小学生時代までの話は一通り書き終えたので(書き漏れがあったらまた書きます)、今度は多感な中学時代の話です。
中学に入ると、男女別にそれぞれある中等部というのに入れられます。
「少年部」では男女一緒だったのが、「中等部」からは別々になります。
男子には男子部のお兄さんが、女子には女子部のお姉さんが担当としてつきます。
中等部の中でも幹部の子なんかは大河グループなる人材グループに入れられます。
これは月に一度の会合以外に別の大きな会場なんかで研修やら会合のあるグループで
「池田先生」に選ばれた使命ある子が入れるとされています。
私は母親が勤行唱題はうるさかったんですが、会合は出たり出なかったり、
新聞啓蒙や折伏や選挙もあんまり戦っていない、やりたい活動だけやるという、いわゆる「チョイス活動家」だったので
大河グループに入ることはできませんでした。
でも、今となっては母がチョイス活動家であったことに感謝しなければいけないでしょう。
大河グループなんぞに入れられていれば、さらにマインドコントロールは加速し、
生きているうちに創価学会の間違いに気付くことができないほどの盲信者になっていたかもしれません。
この年齢で脱会にまで踏み切ることはできなかったでしょう。
だけどその当時、大河グループというのは中等部のメンバーの中でも選ばれた特別な存在で
私の目にはきらきら輝いて見えました。
結婚して子どもが生まれたら、大河グループに入れてもらえるような人材に育てようと思ったような記憶があります。
ここでも私の劣等感は増幅されました。
中等部になると家庭訪問といって、同じ世代のメンバーの家を訪問して「池田先生」のお話をしたり、中学生新聞の切り抜きを渡したりという活動が加わります。
私は大河グループに入れてもらえなかった劣等感を払拭するために、そうした家庭訪問やお題目や勤行を頑張りました。
それでもやっぱり大河グループの子が「明日大河の会合だから」と、
ちょっと面倒くさそうに、でも内心得意げに話すたびに、いいな、羨ましいなと思ったりしたものでした。
中等部は少年部とは違い、いきなり厳しくなります。
たとえば部員会での出し物が「池田先生」の壮大(笑)な人生を自画自賛する小説「人間革命」の朗読に決まったときのこと。
同じ中学生の部長の家に学校が終わってから行き、読み合わせの練習をするのですが、
「もっとお腹から声を出して!」「そんなので先生の気持ちが伝わるの!?」「ぜんぜん駄目!もう一回最初から!」
こんな感じでかなりのスパルタなんです。
訳も分からず怒られながら、必死に感情を込めて「池田先生」のゴーストライターが書いたという自画自賛小説、人間革命を読み続けました。
気がつけば時間は夜の11時を過ぎていましたが、上手く読めないので帰してもらえませんでした。
結局、12時前にようやく解放されたと思います。
あれはいったい何だったんだろうと今でも思いますが、完全にスパルタですよね。
スパルタのマインドコントロール。
こういうのをマインドコントロールの専門家ではなく、大人でもなく、中学生同士で当然のようにやっちゃうのですから、創価学会は恐ろしいです。
私はあの頃、いったい何を考えておとなしく言うことを聞いていたんだろうと今でも不思議に思います。
余計なことを言えば怒られるし、考えないようにしていたのかもしれませんが。
母親の精神状態もかなり不安定な時期だったので、怒らせたくないという気持ちもあったのかも。
学会活動を頑張っていれば母親が元気になるという気持ちもあったかもしれません。
ちょっとあの頃の精神状態というのはまだうまく分析出来ません。
ただ、憧れとか卑屈とか、そういう感情が入り交じった複雑な感情が行き来していたような気がします。
またこの頃になると、電車に乗って大きな会場での会合にも参加するようになります。
うちは母親の躁鬱病による買い物依存症と父親のお酒、ギャンブルでかなり貧乏でした。
なので、電車賃は持たせてもらっても、お昼ご飯代まで持たせてもらえません。
(会合にちゃんと行かないと怒鳴るくせに……)
電車に乗るので行きも帰りも他の中等部のメンバーと一緒に行動です。
会合が終わってお腹もすいて早く帰りたかったその時、「お腹がすいたのでマクドナルドに寄っていこう」と女子部のお姉さんが言いました。
でも、「お金がないので先に帰ってもいいですか」と私は女子部のお姉さんに聞いたんですが、「みんなで帰らないといけないから駄目」と言われてしまいました。
だからといって、女子部のお姉さんがマクドをおごってくれるわけでもありません。
私はみんなが美味しそうに食べているのを店の外でお腹をすかせながら待っていました。
今思い出しても、切ない思い出です。
マクドを見るたびに、あの日、お腹がすいてみんなが羨ましかったことを思い出します。
自分一人だけさっさと帰る勇気があれば良かったのですが……。
