木村秀子 Blog

ピアニスト 木村秀子の音楽日記

4月後半と5月のスケジュール

2021-04-19 13:57:33 | セネガル
さて、2月から4月頭までバッタバタでブログもお休みしておりました。いつもご覧下さっていた皆さま、ご無沙汰しております。
レコーディングやらなんやら色々な事が一段落したものの、気がつけばライブがめっきり少なくなっております今日この頃。だからと言って何も書かないとただでさえ無名のワタクシは本当に忘れ去られてしまうので、少なかろうがこれからの予定をちびりちびりと書いていこうと思います。お付き合いの程、よろしくお願い致します。

4月23日(金)横浜中華街ローズホテル 17 :00、18:00、19:00の各40分 椎谷求(g)

4月24(土)おうちBAR (つちむら音楽工房チャンネルライブ配信) 行川さをり(vo)大堀博士(as)土村和史(b)

5月26日(水)新宿Pit inn    平井庸一 グループ
平井庸一(g)花咲政之輔(vo)山田 光(as)土村和史(5度調弦b)カイドーユタカ(b)井谷享志(ds)ゲスト:木村秀子(key) 13:30〜

どうぞよろしくお願い致します。






ライブスケジュール変更のお知らせ

2021-01-09 00:11:37 | セネガル
緊急事態宣言が出た事によりいくつかのイベントキャンセルや演奏時間の変更が生じましたのでご連絡致します。
訂正日程は以下の通りです。

1月
1/6 水道橋 Bon Courage  The fusin'    角田健(Ds)佐野聡(Tb)カイドーユタカ(B)
1/23 港南台 おうちBAR (つちむら音楽工房チャンネルライブ配信のみ)土村和史(B)
1/28本八幡 Cool jojo 土村和史(B)井谷享志(Perc) 18:00スタート。配信あり

2月
2/7 沼袋 オルガンジャズ倶楽部 ライブ配信 土村和史(B)井谷享志(Perc)
2/20,21  豊洲シビックセンターホール マタイ受難曲2021 Shezoo 他

みなさまもどうぞご自愛ください。
よろしくお願い致します。

セネガル旅行記17 まとめ

2018-10-18 10:57:52 | セネガル
セネガル滞在最終日の午前1時にライブを終え
午前5時には空港でチェックインし飛行機を待つ間
ボーッとしながらも頭の中で引っかかっている事があった。

幸せとはなんぞや。

セネガルはテランガの国と呼ばれている。
「テランガ」とは「おもてなし」という意味だ。
自分の周りの人間、客人をとても大切にする。
今回、お邪魔したお宅のほとんどで
「いつでも来て、自分の家だと思って」と言われた。
こんな事言われたら慣れない土地で暮らす外人(私を含め他所からきた人間)は
泣きそうなほどに嬉しい。
とにかくテランガが徹底している。
ただ、人間関係の距離が近い分、揉め事も多そうだ。
それはどこの国でも同じだ。
大人たちは子供が悪さをすれば本気で叱るし、
子供達は皆で分担して親の手伝いをする。
そんな日々なら人間関係の距離は必然的に近くなる。

一言で幸せを語るのは難しい。
ただ、音楽という、言語を超えたコミュニケーションツールを使えた事によって
私はセネガルで最高に幸せな時間を過ごす事が出来た。
砂埃舞うセネガルから幸せとは、豊かさとはなんぞや
という生きていく上で大切なことを教わった気がする。

後は、音楽でお返しできたらなお幸せだ。

       〜完〜




という事で、セネガル旅行記17話、最後まで読んで下さりありがとうございます。
ただいま、Zake Seck et Japon Daagou Senegal Togetsher Tour2018で関東をツアーしています。
会場でお会い出来ますように!
チャンチャン🎶






セネガル旅行記16 セネガルでライブ

2018-10-02 16:48:01 | セネガル
2018.2.19

セネガル滞在最終日。ダカールにあるライブハウスで念願のライブだ。

朝起きると家の前に馬車が止まり、ハーディーが何か話をしていので行って見ると魚屋さんが魚を売りに来ていた。

ダカールは海に面しているので、魚料理が豊富だ。
それにしても扱いが雑じゃない?まあ、美味しそうだからいいけど。


そして注文していたタマ(トーキングドラム)が出来上がったという。
間に合ってよかった!
昼にタマ奏者ジビィの家に行きレッスンを受ける段取りになっていたので
行って見たが、仕事が長引いて留守との事だったので1時間半ほどジビィ宅で待つ。
グリオ(世襲制音楽家)でもタマの演奏だけで生活するのは大変なんだろう。

