木村秀子 Blog

ピアニスト 木村秀子の音楽日記

セネガル旅行記10.ラック ローズへ

2018-06-11 11:43:00 | セネガル
2月13日(火)今日は完全にオフ。ブランチ後にザール、フランス人放送作家のキャロリーン、カズとラック・ローズに行く。
ラック・ローズ(lake rose)はパリ・ダカールラリーの昔の到着地。
今はバマコに戦闘エリアがありルートが変更になったのでラックローズは静かなものだ。
塩の湖。塩分濃度が高く、泳ごうにも沈めなくて浮いてしまう、
セネガル観光名所の一つだ。
1ℓに380から400グラムの塩が含まれている。1930年代までここは海だったが、
砂丘が広がり海が塞がれて出来た湖。
生物はバクテリア(藻)しかいなくて、そのバクテリアが光に反射してピンク色に見える事から
ローズレイク(バラの湖)と呼ばれるようになった。
←どちらかというとオレンジ色だったけど、乾季にはもっとピンクになるらしい。
 ここでは塩が年間24.000トン収穫され、セネガル以外にもマリ、ギニアを始め北欧まで多岐に輸出される重要な産業だ。
出稼ぎに来るマリ人が多いという。
     ←この方もマリ人
 ラック・ローズの反対側の砂丘を散歩する。砂丘には貝殻が沢山あり、かつて海だった事が伺われる。

観光客用にラクダに乗るオプションもあり、その近くは高速道路建設予定となっている。
どうやら今、セネガルは建設ラッシュのようだ。
     ←周辺ブラブラ
周辺をぶらぶらした後、一旦帰宅し、ジェジー、アワ、ハーディーとチェブジェンを食べる。

 夜はキャロリーンのお誘いでダカールのアンスティチュ・フランセでのライブを観に行く。
タクシーを捕まえている間、通りすがりのご婦人に
「あなた、ザール・セックね!この辺に住んでいるの?」
みたいな事を話しかけられていた。やっぱり有名人なんだね。
 アンスティチュ・フランセはダカールの中心部にある。
昼間はビジネス街で賑わっている様だが、夜は静かだ。
          
 ライブ会場外で控えている出演バンドのドラマーが
「ザール、ザールじゃないか!久しぶり!」と声をかけてきた。
アルバートと名乗る彼は8歳の時にザールにドラムを教わったんだって。
ザールがカナダに移住し、しばらくぶりの再会だとか。
彼にとってザールは音楽の父だと言う。そんなアルバートの演奏は素晴らしかった。
客席で観るザールの顔も幸せそうだった。
 ライブ後はヨフ(ダカールの港町)に移動し、食事。
ここでもザールは隣のテーブル席の青年たちに話しかけられる。
青年たちはワガンの知り合いらしい。
食後は夜中1時からBlue Saxo(というライブハウス)に良いシンガーが出るから行かないか?
と誘われたので行ってみる。
 夜中12時半頃に到着し、演奏は1時と聞いていたがなかなか始まらない。
そもそも人がほとんどいない。
こんな夜中に人が来るのかと思っていたが、夜中の2時からぞろぞろと人が入ってきて
いつの間にか満員となる。     
 お目当てのシンガーの前に前座バンドの演奏が始まる。
爆音で耳が痛い、演奏も正直あまり面白くない。うーむ。
時刻は夜中の3時半。我慢できずに外に出てザールを待つが、待っている間に蚊に刺され親指がぷっくり腫れる。
まさに痛し痒しだ。
マラリヤになりません様に。
結局、目当てのシンガーを聴かずに帰宅。朝5:30に就寝。










セネガル旅行記 9.神エンジニア現る

2018-06-01 15:09:55 | セネガル
2018.2月12日(mon)

ブランチにラハを食べる。なんだ、このムニムニした触感は。
美味しいぞ、うん、クセになりそう。
          ←Lakh
セネガルでは女性が出産をした一週間後、親戚を集めて命名式をする時に皆で食べるんだそうな。
オートミールを砂糖とミルクを加えて炊き、レーズン、ヨーグルトをかけてグニュグニュ混ぜる。確かに体に良さそうな味。お茶は定番のケンケリバ。

午後、少し練習したら3時ごろにハディが「チュ」を作ってくれた。
          ←チュ
魚と野菜をコンソメとトマトソースで煮込んだもの。ハディの作るものは全て美味しい。

しばらくするとザールが空港から友人を連れてきた。
レコーディングエンジニアのジェジーさん。
コンゴ出身で、レイ・レマやパパ・ウェンバと仕事をしてきた人。
セネガルには20年以上滞在し、ユッスー・ンドゥールや、チョーン・セックなど、
そこでもトップクラスのミュージシャンのレコーディングを手掛けた
セネガルで1番の技術者で、ユッスー・ンドゥールのワールドツアーでは
2回ほど、日本にも来ているという。
要するに、アフリカのトップスター達と渡りあってきた人。
ミリアム・マケバとも仕事したと言っていたなぁ。
英語がとても上手く、頭の回転も速く、優しい。
しばらく話ていると、その内容から
彼が多くのミュージシャンに信頼されているのが容易に想像できる。
「セネガルの音楽は難しいでしょ。good jobだよ」と彼が言う。
「うん、すごく難しい。でも新鮮だよ。」と答えると
「その考え方も含めてgood jobだよ」と言われた。
ミュージシャンへの対応までも素晴らしい。

