ドラヴィダ人は、母系家族で農耕・牧畜を営み、リンガ(男性器)崇拝、地母神崇拝、牡牛の崇拝、宗教的沐浴の風習、樹木崇拝を有していた。
・インダス文明の消滅(紀元前1800年頃~紀元前1500年頃)
気候の変化からドラヴィダ人はインダス文明の都市は放棄する
【前期ヴェーダ(BC15世紀-BC10世紀)】
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・アーリア人の移住(紀元前1500年頃)
中央アジアのステップル地方に住んでいたアーリア人が各地に移動し始め、インド・アーリア人と呼ばれた部族が、現在のアフガニスタン・
バクトリアから北西インド(パンジャブ地方)に移住して来た。その後、一部のドラヴィダ人はアーリア人の奴隷となり、同化していった。また、アーリア人はバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラなどの宗教的身分
ヴァルナや
ジャーティ(12因縁の生)を作り、ドラヴィダ人を支配しって行った。後のカーストである。
それ以外のはドラヴィダ人は、デカン高原に逃れ、
サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)、チョーラ朝、
パーンディヤ朝を築き、
サンガム文学を作り出した。
※アーリア人について
戦闘にたけ、家父長制の大家族を単位として部族を形成し、自分たちは全てに優れた民族と思っている(至上主義)。
一方で、遊牧生活を営みながら、自然現象を神格化させた自然崇拝を信仰し、戦勝や家畜や家族の繁栄などの現世利益を目的とする祭祀を頻繁に行っていた。
なぜなら、アーリア人は神々を不老不死を手にしているが、人と同じように感情を持ち、怒ると、人に自然災害を与え、喜ぶと、人に恵みをもたらす存在と、信じていた。
そこで、神と交信出来る神官(バラモン=ブラーフマナ)によって、神々を呼び出し、供え物や、神への讃歌(マントラ)を唱える事で、神々の機嫌を取る祭式を営む様に成ってきた。
・前期ヴェーダ時代(紀元前1200年~紀元前1000年)
古代のリシ(聖人)達によって神から授けられた天の啓示や、神への讃歌をアーリア人によって編纂され、ヴェーダ聖典が誕生した。ヴェーダ聖典はリグ、サーマ、ヤジュル、アタルヴァの四集から成っていた。
その中でも、
リグ・ヴェーダが、最も古いとされている。この時代の初期は、「死後に天界へ行き永遠に安楽に生きる」という思想が見られたが、その後、天界での存在様相に関心が高まり、天界での死(再死)を恐れる思想が生まれ、
再死を恐れ
涅槃を求める「輪廻と解脱」の思想が発達する。
・十王戦争の勃発
この頃、インド・アーリア人の諸部族同士で対立が起こり、パンジャーブ地方で
十王戦争が勃発。やがて、トリツ族・バラタ族が
プール族を中心とした十王の軍に勝利し、インド・アーリア人の諸部族の中での覇権を確立する。その後、
プール族はバラタ族と連携を深め、後に融合して、支配階級としての
クル族を形成し、お釈迦様が生きていた
十六大国時代にはクル国を建国した。
【後期ヴェーダ(BC10世紀-BC5世紀)】
・四ヴェーダ期の到来(ヴェーダ祭式)
サンヒター以外に、ブラーフマナ・アーラニヤカ・ウパニシャッドの三種の付属文献が加えられ、四ヴェーダ時代が到来する。これより、
ヴェーダ祭式も、本格的に成ってきた。この頃から、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まる。一方で、ジャーティも細分化され始めた。
ヴェーダ祭式には、「グリヒヤ祭式」と「シュラウタ祭式」がある。
グリヒヤ祭式→家庭内の祭祀,儀礼をまとめたもの
シュラウタ祭式→正統バラモンの間で作成されたベーダ聖典の補助文献のうちの一種