待っている間にジビィの親戚らしい子供がこちらを覗き
恐る恐る私に近づき「ボンジュール」と握手をして来た。
私が笑顔で「ボンジュール!」と返すと奥に控えていた子供達5.6人が
取っ替え引っ替え「ボンジュール!」と握手しに来る。
学校で覚えたてのフランス語を外人相手に試したかったのだろう。
はにかんだ笑顔がとても可愛かったので、
ボンジュール攻撃に負けじと、フランス語ができない事を悟られないように
私はとにかくニコニコしていた。

そうこうしている内にジビィが現れた。
先ずは腹ごしらえという事で、昼ご飯にチェブジェンを頂く。
セネガルは客人を大切にするもてなしの国だ。
現地のレストランに行くよりも現地のお家ご飯が大好きな私としてはこの上ないご馳走だ。

そしてタマレッスンが始まった。
楽器というのはなんでもそうだが、聞くのと演るのとは大違いだ。
しかし気持ちがいい。構え、手順などその所作は難しいのだが、
セネガルでタマを叩いているという、ただそれだけで、若干興奮していた。
この小さな楽器であれだけ沢山の音色が使いこなせるようになるにはまだまだ時間がかかりそうだ。


レッスンが終わるとサバールのジョーとホレも来ていたのでジビィに車を出してもらい、
みんなで揃って今夜のライブ会場、BLUE SAXOに向かう。


会場にメンバーが揃い、サウンドチェックが始まる。
前にここのお店でライブを聴いた時に音響が酷すぎて辛かったのだが
今日のPAジェジーが担当だ。
ジェジーは色々工夫しながら本番直前まで試行錯誤してくれたおかげでなんとか乗り切れた。
本番前まで、客席は半分も埋まっていなかったのだが、
ライブがスタートするとたちまち満席になる。
そして本番スタート。
演奏は音量も大きいし、ビートもイケイケだったはずなのに
なぜか終始、冷静かつ穏やかな気持ちで弾いていた。
オーディエンスは熱狂し、ステージ前やステージに上がって踊りまくり、
サウンドはもの凄くグルーブしていたと思う。
そして思った。ここは天国じゃなかろうかと。
ライブの様子

ライブが終わり、熱狂したオーディエンスからアンコールがきた。
そのアンコール曲もなかなか盛り上がり、よし、終わった!と思いきやもう一曲アンコールがきた。
アンコール2曲目はザールがピアノソロのイントロから始まる綺麗な曲をコールしたのだが、そこで私がコードを弾き間違える。
完全に集中力が切れていた。最後の最後でしくじるという詰めの甘さを露呈してライブ終了。
...パーフェクトゲームならず。
ライブ終了後もザールはテレビ局のインタビューなどに答えて忙しそうだった。


ライブは午前1時に終了したが、午前5時までにダカール空港に行かなくてはならず
ライブの余韻に浸っている暇もなく楽器をパックしていた。
共演したセネガルのミュージシャン達に挨拶をし午前2時半頃ザール宅に戻ると
ザールの奥さんのアワが起きて待っていてくれた。
お土産にと我々にアフリカ柄の生地でワンピースとズボンを誂えてくれていた。
最後の最後まで何て優しいんだ。

旅の印象とは概ねその土地で出会った人の印象だと思う。
類は友を呼ぶのか、いい人であるザールを通して出会った人々は
みんないい人だった。セネガルが大好きになった。

幸せとはなんぞや。
徹夜状態でぼーっとしながらも
前日ジェジーと話していた話を思い出しながら
飛行機に乗り込み日本へと向かう。

続く。










せネガル旅行記15 レコーディング2日目

2018-09-27 13:19:02 | セネガル
2018.2.19

 レコーディング2日目。

 スタジオに入る前、朝、ジェジーとたわいもない会話をしていたのだが、
そのうち、何のために仕事をするのかという話題になった。
コンゴ出身、セネガルでエンジニアとして成功を収めたのだが、ご両親の面倒を見るために一旦コンゴに4年間帰り、
そして今、セネガルの仲間達と新たにビジネスを始めるために再び戻って来たジェジー。
自分の為、金の為、仲間との喜びを共有する為、その仕事の何%が自分の為なのか、誰かの為なのか
そうこう話している内に、幸せとはなんぞや?という話題になり、
ぼんやりだが、そのトピックが頭に残ったまま数日を過ごす事になる。