ザールが言うには、ジェジーが一旦レコーディングに取り掛かると
止まらなくなり、2日徹夜、3日の午後までにマスタリングを終わらせるという。
12月はミュージシャンのアルバム制作繁忙期だそうで、
セネガル中のミュージシャンが彼を頼って来るから休む時間が無く、
もう一人のスタッフと2人で交代でこなすんだとか。
技術と知識さえあれば、広い場所も多くのスタッフも要らないという。
アフリカにこんなハードワーカーが居るんだ。

しばらくしてハディの絶品夕食。
レンズ豆とジャガイモと牛肉を煮込んだもの。
          
そしてムハムサ。(粒の大きいクスクスにヨーグルト、砂糖、ミルクなどをいれ混ぜたもの。ムニムニした触感)

食事中もずーっとずーっと音楽の話で盛り上がっていた。
アコースティックな楽器をレコーディングする際の
コントロールスペースの黄金比率やら飛行機で楽器を運ぶ際の注意、
タマ(セネガルのトーキングドラム)をサンプリングした話などなど
挙げたらキリがない面白い話を沢山してくれた。

しばらくするとタボー(私にキーボードを貸してくれた、ザールバンドの初代キーボーディスト)がピアニストの友人を連れてジェジーに会いに来た。
          ←ザールバンド初代キーボードのダボーさん
今回、ジェジーはダボーの呼びかけでセネガルに帰ってきたそうな。
「ピアニストが3人いるじゃないか!よし、セッションしよう!」とザールが言い、皆でリハ室へ。

左からザール、ダボーの友人、神ジェジー(ブルーのシャツ)、カズ(ベース)、ダボー(キーボード)
リハ室といっても一軒家の最上階の部屋で、音はダダ洩れだ。
「もう遅いからこの辺で止めよう」とダボーが言ったのは夜の12時。
誰も苦情なんか言って来ない。
セネガル人は大らかだ。

常々思う。人脈は宝だと。
ここで出会った人々は、音楽をやっていなかったらきっと出会えなかったであろう人々。
音楽を続けてきて良かったなぁ。
それにしても、ここの人は皆んな、一旦スイッチが入ると止まらなくなっちゃうのね。

続く。





セネガル旅行記 8.セネガルに滞在する外人たち

2018-05-04 21:15:02 | セネガル
2月11日(日)
今日も朝6時に起きてしまい、昨日のリハーサルの復習。
セネガルの朝はカラッっと涼しくて気持ちがいい。
ブランチを食べて12時からリハをし、
2時間くらいするとザール宅の元お手伝いさん
(今、ザールの家で居候をしているアブライ君のお母さん)
がギタリストの青年を連れて遊びに来た。
カオラック出身の彼は子供の頃からザールのファンで表敬訪問をしに来たという。
嬉しそうにリハーサル風景の動画を撮っていた。
そうこうしているうちに今度はカナダ・ケベックから
ザールの友人ファミリーがやって来た。
彼はセネガル出身のドラマーで、2年前に私がケベックで演奏しているのも見たという。
せっかくなのでドラム入りでHeYaYeをセッションする
(動画は昨年のJapon Daaguの演奏)
セッション後はギタリストとドラマーファミリー皆でチェブジェンを頂く。
          ←キッチンの風景
←ケベックの子供とセネガルの子供にスーパーマリオ(バッタもの)のやり方を教わる
食後、睡魔に襲われ昼寝。

・・・しまった。寝すぎた。日が沈み始めている。
夜はフランス人放送作家キャロリーンの友人宅でパーティーに呼ばれていたので慌てて出かける。
ザールにタクシーをつかまえて貰い皆で乗り込むが、
今日のタクシーは格別に運転が荒い。というか、皆、基本的に運転が荒い。
道すがら2件の交通事故を見かける。

キャロリーンのフランス人友人宅はお洒落な高級マンションだった。
そこに7.8ニ人が集まり、ディナーをご馳走になる。
食事をしながら、You tube鑑賞。
ユッスー・ンドゥールやザールが子供の頃好きだったギニアの国営バンドBembeya Jazz Nationalなどを観たり、
カズが坂本龍一とユッスー・ンドゥールとネーネーズがコラボした曲を紹介したりする。
音楽は世界共通のコミュニケーションツールだ!言葉なんて関係ない。

