山城知佳子  プカリー水辺の物語 ー

  YAMASHIRO Chikako
水面に漂う水草物語

ACUTE ANGLE

2009年02月17日 | 山城知佳子作品集
ACUTE ANGLE
ラムダプリント・アクリル、木製パネル/
Lambda print,acrylic,wooden panel
248×300cm


ACUTE ANGLE
                    
山城知佳子は絵画よりも自らの身ぶりで表現することにリアリティを感じ始め、原初的な、精神が身体において顕現される方法としての身体表現を目指した。
 自ら演技者となり、聖地や墓の前での踊りや、様々なパフォーマンスを行う。しかしやがて、米軍基地や国会議事堂前など象徴的な場所でのステレオタイプな行為を装うことによって、沖縄の置かれている状況への自らのわだかまりを外化しようとした。そこには揶揄やそこはかとないユーモアを漂わせたものがあった。しかしパフォーマンスそのものは生身の身体によってなされ、言葉や概念から溢れ出すものがある。それをビデオに撮り、編集を加えることにより、再構築したのである。
 VOCA展に出品された作品には、沖縄米軍基地司令部がある金網の前での女性同士の肉体的争いと、その後お互いにひざまずいて和解しているようなシーンが撮影されている。この喧嘩のストーリーは如何様にも連想が可能である。背景も美しくつくりものめいたものである。そこにリゾート風でない、砂浜の2点が組みあわされることによって、新たなイメージが生成されることを目指した。その操作を際立たせることによって、「作られた状況」を示しつつ、しかし、行為によって発生する意図せざるものに懸けたとも言える。今回の場合にも米軍による威嚇と禁止があり、また行為者の予期せぬアクシデントがあったという。
 今回のイメージはそのことの始終のレポートともいえるが、作家にとっては「溢れだすもの」、もっともリアリティのある写真を選んだという。作品には言いがたい静かさとリアリティが溢れているのではなかろうか。
                           ― 翁長直樹(沖縄県立博物館・美術館学芸員)
                               「VOCA2007」展図録より




『グッバイ レーニン!』

2009年02月15日 | 映画
 故郷や境界や理想や。
沖縄の730の右側通行から左へ変わったときのドタバタや、
〈B円・ドル・円〉の通貨が変わったときのドタバタ、
そんな悲劇喜劇の映画があってもいいな。と映画を観たあとの感想。


慰霊の島の風景

2009年02月15日 | フォト&エッセー
沖縄タイムス「慰霊の島の風景」
山城知佳子 

 「回想法」という、個人の人生の歴史、思い出を話してもらうという場で高齢者の方々の話を聞いた。公なものでなく、証言してもらう場でもなく、高齢者のデイサービスセンターで、思い思いに語っていくグループ回想法だった。
 
 18名の方々が円形になって席を並べ、お互いの顔を見合わせながら語っていく。「今日は沖縄の戦前・戦後」と言って、若い介護士が大きく引き延ばした当時の写真を見せる。「この写真は戦前ですか?戦後ですか?」司会進行する介護士も私も知らない、昔の沖縄の情景。「これはね、戦後だよ」鐘のタライで洗濯をしている女性の写真。「あの頃は、そうそう!こんな風に洗濯したよ。洗濯するのも一日がかり。子どもをおんぶしてね、終戦直後はね…」。
 那覇の農連市場の写真に女性が泣き出す。「思い出すよぉ!那覇だよ、那覇!」。コザ暴動の写真に男性が口々に語り出す。日の丸を揚げて子ども達が群がる写真に一人の男性が語り出す。「僕はサイパンで生まれた。移民でね、20年働かされた。戦争に使うサトウキビを作らされて…」。
 
 自然と戦時中に時が移行する。
 語る顔を見つめていると、彼らが私の目の前から消え、当時の記憶の中へ戻って行くのがみえる。どんな状景を思い出しているのだろうか、私にはわからない。言葉にされない隠された言葉が漂っている。言葉にできない情景が身体を震わせ、喉を詰まらせ、水の粒が瞳から落ちる。そして、記憶の中から現在に還って来る。人がこの場から消え記憶の淵に立つ瞬間を目の前に、不安と衝撃を受ける。
 
 私にはわからないことはわからないという事実は変わらない、ということがわかった。回想を聞く事で私は伝えること、聞く事について考える暇もなく、写真撮影に入った。
 聞いていた私に触れてくださいとお願いをし、こちらから手を握りしめると、身体に親密感が伝わってくる。みんな、笑顔だ。次々と手をとり、顔を包んでもらい、抱きしめられる。肌の暖かみと皮膚の皺ののびる感触はお互いに一体感の空気を生み出した。そのうち話を聞くことしかできない世代と世代の壁が消滅し、解け合う皮膚の感触の現実だけがお互いに伝わり合った。その時確かにはっきりとわかった。体験者の現実はわからないが、ただ、私の知らない厳しい歴史をかいくぐった方々と私は同時代に生きているのだ。皮膚と皮膚が触れ合った瞬間は、今という瞬間でしか生まれないのだと。
             


