日本の繁栄を世界に役立てましょう。
みなさん こんにちは
いつもありがとうございます。
富士山の北西にある
青木ヶ原の樹海に
平成18年に
自然社の方々が
行かれました。
なぜ行かれたのかというと
自殺された霊魂の浄めのために
行ったとのことでした。
そして神主さんたちが
樹海に入り
浄めをしたときに
以下のようなことを
教えられたそうです。
「自殺した人は
現象の世界(この世)の
耐え難い苦しみから
逃れようと思って
自らの命を絶ったが
その結果
子孫が不幸に
陥っている
自殺した霊魂は
子孫が不幸であることを知って
自分の犯した誤り(自殺)に
気付き
何十年も何百年も
逃れられない苦しみに
悶えている」
とのことでした。
自殺した方々の苦しみは
この世に生きている
人間の苦しみとは
比べものにならないほど
耐え難いものです。
この世には
生かされ生きている(かみの み命を頂いて生きている)
といいうことでも
大変な恵みであることを
知らないといけません。
神様は
その人その人に
乗り越えられない苦痛(試練)は
決して
お与えになりません。
そのことを
しっかりと知って
どんな試練でも
「一切が恵み」を腹に据え
乗り切るという
積極的な心で
生きていきたいものですね。
皆様のご健康とご多幸を
お祈りいたします。

みなさん こんにちは
いつもありがとうございます。
何年か前の
自然社から出ている
機関紙「神光(しんこう)」に
なぜ 新生活標語というのか?
という記事があったので
そのことを少し紹介しますね。
お客様から
「新生活標語の内容を見ると 『標語』ではなく
『格言』だと思うのですが、
なぜ、『標語』となっているのでしょう?」と
おたずねがあったとのこと。
そこで自然社出版部では
あらためて
なぜ
新生活標語と
呼ぶのかという記事を書くことになり
次のように説明がなされていました。
「格言」といえば
偉い人の言葉とか
昔から言い継がれてきたことを
想像します。
新生活標語の日々の言葉は
信仰する方々が
日頃の生活の中で
「こうありたい」とか
「こういう気持ちでは
行き詰まったり 困ったりするぞ」と
思ったことなど
身近な目標を
自分の言葉 普通の表現で
言い表しています。
「標語」という名前には
そういう意味も含まれています。
そして
「新生活」は
「日々心を 新たにして生活する」という
ことで、
新 生活
としていて
新生活標語と
なっていると
自然社出版部は
みなさんに
お伝えされていました。
さて
本日
ある会計事務所さんに
お伺いしました。
数年前に
この事務所の方と知り合いになり
今年の新生活標語を
使っていただくようになりました。
この事務所には
私もゆかりが深い
高野山のあるお寺と
ご縁があり
縁ってほんとうにありがたいことだと
思いました。
来年版の
新生活標語
と
新生活標語の解説も
今年に
引き続きお使いいただけるとのこと
ありがたいことでございます。
きょうは
新生活標語のリーフレットを
お見せすると
「こういうものを
もうちょっとほしい」との
ことでしたので
来年版をお持ちするときに
リーフレットもお届けすることになりました。
ありがたいことです。
税理士さんは
「みんなにも、見てほしい」という
ことでリーフレットも・・・・
という気持ちが
あって
私に依頼してくださいました。
昭和25年発刊以来
愛されている
新生活標語
これからも
一冊一冊
大切に普及していきたいと
思います。
そうそう
ある本屋でも
おいていただくことになり
ほんとうに
ありがたい一日でした。
皆様のご健康とご多幸を
お祈りいたします。
みなさん こんにちは
いつもありがとうございます。
ある奥さんの
体験談から
ご紹介します。
(事実と若干変えていることも
ありますが、ご了承くださいませ)
奥さんの
弟さんは
ある病気にかかっていて
長期入院をされています。
そんなとき
その奥さんが体の苦痛のことで
神様に
次のように教えられました。
「弟が居ることによって
自分の思い通りを通せない
唯一相手となる
弟の気持ちのみを
思いやり考えて
自分を譲ってやらねばならぬという
自分が修行をさせていただける
有難い恵みの時を
与えていただけているのであるということに
気が付きます」
と。。。。
この奥さんは
今までは
思い通りを通せない相手は
弟以外にもたくさんいると
思っていたそうですが、
よくよく考えてみると
あの手この手で
自分の思い通りを通すことを
してきていたなーと
自分を客観することが
できたそうです。
そして
弟さんが
いることによって
唯一
思い通りを通せない
潔く 自分を譲らざろうえない
貴重な修行の相手として
弟に恵まれていると
はっきり意識できたそうです。
長期入院生活をされている
弟さん
その長期入院を耐えてきている
弟さんのことを
思い
潔く、自分を譲るということは
知らず知らずのうちに
慈悲慈愛の心が育っていることを
感じておられるようです。
ありがたいことです。
思い通りになることも
思い通りにならないことも
どちらも
幸せなんです。
皆様のご健康とご多幸を
お祈りいたします。