キャロリーンが製作したドキュメンタリー番組を見せてくれた。
フランスで移民たちが働く工場が買収されると同時に
多くの移民が解雇され問題となった話。
誰も居ない廃墟と化した工場と抗議する移民たちの映像に
シンプルなピアノのパターンとザールの歌声が伸びやかに乗っている。
粋な使い方だ。こういう音の使い方は大好きだ。
 サンルイ(セネガル北西部の都市)出身の男性と話をする。
彼は音楽が大好きで暇さえあれば聴いているけど、
お父さんがイスラムの導師で、イスラム教では娯楽が禁止されている為、
子供の頃はよく怒られたという。セネガルのコーランはあんなにメロディアスなのに...。
ダメと言われるとやりたくなるのが人間ってもんだ。
彼は未だに音楽を聴くのが大好きだという。素晴らしい!
 食後にチョコレートケーキが振舞われた。それをシャンパンと一緒に頂く。
さすが、フランス人、お洒落だわぁー。
と思っていたらテーブルでケーキを切り分けていた人が
うっかりシャンパンの入ったグラスを倒してしまい、
それが私の服にかかった。
それは、全く構わないのだが、横に居た男性がテーブルを拭きながら
「服にかかった人には幸せが訪れるってジンクスがあるんだよ」
と教えてくれた。
んもう、フランス人、イチイチお洒落じゃないか!
←セネガル、フランス、スペイン、日本、音楽があればコミュニケーションが成り立つのだ。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ、
夜12時過ぎにお宅を出ようとするが、
そこに居たアラムさんが(多分スペイン人。私のセネガルネームと一緒なので盛り上がっていた)
「まだ、12時じゃないの。もっと飲みましょうよ。泊まっていったらいいのに」なんて、
もう、妹のように構ってくれ、名残り惜しいがおいとまする。

 出てタクシーをつかまえて貰ってる間、遠くから太鼓の音が聞こえる。集団で叩いている様だ。
日曜の夜に何しているんだろう?覗きに行きたかったが、さすがに夜中なのでやめておいた。

帰りのタクシーではは渋滞が無いという事でドライバーが下道を運転する。
相変わらずスピードメーターが動いていない車をビュンビュンと飛ばしていた。

セネガル人はハンドル握ると人が変わっちゃうのかなぁ?

続く。









セネガル旅行記 7.ンゴール島へ

2018-04-26 21:49:11 | セネガル
2月10日(土)
やっと時差ボケが解消されてきた。
朝食後にザールとリハーサル。
リハ室に行くとお隣のベランダから白い動物が見えた。
ヤギだ!ベランダでヤギを洗っているのだ。

セネガルのペット事情は不思議だ。ヤギや馬、鶏を飼っている家はあるが、
犬や猫を飼うなんてことはまず無い。
人間の食べ物と直結していない生き物は後回しなのだろう。
セネガルで見た猫は皆、眼付が鋭く、野性味溢れた表情をしていた。
          ←セネガルの猫さん

リハーサルで少しづつ彼の曲に慣れてきた・・・と思ったら
また新しいアレンジが加わる。
目の前で彼がギターを弾き、それをキーボードで再現して
覚えるまで弾く。おーい、私の記憶力やーい。どこだーい?
リズムがちょっとでも走ったり、ヨレたりするとすぐに指摘される。
くー、弾けないなぁ。もどかしいなぁ。幾つになってもこの繰り返しか。
でも、教えているザールの方がもっともどかしいのだろうから、
こうなったら弾けるまでやるしかないのだ。
そんな鈍くさい日本人を後目に、家の外ではヤギさんたちが
悠々と道を横切る。
          

リハ室にザールの奥さんアワが登場
「ちょっと出かけてくるわ」ってめっちゃ着飾っている。
セネガルの人々は皆お洒落だ。
          
行事に向けてしょっちゅう新しい衣装をしたてるのが女性たちの楽しみで
セネガルは「着倒れの国」と言われているらしい。
家の奥さんがお洒落で、ぽっちゃり太っていないと
そこのご主人は甲斐性のない人とみなされるんだって。

しばらくしてタマ(トーキングドラム)奏者のジビィが車で迎えに来てくれた。
ザールの友人のフランス人女性キャロリーンが
セネガルに来ているから一緒にンゴール島という島に行こうとの事。

キャロリーンはフランスのテレビ局の構成作家をしていて、
番組のエンディングにザールの曲を使ったり、
彼女の歌詞にザールが曲を付けて演奏したりしているんだとか。
ウォロフ語も話せる。英語も上手い。
一緒に居ると実に楽ちんな気持ちになる。
また話す内容で彼女が知的な女性である事がよく解る。

車を降りると海が見えた。
日本にはない、深いエメラルドグリーンの海。
          
この辺はかつてレブー族が漁業で生計を立てていたが
(のち、ウォロフ族との混血が増え、今では
レブーと言えばヨフという村の漁師たちの事を指す。)
今では海外の漁船が魚を大量に取っていってしまう為、
レブー達の漁業が廃れていったんだとか。
使われていない漁船が沢山置かれていた。

船で500メートルくらい渡ったところにンゴール島がある。
島のレストランで食事をしていると
ザールに一本の電話が入る。
テレビ出演の依頼だ。
カズとザールの27年前の出会いからミュージシャンとしての
再会の話などがインタビューされるそうだ。
良かった。やっと仕事らしくなってきた。

食後、島の周りをぶらぶらしていると太鼓の音が聞こえるので
行ってみた。
ザールが飛び入りし、キャロリーンも踊る。
私もカズもジャンべで参加。
島の人がドゥンドゥンを叩く。
観光客であろう白人達も手拍子をする。
          

やっぱり、太鼓を叩けばみんな友達だ。
          

この時期のンゴール島は風も強いので、
海外からサーファー達がやってくるんだとか。
サーファー御用達の宿泊施設もある。

島を出ようと船を待っている間に
すっかり日が暮れて寒くなっていた。
          ←島の夕暮れ
砂浜でサッカーの練習をしていた若者たちが
焚火にあたっていたので我々もあたらせて貰う。
火にあたろうとすると若者たちが
スッと場所を開けてトレーニングに戻る。
本当にみんな優しい。
セネガル人は砂地でサッカーのトレーニングをするのが
当たり前なのだろう。
手足の長いセネガル人達とワールドカップ
1次リーグで当たる日本は大丈夫だろうか?