・ブラーフマナ時代=祭式至上主義(BC9世紀~BC5世紀)
ヴェーダに注釈書・祭式の規定や意味などが記された
ブラーフマナ(梵書・祭儀書)がバラモン達によって書かれると、祭式万能の思想(祭式至上主義)が起こり、祭式は神々の恩恵を求める場から、神々を呼び出し、マントラの
呪力によって神々に願望を叶えさせる場に変貌した。やがて、ヴェーダの詩句(マントラ)の呪力が宇宙を支配する最高原理として神格化され、最高神・
ブラフマン(梵)と見なされる。一方で、祭式は形骸化され、ジャーティもより細分化されて行く。
・ウパニシャッド哲学の誕生(BC8世紀~BC2世紀)
アーリア人がガンジス河中流地方まで進出し、徐々に商工業が盛んになり、都市が出来てくると、神々を支配して来たバラモンの権威も、徐々に弱まり、形式的な儀式に批判が高まるに連れて、バラモンの中から、ヴェーダの最終章:
ウパニシャッドをもとに思索を通して真理を探求しはじめる動きが現れた。これより、ウパニシャッド哲学が開花する。
ウパニシャッド哲学の思想
・梵我一如
・業と輪廻
・解脱する方法
※白ヤジュル・ヴェーダに依ると、
古代ウパニシャッドの哲学者
ウッダーラカ・アールニが「有の哲学」を築いた。
有の思想→万有の根源は「無」ではなく、唯一不変の実体(有:ブラフマン)が、あらゆる現象の本質に存在し、その存在は極めて「微細なもの」であるが、繁殖の意欲をおこして、苦行(
タパス)を行い、そのタパスの熱力によって、熱・水・食物の三要素を生み出した。そして「生命としてのアートマン」によって、この三要素の中に入り込み、三要素の混合によってさまざまの現象をつくりだした。したがって、多様な現象界もすべてこの三要素によって構成されている。
ウッダーラカ・アールニの弟子・
ヤージュニャヴァルキヤは、ヨーガ哲学の元祖で、
梵我一如を説いた。これより、ウパニシャッド哲学が誕生する。
・梵我一如を実感する事で解脱する=「ヴェーダにおける究極の解脱とは、この個人の実体としての我が、宇宙に遍在する梵と同一であること」を悟ることによって、自由になり、あらゆる苦しみ(輪廻)から逃れることができるとする。
(
輪廻)思想の始まり
・BC6世紀:チャーンドーギヤ・ウパニシャッドにプラヴァーハナ・ジャイヴァリ王が説いた五火二道説が描かれた。
五火とは、
死者は火葬されたのち
(1)月に行き
(2)そこから雨となって再び地に落ち
(3)植物に吸収されて穀物となり
(4)それを食べた男の精子となり
(5)女との性交により胎児となりこの世に再生する、という5段階で輪廻するという説である。
二道とは、人間の死後の運命
(1) 祖先の道(祖道):死後は先祖の世界に行き、後に再び五火のサイクルで人間界に戻る
(2) 神々の道(神道):死後は神々の世界に行き、人間界に戻ることはない
・業(カルマ)=輪廻(サンサーラ)の思想
ヴァルナのクシャトリアによって説かれた五火二道説は、更にバラモンによって「命あるものが何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わる」輪廻思想が誕生した。また、生物ら(衆生)は、死して後、生前の行為つまりカルマ(
業)の結果、次の多様な生存となって生まれ変わるとした因果応報の思想が生まれ、人々は輪廻を苦と考え、輪廻から解脱する事を探し求めるように成った。
・
解脱方法
1.常に穢れを遠避け、心身を清淨する事。
2.瞑想(ヨーガ)によって自己の内側と対話し、「聖典ヴェーダ」などの文献で学んだ世界の心理が、自分の心の中にも存在するということを認知する。
3.バラモンに輪廻転生して、
梵我一如を理解する
穢れの思想
穢れには物質的ものと、精神的な物がある。
・物質的もの→体液・血・唾液・汗・糞尿・死体・皿・さじ・穢れた者が使った水・外国人
