(1)ブログ回復の目途が立ちません。
(2)今朝、目が覚めた途端にめまいが起こり、終日、難儀しました。原因はきのうの疲労?。いえいえ、あれだけ歩いたのに、足の裏も、脛や腿も、どこもまったく平素と変わりません。疲労がないとはいえませんが、帰宅して1時間ほど仮眠したら回復しましたから、そうでもないのではないかと・・・。とすると、年のせい?あるいは、昨日の天使に頭がイカレテしまったのかも・・・。う~ん、わからない。
(3)もうろうとして作業にならないので、『月刊むし』の写真を眺めてました。すると、川瀬啓祐〔かわせけいすけ〕「チュウゴクアミガサハゴロモの採集記録」(No.644、2024年10月号59ー60㌻)という報告がありました。そこに、私が取った次の写真と同じものが載せられていました。
2024年7月1日撮影 同10月13日撮影
川瀬氏は、「茨城県日立市宮田町」で「25.Ⅵ.2034」に採集されたそうです。この原産は中国ですが、関東では2022年に神奈川県で、2023年に千葉県・東京都で目撃例の報告があるそうです。やはり温暖化が原因なのでしょうか。
(4)それから、上記『月刊むし』No.644,60㌻に、長田庸平〔おさだようへい〕氏が「茨城県つくば市でチュウゴクアミガサハゴロモの発生を確認」を報告して、「幼虫」の写真2枚を載せています。実は、我が家の庭でも、昨年あたりから、同様のものを何ヶ所か確認しています。白カビ状で小さいものですから、うまく撮影ができません。これについてはさらに挑戦すると同時に我が家での発生を注目したいと考えています。
(5)昆虫採集する人などのうち虫を専門にする人を「むし屋」とかいうようですが、この言い方でいえば、私は、ちょっと前は「はな屋」、このごろは「兼、むし屋」ということになりそうです。もちろん、本来の作業もまじめにやっていますよ。まあ比較的に・・・。
【コレクション 127 久米邦武歴史著作集】 久米邦武については、『米欧回覧実記』(全5冊、1977年9月、岩波文庫刊)の編者であることのほかには、「神道は祭典の古俗」という論文のために帝国大学教授のを休職させられたという筆禍事件で知られるくらい、というのが我々の代の通常の認識ではないでしょうか。下に載せた年譜によると、久米が帝大教授に就任するのは明治21年で、筆禍事件は25年です。私はこのパンフを手にしたときに久米の略歴や業績を知りました。その意味でも貴重なパンフです。
先に、パンフについて書くことにします。大きさは、B5判6㌻です。B5判大3枚分の横長の用紙を、最初に左の3分の1を折り込み、次に右の3分の1を折り込むとできます。
全体のうち1~4㌻は下に載せて、説明を略します。
5㌻ 推薦文 家永三郎 東京教育大学名誉教授 日本近代史学黎明期の巨峰
児玉幸多 学習院大学名誉教授 久米史学に触れる楽しみを
小葉田 淳 日本学士院会員 久米邦武歴史著作集を推す
6㌻ 編集委員 大久保利謙 大隈和雄 荻野三七彦 加瀬正一 佐伯有清 佐藤能丸 篠川賢
田中彰 芳賀徹
刊行案内 体裁:A5判 平均450㌻ 定価6500円 全6巻 別巻1冊
1988年3月 吉川弘文館刊
1㌻
右下に説明文:「背景は久米邦武肖像(明治前半期)と『米欧回覧実記』の自筆原稿」
2㌻
3㌻
3~4㌻
以上です。
今日はここまでです。
これが幼虫になると、上に紹介した長田庸平氏の写真「チュウゴクアミガサハゴロモ」の幼虫になるらしいのですが、目下のところ観察中です。
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