船で陸に戻り、帰りにBlue Saxoというライブハウスに寄る。
ザールがフランス語で店のマネージャーと話をしている。
数字と曜日くらいは私でも分かる。
どうやらブッキングの話っぽいな。
ってかおい、ブッキング決まってなかったんかーーーーーい!

続く

#セネガル #アフリカンミュージック #ンゴール島






セネガル旅行記 6.持つべきものは友と知恵

2018-04-17 09:20:54 | セネガル
2月9日(金)
夜中に目が覚めてしまう。まだ時差ボケだ。
金曜日はイスラムの礼拝が特に盛大だそうで、朝五時にまたコーランの放送が街中に鳴り響く。
やる事がないから、コーランの節回しを採譜するが、12音階だと全くニュアンスがでない。
後で起きてきたカズが1/4音の記譜の仕方を教えてくれた。
          ←ザール宅から見える朝の空

ブランチ後にザール夫妻とメディナに行く。
タクシーを捕まえようとするが、
私のような外人を見ると料金を上乗せして請求してくる為、
捕まるまでザール夫妻と少し離れて他人のふりをする。
タクシーは乗る前に値段交渉をするのがセネガルスタイルだ。
今回の旅で移動はほとんどタクシーだったが、
乗った車の9割はスピードメーターもタコメーターも動いていなかった。
それでも「ヴヲォォォォォォォーン!」という、もの凄い音をたてて、もの凄いスピードで運転する。
          ←すごいスピードのタクシー
セネガルは信号がなく、交差点はラウンドアバウト形式だ。
街中に行くと渋滞したラウンドアバウトの交差点にみんなグイグイ車で入ってくる。
大丈夫か?と思っていたら案の定、事故もいくつか目撃した。それでもグイグイ入ってくる。

高速料金所で車が渋滞すると、車道に多くの物売りの人々が出没する。
バナバナというらしい。
バナナやカシューナッツ、ピーナッツを大量に手にして車の周辺を練り歩いているが、
中には、電熱器やキラキラの壁掛け時計、イスラムの導師であろう人の肖像画などを持って
練り歩いている人もいる。
それ、誰が買うんだろう?
そして、車中に居る私のような外人を見つけるとピターっと車にくっついて
マダム、マダムと言いながら商品を見せてくる。
みんなタフだ。生きるのに必死なのだ。

メディナに着き、両替所に行くが、閉まっていた。
          ←カーラピッド。RAPIDと言っても乗り合いバスなので遅い        
あれ?金曜って休み?と思っていたら、金曜日は昼の14時から約15分程度イスラムの礼拝の時間で閉まっているのだ。
           メディナの街並み。
日本に居る時、どれが一番安く両替できるかいろいろ考えた。
日本でユーロにして、それをセネガルでセーファーフランに換金する方法。
日本でUSドルにしてセネガルでセーファーにする方法。
ATMが使えるのか分からなかったので、この2点で考えたのだが、
後々、小銭が余っても使う予定があるのはドルかな?などと思い最初はUSドルに換金する作戦にでた。
でもセネガルの両替所で日本円からセーファーに換金できる事を知り、
そうか!これが、一番手数料がかからないじゃないか!と日本円からセーファーに換金してみた。
しかし、換金率が悪かった・・・。USドルからセーファーに換金した方がまだ良かった。円のパワーは思った以上に弱かった。
結果、2018年2月の時点では、ダカールではATMから直接引き出すのが良いと思う。
もう一つの誤算は、予想以上に物価が高かった。
ダカールは人口200万都市で日本でいうと名古屋くらいだ。
昭和30年代の名古屋って今のダカールみたいだったのかな?知らんけど。
          ←昭和30年代の名古屋

両替を済ますとザールの娘バヤンのお家でチェブヤップをご馳走になる。炒めご飯の上にお肉と野菜を乗せたもの。
こちらも絶品!

↑写真を撮ろうとしたら、ザールの孫がお皿を持っていてくれた。重たいだろうに、ありがとう!