この日のレコーディングは昨日録音したトラックに音を重ねる。
ザールは不在の為、私とカズとジェジーで出来る所まで進める。


スタジオに行くと可愛いギタリストが居た。

ザールの孫のアブドゥくん。
彼はアジア人が珍しいのか、やたらと私とカズの周りをウロウロして居た。
鍵盤の音を確認し、サウンドチエックをしている我々の横でも御構い無しに
「ロックン・ロール!」と叫んでめちゃくちゃにギターをかき鳴らす。
うぉー、楽しそうだな、人の気も知らないで。
とも思ったが、逆に何にも考えずに楽しく音を出す気持ちをすっかり忘れてた気もする。
それにしても、この子は将来、音楽をやるのかな?
ザールはグリオ(世襲制音楽家)なので、アブドゥ君もやればいいのに。
代々、専門職の家系に生まれるとその有り難みが分からなかったりするのかな。


ちなみに、ザールの息子でギタリストのアサンは今、カナダで大活躍中だ。
一昨年前、彼の演奏をカナダで聞いたし、共演もしたが、本当に素晴らしかった。
演奏に華があるし、器用だし、それでいて人柄は穏やか。
暇さえあればギターを触っているか音楽の話をしていた。
近々、日本でも共演する予定。うーん、楽しみ!

レコーディングが一段落するとハーディーが魚のヤッサを作ってくれていた。
表面がカリカリ揚がっていて、身はふんわりした白身魚の上にレモンとマスタードで味付けした
玉ねぎのソースをかけたもの。これをご飯(長粒米)と一緒に食べるともう絶品なのである。


美味しい食事を気の合う仲間と食べる。
これも幸せを感じる瞬間のうちの一つだ。

続く






セネガル旅行記14 レコーディング1日目

2018-09-20 20:30:12 | セネガル
2018.2.18

 今日はレコーディングの日。
朝起きて、ふと窓の外を見ると綺麗な色をした知らない鳥を見かける。
なんていう名前だろう?日本にいるのかな?
窓の外には増築している部屋の壁が見える。
セネガルでは建築途中の家でも平気で住んでしまうので、
窓の外に鉄骨むき出しの壁があるのは当たり前の光景だ。
しかしながら、鉄骨が細すぎる。こんなに細い鉄骨で大丈夫なのだろうか?
そんな心配をよそに、綺麗な色の鳥は細い鉄骨の上で悠々と佇んでいる。


スタジオに行くと私が神と崇めているエンジニア、ジェジーが午前中にいろいろとセッティングしてくれていた。

しかし、ザールはレコーディング直前でも関係なく
リハでやった内容をどんどん変更して来る。
その時、良いと思ったものが彼にとって正しいのだろう。
その気持ちはよく分かる。
だから彼とツアーをしていた時は、毎ステージが新鮮でスリリングで、そして充実していた。
でもレコーディング直前でも、そのスタンスは変わらないのか...。
あれだけリハで練習したのにな...。
音楽は生き物だから仕方ないか。


そしてレコーディングしたテイクを皆んなで聞いていると
またしても客人登場。セネガルは客人の出入りが本当に多い。
その後すぐにお手伝いさんのハーディーが
「食事ができたよ!」と呼びに来てくれ、
よく分からないが、テイクを流しながら皆がスタジオ内で踊り始めるという
不思議な光景になっていた。
何だこのレコーディング?楽しすぎるじゃないか!

