神足勝記を追って 2

皇室財政(戦前の宮内省財政・御料地・御料林など)を中心に、折々の経済・財政問題や身辺の出来事などを取り混ぜて書きます。

No.349 新No.4です

2024-11-29 23:15:36 | 世評

(1)およそ表に出る資格がない人を見るほどイヤなものはありませんね。誰って、言うのも嫌だから言いませんけど、アメリカの、ロシアの、イスラエルの、北朝鮮の、中国の、日本のあの人たち・・・。そして、そういう人ほど出たがり屋で、尊大で、恥ずかしげもなく得意顔で出て来ます。

 〽あ~ あ~ あのかおで~ あの~こ・え・で~・・・いつも出てくるんだよね~!ふん!

(2)今日28日の新聞で知ったことですが、「NHKから国民を守る党」(T党首)について、X(旧ツイッター)で「反社会的カルト集団」などと投稿した人がいたそうです。これに対して、同党が投稿者を相手取って名誉棄損の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしていたということですが、27日に請求棄却の判決を言い渡されました。

 ことの発端は、今年6月に、「選挙をウォッチャーちだい」(本名・石渡智大)さんがXに「反社会的カルト集団である『NHKから国民を守る党』』と書き、配信動画で「サリンをまかないオウムみたいなもん」と発言したことだそうです。

 これに対して訴訟が起こされたわけですが、判決は、▽過去にT党首がNHKの業務を妨害したなどとして有罪判決を受けたこと、▽党の役員会で「法律を守らない政党であるということを売りにしたい」などと述べたこと、▽動画サイトで「アホみたいに子どもを産む民族はとりあえず虐殺しよう」と発言したこと、ーなどが真実だと指摘して、同党の訴えを退けたそうです。

(3)昔、中学の頃、A君とH君という人がいました。伝え聞いたところでは、すでに両君とも亡くなったようですが、両君とも、身近にヤクザなのか暴力団なのかに関わる人がいたようで、その影響を受けていることが顕著な雰囲気をもっていました。

 両君ともネはいい人(まだ子供、自分も)でした。私はときどき話をしましたが、その時彼らが内緒で教えてくれた「顔を赤くするくらいのこと」を敢て大声で言ったので、一目置くほどではなかったにしても、いくらかは注意も聞いてくれ、ワルサをすることもありませんでした。話したことは大概はたわいのないことですが、A君が殺人罪にならない人の殺し方について話してくれたことが2回ありました。1回は刃物を使わない方法、もう一回は刃物を使う方法です。どこでどう仕込まれたのか、実にリアルでした。

(4)オット、何が言いたいかというと、彼らは反社の影響を受けて、結局、社会の裏とかスミに生きる道を行く環境にありました。しかし、その彼らでも、対応次第でまだ話ができました。しかし、上記のT氏を党首とするN党は話になりません。この社会の真ん中に居たいがために、あるいは居ながら、「法の隙や裏をかく」ことを専らとしています。あの様を見ていると、どんな環境で育ったのかと思わざるを得ません。実に人としてイタマシイ。

(4)アウトの国民民主党のT木さんも早く退場しないかな~。維新のB場さんは泣いてました。

    

     庭の山茶花が咲きました:薄紅の花のもと・・・

【コレクション 122 新聞の歴史】

 明治3(1870)年創刊の『横浜毎日新聞』から始まっていろいろあります。今日のパンフレットも、A3判の用紙を二つ折りした4㌻ものですから、4㌻目の刊行案内を除いた1~3㌻をマルマル載せて説明を端折ります。

     1㌻ 正面に『朝野新聞』、背負った箱〔名前?〕に『毎夕新聞』とあります。

    2㌻

    3㌻

4㌻ 刊行案内:A4判 平均200㌻ 定価:セット37,080円 1997年2月刊 日本図書センター

 以上です。読めましたか?いいですね。

 1.昨日の続きです。赤い実をもう一度。

    

 2.木が苔むしてました。アップにするともっといいです。明日載せましょう。

    

 3.オオタカが旋回していたのですが、葉だけになってしまいました。でも、これだけでも映えてます。私の背筋を伸ばすいい練習にも。

    

 4.帰るとバッタ君が待っていました。

    

    もう君だけだよ・・・。君も一期一会でいいんだよ。寒くなるよ。

 今日はここで。


No.348 新No.3です

2024-11-28 23:03:54 | 時評

(1)ドイツの東半分を占める旧東独地域では、極右政党AfD〔Alternative für Deutschland:Alternative for Germany:ドイツのための選択肢〕が、旧東独市民の劣等感につけ込むことで支持を広げています。そのことについて、今日28日付の朝日新聞「明日を探る」で、東京大学教授板橋拓己(国際政治史)さんが、短い論評を書いていました。

