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ひとりごとです

下田観光 ペリーロード

2024年05月27日 | 関東近郊プチ旅行
朝ごはんはバイキングでした
焼きおにぎりのお茶漬けが
美味しかった
 



ペリー艦隊来航記念碑の近くの
駐車場に車を停めました

 
日本史で習った
1583年 
ペリー率いるアメリカの黒船艦隊が
国交を開くように求めて
浦賀にやってきたものだから
そりゃあもうお江戸はパニック
(なにせ300年もの間
武士たちは
戦をしたことがなかったのだから)
 
「1年後にまた来る」と言い残して
一旦去っていった後
江戸幕府は今のお台場を埋め立てて
人工島を作って大砲を据え付けたり
(それが今の地名になった!)
他にもいくつか台場を大急ぎで作り
大騒ぎだったらしい
 

1年後の1854年
日米和親条約が締結され
下田・函館が新たに開港

300年続いた鎖国政策が終わり
新しい時代が始まる
きっかけとなった街
激動の時代はここから始まったのだ
 
 

日米友好の灯だそうです


 



ペリーロードに来ました
川の両側にガス灯が立っています
 

とてもレトロな佇まい







水門だったみたいです
 
 



花に覆われたコーヒー屋さん
すごい!
 
















300年の鎖国を終わらせて
下田と函館の2港を開港させ
領事館もここに出来たのだけど
下田は函館ほど
大きな都市に発展するまでには
ならなかったんだな
 
意外なほど小さな町でした
 

了仙寺
黒船から上陸したペリーご一行様の
応接場となったらしい
 
また会談交渉の会場ともなり
ここで下田条約が調印された
 


ジャスミンの花がたくさん
 








当時の様子
 


古墳時代のお墓の遺跡も
残されています
 





Google Map には「了仙寺宝物館」と
載っていますが
「黒船ミュージアム」に改名されたのかな
建物も新しくて
短い映画の上映もありました

 





黒船ミュージアムを出て
「下田開国博物館」へ
 


こちらには我が故郷の誇り
吉田松陰に関する資料もありました
 
吉田松陰は
黒船が来た時小舟で近寄り乗船し
「アメリカに密航させてくれ」と
こっそり交渉したのだけど断られ
断念して自首したのだそうです
 
吉田松陰の銅像も下田に2つありますが
雨がひどくて行くのを諦めました
また今度!
 
 

アメリカの首都ワシントンにある
ワシントンモニュメント
以前アーリントンに住んでいた時
飽きるほど見てましたが
 
220段目に
ペリーが下田から持ち帰った石が
使われているのだそうです
知らなかった!
 
伊豆の石は江戸城の石垣にも
使われたそうなので
伊豆は地質学的に良い石が採れる
場所なのでしょう
(実際の下田石は旧澤村邸で
見ることができました)
 














ミドリガメ🐢
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