ハーディーはマフェ(肉をピーナッツバターなどで煮込んたシチュー)を作ってくれていた。

彼女の料理は相変わらず美味しくて
「ネェールナ!」(美味しい!)を連発していてふと気づいた。
セネガル滞在中に覚えたウォロフ語の殆どが食事に関する言葉だったという事を。
同時にセネガルチームも日本語で「オイシイ!」を連発していた。
食事を済ませ、スタジオに戻りレコーディングの続きをしようとしたら
「バキッ」という音がしたので見ると、カズが椅子に座ったと同時に椅子が壊れた音だった。
セネガルに来て随分と太ったんだねぇ。
それ位ハディーの料理は美味しいのだ。
皆んなで爆笑しながら続きを録る。

気がつけばあっという間に時間が経ち、
窓の外には夕焼けが見えていた。


続く




















 

セネガル旅行記13 セネガルの若手ミュージシャンたちとリハ&テレビ取材

2018-09-16 09:47:06 | セネガル
2018.2/16 

 ザールバンドのパーカッションメンバーと日中リハーサル。
サバールのジョー、ホレ、ジビィのMbayeファミリーと
(セネガルの音楽家にMbayeという苗字はとても多い。)
キーボードのサンバ。若手で活躍中のミュージシャンだ。
このバンドではサンバ君がマリンバやンバラのスタイルでコンプし、
私はイントロ、ソロ、ブラスセクションの決めなどを担当する。
みんなリズムがキレッキレだ。ここまで凄いともう笑うしかない。
←左からサンバ、ザール、ジョー。

私の短い滞在期間で出会ったキーボーディストの多くは
ヤマハDX-7かコルグTrironeを使っていた。
サンバ君もDX-7。
分かるよ、いいよね。
一昔前の日本のキーボーディストはみんな使っていたレジェンダリーキーボード。
久しぶりにDX-7の音を聴いてキュンとする。良い、ヤバイな欲しくなってきた。

リハーサルの途中にヨフ(というダカールの港町)のテレビ局がザール宅に撮影に来た。
我々もインタビューに答える。
取材クルーはプロデューサーらしき人、インタビュアー、カメラマンの3人。
プロデューサーは実に感じが悪い。
ザールが我々を紹介すると、
カズに「セネガルは奥さんが4人まで持てるぞ、セネガルに住んだらどうだ?」
と言うわ、インタビュアーの女性をこき使うわ、
現場で大して働かない、話す事にインテリジェンスのかけらもない。
どこの業界にもこの手の横柄で下品な人間というのいるんだな。

インタビューでは
セネガルの印象、ザールとの共演に至るまでの経緯などを聞かれた。
リハ室での撮影だったのだが、カメラが回っている中でもみんなちょいちょい部屋に入って来る。
このゆるさはとても好きだ。


取材後、ミュージシャンと取材陣皆んなでチェブジェンを囲んで食べる。
こういう光景も好き。

撮影後もリハーサルは続く。
サバール、タマが入ると一気にセネガル色が増す。
グルーブ、グルーブ、グルーブ。とにかくグルーブ第一優先。
セネガルの若手グリオ達と共演し、リズムの壁を体感できただけでも
この国に来て良かったと心から思う。

続く。









セネガル旅行記12-2 ゴレ島に行くの巻

2018-09-13 14:46:50 | セネガル
2018.2/15②

お昼すぎにテレビの収録が終わり、
その後、ザールにゴレ島に連れて行って貰う。

ゴレ島はご存じの方も多いかと思うが、
アフリカの奴隷貿易の拠点となった負の世界遺産だ。
アフリカ人を一旦ゴレ島に集めて、そこでオークションにかけられ
アメリカやヨーロッパに売られて行った場所。

ダカールの沖合にあり、そこに行くには
私のような外人はパスポートを提示しなければならない。
船の料金はセネガル人1600セーファーフラン、外人は5200セーファー。
世界遺産ゴレ島はセネガルにとって大事な観光資源だ。

風が強く、船がぐらんぐらん揺れる。
その船に小学生くらいの子供たちが沢山のって大声で騒いでいる。
ゴレの子供たちがダカールまで船で通学しているそうだ。
子供たちの船の料金は無料。
日本も子供の通学料金は無料にすればいいのに。

←ゴレ島

ゴレ島に到着するとザールの知り合いという人が話かけてきた。
ザールが我々を紹介すると
「ゴレ島は初めてか。ついておいで!」ともの凄いなまりのある英語でいう。

ゴレ島にある建物にいろいろ解説が書かれてあるが、
全てフランス語だったのでさっぱり分からず、
ザールの知り合いの良く分からない英語の方がましだったので
彼の話をいろいろと聞いていて気付いた。そうか、この人は島のガイドなのか。
その割には何を言っているか分かりづらい・・・。

