さて、リゲインは起業する前、ずっとインターネット系の外資企業を渡り歩いていました。
外資には理不尽なことも多く、机を蹴り飛ばして会社を辞めて悶々としていたそんなある日、ネットで色んな企業のHPを眺めていたら、見覚えのある社長が。。。そうです前々々職で間接的に上司だった人でした。
小さい会社なので送ったメールはすぐに社長の元に転送され、彼から返事が来ました。
「会いましょう」
そこからはスムーズでした、面接なのですが昔話に花が咲き、帰り際に「後でオファーレター送るから、金額に問題なければサインして」
あんだけエージェントに振り回されたのに、コネってすごいなあと実感した次第です。しかしこの縁故って奴が「親亀こけたら皆こけたの法則」によって成り立っていることを後々思い知らされるのです。
この会社、簡単にいうとセキュリティの会社でした。ネットのセキュリティをやっている会社です。
インターネット黎明期にサービスプロバイダに入りマーケティング部を仕切り、その後に世界的な企業でルーターを売り、サーバーストレージを売り、最後にたどりついたのがセキュリティソリューションだったのでインターネットの誕生から円熟期までそれなりの企業で働いてきたことになります。
この会社に入って驚いたのが営業社員がほとんどオッサン。。いわば縁故で採用された社長の元部下だけ、、、派閥のできようがない位に一色に染まっていました。
リゲインが任されたのが白戸家で知られるS社。。
前任が手を抜いていたので売上げ低迷中でした。大体、外資では代理店構造に偏りがあって、ごく数社の代理店が突出した売上を上げています。
そして、そこを担当する人間は常に高いインセンティブを得ることができるのです。
低迷したところを担当すると悲惨なもので、年収は日本企業以下になり、お金が必要な夏冬も安いBASE(基本給)だけで乗り切らねばなりません。
住宅ローンや諸々の費用がかかる一般的な家庭にはかなりしんどい状況となるのです。
社長は単純な人間で数字だけ達成すれば何も余計な事は要求せず、くだらないレポートも書かされません。
ただ、野心家で見栄っ張りでした。
なので中小企業のくせに六本木の高層ビルにオフィスを構えていました。
彼の目論みはまだIPO(NASDAQ上場)していないこの会社のストックオプションで億万長者になることでした。リゲインの前々職のストックオプション(時価数千万)はインターネットバブル崩壊とともに紙切れになっていたのです。
実際に会社の業績は良く、上場の噂もしょっちゅう流れていたので我々もそんな野心に少しは期待をしていました。
しかし、神様は意地悪です。 絶妙のタイミングでプレゼントをくれました。
その名は LEHMAN SHOCK(リーマンショック)
この影響で小さな我々の会社は上場を断念し、また会社自体のリストラを始め、日本法人を閉鎖、もしくは半数にするという計画が執行されたのです。
社長はその事実を知ったのでしょう。
自ら雇い入れた部下達を自分の手で切る前に社長は会社を去りました。
そうです亀は去ったのです。
やがて米国本社から刺客が送り込まれてきました。彼のミッションは死の選別人。
来る早々にミーティングを開き、自分の身を守りたければ実績を上げろとだけ言われました。
やがて彼の指名で次々と社員は何かしらの理由を元に解雇されました。
若いエンジニアで仕事を覚えていない連中は真っ先です。
営業部隊は元々わずかしかおらず、一人で3社以上の代理店と代理店の抱える膨大な顧客のクレームやら要望に応えていたのでなかなか切れません。
しかし、この刺客は営業部隊が持つ前社長色が気に入らず、踏み絵をさせるのでした。ここで彼の機嫌を取り、食事に付き合いゴルフに付き合いといった連中がまず身の安全を確保します。
リゲインや他の数人はこういうご機嫌取りが大嫌いなので、黙々と仕事を進めて行くだけでした。
そして忘れもしない12月24日、あえてクリスマスイブの夕方、この刺客は数人を呼び出して解雇を言い渡したのです。
解雇理由は「本社の経営が思わしくなく事業規模を縮小せざるを得ないので申し訳ないが辞めてもらいたい。」
リゲインはこの男と働くのが嫌だったので「あ、いいですよ」と笑って部屋を出ました。残りの数人はこれから家族と過ごすはずであったクリスマスをつぶされ、声を振るわせて抗議を続けたのでした。
会社を出て、クリスマス一色の六本木の街から歩きました、どこまで歩いたか正確には覚えていませんが国道をず~と延々と何時間も歩いた記憶があります。
横浜近くまで歩いたような気がします。
もうこの時点でこの業界で会社の都合に振り回され働いて行く意思はなかったと思います。
クリスマス〜正月と普段ならちょっと息抜きできる時期に世の中の景色から色が抜け落ちてモノクロームになってしまったような年末年始を迎えなくてはなりませんでした。
何とかなるさ、と今までは思ってきました。というのはまた同じような職種で仕事は見つかると確信できたからです。
しかし、今回はもうこの仕事をする気がありません。自ら退路を断ったのです。
これから構想2ヶ月、ファミレスで朝から晩までパソコンで何やら画策しているリゲインがいました。傍らには「起業のすすめ」とか「法人登記」の手き」のような本がたくさん。。
そして2009年の春、法務局の前に登記書類を持ってたたずむリゲインがいました。
解雇を言い渡されてから3ヵ月、穏やかな桜の奇麗なスタートでした。
完
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そしてリゲインはまた同じファミレスで毎日、新たな人生プランを模索しています。ヨット屋稼業を8年、、その間に世界中を遠征し誰にも気を使わず勝手気ままに生きて来ました。
でも、今本当に大切なものは何なのか・・・改めて考える時期に入ったのです。