(2)今から35年前の1989年11月9日、東半分のドイツ民主共和国(東独)と西半分のドイツ連邦共和国(西独)を分けていたベルリンの壁が崩壊して統一ドイツが生まれました。ところが、両者の「一体化する」は、急いだために対等合併というよりも西独による東独の吸収合併となり、憲法は新制定するのでなく西ドイツの「基本法」が適用され、社会経済システムは、旧東独経済が解体されて西独の資本主義経済が移植されることになりました。その結果、旧東独地域で大量の失業者が生まれ、経済的格差が生じ、西独の人々の「べっ視〔上から目線〕」が旧東独国民を傷つけることになりました。こうした心理につけ込むことでAfDが支持を得、それがまた東西間の溝を広げています。

(3)両ドイツの統一は、西独を基準にして東西を統一をはかる結果となり、不平等な関係が固定化されることになりました。これについて、社会学者マウ著『不平等の統一』から解決策を引いています。

 戦後の約40年間で東西ドイツが異なる発展をしたことを理解する。旧東独地域の独自性を認め、旧東独には独自の民主主義理解があることを理解する。極左や極右への投票が多いことをもって非民主的と見ない。つまり、「彼らの政治的態度の特徴は国家への不信が強く、直接的民主制を支持し、デモへの参加といった街灯の政治を好む」から、旧東独地域では、代表制民主主義を補完するような「市民評議会」の導入が推奨されるとしている、と紹介しています。

(4)これについて、日本でも、SNSやツイッターのような手段で発信が多くなってきています。議会や旧来のマスコミなどとはほかのところでも、意見を闘わせてよりよい世論形成を図るという方向が求められることがあるかもしれませんから、異論の排除でなく、包括のための参考になるかもしれません。

 

【コレクション 120 明治欧米見聞録集成】

1.これは、岩倉使節団をのぞいた明治期の欧米見聞録を集めたものです。彼らが何を見てきて何を日本のもたらしたかは重要です。その際、たとえば経済学の分野でいうと、アダムスミスなどの古典派の経済学とマルクス『資本論』などの経済学、あるいは、財政学では、官房学やドイツ財政学など、もともとの欧米では各国の経済発展に伴って発展した学説などが、いっしょくたになって、あるいは後からできたものが先に入ってくるという面があります。そういうことを考える手掛かりになる材料が集められている興味あるパンフレットです。

 これは、大きさはB5判、4㌻です。B4判大の用紙を二つ折りしてできています。1~3㌻をそのまま下に載せて、説明を略します。なお、4㌻は刊行案内です。先にここに書いておきます。

 造本体裁:A5判 各巻平均450㌻ 昭和62〔1987〕年5から刊行 

 定価:第1期全7冊5万9500円 第2期全8冊6万8千円 第3期全6冊5万1千円

           2㌻

        3㌻

 以上です。

 昨日の散歩の続きを少し書きます。

1.「虫食いの葉っぱ」ですけど、正面のは穴だらけで、その影が下の葉にきれいに映ってます。ところが、その周囲はほとんど食べられていません。虫もめったやたらと喰い散らかしているわけではないんですね。ほかの葉は、「来るな」と、何かフェロモンでも発しているのでしょうか。

    

2.それから、少し歩いていると赤い実が見えました。葉は厚手で、ツバキの葉のようでしたが、ツバキではなさそうです。それから、この地域は戦後の基地関係の施設があったところです。その遺構の近くにナンテンの実も赤く色づいていました。

    

 残りはまた明日にします。今日はここで。

 

    

    帰りに見た花:蚊?が蜜を吸っているところを初めて見ました。


No.347 新No.2です

2024-11-27 22:34:20 | 散歩

(1)このブログは移転なのか、新設なのか、ともかく2日目です。2~3日前までは、2日で150人前後の人が明けてくれていましたが、昨日26日は開けた人が一人だけ、つまり自分だけでした。しかし、今日は何人かの人にたどりついてもらえたようです。多謝。

(2)『御料局測量課長 神足勝記日記』(J-FIC)の刊行を知らせるという目的で始めたこのブログの責任はもう1年が経過しましたから免除ということにして、あとは折々に言いたくなることと、集めた「パンフレット」や「1枚もののチラシ」を皆さんに紹介したいと思うこととがあるので、休み休み、もうちょっと続けます。

(3)今日は天気も良く、運動を兼ねて散歩に出ました。場所は、立川市と昭島市に跨ってある昭和記念公園の西端のフェンス沿いです。このごろは、全国どこへ行っても同じような街づくりで、500~1kmは直線道路だったりします。自転車とか車でもないとちょっと辛いことがあります。とりあえずはトイレです。私は折りたたみ式のミニサイクルを転がしています。

 下の写真の、左方向が昭和記念公園、斜め右方向に青梅線東中神駅があります。

    

(4)歩いていると、よく見る「虫食いの葉っぱ」に出遭いました。見ると「張本人」が見えました。中央と左上にいます。

    

(5)左上にいるのを拡大しました。これだけ近づいても、恐れもせずに首を横にたまま、昔の「欠食児童」のように、ただ黙々と食べていました。何カミキリムシでしょうか。

    