島を歩いているとお土産を売りに来る人々が後を絶たない。
「マダム、マダム」といってアクセサリーを持ってしばらくついてきたり、
グイグイと売りに来る。グイグイ、グイグイ。みんな必死だ。

「ちょっと見て!」と手招きする画家さんがいたので行ってみると
アフリカの女性の生活ぶりだよ!といってイラストを描き始める。
君の名前は?と聞かれたので答えるといきなりその絵に私の名前を書いて
「1500セーファーでどう?」と勧めてくる。
凄い!ガッツありすぎで、ここまで来ると尊敬に値する。
また歩いていると遠くから日本語で
「私は最後の侍デース!でもこの刀は売りまセーン!」と叫ぶお土産屋のお兄ちゃん。
そうですか。ええ、買いませんよ。っていうか何処でそんな言葉覚えたんだい?
もっと他にいい日本語あるでしょう。イラッシャイマセー!とか。

そんなグイグイした人々が住むこの島はなんだか実に複雑だ。
同じ島の中に
フランス軍が統治していた頃の大砲があり
そこの地下施設に今ではアーティストが作品を展示している。
少し歩くとのんびりと牛が佇み、

あいかわらずゴレ島でも猫は眼光が鋭く

フランス人居住エリアはお洒落な建物やお花で満たされ

そこから歩くと
アフリカ人がギュウギュウに収容されていた場所や
オークションにかけられていた場所など生々しい負の記録が残り、
その窓から美しい海が見えると
どう感情を処理していいものか分からなくなる。

帰りにガイドのおじさんにお金を渡し、船に乗り込むと
そのおじさんも一緒に乗って来た。ダカールに住んでいるのかしらん?
そして、まっさらなノートに格子状の線を書き
「ここに音を書いてよ」
とザールに頼んでいた。そのおじさんもベースを弾くという。
タブ譜みたいなものを作ろうとしているのかな。とぼんやり見ていて気付いた。

あ、この人、きっと独学で英語を勉強したんだ。
自分なりに情報を整理する習性があるんだな。
だから発音は分かりづらかったけど、
ガイドの際の年号や面積などの数字がばっちり頭に入っていたし、
持っているカバンには資料らしき本やらノートやらが見える。
自分なりに頑張って勉強したんだろう。
次回セネガルに行く時までに私もフランス語勉強しないとな。

ダカールに戻ると夕焼け空に驚くほど大量の鳥が飛んでいた。

そんな光景をよそに、街中でカフェ・トゥーバが売られていた。
これが、なんというか、初めて飲んだ時はどうも子供の風邪薬みたいな味で
戸惑ったのだが、たまーに無性に飲みたくなるコーヒーなのだ。


続く。







セネガル旅行記12.セネガルのテレビに出演

2018-07-22 23:09:56 | セネガル
2018.2/15➀
今日はテレビ出演の日。朝からザールがギターの弦を張り替えている。
我々もよそ行きの恰好をし、皆でタクシーに乗り込む。
テレビは生放送だそうだ。

到着するとRDVと書いてある。
テレビ局に入館する際、何か手続きがあるのかと思いきや、
入口でおしゃべりをしているおじ様2人組に笑顔で挨拶し、
そのまま入館。
セネガルは治安が良いので心配ないだろうが、
ほら、テレビ局って革命とか起きたら一番最初に占拠される所じゃないですか。
良いのでしょうか、このセキュリティー。実に大らかだ。
          


階段を上り、廊下に置いてあるソファーで待機する。
目の前に置いてあるテーブルの下に誰かが食べ終えたであろう
洗ってない大皿が置きっぱなしだった。うーん大らか。
          左から通訳のキャロリーン、カズ、ザール

しばらくして、本番が始まる。
メインキャスターの女性がもの凄く早口でウォロフ語とフランス語を喋りスタート。
         
トークの内容は、複雑と言われるセネガルの音楽を国外の人たちとシェアすることの重要性、
セネガル人音楽家が国外の音楽にアジャストできるようになることの重要性、
それを体現するための野心的プロジェクト「Japon Daagou」についてといったところ。