食後はサンダカのマーケットでパーニュ(アフリカの生地)を買いに行く。
サンダカは日本で言うアメ横のような街並みだ。
ザールは有名人で買い物に行くと色々な人に話しかけられて疲れるそうで、ザールの奥さんのアワとバヤンに同行してもらう。
アワに連れて行って貰ったお店の店主は英語が話せるので、
生地1ヤード幾らかと聞くと、買うもの全部決めたら交渉しようという。
買うものを決めた。交渉しようとすると、さらに、あれはどうだ、これはどうだとグイグイ進めてくる。
そういうの要らないから全部で幾らか聞くと、思ったより高い。
ちょっと買いすぎたかな。しぶしぶ払うと、
横にいたアワが店主に向かってもの凄い勢いで怒鳴り始めた。
すると店主がふてくされて、私に2万セーファー(約¥5.000)を返してきた。
あぁ、やっぱり私、ぼったくられていたのか。
店主が「ヨーロッパの観光客ならもっともっと取る所だったが、彼女の知り合いだからあの値段にしたんだ。
なのに彼女が高いというから2万セーファー返してやる」と言ってお金を渡し店の奥に行く。
マジか、なんだそれ。返品してやるよ。と店の奥に行く店主を追いかけてみたものの、
「もうこれで終了だ、すべて終わり。取引はしない」と言ってきた。
あの店主、最初っから
「日本人か。日本にいる○○(日本で活躍しているセネガル人ミュージシャン)は俺の友達だよ」とか
「このご婦人(アワ)は若く見えるから娘さんと一緒の時、姉妹かと思ったよ」とか、
やたら愛想がいいなと思ったら、そういう事だったのか。
結局、相場の値段で買えたから良しとするか。知らないって怖いね。
アワ、本当にありがとう。持つべきものは友と知恵だ。

バヤンの家に戻るとアワの双子のお姉さんだか妹だかが居たり、
ザールのもう一人の娘アイシャだったり、
親戚なのかどうなのかも分からない人が入れ替わり立ち代わり来る。
私は特にやることも無く、ウォロフ語も分からないので、奥の部屋でゴロゴロする。
よそのお宅にお邪魔している感覚はどんどん薄れる。なんだ、この居心地の良さは。
          ←ザールの孫娘。目がクリクリ!
夕方、日本から帰省中のボガがバヤンの家に来た。
日本語の上手なアフリカ人と話せてホッとする。

ザール宅に戻ると食べ過ぎと寝不足で朦朧としていたので、
夕食は遠慮し、そのままベットに撃沈する。

続く。


#セネガル #両替 #アフリカンミュージック






セネガル旅行記 5.Don't think,Feel ??

2018-04-05 17:53:44 | セネガル
2月8日(木)

時差ボケで夜中に目が覚める。
毎朝5時にコーランの放送が街中に流れている。とてもメロディアスだ。
セネガルに騒音問題ってあるのだろうか?
ふと除夜の鐘や盆踊りにクレームをつける日本人のニュースを思い出す。
相手を尊重する精神が無くなると文化が消える気がする。
それとも単純に場所の広さの問題なのかな?

寝れないしやる事もないので、サンバ君が弾いていたンバラスタイルを採譜する。
これ弾けたら相当カッコいいだろうなぁ。
20ン年前、ジャズが弾けたらいいなぁー。って思っていたあの頃を思い出す。
なぁーんだ、何も変わっていないじゃないか。なんだか嬉しいぞ。ンバラ弾けてないけど。

ブランチを頂いた後はまたリハーサル。
と思いきや練習が始まるとすぐに、ザールの孫が手作りのお菓子を持ってきてくれた。
おっ、見た目も味もサーターアンダギーみたいだな。
      
セネガルのベニエらしい。手作りならではの優しい味だ。
それにアタヤというお茶も入れてくれた。これは中国茶を苦く苦く入れ、それに砂糖を加え甘く甘くしたもの。優しさとは裏腹な味だ。暑い日にはいいのかな。

ブランチ後なのに、美味しくてまた食べる。そして練習。でもしばらくすると昼食が用意される。こちらはホワイトチェブジェン。
          
お腹いっぱいだったはずなんだけどなぁ。また食べてしまう。
セネガルのもてなしは徹底している。

そしてまた練習するが途中で「パンッ」という音と共に楽器が鳴らなくなる。停電だ。
回復するまでしばし休憩。アフリカらしい。

夕方、電気が回復するとドラムのサミュエル君が登場し、リハが再開する。彼はコーラスも上手くいい声で瞬時にハモリを付けてくる。
凄いな。何食べたらそんなになるんだ?ホワイトチェブジェンか?
19時くらいになるとサミュエル君が「シィー」っと口元に人差し指を置き、音量を下げる様に指示する。コーランだ!
街中にコーランが鳴り響いている時は音量を下げてリハーサルをするそうだ。
イスラム教では毎週金曜日がお祈りの日で、木曜日の夜からお祈りはガンガンに盛り上がっている。

20時になりリハーサル終了。
その後は部屋に戻りリハの音源を採譜する。
採譜しながらふと思う。
セネガル人がこんなに複雑なリズムをさらっとこなすのは、
譜面なんか見ないでそういう物だと思ってひたすら反復練習しているからなんだと。
「Don't think,Feel」
セネガルにて何故か燃えよドラゴンでのブルース・リーのセリフが頭をよぎる。

でもね、覚えられないのもあるのだが、
なんとなーく弾けたつもりになっちゃうのが怖いので
つい、採譜して確認してしまうのだ。
そしてあーでもないこーでもないといろいろ考える。
Don't think,Feelの領域は程遠いのである。