・精神的な物→邪悪な行為・不道徳な考え
清めるには
神の名、聖句を唱える
ガンジス川の水で洗う
食べ物を焼いたり、煮たり、油で揚げたりする
・苦行(タパス)思想↔ヨーガ(瞑想)
古代インドでは、人里離れた森林の中で、減食、菜食から断食(だんじき)や、火・川の淵に身を投げたり、灰や棘(いばら)や牛糞の上に臥(ふ)したり、呼吸を止めるなどの苦行をする事で、修行者(
サドゥー)は天界に輪廻する事を確実にし、更に神々から超能力(不老不死、神通力など)を授けてもらおうとするもの。→ヨーガは真理の直観、悟りを得て、苦しみ(輪廻)から解放されること(解脱)が目的とするもの。
【十六大国時代(BC6~5世紀)】
アーリア人のバラタ族がガンジス川流域で本格的に農耕を営むと、農耕技術の発展と余剰生産物の発生にともない、徐々に商工業の発展も見られるよう成る。また、政も部族集会からラージャンと言われる指導者によって決められ、ジャナパダと呼ばれる国家が数多く存在するように成った。やがて、
十六大国が群雄割拠する時代へ突入し、マガダ国とコーサラ国が二大勢力となっていった。お釈迦さまのシャーキヤ国はコーサラ国に攻め滅ぼされた。
一方で、祭司階級のバラモンがその絶対的地位を失い、戦争や商工業に深く関わるクシャトリヤ・ヴァイシャの社会的地位が向上していった。
・ペルシャ帝国の誕生
ペルシャ帝国(アケメネス朝ペルシャ)の
ガンダーラ支配が始める。ガンダーラは十六大国の一であったが、
アケメネス朝ペルシャのキュロス大王にされていった。
・自由思想家の登場(BC6世紀~)
商工業も発達し、物質的に豊かになって来ると、バラモン教ヴェーダ学派を否定する自由な思想家(沙門)が多数輩出され、中でも、仏教の開祖:釈迦や、それ以外の
六師外道が現れる様になった。
【六師外道】
1)プーラナ・カッサパの行為の善悪否定論
プーラナ・カッサパは、行為に善悪はなく、行為が善悪の果報をもたらすこともないと主張した。あらゆるものごとを「平等」にみることによって、行為に附随する罪福へのこだわりとその結果生まれる苦しみから心を解き放とうとする教え
2)
アージーヴィカ教・マッカリ・ゴーサーラの宿命論
一切万物は細部にいたるまで宇宙を支配する原理であるニヤティ(宿命)によって定められている。輪廻するもののあり方は宿命的に定まっており、6種類の生涯を順にたどって浄められ、解脱にいたる。業には、運命を変える力がない。行為に善悪はなく、その報いもないと考える。
3)アジタ・ケーサカンバリンの唯物論
アジタは業・輪廻の思想を否定し、次のような唯物論を説いた。
「人間は地水火風の四要素からなり、各元素は独立して実在し、死によって人間を構成していた四元素は各元素の集合へと戻り、ゆえに人間は死ぬと空無となり霊魂も何も残らない。
よって、輪廻も、業も無い。よって、宗教も道徳も不要であり、現世の快楽・享楽のみである。」他の沙門たちからは、道徳の根本を破壊するものと恐れられ、激しく攻撃された。
4)パクダ・カッチャーヤナの七要素説
パクダ・カッチャーヤナは、人間は七つの要素(地・水・火・風・楽・苦・霊)からなるもので、これらは作られたものではなく、何かを作るものでもない。不動、不変で互いに他を害することがない。殺すものも殺されるものもなく、学ぶものも教えるものもいない。
つまり、人間の本質は霊魂にあると見て、霊魂は不動、不変なものなので、殺すことも害することもできないというのである。
5)ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)のジャイナ教
23人目の
ティールタンカラ・パールシュヴァマハーヴィーラがニガンタ派を開き、そのニガンタ派の教義を改革してマハーヴィーラがジャイナ教を開いた。
→