     我生きる ただひたむきにひたむきに

 この続きはまた明日に。

 

【コレクション 120 芦田均日記】 芦田均日記は2度刊行されました。

1.1986年1月の刊行時:色は黄色く見えますが、薄い黄土色です。

 大きさは、B5判、8㌻です。B5判4枚分の横長の紙を左右から4分の1を折り込み、できたものを二つ折りするとできます。全体は、

 1㌻ 上掲 /2㌻ 「刊行のことば」 *下の(2)に載せました。

 3~5㌻ 推薦文:

       今井清一 横浜市立大学教授政界の中枢で記録した占領下の政治

       佐藤功 東海大学教授 制憲史の解明のために

       内田健三 法政大学教授・元共同通信論説委員長 波乱の時代の実像

      全7巻の構成 略

      芦田均略年譜 *下の(5)に載せました。/特色

 6㌻ 内容見本 /7㌻ 編纂にあたって *下の6に載せました。

 8㌻ 装丁見本 刊行案内:菊判 約400㌻ 

2.1986年「刊行のことば」

3.1991年9月の復刊時:色は薄い黄緑です。上の「刊行時」との違いは、タイトルの下部に【復刊】とあるところです。

 「復刊時」の大きさも構成も最初の「刊行時」と同一です。違いは「刊行のことば」が「復刊あたって」となったことと「特色」が少し書き換えられただけです。

4.1991年「復刊にあたって」

 5.芦田均略年譜:写真も含めて「刊行時」・「復刊時」とも同じです。

 6.新藤栄一「編纂にあたって」:これは、下のものの末尾に「再録」とるように「最初の刊行時」も「復刊時」も同文です。違いは新藤氏の肩書です。「刊行時」は「筑波大学助教授」、「復刊時」は「筑波大学教授・日本国際問題研究教会代表理事」です。

 以上です。

 今日はここで。

 

 

 


No.346 新No.1です

2024-11-26 23:18:51 | 挨拶

(1)私のブログは今日から2年目に入ります。私がブログを開設したのは昨年の11月26日で、昨日がちょうど1年の最終日でした。そこで、これまでご覧いただいたみなさんにお礼と挨拶を書くつもりでしたが、突然にブログがロックされた状態となり、いくら捜査しても解除方法がわからず、急遽新しいブログを開設することを余儀なくされました。つまり、挨拶もせずに、前のブログから今のブログに移転した格好になり、しかも、新しい場所でのこの挨拶もうまく伝わるかどうか心もとない次第ですから、本当に申し訳なく思います。

(2)私のブログは『御料局測量課長 神足勝記日記』(日本林業調査会、J-FIC)の刊行の案内・宣伝として始めたものです。ですから、当初はそれを強く意識したものでした。もちろん、今も意識としては変わりませんが、しかし、だんだんと外のことも取り上げるようになりましたから、「羊頭狗肉」の感なきにしもあらずとなっております。そんなことであるにもかかわらず、開けていただいたみなさんにはお礼申し上げます。

(3)今2年目に入るにあたり、この取り上げ方は変えない方針ですが、少し遊びに時間をとりたいので、ブログ記事の投稿は様子を見てと考えております。勢いで書きます。都合の良い時にご覧ください。

    

   つぶらな目 ムラサキシキブの葉隠れに

【コレクション 119 槙有恒】 今日は、日本山岳会のパイオニアといわれる人、槙有恒全集のパンフレットです。私は、「アイガー東山稜の初登攀」、「マナスルの印象」(『山の旅 大正・昭和編』岩波文庫)や「わたしの山旅」などを読みました。山男でない私でも知っている有名な人です。なお、パンフの右上に1991年9月12日に収集したことが記されています。およそ33年前です。私がいくらか本格的に登り始めた頃でしょう。

 山でタバコを持っているのが気に入りませんが、うらやましいよい写真です。このパンフの大きさは、B5判6㌻です。B5判3枚分の用紙を、最初に左から3分の1を折り込み、次に右から3分の1を折り込んでできています。

 全体は、1㌻ 上掲載  

 2㌻ 作品紹介・写真

 3~4㌻ 推薦文 井上靖 作家 なぜ人は山に登るのか 

          今西寿雄 日本山岳会前会長 天の時、地の利、人の和

          山田二郎 日本山岳会長 温故知新

          鎌田久 日本山岳協会会長 私の宝物

          立松和平 作家 山に登る必要がある

          石川忠雄 慶応義塾塾長 日本山岳会の古典

          平野裕 毎日新聞社専務取締役 世界の岳人としての足跡

          石井亨 仙台市長 槙先生をしのんで   

     プロフィール・年譜 *下にを載せます。明治から大正期にかけての、文字通り「足跡」を知ることができます。

 5㌻ 特色・内容 新聞雑誌の書評 

 6㌻ 装丁見本・槙有恒写真・体裁・定価 *下に載せました。

 以上です。

 今日はここまでです。

 * またしても播磨ちじに闇深し 

    

    水玉の レンズが魅せる 苔の中