続く。


#セネガル #アフリカンミュージック




セネガル旅行記 4.セネガルミュージシャンとリハーサル

2018-03-21 18:04:24 | セネガル
2月7日 
ブランチを食べているとザールバンドのパーカッション隊と
キーボーディストが来て、楽器を準備していた。
私以外にもう一人キーボードが居るそうだ。
私はソロパートでアドリブをしたり、楽曲のキメのリフを担当。
もう一人のキーボード、サンバ君はンバラやマリンバ(という音楽のスタイル)
でバッキングを担当する。
サンバが早速、ンバラを弾いてくれた。
そうそうそうそう!これこれ!これぞセネガル!なぁーるほど、なるほど!
こういう風に弾いていたんだ!セネガル来てよかったぁ。
目から鱗がボロンボロン落ちる。
パーカッション隊はタマ(トーキングドラム)におなじみのジビィ、
サバールは昨日のお祭りTuuru mame Ndlareでも活躍してたジョーとホレ。

リハーサルの一曲目は日本でザールとやった曲から。
ヤバい!タマとサバールが入った途端にセネガル色がグゥーンと濃くなる。
セネガルでセネガル人とやっているから当たり前なのだが、
彼らのウォロフ語でのコーラスが入るとなおさらだ。
今はネットで簡単に情報が入るが、音楽に関しては実際に肌で音を浴びて分かる事が多々ある。
          

なんて分厚く大きなグルーブだ!
関係ないが、身体そのものも大きい。



リハーサル終了後は、みんなでセネガルの魚炊き込みご飯「チェブジェン」を食べる。
          
これまた絶品!止まらない。もういいや、デブで。

食後にザールがメンバーに大福を勧めた。
まず、サバールのジョー君が一口食べ、無言で頷き、隣のホレ君に渡す。
彼も一口食べ無言で頷き、サンバ君に渡し、彼も同じリアクションをしてジビィ君に渡し・・・。
って、何?なに、その低いテンション。大福だよ、ビッグフォーチュンだよ。まったく。
と、思っていたら最後に食べたお手伝いさんのハディが
「私、この味好き!」とビッグスマイルを浮かべていた。
流石、分かってる。美味しい料理を作る人は舌が確かでいらっしゃる。
          ←彼女の作る料理はどれもこれも美味しかった。

ここでリズム隊は帰り、その後もザールの特訓が続く。
譜面など無い。目の前で彼がギターで弾いたフレーズをひたすら覚える。
まずもって、そのフレーズの1拍目がどこか分からないので
何度も何度も弾いてもらい、それをキーボードで再現する。
あとは、言葉の壁があり、彼はエアピアノでパターンを歌って説明してくるが、
具体的にどういう事か良くわからないので、手探りでこう?こう?と音にしてみる。
実に根気の居るリハだが、こうして覚える事で音に説得力が生まれるのか?とも思う。

夕方はドラマーのサミュエルが来て彼とリハーサルをする。
彼はベナン人でお父さんもドラマー。ザールはサミュエルが4歳の頃から知っているそうだ。
音色がとてもクリアで、プレイがしなやか。コーラスも上手い。
まだ20代前半だろうな。なんでこんなに洗練されているんだろう。
何食べたらそんなになれるんだ?チェブジェンか?
メンバー全員揃ったら、どうなサウンドになるのか想像しニヤつく。

夜、リハーサル終了後、セネガルに帰国中のボガと電話で話す。
「セネガル良いところだね。食べ物も美味しくて嬉しいよ」と言うと
「でもセネガルの食事は太りやすいから気をつけてね」だって。

晩御飯はジェン(魚)。魚の表面をカリカリに焼き、周りの野菜とフライドポテトを添え、
フランスパンと一緒に食べる。そしていつもの通り食べ過ぎる。
          

ボガの言ったとおり、セネガル滞在3日目で私もカズも既に顔が丸くなっていた。

続く。


セネガル旅行記 3.太鼓叩けばみな友達

2018-03-17 17:40:06 | セネガル
2月6日曇りのち晴れ。昼間はパーっと暑いが、朝・晩は寒い。
午前中に楽器を屋上の部屋に運び、昼前にダカールの中心街に出る。
          

楽器を運び終えるとジビィが迎えに来てくれた。
今日は彼の車でザールの娘たちが住むメディナという街まで行き、お家でお昼を食べるとの事。
メディナはダカールの下町で、ユッスー・ンドゥールの出身地でもある。
          

お家にお邪魔するとザールの娘のバヤン、その子供たち、お手伝いさんなどなど
みんなでお昼の支度をしてくれた。
出された料理は「魚のヤッサ」塩コショウで味付けし表面をカリっと揚げた魚をごはんの上に乗せ、そこにレモン玉ねぎソースをたっぷりとかけたものだ。
セネガル料理は基本、大皿をみんなで囲み、右手の素手かスプーンを使って食べる。これがまた絶品なのだ。
          
バヤンにお礼を言うと「いつでもご飯食べに来てね!」と言ってくれた。ありがたや、ありがたや。

バヤン宅を後にし、ザールの出身地ヨフに連れて行ってもらう。
ヨフに向かう道中に変な銅像を発見。
セネガル独立50周年を記念して作られてたアフリカルネッサンスのモニュメントだ。
調べると実は北朝鮮の国営建設会社が工事を請け負ったんだとか。
なるほど、言われてみれば共産主義国の首都にありそうなデザインだ。セネガルでみた他のオブジェとは明らかに趣が違う。
          