そんなことをすれば罰が当たる気がして、悪いことが起きるような気がしてできなかったのだと思います。
中学に入ると、男女別にそれぞれある中等部というのに入れられます。
「少年部」では男女一緒だったのが、「中等部」からは別々になります。
男子には男子部のお兄さんが、女子には女子部のお姉さんが担当としてつきます。
中等部の中でも幹部の子なんかは大河グループなる人材グループに入れられます。
これは月に一度の会合以外に別の大きな会場なんかで研修やら会合のあるグループで
「池田先生」に選ばれた使命ある子が入れるとされています。
私は母親が勤行唱題はうるさかったんですが、会合は出たり出なかったり、
新聞啓蒙や折伏や選挙もあんまり戦っていない、やりたい活動だけやるという、いわゆる「チョイス活動家」だったので
大河グループに入ることはできませんでした。
でも、今となっては母がチョイス活動家であったことに感謝しなければいけないでしょう。
大河グループなんぞに入れられていれば、さらにマインドコントロールは加速し、
生きているうちに創価学会の間違いに気付くことができないほどの盲信者になっていたかもしれません。
この年齢で脱会にまで踏み切ることはできなかったでしょう。
だけどその当時、大河グループというのは中等部のメンバーの中でも選ばれた特別な存在で
私の目にはきらきら輝いて見えました。
結婚して子どもが生まれたら、大河グループに入れてもらえるような人材に育てようと思ったような記憶があります。
ここでも私の劣等感は増幅されました。
中等部になると家庭訪問といって、同じ世代のメンバーの家を訪問して「池田先生」のお話をしたり、中学生新聞の切り抜きを渡したりという活動が加わります。
私は大河グループに入れてもらえなかった劣等感を払拭するために、そうした家庭訪問やお題目や勤行を頑張りました。
それでもやっぱり大河グループの子が「明日大河の会合だから」と、
ちょっと面倒くさそうに、でも内心得意げに話すたびに、いいな、羨ましいなと思ったりしたものでした。
中等部は少年部とは違い、いきなり厳しくなります。
たとえば部員会での出し物が「池田先生」の壮大(笑)な人生を自画自賛する小説「人間革命」の朗読に決まったときのこと。
同じ中学生の部長の家に学校が終わってから行き、読み合わせの練習をするのですが、
「もっとお腹から声を出して!」「そんなので先生の気持ちが伝わるの!?」「ぜんぜん駄目!もう一回最初から!」
こんな感じでかなりのスパルタなんです。
訳も分からず怒られながら、必死に感情を込めて「池田先生」のゴーストライターが書いたという自画自賛小説、人間革命を読み続けました。
気がつけば時間は夜の11時を過ぎていましたが、上手く読めないので帰してもらえませんでした。
結局、12時前にようやく解放されたと思います。
あれはいったい何だったんだろうと今でも思いますが、完全にスパルタですよね。
スパルタのマインドコントロール。
こういうのをマインドコントロールの専門家ではなく、大人でもなく、中学生同士で当然のようにやっちゃうのですから、創価学会は恐ろしいです。
私はあの頃、いったい何を考えておとなしく言うことを聞いていたんだろうと今でも不思議に思います。
余計なことを言えば怒られるし、考えないようにしていたのかもしれませんが。
母親の精神状態もかなり不安定な時期だったので、怒らせたくないという気持ちもあったのかも。
学会活動を頑張っていれば母親が元気になるという気持ちもあったかもしれません。
ちょっとあの頃の精神状態というのはまだうまく分析出来ません。
ただ、憧れとか卑屈とか、そういう感情が入り交じった複雑な感情が行き来していたような気がします。
またこの頃になると、電車に乗って大きな会場での会合にも参加するようになります。
うちは母親の躁鬱病による買い物依存症と父親のお酒、ギャンブルでかなり貧乏でした。
なので、電車賃は持たせてもらっても、お昼ご飯代まで持たせてもらえません。
(会合にちゃんと行かないと怒鳴るくせに……)
電車に乗るので行きも帰りも他の中等部のメンバーと一緒に行動です。
会合が終わってお腹もすいて早く帰りたかったその時、「お腹がすいたのでマクドナルドに寄っていこう」と女子部のお姉さんが言いました。
でも、「お金がないので先に帰ってもいいですか」と私は女子部のお姉さんに聞いたんですが、「みんなで帰らないといけないから駄目」と言われてしまいました。
だからといって、女子部のお姉さんがマクドをおごってくれるわけでもありません。
私はみんなが美味しそうに食べているのを店の外でお腹をすかせながら待っていました。
今思い出しても、切ない思い出です。
マクドを見るたびに、あの日、お腹がすいてみんなが羨ましかったことを思い出します。
自分一人だけさっさと帰る勇気があれば良かったのですが……。
そんなことをすれば罰が当たる気がして、悪いことが起きるような気がしてできなかったのだと思います。