お天道様は見てござる

元創価学会員。現在は公明党が熱烈に推進し、ビルゲイツから感謝状をもらったコロナワクチンの問題について綴っています。

勤行唱題、会合参加の強制という名の創価学会員による子ども虐待

2016-09-24 10:39:53 | 日記
私には弟が一人、妹が二人います。
小学生の低学年ぐらいまでは、四人並んで勤行唱題をさせられました。
あれは本当に苦痛で仕方がなかった。
ひらがなの教本を手に、長女である私が導師(注:勤行唱題の時の中心者)となって弟妹たちに毎日勤行と一日何分かのお題目をあげさせなければなりませんでした。
小学校の高学年の頃には一日一時間ぐらいを上げさせられていたと思います。
宿題はやらずとも、勤行とお題目はやる、そんな小学生でした。
でも、弟や妹たちは、小学校の高学年に上がる前には勤行唱題をやめていました。
どれだけ言っても聞かないので母親は諦め、その熱意をすべて私に向け始めたのです。
私はどれだけ嫌がっても仏壇の前に引きずり出され、勤行唱題を強制させられました。
時には殴られ、座らされたこともあります。
きっと母は母なりに、必死だったのでしょう。
それが子どもの幸せと本気で思っていたのかもしれません。
その時に本気で抵抗すれば逃れることができたのかもしれませんが、私は母親によく思われたいという気持ちが強い子でした。
母親だけでなく、他の人……たとえば創価学会の人たちからもよく思われたかった。
勤行唱題を毎日するだけで、母も他の創価学会の人たちも盛大にほめてくれます。
それが気持ち良かったのだろうと思います。
完全に母と距離を置く弟や妹たちとは裏腹に、私は毎日勤行唱題をする創価学会的良い子になっていきました。
会合にも、以前は弟や妹たちと参加していたのが、いつしか私一人が参加するようになりました。
弟は以前に会合に無理矢理つれていかれたとき、あまりにも我慢できずに数珠を引きちぎり、母親から会合中にビンタされるということがありました。
ビンタは二回か三回ぐらいで終わったので、周囲の大人たちは顔をしかめつつも母をいさめたりはしませんでした。
あれぐらいの抵抗があの頃の私にもできていればなと思ってしまいます。
でも、あの頃は母が怖かったし、褒められたかった。
たらればを考えても仕方がありませんが、やはり私は弟や妹たちとは違い、信心を続けるしかなかったのかなと思ったりします。
それに、私が小学校の高学年に上がる頃には、母は鬱病ということで創価学会系の精神科の病院に通い始めていました。
原因は父の浮気ということですが、ここ数年の間に大学病院の精神科に同行する機会が何度かあり、母は鬱病ではなく躁鬱病であると診断されました。
なので、その創価学会系精神病院は長年母を鬱病だと誤診していたことになります。
余談ですが、鬱病と躁鬱病では飲む薬や治療法がまるで違うのです。
躁鬱病の患者に鬱病の薬は絶対に駄目なのです。
母はずっと毒を飲まされていたのと同じ状態だったのです。
そりゃ病気が何年経っても治らないはずです。
ともかく、当時は鬱病ということで、非学会員の祖母から「お母さんは病気で大変だから、お母さんの言うことをよく聞き、あまり怒らせないようにしなさい」ということを何度か言われました。
弟や妹たちはあまりそれを言われなかったようです。
私が長女だから、妹や弟たちの分まで言われていたみたいです。
母に逆らえなかった原因は、ここにも少しあるのかもしれません。
長女の責任感、みたいなのがあったんでしょうか。
いろんな要因が重なって、私は母に言われたとおりに信心を続け、会合に参加し続けました。
そしていつの間にか池田大作さんを自分から「池田先生」という子どもに変わっていったのです。
「池田先生はすごい」と必死に思い込もうとしていました。
何がすごいのか納得する必要はありません。とにかくすごいと思い込めばいいのです。
そうすれば大人たちが褒めてくれます。
やっぱり福子(創価学会の家に生まれ、赤ん坊の頃に入信した子)は違うわなんて言われて、ちょっといい気持ちになれたのです。
そのちょっといい気持ちの代償は、すべて大人になってから払わなければならないということも知らずに。

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