ヨフに着く。ちいさな漁村でみんな知り合いの様だ。5メートル歩く毎に誰かしらザールに話かけてくる。こうなると紹介されてももうだれか誰だか分からない。
風景の写真を撮ろうとすると子供が寄ってきて、自分の写真を撮ってくれという。
カメラの前で、ポーズを取る子供の写真を撮っていると僕も、私も。と子供たちが集まって来た。
といっても、撮られた写真をどうこうしたい訳ではなさそうだ。
ただ、ポーズをとって写真を撮られているのが嬉しいのだ。
          

そして、ザールの実家に行き、お母さんやお姉さんを紹介してもらう。
ここで、ザールが私にセネガルネームを付けてくれた。
「アラム。これを秀子のセネガルネームにしよう!これは僕のお母さんの名前だよ。気に入った?」
「もちろん、気に入ったよ。ありがとう。」と答えると、隣に居るザールのお母様、アラムさんも私を見て微笑んでいた。
ザールの従兄弟が「ここは君の家だよ。いつでもおいで。」と言ってくれ、
ザールのお姉さんも「今度来るときは料理を作って待っているね」と言ってくれた。みんな本当に優しい。

今日は、ヨフのお祭り「TUURU MAME NDLARE」の日で、タマプレーヤーのジビィも参加するから連れて行って貰う。
この祭りは村でも大きな祭りの様で、おしゃれをした村人たちとパーカッションプレイヤー、ダンサーたちで溢れていた。
          ←祭りに向かう人々。
          ←パーカッションたちが馬車で運ばれる
          ←おしゃれに着飾る客席の人々
ジビィの計らいでミュージシャンセクションの真横に座らせてもらった。
そこで、ザールの従兄弟でオーストラリア在住のパプさんと知り合う。彼は英語が上手く、祭りの事やここに居るミュージシャンについて分かりやすく解説してくれた。
          ←サバールとタマプレーヤーたち

祭りが始まるとリズムと熱気に圧倒され涙が溢れてきた。うまく説明できないが、感激してしまったのだ。
それを見たパプがハグをしてくれ「どうして泣いているの?」と聞いてきた。
「感動して涙が止まらないんだよ」と言うと
「ハッピーなら良かった。この祭りは何百年も続いている、この村の誇りなんだよ」と教えてくれた。

そして、私とカズをダンサーエリアに呼び、「踊ろう!」という。
サバールダンスがほどんど分からない我々はただパプさんの踊りを見よう見真似で踊った。

↑中央でミュージシャンを仕切るパプさん
席に戻ると笑顔とサムズアップで迎えてくれる人々。もう、どんだけ優しいのよ。

祭りが終わると近くにいた子供がカズにトゥングネ(という太鼓)を叩いてみなよ渡す。

アジア人が珍しいのか、カズが叩くとタマやサバールを持った子供たちが集まってセッション。
太鼓を叩けば皆友達って訳だ。
         
祭りの後は、ザールの盟友であり、キーボーディストのダボーさんの家に楽器を借りに行く。
そこでダボーさんとセッションをした。ザールはダボーの家にあるピーナッツを勝手にボリボリ食べまくっていた。
相当仲良しなのだろう。ダボーもまた、とても親切な人。
ダボーの家を後にし、ザール宅で夕食を頂くと時差ボケでヘロヘロだったせいか、ベッドに撃沈する。

続く。





セネガル旅行記 2.セネガル到着

2018-03-15 10:47:29 | セネガル
2月5日セネガル到着

30時間を超えるフライトでヘトヘトになって空港に到着する
ダカール空港は1ヵ月前に新しくなったそうでとても綺麗だった。
空港で2Lの水を買う。1500セーファーフラン。
この時はセネガルの通貨価値が良くわかっていなかったのだが、
日本円にすると大体300円位。空港で買ったからか、以外と高い。
ちゃんと値段が表示されている所で買ったので、ぼったくられた訳ではなさそうだ。
私が無知なだけなのだろう。初セネガルなので良しとしよう。

空港を出ると「カズゥ!」という声がした。
見ると満面の笑みでサムズアップしているザールの姿があった。
そうそう、この笑顔。何度、この笑顔に救われた事か。

  ←左から私、ザール、カズ、そしてセネガル滞在中のカナダ人シャンタさん。


車はザールの甥っ子でタマ奏者のジビィが運転し、ザール宅に滞在中のカナダ人シャンタさんも一緒に来てくれた。
ザールはグリオ(世襲制の伝統音楽家)で、ジビィもそう。
ちなみにセネガルを代表するパーカッション奏者のドゥドゥ・ンジャエ・ローズにサバールを教えたのは
ザールの叔父さんのエル・ハッジ・マーダー・セックさんなんだそうな。
ここまでは、私でも理解できる。が、滞在期間中は、いろいろな親戚を紹介され人間関係が分からなくなる。
セネガルは一夫多妻制で、奥さんを4人まで持つことが法で許されている。
離婚、再婚など加えての4人。中には連れ子がいての再婚もあり、そうなると親戚の数も相当なのだ。

          ←車から見た夕方のダカール郊外

空港からザール宅に行く道中。シャンタにウォロフ語を教えて貰う。
セネガルの言語は幾つかあるが、ざっくり言えば基本ウォロフ語、フランス語でも大丈夫
といった具合だ。まぁ、両方できない私が大丈夫と言うのもなんですが。

