明けまして4日目
早いもので今年も あと361日になりまして
その中で また1つオババになってゆくのですが
オババになっても どうしてもわからず納得できない事があります
まだまだ自分が猫事をするなど思ってもいない幼少期から 親になり子育てをしていく中で感性や情緒を育み 心を豊かにする
情操教育の1つでは
犬も猫も動物達は いつも命として登場してきていました
読み聞かせの絵本には動物達がばんばんに登場し
音楽の時間には みんな みんな生きているんだ
と歌い
お昼休みや放課後には校庭にある飼育小屋へ鶏やウサギを見に行きました
だれでもが命として認識できる環境にいたかと思います
ネーネが1年生の頃だと記憶していますが
ラブラドール犬が迷子になっていたので
そらママと一時的に保護した事があり
どうすればよいのか?保健所に電話しますと 引き取りに行くと言われ
飼主さんが見つからない場合はどうなるか?聞きますと
処分すると言われて そうなれば
なんだか自分が殺してしまうような気分になり
飼主さんが現れなかったら またうちが連れに行きますと言うと
それは出来ないと………
飼主さんが自ら探さないと保健所側から飼主さんを探す事はせず
届出でした者にまた引き渡す事もせず
なら 一体なんならできるの?処分する事しか考えてないの?
保健所がそう言う所だとは聞いていてもショックでした
迷子のラブラドールは保健所には来てもらわず そらママとリンママでお家を探して無事に帰る事ができましたが
迷子の迷子の子猫さんは お迎えがなければ
殺されてしまうと 子供達に教えるのですか?
猫事をするようになり 里親詐偽や動物を虐待する人間がいる事を知りました
そこから 動物達の扱いは命とはほど遠い物扱いになっていました
はあ? 可笑しくね?
優しいとか思いやりとか
慈しむ心を育むために
家庭内でも教育の中でも 動物達
を登場させているのは誰ですか?
私達 人間でしょ
命が物に変わる線はどこにあるのですか?
そんな線あるはずない あってはならない線なんではないでしょうか?
勝手な時には命として 都合がつかなくなると物になる
不思議な国に生まれてきた動物達が
気の毒でしかないと思うのは私達だけでしょうか?
最後に こう言う事を書くと じゃお前は肉はたべないのか?虫もころさないのか?とあげ足をとりたがる人間が必ず出てきますが
みんな命をいただいている事はわかっていて
虫にしても無駄な殺生はしていない
殺す事に快楽を覚えるサイコキラーではありません
ママーズ
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