ジャイナ教は全てのものに霊魂の存在を認め、その各々の霊魂が本質的に人間と同質のものだという認識を持っています。その根拠を仏教と同じ業(カルマ)の消滅と個人の救済としています。
6)サンジャヤの不可知論
サンジャヤは、あらゆる問いに対して確答を避ける「不可知論」の立場をとった。仏教の
無記に似ている。
--仏教の興隆--
【初期仏教::原始仏教(DC6世紀-DC4世紀)】
・初転法輪
紀元前5世紀頃、ヒンドゥスターン平野にある16国の一つ、コーサラ国の属国:シャーキヤ国の族長の息子
ガウタマ・シッダールタが出家し、苦行やヨーガによって梵我一如を体感し、ついにブッダガヤで悟りを開くと、サールナートで
初転法輪(中道・四諦・八正道などの法)を行った。
ブッタは、当時勢いのあった苦行主義(肉体的苦痛に耐える事で生ずる熱力によって、
欲望と業を消滅させる)を否定し、真理を悟る智慧によって欲望をコントロールする事を提唱した。
※智慧はヴェーダからの知識ではなく、自ら実践して得られるものである。
・第一回結集
前484年、お釈迦様が入滅すると、1年後には第一回結集が行われた。
・ガンダーラの分割統治が始まる
紀元前380年、ガンダーラはペルシャの支配から逃れて、多くの小王国に依って分割統治される。
・アレクサンドロス大王の東征と、マウリヤ朝のインド統一
紀元前327年には、アレクサンドロス大王がガンダーラに侵攻したが、大王はこの地に1年も留まらなかった。同じ頃、
マウリヤ朝のチャンドラグプタ王はタクシラにあったが、紀元前305年には
セレウコス朝を破り、アフガニスタン南部を支配下に収め、南端部分を除くインド亜大陸全域を統一した。
【仏教の根本分裂】
お釈迦様の入滅後100年頃(BC4~3世紀)、マウリヤ朝のアショーカ王の時代に仏教教団の根本分裂が起きた。
根本分裂の原因は、托鉢などに出ると食事だけでなく金銭を布施されることがあり、それを認めるか?どうか?で、大衆部と上座部の2つの教団に分裂した。
【バラモン教→ヒンドゥー教へ】
BC5-4世紀頃
政治的な変化や仏教の隆盛があり、バラモン教は変貌を迫られた。その結果、バラモン教はヴェーダ聖典を継承しながら、シヴァ信仰・ヴィシュヌ信仰などの民間の宗教を受け入れ、同化して
ヒンドゥー教へと変化して行き、紀元後4 - 5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになった。
神々への信仰と同時に輪廻や解脱といった独特な概念を有し、
四住期に代表される生活様式、身分(ヴァルナ)・職業(ジャーティ)までを含んだカースト制(ヴァルナ制)等を特徴とする宗教になった。
【ヒンドゥー教の聖典:マハーバーラタの編纂(紀元前4世紀~4世紀)】
紀元前4世紀
インド二大叙事詩でもあり、ヒンドゥー教の聖典「マハーバーラタ」が編纂され始め、4世紀には終わった。
そこには、苦行より、善行より、知を追求し悟りを開く事より、最高神
ヴィシュヌに対するバクティ(信愛)が重要で、それによって誰もが神の恩恵を受けられる事が説かれている。
【インド六派哲学の誕生(14~15世紀)】
バラモン教の聖典ヴェーダに収録されている「ウパニシャッド」を基に発展した哲学。
1)
サーンキヤ 学派: 無神論的で、意識と物質の二元論を強調する。
2)
ヨーガ 学派: 瞑想・黙考・解脱を重視する学派。
3)ニヤーヤ学派: 知識の根源を研究する。『ニヤーヤ・スートラ』。
4)ヴァイシェーシカ 学派: 原子論をとる経験主義的学派。
5)ミーマーンサー 学派: 反禁欲主義・反神秘主義的な形式主義学派。
6)ヴェーダーンタ 学派: ヴェーダの最後の部分である知識を扱った節、つまり「ジュニャーナ」(知識)・「カーンダ」(部分)。ヴェーダーンタは中世以降ヒンドゥー教の支配的な潮流となった。