お腹いっぱいの時は「ソゥォールナ」と言うんだよ。シャンタが言う。
この言葉を初日に知れて本当に良かった。シャンタ、有難う!
なぜなら、セネガルには「テランガ」という言葉がある。
日本で言う「おもてなし」の意味だ。
セネガル人の客人をもてなす姿勢は大好きだ。みんな人懐っこく、話好き、そして優しい。
また、セネ飯はかなり美味しい。ダカールは海に面しているので魚料理も豊富だ。ああ、思い出すだけでヨダレが出そうだ。
がしかし、量が半端ない。「ソゥォールナ」を言わないと次から次へと食事を勧められる。
若干、テランガが過ぎるのだ。

ザールの家に着くとあまりにも豪邸でびっくりした。
カナダで音楽活動をし、そこで稼いだお金で建てたという。
今でも、カナダの生徒さんたちを呼んでザール宅に滞在させ、
セネガルでワークショップをするツアーなどもやっているという。
軽くみても10組は余裕で宿泊できる。ホテルだ、こりゃ。

←ベッドルーム、バスルーム、リハーサルルームもあり。

中に入るとザールの奥さんのアワが27年ぶりに会うカズに「ドゥドゥ!」といってハグをしていた。
なんでも、カズはドゥドゥ・ンジャエ・ローズの演奏を生で観たくて、卒業旅行でセネガルに行ったとの事。
そこでザールと知り合い、ザールの仲間たちとも友達になったのだが、
いかんせん「カズフミ」という名前がセネガル人には言いづらいらしく
ドゥドゥって呼ばれていたんだとか。
あれあれ?セネガルネームって意外に簡単に貰えるんだね。
セネガルのグリオから、しかもあの偉大な音楽家の名前を。(笑)

夕食はとても豪華だった。
・鶏の手羽焼きとビーフンにレモンで味付けし、炒めた玉ねぎソースを添えてたもの。
・パタヤ→モチモチの揚げ餃子。具にビーフン、挽肉など。
・ムハムサ→粒の大きいクスクスにヨーグルト、砂糖、ミルクなどをいれ混ぜたもの。ムニムニした触感で。上にバナナを添えていた。
美味しすぎて「ネェールナ」(美味しい)を連発していたら
「レカー、レカー」(食べて食べて!)と勧められる。
セネガルが食べ物の美味しい国で本当に良かった。
またシャンタに「ソゥォールナ」を教わっておいて本当に良かった。

日本の食事を紹介しよう!とザールがアワに回転寿司の画像を見せる。
アワはあからさまに気持ち悪そうな表情をした。
セネガルでは生魚を食べないため、寿司などありえないのだろう。
日本からのお土産でザールの好きな大福を渡す。
アワとシャンタも一口ずつ食べるが、無言で頷いてザールに返す。
ダメっすか?・・・ですか。
別に用意したクッキーの詰め合わせは喜ばれたようで、一安心。
そうか、そっちか。

食後、10畳くらいあろう部屋に案内され、シャワーを浴び、爆睡。


続く。















セネガル旅行記1.1本の電話

2018-03-14 10:54:37 | セネガル
1. 1本の電話

 縁というのは不思議なものだ。
2年前のある日、夫であるカズ宛に来た1本の電話がきっかけで
自分がアフリカ音楽に魅了されセネガルに行く事になるとは。

電話の相手はザール・セック。
セネガルでは有名なミュージシャンだそうだ。
27年前、カズが卒業旅行で行ったセネガルで友達になったという。
カズがプロのベーシストになる前の出会いだが、
ザールはずっとカズの事を気にかけていた様で電話をしたとの事。

電話に出ると「カズゥ?カズゥ?」という明らかに日本人でない口調。
私が「カズは留守なの。私はカズの妻で、折り返し電話するように伝えておくから連絡先を教えて」
と英語で伝えると
「Wow,カズは結婚したのか!僕はザール・セック。セネガル人のミュージシャンで今はカナダに居るんだ。君も楽器をやるのかい?」
「うん。ピアニストだよ。」と答えると
「今度二人でカナダにおいでよ。ジャンべ教えてあげるよ。」
とても人懐っこく明るい口調の彼としばし会話をする。

その日の夜、カズに電話の件を伝え、you tubeで彼の演奏を聴き驚いた。
凄い人なんじゃない?この人。

この電話がきっかけで一昨年カナダに行き、ザールと一緒に演奏。
昨年はザールが来日し、日本人ミュージシャン達とツアーをする。
彼は日本人ミュージシャン達をとても気に入ったようで
これを機にJapon Daaguというバンドが誕生した。



そうこうしていとセネガルという国に興味が湧き、行ってみたくなり...
「来るならセネガルでレコーディングしようよ!ライブもブックするよ!」というザールの一言もあり。
これは行くしかないでしょ、と思い。先月、カズと共にセネガルに帰省中のザールを訪ねる事となる。

    ←飛行機から見るアフリカ

しかしながらアフリカは遠い。
格安航空券をとったのだから仕方ないのだが、
成田発→香港→アジスアベバ→バマコ→ダカール着。乗り換えはアジスアベバで1回のみ。
行きは30時間という長旅になる。

          ←エチオピアのビール

続く。