中学三年生、多感で受験生でもあったその年に創価学会員母が自殺未遂。
幸い、一週間ほどで退院となりました。
母親の自殺未遂という事実については、きょうだいの中では私のみが知るところとなりました。
妹もその事実を知ったのは大人になってから、つい二、三年前のことなのです。
ずっと私はそれを胸の中にしまい続けていました。
中学三年生の私にとって、母親が自殺未遂をしたというのは衝撃でした。
自分を責めたりもしていたと思います。
中学三年生の私は、母に元気になってもらいたい。そのためには創価系高校を受験して合格するのが一番だ、と考えました。
とてもそんな成績ではなかったのに、創価系高校を受験することに決めました。
母の創価系友人たちが盛大に応援してくれました。中には遠くの地方の幹部の方もいらっしゃいました。
母は躁鬱病のおかげで行動力がはんぱなかったので、学会幹部への人脈も全国に広がっていたのです。
私は勉強を始めましたが、もともと勉強があまり好きではありませんでした。
担任の先生からは1%も受からないと言われ、やめるようにも言われましたが、「魔の仕業」だと思って耳を貸しませんでした。
あの当時の私はあまり集中力がなく、勉強しても五分で集中が切れました。
勉強しているようで、まったく頭に何も入ってきませんでした。
でも、お題目は一生懸命にあげました。
お題目をあげれば奇跡が起こるはず!と頑なに信じていました。
きっと私の頭では1%しか受かる確率がなくても、残りの99%はお題目が何とかしてくれるだろうと思っていました。
でも、いつまで経っても私の頭は勉強に集中できませんでした。
結果、不合格。当然です。当たり前です。誰が考えても明らかです。
創価学会が間違っているとかどうとか、そんなことも関係ありません。それ以前の問題です。
勉強してないから不合格だったのです。ただそれだけです。
それなのにどうして合格する可能性があるなどと思ってしまったのか。
そこが私にとっての「お花畑」だったのだと思います。
母は怒り狂いました。
私が勉強をしなかったからだと公衆電話の前で怒鳴りつけ、母の全国に広がる創価学会幹部友達に電話をかけ、私に謝るように強要しました。
みんなにお題目をあげさせたのに、私が勉強しなかったせいで不合格でした。ごめんなさいと顔も見たことない幹部の人たちに泣きながら謝り続けました。
苦い、とても苦い思い出です。
担任からは「ほら見ろ」みたいな冷たい目で見られ、レベルをさげた公立にすべてをかけて受験し、公立は合格しました。
何だったんだろう、あの中学三年は何だったんだろうと、今でも思います。
今思い出してみても、訳が分かりません。
きっと中学三年生の私もかなり混乱していたと思います。
それほどに、中学生が経験する母親の自殺未遂というのは大きなショックがあったのかもしれません。
そして私は再び劣等感を背負うことになりました。
一緒に受験した中等部で大河グループだった友人は合格。
彼女の家はそれなりのお金持ちで、両親はともに大幹部。
うちは貧乏で、両親は共に平の創価学会員。
合格できなかった私と、合格できた彼女。
高等部では同じ本部になるので、活動でも顔を合わせるようになります。
ああ、嫌だな、憂鬱だなと思いながら、私は高校生になったのでした。
幸い、一週間ほどで退院となりました。
母親の自殺未遂という事実については、きょうだいの中では私のみが知るところとなりました。
妹もその事実を知ったのは大人になってから、つい二、三年前のことなのです。
ずっと私はそれを胸の中にしまい続けていました。
中学三年生の私にとって、母親が自殺未遂をしたというのは衝撃でした。
自分を責めたりもしていたと思います。
中学三年生の私は、母に元気になってもらいたい。そのためには創価系高校を受験して合格するのが一番だ、と考えました。
とてもそんな成績ではなかったのに、創価系高校を受験することに決めました。
母の創価系友人たちが盛大に応援してくれました。中には遠くの地方の幹部の方もいらっしゃいました。
母は躁鬱病のおかげで行動力がはんぱなかったので、学会幹部への人脈も全国に広がっていたのです。
私は勉強を始めましたが、もともと勉強があまり好きではありませんでした。
担任の先生からは1%も受からないと言われ、やめるようにも言われましたが、「魔の仕業」だと思って耳を貸しませんでした。
あの当時の私はあまり集中力がなく、勉強しても五分で集中が切れました。
勉強しているようで、まったく頭に何も入ってきませんでした。
でも、お題目は一生懸命にあげました。
お題目をあげれば奇跡が起こるはず!と頑なに信じていました。
きっと私の頭では1%しか受かる確率がなくても、残りの99%はお題目が何とかしてくれるだろうと思っていました。
でも、いつまで経っても私の頭は勉強に集中できませんでした。
結果、不合格。当然です。当たり前です。誰が考えても明らかです。
創価学会が間違っているとかどうとか、そんなことも関係ありません。それ以前の問題です。
勉強してないから不合格だったのです。ただそれだけです。
それなのにどうして合格する可能性があるなどと思ってしまったのか。
そこが私にとっての「お花畑」だったのだと思います。
母は怒り狂いました。
私が勉強をしなかったからだと公衆電話の前で怒鳴りつけ、母の全国に広がる創価学会幹部友達に電話をかけ、私に謝るように強要しました。
みんなにお題目をあげさせたのに、私が勉強しなかったせいで不合格でした。ごめんなさいと顔も見たことない幹部の人たちに泣きながら謝り続けました。
苦い、とても苦い思い出です。
担任からは「ほら見ろ」みたいな冷たい目で見られ、レベルをさげた公立にすべてをかけて受験し、公立は合格しました。
何だったんだろう、あの中学三年は何だったんだろうと、今でも思います。
今思い出してみても、訳が分かりません。
きっと中学三年生の私もかなり混乱していたと思います。
それほどに、中学生が経験する母親の自殺未遂というのは大きなショックがあったのかもしれません。
そして私は再び劣等感を背負うことになりました。
一緒に受験した中等部で大河グループだった友人は合格。
彼女の家はそれなりのお金持ちで、両親はともに大幹部。
うちは貧乏で、両親は共に平の創価学会員。
合格できなかった私と、合格できた彼女。
高等部では同じ本部になるので、活動でも顔を合わせるようになります。
ああ、嫌だな、憂鬱だなと思いながら、私は高校生になったのでした。
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