私は、何を言っているのか良くわからないのになんとなーくうなづいていた。
          
この日はキャロリーンがフランス語から英語に通訳してくれ、私とカズは英語で答える。
メインキャスターの女性から「何か知っているウォロフ語ある?」と聞かれたので
たどたどしくウォロフ語で自己紹介などをしてみる。
それから、英語でザールとの出会いの経緯、Japon Daagouツアーの経緯などを話す。
          

そしてカズの出番。メインキャスターの女性から「何かウォロフ語で話してみて」と言われ
切羽詰まったカズが「・・・ダンマヒフ!」と言い放ち会場は大爆笑。

そう、この方はセネガルのお茶の間に向かって「お腹が空いた」とのたもうたのである。

最後はザールが弾き語りをし、ライブの告知をして終了。

皆で集合写真を撮ると何やらガッツポーズをしている。
ワールドカップでセネガルのシセ監督もやっていたこのポーズ。
Senegal Togetherという意味らしい。
          
          ←シセ監督

収録が終わり、やっぱり受付でおしゃべりをしているおじ様2人に笑顔で挨拶をし、テレビ局を後にする。
お昼すぎに収録が終わったので、そのあと、ザールにゴレ島に連れて行って貰う。
これは、一言では語れないのでまた、別の投稿で改めて書こうと思う。

お昼の生放送番組だったが、夜に再放送されるとの事で、ザール宅のテレビの前に
ザール、ザールの奥さんのアワ、エンジニアのジェジー、カズ、私が集まって皆でテレビ鑑賞。
ビデオレコーダーが無い為、テレビの前にスマホをかざして録画。
やり方が昭和だね。なんだかホットする。
          


そして、やっぱり「ダンマヒフ!」でみんな爆笑する。


続く。




セネガル旅行記11.セネガルの日常

2018-06-26 15:49:47 | セネガル
2018.2.14(水)
昨晩、明け方に帰宅したもののあまり眠れず。
リビングに行くと神エンジニア、ジェジーが居たのでずっとおしゃべりをしていた。
昨日のライブハウスの音響の事、
ユッスー・ンドゥールのPAをやっていた頃の話、
ワッド政権の話などなど。
気が付けばお昼ご飯(といっても3時頃)になっていた。
本日はホワイトチェブジェン。
今、ワールドカップでセネガルの事がいろいろ特集されているが、
セネガルの食事は日本人の口によく合う。

食後、カズとザール宅周辺を散歩する。
近くの空き地では青年たちがサッカーの練習をしていた。
もちろん、足場は砂地だ。

近くではヤギが草を食べに来ている。
          

また、住宅のすぐそばにバオバブの気が沢山生えていた。
写真の横に丸く印をつけたのが人間のサイズで、
木の上には鷲が巣を作っている。

バオバブの実はビタミンやカルシウムも多く栄養価が高い、
これにミルクやピーナッツバター、砂糖、クスクスを混ぜたガラという
スイーツが格別に美味しい。
スペルを聴いたらNgalakhと書くそうな。こりゃ読めないわ。
          ←Ngalakh

さらにブラブラ歩いていると大通りの反対側の広場に人だかりができていた。
行ってみると若者が相撲を取っている。
さらに近くに行くと「賭けるかい?」と言われる。
ここに居る人たちは平日の昼間なのになんで居るんだろう?と思うが、
仕事が少ないので昼間からブラブラする、道端に腰かけてぼーっとする
あるいは家でテレビを見て過ごす人が多い。
でも、一家の稼ぎ頭がいて、ちゃんと家族や親戚に富みを分け与えるので
暮らせていけるという。
分けて貰えなかったらどうなるの?と思うが、
分け合うのが当たり前、そういうものなのだそうだ。

夜、ジェジーはザールバンド初代キーボーディストのダボー宅に行き、
ザールは友人宅に行って留守。我々はリハ室で練習。
音を出すと、あれ?ノイズが無くなっている。キーボードの音もクリアだ。
PA卓をみると横にハンダこてが置いてある。
ジェジーだ!
昨晩、我々が留守の時に接触不良を直してくれたという。お見事。

しばらく練習しているとハーディが「ご飯だよ~」と呼びに来てくれた。
食卓にはガラが置いてある。
晩御飯に甘いもの?とも思うがクスクスが入っているのだから食事なのだろう。
ともあれ、バオバブのジュースから作った本物のガラが食べられて嬉しい。
ありがたや、ありがたや。

続く