沖縄県立美術館ショップにてポストカード販売中

2009年02月15日 | ポストカード
沖縄県立博物館・美術館ショップ「ゆいむい」にてポストカードを販売しております。
 毎月10数人の方々の手に引き渡っているようで、報告を受ける度にどんな方が購入してくれているのかと
会ってみたいと思ったりします。
 作品を媒体に多くの方と出会えますが、直接お会いできない場合でもこうした形でつながってみたりするのも
いいな~と思います。

 ショップで販売しているポストカードは過去(2004-05)の作品が主ですが、
新作のポストカードと入れ替えを考えています。期間限定ですので、ご希望の方はお早めにショップへ!

いまあるポストカード

■ビデオ作品『オキナワTOURST』の
「墓庭エイサー」「にほんへのたび」「I like Okinawa Sweet」のポストカードを只今、販売中!
その他、
■写真作品から『Anyway...』(倉敷現代アートビエンナーレ西日本にて優秀賞)、
『Complex .Vol.1』(写真0年沖縄展出品)のポストカードもあります。
 
*美術館開館を記念して作った限定ポストカード(在庫限りです)。

Ziad Antar

2009年02月15日 | Video
Ziad Antar

都市/国:レバノン


Name/Surname: Ziad Antar

City/Country: Lebanon

Film title: WA - Tambourro - Tokyo tonight

Running time: 9 min.

Brief film synopsis: short videos using "second hand music", experimenting the field of of contemporary video clips.


http://www.lucacurci.com/artexpo/home/events/video/kaliningrad_russia/artists.htmlhttp://www.artslant.com/global/artists/show/14678-ziad-antarhttp://www.artslant.com/global/artists/show/14678-ziad-antar

一緒にサンゴを植えましょう

2009年02月15日 | アート活動速報
サンゴを食べてしまうオニヒトデが昨年に比べ、
20倍もの量に増えています。

ダイバーのボランティ駆除活動だけではどうにもならない状況になってきている。
異常繁殖中のオニヒトデ。

どうした。海!
海の声拾うように、心を傾けなければ。




「ガザが世界にといかけているもの」

2009年02月15日 | 世界
ガザが世界にといかけているもの
―パレスチナの歴史と現在 そして「対テロ戦争」―
板垣 雄三 講演会

昨日沖縄大学土曜教養講座で開催されたパレスチナの講演会を聞きに行きました。
若林千代さんがお招きした板垣雄三先生のお話は3時間半にも及び、
イスラエルのパレスチナ侵略の歴史を1948年にさかのぼり、見て行く事から始まりました。

遠い国の出来事と、普段の生活に関係のない事と過ごしてしまう恐ろしさ、
"世界が見て見ぬ振りをする"という大きな罪、
いったい誰がテロリストなのか?
イスラエルのパレスチナへの残虐行為が執拗に長きに渡って続けられ、抵抗するパレスチナ人をテロリストに仕立ててしまう
構造やメディアの報道。

話の中で印象に残ったのは、ナチスにホロコーストを受けた「悲劇の民」であるユダヤ人が、いま何故
パレスチナ人に虐殺行為をするのかという質問に、
世界中の人々が言う「悲劇の民・ユダヤ人」という考えの中にもつ
「過去に悲劇を受けた民族はその歴史から他民族へ暴力を向ける存在にはならないだろうという考えそのものを
問い直すべきでないか。。ホロコーストで殺されたユダヤ人が生きていたら、いまのパレスチナへの残虐な行為はしなかったかもしれない。。そうでなく生き残ったユダヤ人のイスラエル軍は事実、パレスチナのナクバ(大災厄)=ホロコーストを
行っている、その事実を見て今世界は何をするべきかを考えなければならない」というお話だった。

 昨年8月、広島被爆跡地、旧日本銀行広島支店で開催されたヒロシマ アートドキュメント08には
レバノンからのアーティストが参加していた。
彼は難民キャンプで暮らす子どもたちとアート作品をつくり、それを展示していた。
女性の被るベールを自由な形にたたんだり、折ったりしたものを写真で撮るというものだったが、
子どもたちの作る形には、心の中にしまっていたあらゆる悲しみが形に出て来ていたように思う。

 キャンプで作られる家も何もかもが壊される。
作っても作っても壊される。
そんな中から想像力を奪われないように、創造することを忘れてしまわないように。
レバノンの作家はアーティストの仕事として、難民キャンプの子どもたちとワークショップをしたように感じた。

 彼との出会いが私がパレスチナ問題に関心を持たせるきっかけだった。




http://palestine-heiwa.org/feature/about_gaza/index.html