半月板損傷していると聞いて
「あの時ああしていたら
防げていたのでは?」
と、悔やんでばかりいる
夏の間、ウォーキング行けなくて
久しぶりに出かけた10月
慣れていないウォーキングシューズじゃなくて
いつもの方を履いていたら
膝に負担がかからなかったかも
それから
ダイエットしようとスクワットしたり
膝に負担のかかる
ヨガのポーズをしたりしてた
そのような膝に負担がかかることは
やらなければ良かった
そうしたら
私の膝は今まで通り
1万歩だって2万歩だって歩いても
痛くなったりしない
健康な膝だったのに
ああ、あの日に帰りたい
あの日に帰って
履き慣れたウォーキングシューズで
出かけて
スクワットもヨガもやらないで
今日までをやり直したい
私の両親は80代後半で亡くなるまで
杖無しで歩いていたし
山道登って畑仕事に行っていた
正座もしていた
膝が痛いとは一度も言ったことがなかった
なんとなく
私も同じようなDNAを
受け継いでいると思っていた
分からないものだなあ
こんなことなら
しまなみ海道のサイクリングも
もっと早く行っておけば良かった
日本中、世界中
健脚なうちに旅ししてまわれば良かった
しかしこのような後悔は
言ってみたところで
膝が良くなるわけではない
私の友達がこのような愚痴を
私に言ってきたら
私はなんと言葉をかけるか?
そう想像することで
すべきことが見えてくる
それはショックだよね
これから大変だよね
でも
泣いても変わらないんだよね
まだできることもたくさんあるのは
ありがたいことなのかも
前向きに生きていくために
一体、どうしたらいいか
考えてみよう
まだまだ「世界の終わり」ってほど
深刻な状況ではない
他人から見れば「その程度のことで」と
呆れて
笑われてしまうレベルのことだ
私が更に更に年をとって
いよいよ臨終の間際に
「ああ、もう一度
元気だった頃に戻れたらなあ」
と、願ったら
神様がその願いを聞きつけて
「今、この時」に
戻してくれたんだと想像しよう
ああ、元気な私に戻れた!
(半月板は損傷しているが)
どこにでも行ける
映画にでも、レストランにも
買い物にも、博物館にも
お花見にも!
さあ、どこに行きたい?何をしたい?
うじうじと泣いていては時間が浪費される
行きたい所があるなら
身体が動くうちに行こう!
残された時間は案外貴重なのかも知れない
それに私はまだ諦めていない
進歩した医学の力を信じる
昭和の時代の方が良かったこともあるが
今には今の良さがある
進んだ医療を受けられる点では
断然今の方が良い
今に生きる恩恵を
しっかり受けたいと思う
絶対に良くなるという保証はないが...
アメリカは医学は進歩しているけど
先進医療なんて
目玉が飛び出るくらい高額で
逆立ちしても受けられないけど
私が暮らしているのは日本だ
とても恵まれた状況にいる
いろいろ不調はあるけど
桜も咲くし
愚痴ばかり言って
憂鬱な気分で毎日過ごすのも
勿体ないと思うのだ
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